村上春樹 – レキシントンの幽霊

久しぶりの村上さん。実は村上さんの未読の本が溜まっていたりするのだが、長編にいまは手を出す気にならず、前からあった短編集を。表題となる「レキシントンの幽霊」からはじまり「緑色の獣」「沈黙」「氷男」「トニー滝谷」「七番目の男」「めくらやなぎと、眠る女」の7編。どれも90年代の作品。不思議な感覚に捉われる作品ばかり。

どれも短編なのにそうとは思わせない物語の奥深さ(というか重さというべきか)があるように思えて、一つ読むごとに本を閉じて、息をふぅとつかないと現実世界に戻ってこれないような感じ。一から十まで説明しているわけなんかないのに、少し読むだけでその物語で描かれる人物や不思議な生き物(?)などの背景やその場の光景が見え、横で体験しているかのような錯覚にとらわれてしまうほど、文章の魔力が強い。こういうところが村上さんが好まれる理由なのか、それとも村上さんが好む文学がこういう世界を持っているからなのか。

どの話も面白い、というか、なにかおどろおどろしいものを感じさせる。この本の場合は、ぼくら普通に暮らしている人間ではどうしても太刀打ちできないようなものがきっとどこかにあって、それらがいつぼくらを脅かすかわからないというような切迫感、というような感じか。

とくに「沈黙」では物語上は、クラスにいる同級生を殴った、というだけの話なのだけれど、どうしようもない悪であるとか、天災であるとか、こちらになにも譲歩してくれないものが確かに世の中には存在して、普段は気づかないけれど、いつの日か目の前に現れて災いを撒き散らす、というようなことが、きっとないとは誰もいえない、ようなことを示唆しているように思えるのだけれど、これがまさに阪神大震災とか東北の震災とかそんなもののことを言っているように読めて仕方ない(でも、この物語が書かれたのは1991年)。まさにバブルの絶頂期。だったのにもかかわらずこういう文章が生まれ出てくるというのは、世の中の影にはきっといつも大きな落とし穴があると考えているからかもしれないし、単に気まぐれから書いたのかもしれないし、純粋に文学的に書いたのかもしれないけれど、この短編集を読むと、なにかを予想していたんじゃないかと思わずにはいられない。

楽しい、というよりは、なにか不穏なもの、でもそれ自体はまだ遠くにいるように感じられるので少し安心できる世界、のような読み物。へんな表現。。。

文集文庫 1999

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