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2008-11

向山貴彦, 宮山香里 – 童話物語

指輪物語やグイン・サーガのように隅々まで細かく設定された世界観で描かれる壮大な物語。クローシャ大陸という場所に生きる人々。妖精のいる世界。

主 人公ペチカがすんでいた村を追われ、果てしない旅に出かける。その村で出会う妖精フィツ。ペチカをいじめるルージャン。教会の子守をする怖い守頭。旅でさ んざん世話になるおばあちゃんとロバのテディー。やさしくしてくれるオルレアとハーティー。そのほかいろんなひとや物事にもまれながら少女ペチカは成長し ていく。

ファンタジー感あふれる作品と世界観なのに、主人公ペチカのどこまでもひねくれて捻じ曲がった性格が最初読んでいて本当に 「いーーーっ!!」となる。途中優しい心に出会ったり、心温まる出来事に触れても、彼女の屈折しきってしまった心はなかなか素直になれない。たったひとこ との「ありがとう」さえ言えない。どうしてそんなに歪んでいるのか、読んでいて心苦しくなるほど。「どうしてダメなんだろう」「どうしてうまくいかないん だろう」そんな気持ちばかりが先行してしまう。諦めてしまいたくなるぐらい長い話の果てに、世の中の憎しみ(つまりそれは自分をも含む)に向かい合ったと き、彼女の心に今まで嫌だったり憎んでいたり信じられなかったりした物事を許すことによって、それらは救われ嫌じゃなくなり受け入れられ信じられるのだと いうことを知る。そんな彼女の成長した姿がまぶしい。

こういうファンタジーのようなものの場合、なにか困難とか問題とか冒険とかそういう ところが主眼になりがちだけれど、それもちゃんと踏まえて、夢のある世界だけども現実の世界に近い感じ、冒険の数々を描きつつ、主人公の内面、すなわち人 間の生き方、苦しみ、そんなものを見事に描いている作品というのは少ないのかも。長編だけれど、あっという間に読んでしまった。

ここまでよくできて、楽しく、かつ人間の嫌な部分を見事に描ききった向山氏がこの作品を20代前半で書いたというのが信じられないくらい。また宮山さんの絵がこの作品によくあっている。

童話物語〈上〉大きなお話の始まり

童話物語〈上〉大きなお話の始まり

童話物語〈下〉大きなお話の終わり

童話物語〈下〉大きなお話の終わり

 

辻仁成 – オキーフの恋人 オズワルドの追憶

ものすごい大作やった。物語の面白さも小説としての巧みさも読み応えも十分。すばらしい!!

新たな連載をはじめる大事な時期なのに失踪し てしまった大作家を捜すはめになってしまう出版社の編集者が主人公の「オキーフの恋人」という物語と、その大作家が連載する探偵小説「オズワルドの追憶」 (小説中小説というのか?)が順番にあらわれるという構成の長編小説。上下巻で1200ページぐらいあった。

上巻において最初は同時並行 に進む両方とも魅力的でそれぞれ面白い物語たちであるが、下巻に進むに従って「オズワルドの追憶」が「オキーフの恋人」に侵入していく。そのあたりからの 明らかになっていく物語の本当の姿や、そのスピード、どんでん返し、そして物語の結末がすごくおもしろい。そこまで長くかかって発展していった物語が最後 にはじけ、「生きているということはなんなのか?」という作者からの問いかけが浮かび上がってくる。

うまく書けないけれど、「人にとって の人生の実感となる記憶とは何か」「人が生きているということは何をもってなのか」などという生きていく上であまりにも身近過ぎ、また当たり前にあるもの すぎて考えもしないこと、そして、「神とは何か、悪魔とは何か」「正義とは何か」というような、多種多様な価値観が同時に存在している世界にとっていちば ん厄介な問題(誰しもが自分が正義であるからゆえ)をテーマに描かれいると思う。

