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2014-11

星野道夫 – 旅をする木


星野道夫、こんな写真家がいたことをこの本を手にするまでしらなかった。北国に惹かれ、北海道からアラスカへ。人を寄せ付けない土地、数千いや一万年以上まえから変わらない景色。大地を渉って行く動物の群れ。そんな中で自然と調和し生きている人間たち。そんなものたちを愛した星野さん。この本は星野さんがアラスカに渡ってつづった文章の数々を収めたものの一つ。

便りの形をとって書かれた章、独り言のような随筆、たぶん何かに連載されるために書かれたものたち。どれからも星野さんのアラスカへの、その自然への、暮らす人々への、愛と敬意に満ちあふれている。そしてこれらの言葉たちが語りかけてくることは、人間という存在について、自然の清々しいまでの厳しさ大きさのこと、時間というあいまいだけど確実に存在するものについてなど。そしてそういう物事たちを通して生きて行くことの厳しさ、生きていることへの喜び、幸せ、そんなことを語られてるような気がする。

印象的なことがたくさん記されている。古い地図のこと(彼が住んでいた家の近所の古本屋さんの話がとてもいい)、大昔に流れ着いたであろう漂流民のこと、坂本直行そして広尾又吉のこと、エスキモーオリンピックのこと、ジム・ハスクロフのこと、そしてなによりも前人未到の大地アラスカのこと。もちろん知らなかったことばかり。アラスカなんて地図上の位置、そして一度アメリカからの帰りの飛行機から眺めた白い山々が延々と続く大地、ということしか知らない。でもこの本を読んですごく魅力的に感じた。星野さんがこの本を通してその素晴らしさを、自身の経験と、その気持ちで投げかけてくれている。

都会に暮らしているとほんと忘れていることだらけ。子供たちをある氷河に一週間連れて行きオーロラを見ようとする話でこんな箇所があった。

オブラートに包まれたような都会の暮らしから、少しずつ自然に帰ってゆく子どもたち……何もないこの世界では、食べて、寝て、出来る限り暖かく自分のいのちを保ってゆくことが一番大切なのだ。(中略、反抗期の高校生I子がつぶやく)「オーロラだよね、本当に見てしまったんだ。ここに来る前、テレビも何もないところで一週間も一体どうするんだろうと思ったけれど、来てしまったらそんなこと一度も考えなかった……」(ルース氷河 より)

この文章たぶん20年前ぐらいに書かれたと思うけれど、”テレビ”を”スマホ”に替えたら全く同じことが言えるんじゃないかな。ほとんどの人があの狭い画面の中にすべてがあると思っていて、そこで何でもできる/用が足りる、と思っているように見える。でもそれは単にそこから溢れくる大量のデータに翻弄されているだけで、貴重な時間をどれほど費やしているのか。見慣れていたとしても、車窓の風景の変化をみたり、道に落ちているものを見たり、空の雲をみたり。人でもいいし、動物でもいい、いろいろ語りかけてくれるものを感じ、それらを自分で選り分けたりする。都会ではそんなことしなくても困らないけど、そうでないところではとても大事なこと。画面から流れてくるものは命は取らないけど、自然はうっかりすると奪って行く。そんな当たり前のことを忘れすぎてないか?

とにかく、忘れていたことを思い出させてくれたり、新たな魅力を植え付けるきっかけとなった本だった。星野さんのほかの本も読みたいし、なにより写真集を眺めてみたい。

文集文庫 1999

佐藤多佳子 – しゃべれどもしゃべれども


頑固でまじめで、気が短くて、伝統的な落語を愛する主人公・落語家今昔亭三つ葉。二ツ目で売れるでもなく売れないでもなく、悶々とした日々がつづく。ひょんなことから彼に話し方の指南をしてもらおうというものたちが現れる。テニスコーチを落第しかけている若者、話し方教室でむすっとしている小娘、クラスでいじめられている(本人は喧嘩しているというが)男の子、そしてマイクの前でうまくしゃべれない野球解説者。彼らはみんな悩みを抱えていてそれが元になって口をきくのが難しくなっているらしい。ゆっくりつきあいながら彼らの悩みに巻き込まれていく三つ葉はその持ち前のまっすぐな性格から彼らの悩みの解決に奔走する。

結構長い物語で、話もじわじわとしか進まないのだけれど、そのもどかしさの中だからこそ三つ葉のまっすぐな性格が際立っている感じ。落語のことはとんと知らないけれど、はっきりとした説明があるわけではないのに、その世界にすっと入って行けるあたりこの佐藤さんの上手さかな。言ってしまえば単純な物語なのに、ずんずん読んでしまう。三つ葉のあたふたする感じや頑固なところ、まっすぐなところを見ていると勇気が湧いて来たり、ほろりとさせられたり、その人となりにどっぷり浸かれる。でも実は物語の芯は三つ葉の恋物語なので、遅々として進まない感じが、それはそれでいい感じ。ああもどかしい!

