東北ぶらり旅:その1 あらまし(前編)

(長文駄文です)

この3月の最初の一週間が休みになった(というか前からなるのがわかっていました。というか、僕らの仕事は結構他人頼りの部分もあるので、空くことはよくあるのですが、こんなにまとまって空くのは初めてかも)ので、何かしようか、どこかに行こうかなどと以前から考えていたのですが、やはり東北の震災から3年になることだし、久しく東北はいってないので行くのはいいかもしれないな、とはなんとなく思っていました。でも、僕はほんと腰が重いので考えるだけで実行しないなんてことはままあるのです。

演奏で震災のチャリティーなんかはやっていても、ボランディアはやれるタイプではないし、何かきっかけ(言い訳ともいう)がないとなかなか東北は行くチャンスがないということと、以前から「なんでもいいからとにかく一度行ってみてほしい。行くだけでいいから」と何人に言われていたこともあり、ようやく「じゃあ行ってみるかな」とは思いました。しかし前日ぐらいまでまだ迷っていたりしました。でもこれから先こういうチャンスが来るのを待っていたら、一体いつになることやらわからないので、腹くくって行くことに決めました。しかも車で。車で走って行くというのはこの時期には無茶なのは分かっていたのですが(それでも相当ナメていたとは言われても仕方ないです)、折角行くのであればいろいろ実感したかったのです。東北は飛行機などでいくべき場所ですが、走って行くことにより、そこで使う体力や時間によってその遠さや大きさが実感できるはずと思ったのと、現地では車のほうが何かと便利(行くなら、行けるだけいってやろうと思っていた)だろうと考えたのでした。

そこで、20代前半のときの頃によくしたように、まったく計画なしに(行き当たりばったりともいう。要するに細かく計画するのが性に合わない、というか面倒なのです)とにかくまずは仙台を目指そうとだけ決めました。仙台にはずいぶん会ってない叔父叔母といとこがいますし、ぼくの大好きな次ちゃんが住んでいる、彼らに会うというのもとりあえずの目的(すわなち自分への言い訳)になりますし。あと高速料金や体力的なこと(一人旅だし)を考えてると、夜走りするよりは昼のほうがいいだろうと考えたのでした(これが結局正解だった)、

[3/3]

早朝3時過ぎに出発(4時までに高速に入ればETCの深夜割引が適用される<5割引)し、距離的には東京回りのほうが有利なのですが(都市高速をいったん通ることになる)余分に経費がかかるため、当初は名神〜北陸道〜磐越道(大好きな猪苗代を通る!)〜東北道というルートを想定したのですが、結局は磐越道が降雪の為に規制がかかり、これを避けるため、名神〜中央道〜上信越道〜北関東道〜東北道という少し遠回りですが一度も高速降りないルートで行くことにしました。

そんなにスピードは出さないので、のんびり走っていくと、米原過ぎて夜明けが、中央道途中で朝ご飯を食べ、初めて通る上信越道で雪景色にみとれ(面白い山が多いのですねぇ)、群馬〜栃木という一回も足踏み入れたことない土地を通り、東北道に入って宇都宮あたりで昼ご飯を。その後そのまま仙台に16時過ぎに到着することができました。どらぷらなどだと10時間かからないと表示されるのですが、まぁこっちは人間でのんびりなので14時間ぐらいかかっても仕方ないですよねw

面白い山!
面白い山!

とりあえず仙台駅までいって(2006年のMiceteethツアー以来か!?)適当な安宿をとり、いとこに連絡を取ったのですが繋がらなかったので、次ちゃんに「呑みにいこう」と連絡すると二つ返事でOKだったので、待ち合わせ時間まで一休みして出かけました。呑みに行ったのはベースの高瀬さんに紹介してもらったMONDO BONGOというお店で、マスターちゅうさんの趣味もあってか音楽好き人間が集まる謎の店なのでした(だいたい看板出てなくて場所わからない)。しかしこれがとてもいい店で、呑んで食べて楽しい時間を過ごすことができました。お店にくる客くる客みな知り合いになっていくような感じで。いきなり仙台にうれしい立ち寄りスポットが出来ました。でも明日からのこともあるので呑みはほどほどにして、日が変わらないうちに次ちゃんと別れたのでした(いろいろ今後のこと楽しみ)。

次ちゃんと
次ちゃんと

[3/4]

