Album “Valley” Release Tour 2016

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夏頃にリリースした中島教秀(B)・武井努(Sax) DUO feat. 清水勇博(Ds)の新しいアルバム「Valley」の秋のツアーがいよいよ来月から始まります。

地元大阪もですが、中国・四国・東海方面へといろいろ行きます。馴染みのお店も、初めましてのお店もあり、とても楽しみなツアーです。このメンバーで聴けるのは滅多にない機会ですので、お時間ありましたらぜひ聴きに来てくださいね。お待ちしております。

■ Album “Valley” Release Tour 2016
中島教秀(B)、清水勇博(Ds)、武井努(Sax)

11/2(Wed) 神戸 JAZZ&LIVE Born Free 078-441-7890
神戸市東灘区岡本2-5-8
Born Free 078-441-7890(19:00~23:30) / Office 078-441-7796(予約受付)
19:30- \2,500

11/6S(Sun) 愛知 吉良 Jazz Club intelsat 0563-35-0972
愛知県西尾市吉良町上横須賀神田44-1
20:00- 前\3,000 / 当\3,500

11/7(Mon) 浜松 JAZZ SPOT analog. 053-457-0905
静岡県浜松市中区田町325-1(有楽街北口 渥美薬局ビル2F)
20:00- \3,000
※2ndステージ以降セッションを予定しています。奮ってご参加を。

11/9(Wed) 鳥取 智頭町 山形小学校跡 イベント
※詳細はわかり次第おしらせします。

11/21(Mon) 大阪 難波千日前 B-ROXY 06-6633-8205
大阪市中央区日本橋1丁目20-9 ジョートウビルB1
20:00- \2,500

12/1(Thu) 石川 山代温泉 COCKTAIL Bar Swing 0761-77-5772
石川県加賀市山代温泉温泉通31-4 楽歩館1F
20:00- \3,500

12/2(Fri) 京都 丹後 フィドル
京都府与謝郡与謝野町岩滝郵便局隣
19:00〜 前\3,000 / 当\3,500 (ソフトドリンク付)
予約 Fiddle事務局Eメール:fiddle7@hotmail.com

12/6(Tue) 松山 Jazz In Gretsch 089-941-6054
愛媛県松山市歩行町1-5-10
19:30- \3,000

12/7(Wed) 徳島 音楽喫茶みき 088-665-6678
徳島県徳島市川内町鶴島277-23
20:00- \2,500 (1ドリンク付)

12/11(Sun) 岡山 Cafe SOHO 080-4558-8386
岡山市北区今4-4-8
19:00 前\3,000 / 当\3,500
※2ndステージ以降セッションを予定しています。奮ってご参加を。

12/12(Mon) 奈良 ろくさろん 0742-26-6936
奈良県奈良市高畑町1358-1
19:00〜 \2,000 (1ドリンク付)

12/13(Tue) 愛知 豊橋 JAZZ & DINING Coty
090-1295-9476(山本) / 0532-52-9117
豊橋市花園町12番地花園ビルB1
20:00- \3,000

12/14(Wed) 名古屋 JAZZ CLUB Mr.Kenny’s 052-881-1555
愛知県名古屋市中区金山5丁目1-5 満ビル2F
19:30- 前\3,000 / 当\3,500

12/15(Thu) 岐阜 ISLAND CAFE 058-213-7505
岐阜市一日市場北町3-7
19:30- 予約\3,000 / 当3,500

伊坂幸太郎 – 夜の国のクーパー

yorunokuni

仙台からヤケになって船をだしたのはよかったが、あらしに巻き込まれ、気づいたら知らないところで寝転がっていた。しかも縛られている。ふと見ると胸の上に猫がいて話しかけてくる。。。。

伊坂さんもいろいろ読んできてるけど、こういうパターンは初めてだし、まあ昔はかかしがしゃべったりもしたけど、猫が喋るという点でもう読まずにはおられない気持ちになった。

