17年経って

95年の阪神大震災からもう17年も経ちました。自分自身の感覚としてはそんな前のことではないのだけれど、テレビ画面に映る三宮の東遊園地には若い人も少なくなく、あのとき生まれていなかった人もいるんだよなあと思ったとき、長い年月が経ったんだなと今更ながら思いました。だって自分にとってはまるで昨日のことのように思い出せることだから。

あの地震の前後で生きているということに対する考え方が確実に変わりました。普通に生きているということのすごさ、不安定さ、今という瞬間の先には何があるか誰も分からないのだという当たり前のこと。何もなければ確実に意識しなかった事柄が目に見える現実としてそびえ立ったからです。

僕自身は部屋がめちゃくちゃになったぐらいで特になにか被害を受けたわけではなかったですが、電気もガスも水も来ず電話さえ通じないので数ヶ月間あちこちを転々とする暮らしをしましたし、地震後しばらくしてから塞ぎ込むようになり、土日は一食も食べずにずっと布団の中から出ないような状態にもなったりしていました(でも会社は行っていたようだ、あまり憶えていない。ただ体重が50kgを割りそうになった)。

でも今思い出してみると、こんなことを書くと確実に誤解を招くけれどそこを敢えて承知で書くと、あんな大変な日々だったのに、あの非常事態の数ヶ月間は楽しかった、というかワクワクした ? うまく表現する言葉を見つけられないけれど ? のでした。つらいこと、目を背けたくなるようなこと、諦め、恐しさ・・・いろんなことがあったけれど、それと同じぐらい生きている/生かされているという偶然のすごさ・素晴らしさ、人のあたたかさや優しさ、そんな当たり前のことを強く実感できる時間でもあったのです。実際あの時期、震災にあった人たちはみんな優しかった。お互い立場は同じなのだから、力を合わせよう、お互い補いあおうという感覚が普通のことでした。悲しい現実をみんなで分かち合い、そこからなんとか良くしようとみんなで協力する、言葉にするととてもシンプルなことだけれど、震災以前の生活の中ではここまで人々が同じ思いをすることはなかった(忘れていた)と思います。だからそんな時期はある意味楽しかったのです。でもこれは渦中にあった人間しかわからないことかもしれないですが。

昨年3月11日には東北での大地震そして津波があり阪神のとき以上(大きさで比較するのもおかしな話ですが)の災害となりました。数多くの映像や情報からその凄惨な状況が明らかにされていって多くの人が僕自身も含め心を痛めたことでしょう。でも事実を目の当たりにして酷い、気の毒だ、悲しいとおもう事は誰にでもできるけれど、揺れてどれほど怖かったか、津波がどんなに恐ろしいものだったのかということはそこにいた人間にしかわからないことです。だから僕たち外から見ていた人間はなにか復興の手伝いをする/しようとすることはもちろん大事なことだけれど、少しでもいいから被災した人たちが受けたものを想像し、忘れずに憶えておくこと、思い出すこと、考えること、共感すること、が本当に大切なことなのではないかなとおもいます。

今この世の中に欠けているもののひとつは”時間をかけてじっくり想像すること”なんじゃないかなと思います。次から次へと降ってくる情報に右往左往しているだけで精一杯でひとつのことに構ってられない状態では、たくさんの情報を得たとしても流れていくだけで心の底には積もりはしません。東北の震災以来「絆」という言葉がよく取り上げられていますが、そんな簡単(といってしまっては失礼ですが)なもんじゃないとおもいます。「絆」という言葉のイメージと、たくさんの情報を知っているというだけで繋がっているような気がするだけになっていないか、考えてみる必要があると思います。

2つの大きな震災(もちろんそれだけではないです。大きな地震は2~3年に一度起こってます)は僕たちに物質的に失ったものよりももっと大きな何かを失っていたことに気づかせてくれたのではないかとおもいます。ばらばらになってしまっていたものが近づいたときのあたたかさや喜び。手を差し伸べ、結ぶことだけではなく、同じ方向を見たり、想いを持ち寄ること、共感すること、人と人とのつながりは一方通行では無理なんだ、そんなことを忘れていた、と。

阪神の震災から17年経ってもまったく変わらず癒えないひとたちはたくさんいます。東北の震災についてはこれからです。でもこれらは終わることはありません。だからこそ今の気持ちを胸に抱いて忘れずに、思って、生きていきたいです。

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