柴田トヨさん

日曜日に訃報をきく。101歳だったそう。

先日実家に帰ったときに柴田さんの詩集「くじけないで」がおいてあり、母に「どうしたの?」と聞くと、知人からもらった(借りた、だったか)そうで、何気なくめくってみたページに綴られていた暖かなことばたちに「これはぜひともじっくり読んでみたい」とその帰り道に本屋さんによったのがほんの2週間ほど前。まだその「くじけないで」も読み終わらないうちに知らされた他界の知らせに「ああ」としずかに納得し、彼女がその生涯の最後までわたしたちに生きる勇気を与えてくれたことに感謝しました。

柴田さんを知ったのはそう前でもないのだけれど、たしか新聞か何かだったかと思う。その「くじけないで」という詩集を出されたときの記事かなにかだったと思うのだけれど、「98歳になってね、へー」というぐらいしか思っていなかったのだけれど、そのときすぐにその詩集を手にしなかったのがほんとに悔やまれる。シンプルな言葉で綴られる詩たちはどれも素直に心に響く。やさしく、時には厳しく叱咤するように、寄り添うように・・・生きていくことを、人生のすばらしさを教えてくれる。人生の達人、といったらいいのか、柴田から流れでてくることばの数々は重々しいことであっても苦しくなく澄んでいて、懐かしい匂いや音、景色、いろんなことが目に心に浮かんでくる。あまりにもやさしく、うれしく、さみしくなるので一日に1編くらいしか読めない。

こんな方に一度くらい会って話してみたかったとは思うけれど、それはもう無理になってしまった。けれど彼女の残したことばがあるかぎり、いつでも出会えると思えたら、それでいいよね。

柴田さん、本当におつかれさまでした。安らかに。そしてこれからも(ちょっと)お世話になります。

 

最後にひとつ、とても気に入っている詩を転記します。

 

「風呂場にて」

風呂場に
初日が射し込み
窓辺の水滴が
まぶしく光る朝
六十二歳の倅に
朽ち木のような体を
洗ってもらう

ヘルパーさんより
上手くはないけれど
私は うっとり
目をつぶる

年の始めのためしとて−−−
背後で 口遊む(くちずさむ)歌が聞こえる
それは昔 私が
お前にうたってあげた歌

柴田トヨ「くじけないで」より

 

コメントを残す