江戸落語の、古い東京文化圏の感じがきりっとしていて気持ちいい。ちゃきちゃきしている三つ葉の祖母もいい感じ。そしてこの三つ葉の師匠である小三文がおもしろいキャラクター。落語はめっぽう上手いがそれ以外はめちゃくちゃ。このあたり田中啓文氏の「笑酔亭梅寿謎解噺シリーズ」の梅寿師匠を思い起こすなぁ。落語の師匠たちってこんな感じなんかなw

「本の雑誌が選ぶ年間ベストテン」第一位

新潮文庫 2000

池井戸潤 – オレたち花のバブル組

「オレたちバブル入行組」につづく、半沢直樹シリーズの2冊目(だと思う)。金融庁の検査の話がひとつのテーマなのでテレビドラマだったのはこっちかな?投資で損失をだしてしまった老舗旅館の再建を押し付けられた半沢。そこに金融庁検査がやってくる。旅館の再建策がうまくできなければ金融庁検査をかわせず、銀行は損失を負うことになる。銀行の内部は相変わらず銀行のためではない派閥争いや個人の権力ための人事によって半沢の邪魔をするものも。こんな状況をどう突破するのか?

最近では落ち着いた感があるけれど、一時銀行の統廃合がたくさんあった。あまりにも統廃合があったのでもとの銀行の名前がわからないほど(逆に東京三菱UFJみたいな変なのもあるけど)。外から見てたらわからないけれど、この物語で描かれているように統合による銀行内の軋轢というのは相当なものがあるだろうし(そもそもシステムを統合するのってすごく難しいはず)、元どちらの銀行かという争いもあるだろう。そんなことは利用者には関係ないのにそれによって間接的に利用者が損というか迷惑を被ってるかもしれない。

それといまはどうなのかしらないけれど金融庁との関係。国と大企業との関係もそうだと思うけれど、ある程度なあなあなところもあって仕方ないかもしれないのだけれど、ここで描かれる金融庁検査もそのひとつのよう。まあ話はとぶけれど国会も予定調和的なとこがあるのか、同じように見えてしまうけれど、”抜き打ち”とか”予定外の質問”なんてのはあってないような感じ。官公庁とそれに守られて来たものたちの癒着。

そんななかで、銀行マンとは何か?というものの本質を体現するかのような半沢の活躍はおもしろい。もちろん話の中でこういう業界の裏側(ぼくたちが知ることのないような面ね)を垣間みるのも楽しいけれど、大きな権力と個人的なネットワークとの戦いとか、大企業と下請けとか、池井戸さんの描く図式はある意味分かりやすいパターンでいい。でもその分かりやすいパターンをつまらなくならないように作るのは難しいことだとおもう。そして面白くて最後までざざーっと読んでしまえるのも、池井戸さんのすごいところだと思う。

今回は半沢まわりの銀行内での戦いと、同期で出向している近藤の戦いの2つの話がうまく重なり合うようになってて構造が立体的になってて面白い。そしてやっぱり読者は弱者の見方。悪しき強者がやっつけられるのはもちろん面白い。よくみたらかなり過激な人間であるのに半沢を応援したくなるのよね。ほんと魅力的なキャラ。

文集文庫 2010

[猫日和] 2014.11.21 スマ子

須磨海岸でであった。興味あるようで近づいてはくるけど、ツンデレ。

須磨海岸でであった。興味あるようで近づいてはくるけど、ツンデレ。

池井戸潤 – オレたちバブル入行組


テレビで大ヒットした言わずとも知れた半沢直樹シリーズの原作、かな。ほとんどドラマは見てないので堺雅人が主人公半沢を演じていたのと、「倍返しだ!」という台詞のイメージだけしかなかったので、ほとんど邪魔されずに読むことができたけれど、やっぱり最初のころは半沢が堺さんのイメージになってしまっていたりした。

ま、それはさておき、もと銀行員だった(らしい)池井戸さんだからなのか銀行の内部事情が詳細で、そのために無理なく自然な流れ。突然の理不尽な融資の強行と、その後の融資先の倒産。そしてその融資焦げ付きの責任問題を問われる半沢融資課課長。人脈と人事権を振りかざして半沢に責任を押し付けようとする支店長や本店の上役たちに半沢はへこむことなく立ち向かって行く。消えた融資金は取り戻せるのか?半沢にかけられた懐疑を彼は解くことができるのか。結託した上役たち、ひいては銀行という特殊な会社社会からの攻めを、自分たちのネットワークと行動でどう立ち向かうのか。これまた一気読みしてしまうほど面白かった。たぶんドラマより面白い(ドラマはいろんな面白い役者さん出てて、それは楽しそうだったが)んじゃないかな、やっぱり。

文集文庫 2007

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