江國香織 – 赤い長靴

冒頭の一行目から江國さん。なんでこのひとの文章はこうも彼女っぽいの?

結婚12年目を迎えるある夫婦の日常を14の短編で描いた作品。妻・日和子の視点で描かれたものが多いが、同じ事柄を夫・逍三の視点で描いたものもあり、両側面からの気持ちが見えてなるほどとおもったり、どうなんだろうとおもったり。

夫の愛想なさにどうしようもないいとおしさや淋しさを感じ、くつくつ笑う妻・日和子。通常会話のなりゆきや内容によって物がたりは構成されていくのに、このお話は大半の会話が成り立ってない。返事がなかったり、ずれたり。お互いに発してる言葉と聞いてる言葉が違っていたり。物語としてはおかしな感じだけれど、実際こういうことって多いんじゃないか?そんななかにこそ夫婦のなんでもない日常があり、危うさがあり、それを乗り越えていく力がある、っていうことを描きたかったのかな?

不気味さや怖さを感じてしまうかもしれないけれど、一段と江國さんの素晴らしさを感じてしまう一冊でした。

文春文庫 2008

乃南アサ – 5年目の魔女

やっぱこういう女性心理の暗い側面を描かせたら乃南さんてほんとうまいというか、凄いな。景子と喜世美、2人の女性の切っても切れない関係。それは縁というものではなく、執着や怨念やらいうものを感じてしまうほど。はっきりいって、こわい。きっと女性にしかわからない女性だけが感じる女性の怖さ。それらがまざまざと描かれている。

魔女的な女性っているけれど、実は見てわかるようなものはほんとじゃなくて、誰しもが幾分かずつもってる性質なんじゃないかな?

新潮文庫 2005

イントゥ・ザ・ワイルド

クリス・マッカンドレスというひとの生きた記録。
アラスカの大地ですべての社会システムから自らを隔離して生きた彼がたどった運命とは・・・

もしかすると偏った生き方、融通の利かない奴、なんて言われるかもしれないけれど、このいまの人間の社会、そのシステム、とくに資本主義が築き上げた現代社会のゆがみ・ひずみに対して嫌悪感を抱く人間はたくさんいるだろうけれど、そこから逸脱できる人間はさほど多くないと思うし、それを実行する人間も、とくにここ日本ではいない/出現しにくい、だろうなぁと。

たしかに冷静に考えてみるといまの社会(というか社会システム)っておかしい。利潤を追求しないとまわらないし、お金というシステム自体、殖えていかないと成り立たないことを誕生したときからすでに内包しているものだから。

人間として、それ以前に生物として生きていくのに必要なことってなに?そんなことを問いかけられているような気もするが、悲しいかな、感情と理性をもつ人間は、それを分かち合う相手が必要だと気づく。すると自由気ままに生きているはずなのに、その隣には孤独があることに気づいてしまう。

たくさんの出会いと別れ。人間が人間として、動物として生きていくのに必要なものはなんなのか、それを考えさせられる映画だとおもう。

東海林さだお – ショージ君のにっぽん拝見

昭和43~46年あたりに、漫画讀本、オール讀物に連載されていた東海林さだおのエッセイ集(当時エッセイって言葉なんかなかったかも)。たしか中島らもの本で東海林さんの本がおもしろい、と書いていたのでいつか読んでやろうと思ってついに手をだした。結構何冊もつづいているはず。

著者がちょうど30代にはいったころで、ようやく物書きとしてなんとかかんとかやっていたころだと思うのだけれど、まずは当時の風俗が赤裸々に描かれていてすごく面白い(どうも昭和40年代にはとても興味があるのだな)と思うし、あと話題も競馬だとか、男女関係だとか、新婚旅行とか、ハワイアンセンター(ちょっとまえに映画フラガールの舞台になった常磐炭坑)とかとか、当時話題になっていたようなことが、当時の視点・考え方、そして著者の視点でおかしく描かれていて非常に楽しく読める。

あとやっぱり著者のちょっと卑屈な、ヘイコラした、頑固な自分のキャラが何事にも「すんません」的な態度でルポしていくのだが、その中にキラリと光るニヒルな笑い、目立たないけど鋭い観察、柔らかく言ってるけれど実はすごい社会批評など、読んでいて「なるほど」とか「にやにや」とかすることばかり。うまいなぁ。それともこれが自然なのか。