猫はいろいろ語りかけてくる。この国(どうやら知らない世界、国は来てしまったらしい)では長く戦争があったけれど、それがようやく終わった。しかしその戦争には負け、いよいよ占領軍がやってくるという。占領軍は怖かったが一応なんとかむちゃくちゃはしないようだ。でもこの状況を打破したい。それにはクーパーの戦士というものたちが救ってれると街のものは期待している。クーパーとはその戦争をしていた相手国との間にある谷に発生(?)するという木から変化した巨大な怪物らしい。。。。

おとぎばなしや寓話のような肌触りで、だからこそ奇想天外なだったり、非日常的な物事が起こったりしても「まあ、わかんないけど、それはそれとして飲み込んで次にいくか」的な感触を与えながら、どんどん物語が展開をつづけていくのはちょっとオーデュポンの祈りの感じに近いかなとも思うけれど、この物語の場合は、そのふわふわふわーっとした、まるで子供が空想したもののような確固とした手触りのない物語の奥底かはたまた空の上に、見えないほどかすかだけど確かに存在する暗闇や暗雲のような不安感をずっと感じさせる。面白おかしく描いた寓話の裏に実は真実が隠してあって、、、的な。

あとがきや解説で作者本人や松浦氏がそれがどういうことなのかという話は書いていたりするけれど、でも、それ以上に(その作者が書いたあとがきの言葉以上に)もっともっと、いまの世に訴える、人々に気づいて欲しいなにか、漠然と感じているかもしれないけれど、それが何かであるかはみんな普段考えまいとしているような物事、を伝えようとしているんじゃないかと思ってしまう。考えすぎなのかもしれないけれど。魔王やマリアビートルのときにも感じた、「これこれこういうこと、あったら怖いよねえ。あ、いやーそんなこときっとないけどね、ははは」というように言ってしまいそうな、あるかないかわからないけど、あったら(起こったら。もしくは存在したら。もしくは存在するけどみんなが見ないようにしてたら)恐ろしい物事を描こうとしてるように思ってしまう。

まあそれ以外にも、この物語自体を、自分の身の回りのことや、伊坂さんいうようにいまのこの国に置き換えて読んでみると、あれれ?もしかしてなあ、とか思うこともたくさんある。世の中ではそれを陰謀だなんだかんだと、どちらかというと面白い方向に目を向けてしまいがちだけど(向けさせてしまいがち?)、それより実際、我々のような力のない市民がいざという自体になったとき、何ができるのか?実際はなにもできない弱い集団であって、気づかないうちにやんわりとだけどじわじわと崖っぷちに立たされようとしてる、、、それがどういう物事の比喩かは置いておいて、そんな状況に実際なってることがいくつもあるのに、昨日から今日、そして今日から明日へとつづく安穏を貪りたいがために、目の前に吊される美しくて心地よい看板しか見ないようにしてる、そんな情況を危惧してみなに訴えようとしてるんじゃないかと勘ぐってしまう。実際はもっと個人的な感情で書いている、というように言っているけど。

読んでるときや読後すぐは、なんだろこれ?面白いのか面白くないのか?とか思ってしまうけれど、あとになってジャブのようにじわじわぞわぞわと何がしかの感触が這い上ってくるような作品だった。

解説では松浦正人氏がもっと物語の(文章作品としての)伊坂さんのねらいやうまさ、テーマとそれに紐づく哲学者たちの言葉などを書いてくれていて面白い。こんなことは知らないと読んでるときはなにも出てこないけど^^;

創元推理文庫 2015

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THE BEATLES – EIGHT DAYS A WEEK

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先月ぐらいだったかに上映が始まったビートルズの映画を観てきました。あまり人気ないのか、上映開始から一月ほどしか経ってないと思うのに近所のシネコンでもうレイトショーしかやってないようなので、やっているうちに行ったほうがいいなと思って。