今回の旅は被災地を見て周りたいというのが一番の目的ですが、そればかりだとあまりにもとシリアスな旅になってしまうので(きっと耐えられないと思います)、適当に面白いもの見たり、美味しいものにありついたりしながら北を目指そうと何となく思っていたのでした。なので朝起きてからまず仙台の一番の偉いさんといえばこの人でしょ、という正宗公(違います?)に会いに行き(東北大学ってここにあったんですね。めちゃいいキャンパス!)、そこから15年前くらいにも行った松島へ。そのとき乗らなかった遊覧船にのり(こういうのん好きなのです。観光地に必ずひとつはあるアナログな乗り物。ロープウェイとか。アナウンスが昔のままだったら最高!でも松島のは新しくなってた)、島を見るより海猫の獰猛さにコーフンしてたのでした。

正宗さん
正宗さん
海猫フィーバー
海猫フィーバー

松島を後にしてすすんでいくと、景色は変わり唖然とする光景が目に入り始めました。海岸から奥に向かってすごく広い土地が更地になっていました。がれきが撤去されてしまうと、もともとこういう場所だったように見えてしまったりしますが、田畑の跡があったり、建物の土台部分だけあったりするのを見つけると、ここに町などがあったんだなと分かります。たまたま奥松島あたりで間違って入ってしまったところの道沿いにあった掘ったて小屋のようなお店で昼ご飯を(カキフライが美味しかった)。どうやら津波で流されたけれど再建したそう。でもあるのはこのお店だけで、まわりは更地で、海際に大きな建物が2つ残ってるのみでした。

その後、さらに東松島や石巻あたりにすすんでいくとまた広い更地が。たぶん普通の住宅はほとんどが流されたのだと思いますが、工場や大きな鉄筋の構造物なんかはたまに残っていたりしてその惨めな姿をさらしたままになっていました。少し内陸にいくと住居もたくさん残っているのですが、その合間に壊れた建物がそのまま放置されていたりもします。また、更地になった場所にはどんどん家も建っていっているのですが、草ぼうぼうの更地にぽつぽつと新築の家ばかりが建っているというのは、不思議な光景でした。

遠くに廃墟
遠くに廃墟
きっと小さな街角だったはず
きっと小さな街角だったはず

そしてそのあと女川町へ。ボランティアをやっている土井さんから教えてもらった女川町医療センターに行ってコーヒーを。ここは高台にあって街が一望できるので、女川町が街ごとごっそり流されているのがわかりました。瓦礫はほとんど片付けられていましたが、まだ倒れたままになっているビルが残っていたりも。港湾地区はいち早く修復していっているのか船舶が着けるようになっていました。

そのまま半島をぐるっとまわって北上川河口付近へ。この辺はぜんぶ田畑だったようですが、津波をかぶったためか、農地を掘り返す作業があちこちで行われていました(川の護岸工事かもしれないですが)。それにしてもその土地の膨大な広さといったら。ちなみにこの川の上流15キロぐらいのところで大川小学校の事件があったそうです。

ここからさらに海沿いをまわっていく時間かかるようなので、山を越えて南三陸町へ。そのあたりではJR気仙沼線の線路がバス道になっていました。ここから北上して行ってわかったのですが、気仙沼線は海沿いを走る路線で、入り江を渡る部分(つまり街の部分)にかかる高架がことごとく流されたり寸断されたりしており、高架をつくってから線路敷設して・・とやっていると時間もお金もかかるので地面に線路があった部分は舗装して、高架がなくなった部分は一般道に乗り入れてなどして公共交通としてとにかくはやく復活させようとしているようでした。すごく広い志津川湾の入り江の土地はすべて更地になり、いくつか鉄筋ビルとおぼしきものが残っているぐらいでした。さらに北上した気仙沼の本吉地区(さらにもっと広い)も全部更地に。本当に広い土地(ぱっと見ても甲子園20個分ぐらい?いやもっとありそう)が何もない状態になっていたのでした。

分かりにくいけど、線路がバス道に
分かりにくいけど、線路がバス道に
防波堤もこのありさま
防波堤もこのありさま
建物ぽつり(FBにも載せた写真のもっと引き)
建物ぽつり(FBにも載せた写真のもっと引き)