漫画家として知られる彼の挿絵も的を得ていておもしろく、このシリーズ癖になりそう。

文春文庫 1976

栗本薫 – 黒衣の女王(グイン・サーガ 126)

前巻の最終章で突然出てきたイシュトバーン。いきなりパロにいきたいと言い出す。そう、それまで怪我しておとなしくしてたんだった、そうだそうだ。

その彼が突然パロに現れ、クリスタルが騒ぎとなる。
もちろんタイトルの黒衣の女王といえばリンダ。話の展開は読めてしまうけれど、通らなきゃならないターにニグポイントか。でもリンダがほだされてしまって・・・・ていう展開になってしまったら?なんて考えても面白い。

イシュトとパロ。なかなか因縁だなぁ。

ハヤカワ文庫 2009

栗本薫 – ヤーンの選択(グイン・サーガ 125)

栗本さん、亡くなってしまった。
もうこの物語もあと数冊で未完でおわってしまうのか。寂しすぎる。

とにかくご冥福を。

草原地方を横断していたヨナ。しかし騎馬民族に襲われてあわや全滅の憂き目にあうところ、偶然通りかかったスカール一行に救われ、彼だけが生き残る。そしてスカールと行動をともにしヤガへ。

大自然に大して、人の生き死になんてすごく小さなこと。まるで人間が踏みつぶした虫けらのようなもの。生きているとはなに?そんなヨナの心の言葉がなかなか興味深い。

しかし、ヤガっていったいなんなんだ?

ハヤカワ文庫 2009

山本文緒 – 恋愛中毒

とある事務所につとめる女性の恋愛の独白。結構長編なので、一度読んだだけだとこの物語というか、書き口の凄さを感じきれなかったけれど、それでも、迫力ある物語だった。

プロローグではその事務所の男性の視点で始まるのに、いつのまにやらその女性の視点にすり替わっている。これが見事というか、物語の構造の複雑さと、その女性の心理の複雑さを見事に表しているように思える。

最初はちょっとおとなしい、そんな女性像を想像して読み進むが、どんどん狂気を孕んでいく様子が、こわい。エピローグまでしっかり読むと、プロローグとのつながり、視点の、見え方の違いがわかって、わぉ!と思うようなたくみな文章。うーん、すごいなぁ。

でも、もっかい読まないとなぁ。

角川文庫 2002

寝ずの番

すばらしい映画だとおもう。

下な話(というか下品な会話とか)ばっかりなので、そういうのが生理的に嫌な人はもしかしたらダメかもしれないけれど、決して映像がそういうものでははいので、これを美しい話だと思える人はたくさんいるはず。

「おくりびと」が納棺~葬式という人をおくる日本人の姿・形・精神を描いてアカデミーとれたなら、この「寝ずの番」も通夜という儀式を通して故人の在りし日を故人の好きなものを皆で分かち合って偲ぶ、という文化を描いたこの作品もアカデミー受賞にたりるんじゃないか?演技も筋も笑いも泣きも、どれも十分。

なによりも上方(よね?)にこんな文化があっただなんてこと、まったく知らなかった。花柳界や落語界てのはいまのひとたちには遠くなってしまった存在だけれど、この映画を通してこんな素敵なものごとが存在していた/いるってことを知って欲しい。

表面上は下品な話題(笑)が多くて、それは話の筋で落語家や芸妓さんにスポットがあたっているからであって、この通夜でのやり取りを通して、故人を偲ぶ人たちの故人への愛情がなみなみならず溢れるように描かれていて、笑いながらも泣いてしまう。自分もこういう風に死ねたらなとまで思ってしまう。にぎやかな通夜っていいよね。

たしかCMでは死体(笑)の長門裕之とその弟子たちのラインダンスのシーンばかりが強調されてなんだか「通夜でわっしょい!」みたいな印象を与えられてたけれど、いやいや、なんでああなるのか(落語らくだを知りたい)とか、彼の女房の通夜での歌合戦(?)のシーンの感動的なこと、など、もっともっと魅力的な映画なのに、どうやらあんまり観られていないようで残念だ。