含蓄多い言葉やエピソードや、なるほどとうなってしまう台詞がたくさんあって、何がいいかなんて選べない。辻さんの本でも今までのなかで1、2争うぐらい好き。

オキーフの恋人 オズワルドの追憶〈上〉

オキーフの恋人 オズワルドの追憶〈上〉

オキーフの恋人 オズワルドの追憶〈下〉

オキーフの恋人 オズワルドの追憶〈下〉

 

ステップ・アップ

白人の高校生でストリートダンスがとてもうまいが成績はいまいちな主人公が、仲間とよその芸術学校に忍び込んで遊んでいるときにつかまってしまい、その学 校での奉仕活動を命ぜられる。そこで彼はバレエの卒業制作に悩む女性と出会い、やがて意気投合して新しいダンスをつくっていくが・・・・みたいなお話。す るっと見れて、ダンスも本当にかっこよい。

これといって何もないけれど、冒頭らへんのシーンで黒人ばかりが遊んでいるクラブで主人公がや たらとはりきって踊りまくって黒人たちとトラブルを起こすシーンをみて、先日次期大統領がオバマに決まったけれど、社会全体のトーンとしては「肌の色は関 係ない」なんて風潮になっていったとしても、下々街角ではお互い何か譲れない軋轢みたいなものが脈々とあって、これらをなくするのにはまだ相当な時間と努 力が必要なんだろうな、と、ふと思った。自分でもやはり「けっ、●●のくせに」なんて心で悪態ついたりするのなくならないもんな。

ダンス はすばらしかった。そりゃもちろん映画なので、すばらしく見えるように撮影されてるのだけれど、こればかりはCGとかワイヤーアクションとか使うといまい ちなので、ガチンコでやってるはず。こういうダンスものの映画や映像(PVとかね)を見てると、どんどんこの類のひとたちの身体能力が上がっていってるの に驚く。「そんなことできるんや!」って思うこと多いもんな。本当、いま一番新たに世界が広がっていってる(まだ未開の世界がたくさんある)のはダンスな んだろな、だからこそ、彼らには輝きとパワーがあるんだろうな、と思ったりする。

バレエとストリートダンスが思ってた以上に融合させられていて、なかなか感心した。

ステップ・アップ

ステップ・アップ

おくりびと

ある意味この映画(というかこんなストーリー)で涙流さないわけない、というような設定・話はこびに、ちょっと「ずるいなー」と思ってしまったり。だれしも自分の親や身近なひとたち、自分やパートナーの死というものを前にしたときのことを想像したら、泣いちゃうもんね。

実 際納棺師という仕事があるのはしらなかった。すごく日本人的な感覚のうつくしさ、静かさのある仕事だと思う。でも映画の中でも少し描かれてるけれど、人の 死は十人いれば十通りの死に方や死に模様があるわけで、決して静かで綺麗だったりするばかりではない。そして、やはり”死”に関する物事はこの国この文化 圏ではタブー視されるものだ。忌み嫌われてるのは事実。でもそういう世界に先入観やら感情を越えて美しさを感じさせられたのはこの映画よくやった、と思え るところ。

でも、実際はこの仕事ってもっともっと忌み嫌われたり、どうしようもない場面に遭遇したり、と、もっとエグいはずだ。こんな仕 事をもつ旦那をうけいれるのも、そんな環境に自分をおくのも相当な覚悟がいるはず。なのに、納棺師という仕事とその人間模様を描く作品のはずなのに、その へんがさらっとしすぎていると思う。たんに美しい部分しか描いてない気がする。

一番残念だったのは主役の2人。本木雅広はまだしも広末涼 子という配役はどうだったんかなーと。広末本人が悪いわけでも演技が下手だーとか思った訳でもなく(でも下手かも)、適役じゃなかったんじゃないかなと。 なんか健康的すぎる、広末っぽすぎる。すごく微妙な陰影の映画なのに、画面に広末がでてくると「あ、広末」というふうに見えてしまい、納棺師の妻の美香と いう女性には見えない。同じく本木くんもちょっと健康的すぎる気がする。でもがんばってたと思う。