さらにいくつかの入り江を通りながら気仙沼市街をめざして行ってたのですが、途中で日没に。気づいてなかったのですが、東北の方が関西より東だから日の入りが早いのですよね。気仙沼港についたころにはすっかり夜になってしまいました。暗くて辺りの様子が全然分からないので今日はこの辺までに。またまた高瀬さんに教えてもらったヴァンガードというジャズ喫茶(港すぐそばにある)に行き、美味しいコーヒーとカレー(両方で500円だった)を頂きました。津波でお店はまるごと浸水し、ピアノも被害を被ったそうなのですが、マスターの努力でいまはまた綺麗に戻っています。オーディオ装置もすべて駄目になったそうですが、NPO法人「復興博」という団体の「カフェエイド」という企画により復活したそうです。上品でいい音でした。

気仙沼ヴァンガード
気仙沼ヴァンガード
ヴァンガードに寄贈されたオーディオ
ヴァンガードに寄贈されたオーディオ

そして宿を適当にとり(たぶん石巻から気仙沼や宮古といった復興事業がすすんでる地域では宿がどこもいっぱいに近い状態みたいです)、いろいろ見たものを消化しきれないまま就寝。ちゃんと憶えてないけれどすごく怖い夢をみました。

つづく

 

浅田次郎 – プリズンホテル【1】夏

たまに読みたくなる浅田さんの本。いままで読んだものもいろんな方向で、まだ浅田さんの感じというのが掴めてないのだけれど、今回目にとまったのは4冊シリーズになっているこの「プリズンホテル」。監獄ホテル?なんだろうとおもって見た裏面の紹介みて、これはおもしろそうだぞと4冊とも入手。その1冊目。

本人はそんな意志がなかったのに極道小説で売れっ子になってしまった、かなり性格に難がある(一応物語全体での主人公というか、狂言回し的立場の)小説家・木戸孝之介。メリヤス衣料の職人だった父の七回忌に現れたたった一人の叔父であり、関東桜会という組織の五人衆のひとり、ヤクザである仲蔵。その叔父が実は温泉リゾートホテルを経営しているという。最初はうさん臭がる孝之介であったが、高齢な叔父のことを考えるとそのままそっくり相続してしまえるな、など浅はかに考えホテルを訪れたことから騒動は始まる。叔父が経営するその「奥湯元あじさいホテル」、実は別名「プリズンホテル」と呼ばれ、その筋の方々(つまり任侠団体)専用のホテルだったのだ(普通の人も来るにはくるのだが)。

ホテルの支配人はホテルマンを絵に描いたような男だが、番頭以下従業員は強面の男ばかりで、仲居は外国人ばかり。先代から居続ける頑固な板前がいるとおもえば、名門ホテルが喉から手が出るほどほしがる腕利きのシェフもいる。

そんなホテルに迷い込むようにやってきた訳ありの子連れの夫婦。定年退職してその足でやってきた老夫婦。謎の旅の男。そして作家・孝之介とその連れ清子。さて、どんな騒動が巻き起こるのか?

とにかくでてくる登場人物(どちらかといえばホテルのひとたち)がどの人も、クセがあるけれどかっこいい。見てくれの姿ということではなくて、その生き方が。きっと普通の世界では苦労してしまうだろうけれど、こういうある意味狭い特殊な世界(あとがきで浅田さんは’マイナーな世界’と表現してる)では真っ当にチカラが発揮されて、不器用だけれどまっすぐな心意気が伝わってくる。暴力団とかヤクザとか書くとどうしても荒っぽいイメージしかできないけれど、任侠はちょっと違うよう。もっと筋が通っていて、男気あって、情が深い感じ。そんなところがちゃんと描かれていて(というかそこがメインなのかもだが)、まるで、子供の頃に近所に一人はいた口うるさかったり、すぐゲンコをくれるような怖いおっちゃんが、実はちゃんと見ていて、どうしようもなくなったら優しく助けてくれる、あんな感じ。

さて訳ありの子供連れ夫婦、老夫婦、かれらがこのホテルでの2泊3日、そして仲蔵という人物によりどうなっていくのか。孝之介と仲蔵はどうなるのか。それは読んでのお楽しみ。わりとこまかく章わけされていて、そこについてるタイトル(本文の中から抜粋してる)も粋でいい。

こんなホテルがあったら行ってみたいかと聞かれれば迷うけど、覗いては、みたいかも。。。

集英社文庫 2001