伊坂幸太郎 – マリアビートル

東京駅から東北新幹線に偶然か必然か乗り合わせた”物騒な仕事をする”人たち。息子の仇討ちをしようとする元殺し屋、闇の大物の息子の救出を見事になしとげた腕利き2人組、この新幹線内での密命を受けた優しすぎる男、優等生の顔の裏に悪魔が潜む中学生。昔の仲間に復習しようとする男。だれかを始末するためにいるらしい人物など。そんな彼らがアタッシュケースをキーに結びつき、交錯し、知恵を絞り合う。もしかしたら目的は別だから彼らはバラバラになにも交わることなく単に新幹線内での時間を少しずつずれながら共有しただけだったかもしれないのに、神のイタズラからか、彼らの運命が交錯する。お互い関わりたくなかったとしても。

列車の中の物語というのはあまり視点(舞台。もっともこの話の場合はちょっとだけ列車外の世界もでてくるが)が変わらないのでもしかして物語をつくるのって難しいのじゃないかな。でも「オリエント急行殺人事件」とかとか素材にした物語も数あるところを考えると、逆に細かな部分をいろいろ作り込めるのかもしれない。この作品の場合は途中でいくつかの駅(最終目的地は盛岡だが)で停車する、それぞれの駅の間の時間がいろいろだ、ってあたりで物語の時間的な制約もあったりで、逆にそれがポイントになったりして面白く書けたりするんだろうかー、とかいろいろ考えてみたけど、もしかして伊坂さんが単によく乗るから、って理由だったら面白いな、とか思ったり。

今回も魅力的な(そしてすごく憎らしいやつもいたり)キャラクターが揃ってて面白い。好きなのはやっぱり2人組の殺し屋さんかな。極端な職業に就いてる人たちだから言うことも行動の仕方も極端なんだけれど、それらがうまくバランスをとっていて、また、いつものように謎で含蓄ある台詞をしゃべったりするので、楽しかったり唸ってみたり。あまりトリッキーなことやバラバラな話がパズルのようにぴたっと収まったりというアクロバティックな作品ではないけれど、なんせスピード感があってとてもいい。

けれど、そういう表面的にはスピーディーでオモシロくて、、、という部分じゃなくて、その裏にまるで山椒の小粒のようにピリリとエッジを効かせているのは、いくつかの作品で(といっても文庫だから少しタイムラグはあるが)伊坂さんが描こうとしてるんじゃないかと思う「悪」というか、「いいもの、それで普通に見えていたものの影にある実は悪なものもの」じゃないかな。それらは分かりやすいものではなくて、いままでは見えにくかったけれどもずっと存在していて、ネットなど社会と人間のつながりが変化して少し見えるようになってきたもの、積もり積もったものが腐ってほころびてきた部分、とかまたは現代社会になって新たに生まれてきたような「悪」とか「悪意」とか「善のようなふりをしている悪」のようなものを描こうとしているのかな、と思う。

以前読んだ「モダンタイムス」では”見えているもの/みんなが知ってること本当の姿か?”、”ネットで検索してでてこないものは存在しないものか?”というような昨今の社会の人々の意識/知識のあやうさを描こうとしたように思えた。物質的にや社会システム的にはだいぶ満たされて皆それなりに幸せぽく暮らして行けるこの日本の(世界の?)社会だけれど、なにかどこかに昏い落とし穴があるような空虚さを感じたり、善意の顔をした嘘がふとしたときに視界の隅を横切ったりするようなことある。それはたまたまじゃなくて常に存在するものなの?見えてるもの、そうであると信じて来たものが本当に正しいのか、いいことなのか、というのは巧妙にごまかされている場合があるんじゃない?と問題提起してるんじゃないかな、というと言い過ぎなんだろうか。

なんせ「王子」の徹底的な悪ぶりが、腹立たしいぐらい悪くてたまらない。それに対して各人たちがこれまた含蓄ある台詞を吐くのだが一度読んだだけではここにピックアップすらできない、多すぎてw。唸らせられる。そして物語がはっきりと終わらないあたりも(聞いた話のようにして終わるあたりも)この物語の主題をもう一度示唆させてるのかもねぇ。うーん。

でもほんと面白かった!600ページ弱あるけど一気読みしてしまった(電車で)。マリアビートルってそういう意味なのねぇ。

買って長いこと読まずに置いてたら(順番待ちしてた)うっかり2冊買ってしまった。。。ああ。

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