もっともっとタブーとかこの仕事の暗 さ、そして美しさなんてものをだしてほしかった気がする。夫婦間の愛のエピソードが出過ぎなような。映画の各所にちりばめられるトピックが次の展開の布石 になりすぎてて、ストーリーの自由さというか、自然さがすくなかった気がする。”石文”って素敵なエピソードだけれど、そんなうまいこと転ぶかぁ?とラス トシーンはおもっちゃった。

でも脇役たちがめちゃくちゃよかった。社長の山崎努の渋さが素晴らしいし(年食ってもひょうひょうとしててい い)、風呂屋のおばちゃん吉行和子とその息子杉本哲太(彼女が亡くなって、焼き場のおっちゃん高野笹史と嘆くシーンが一番よかった!!!)がものすごいよ かった。だからキャスティングをもうちょい考えたらもっとええ映画になった気がするのになぁ。もったいないなぁ。

そうそう、本木くんは最 初チェロ弾きの仕事をしていたので、チェロを弾くシーンが描かれているのだが、すごく頑張って練習したんだろうなーと感心させられた。ああいう弦楽器を普 段見ない人ならちゃんと弾いてるように見えただろうなー。でも弾いてないのが分かるくらいだった。これにくらべると外国映画で俳優さんたちが音楽家の配役 をやるときの徹底度はほんとすごいなと思う。「Shine」でのジェフリー・ラッシュとか「戦場のピアニスト」でのエイドリアン・ブロディなんてピアノ弾 きを普段よく見てるひとから見ても弾いてるようにしか見えなかったもんな。この辺てやっぱり「外国映画だからすごいんだー」という単なる思い込みや外国人 へのへんな劣等感からそう見えるのか、はたまたやはりほんまにすごいのか、その辺が気になるなぁ。

あとみた映画館がそうだったのかどうか わかんないけれど、音楽がやたらと音量でかかった。静かなストーリーで最低限の音楽でいいのに、これでもかーってぐらいあったので、食傷気味。久石さんの 曲は好きだけれど、ありゃ邪魔になってると思う。しょうもない横やりでもはいってんのかなと勘ぐってしまう。

おくりびと

おくりびと – Amazon

石田衣良 – 愛がいない部屋

神楽坂にそびえるある高層マンションの住人たちの恋愛短編集。それぞれの部屋でそれぞれの住人がそれぞれの悩みをだかえる。そびえる塔はいまの社会の縮図のよう。

10 ある短編のどれもがどこかよくて、哀しくて、なぜか想像で東京の白くかすんだ空を窓から眺める図ばかり思い浮かんでしまう。中でも本を読むだけの愛人とい う設定の「本のある部屋」が好き。老齢になっても人は恋をするんだという「落ち葉焚き」、ニートの息子と窓際の父親が涙する「ホームシアター」もいいな。 子どもをもたないから、母親にはなれないからわからないで生きていくんだろうけれど、子どもをもった母親の気分がすこしわかる「十七ヶ月」もいいな。

あとがきで名越康文氏が書いているけれど、”愛”ということばがどんなに危険かと。抜粋

” (前略)僕は「愛」ほど善の顔をして日本を徹底的に支配したものはないと思う。日本人を明治時代以前「愛」という言葉を使わず、その瞬間の気持ちを自分な りに考えたり、表現したり、感じ取ったりしてきたはずです。(略)「愛している」ということは絶対に正しいと信じることで、その実態のほとんどが支配であ り、不安であり、呪縛であるということから目を背けてしまっているのです。(略)たとえば「愛してる?」という言葉で相手との関係を確認しようとするよ り、「今朝のパンの焼き方どうだった?」「ああ、おいしかった!」という何気ないやり取りから汲み取るほうがより正確に関係を実感できるのではないかとお もうのです。現代の日本人が人生において怠惰で、身勝手になってしまったのは、国民全体が「愛」という言葉のトリックにひっかかってきたためだ、とこの小 説を読んで僕は勝手に確信しました(後略)”

なるほど、たしかに実際のことじゃなくて、言葉のひびき、イメージ、勝手な想像に振り回されてるな。

愛がいない部屋

愛がいない部屋 – Amazon

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