というのも今回の映画は本編(ビートルズの62年ごろから69年までの活動の伝記的なもの)は本編でいいとして、そのあとにビートルズが65年にアメリカで行ったツアーの最終日のライブの映像(これを最後にビートルズはライブをしなくなった)を、映像も音も綺麗に仕上げ直したものを劇場だけで上映するという話だったので。ずっとファンなのに、実は動くビートルズをほとんどちゃんと見たことがない(映画も見てない)ので、これは見ないわけにはいかないな、と。

曲はいろいろ知ってるけれど、バンドやメンバーのこと、どんな経緯があったのかなどなど、実はあんまり知らなくて(あまりそういうものに興味がない)。でもこの映画をみて、さすがにジョンはあんまり出てこないけど、主にポールとリンゴが昔話をしてくれたり、時系列的に映像と音楽で(簡単に駆け足だけど)ビートルズの足跡を見せてくれて、あたらめてすごいバンドで、いい曲のオンパレードだなー、と当たり前のことを再認識しました。

デビューから全米No.1のモンスターバンドになって、ツアーとレコーディングその他の目が回るような日々の中、自身たちも大人になり、音楽も少しずつ変化していくのに、”THE BEATLES”というものと、ファンの期待と、自分たちのギャップが膨らみ、、、なるほどなあ、という感じ。もっといろいろ他にも映像があれば見てみたいな、知りたいなあ。

そして劇場だけでみれるライブの映像。もしかしたらネットとか家でもなにかみれるかもしれないけれど、やっぱり劇場で爆音で聴けたのはとてもよかった。なにより、いままでレコードや写真の中でしか存在しなかった4人が、生身の人間、しかも生きている(いた)人間に感じられたし(動くし、いろんな方向から見えたからかも)、聴こえる音を通して、実際のライブのステージ上の音が想像できたりして、これはすごくすごくいいものを得られたかも。

しかし、このライブのときのバンドの演奏力の高さといったら。モニタもなにもなく、アンプは非力で、5万を超える観客の歓声で何も聞こえないなか、あの演奏ができるっていうのは本当にすごい。とくにポールってほんと楽器操るのうまい。音だけや写真ではこれわかんないよなあ。

でもこのライブもだけど、その前の年の東京でのライブのときの映像をみても、本当に愉しんでやってるなーという風にはみえない(うがった見方すぎ?)のが寂しい。いまなんてどんなひどいライブハウスでも当時の彼らよりはましなんじゃないかという悪条件とハードスケジュールのなかやってたんだから仕方ないのかもだけど。でもなんか人間臭さが垣間見えて、それはそれでどこか嬉しかった。

中学のときに友人が貸してくれたドーナツ盤で初めてビートルズをきいて(たしか While My Guitar Gently Weeps / Eleanor Rigby だった)、なんてカッコイイ音楽なんだと衝撃を受けてから、いろいろ聴いて、そのころはローカルのテレビ局でも夕方に音楽番組あったりしてビートルズのPVが流れてたりもしたし、ないお金はたいてLPを買ったり、レンタルレコード屋さんいって借りたり、ラジオをエアチェックしたり(いつだったかNHK-FMで特集があって100曲以上かけてくれたことがあった)して聴き漁った。それ以来ずーっと飽きもせず、というか聞くたびに好きになってしまうこのバンド。間違いなく僕の音楽の太いルーツのひとつはビートルズと言い切ってしまえる。最も影響を受けて、いまでも受け続けてるバンドとその音楽たち。こんなバンドが存在してくれてほんと良かった!

そのライブの映像が終わったあと、劇場内で拍手が。涙出ちゃったよ。もう。

もっともっと彼らのことを知りたくなった、そんな映像だった。
10年早く生まれたかったなあ。

2016.10.14

 

重松清 – トワイライト

twilight

40歳になったら小学校のときに埋めたタイムカプセルを掘り起こそう、そういう約束だったが、理由あってそのすこし前に開封することになり、ある日懐かしい小学校の校庭に集うかつての同級生たち。変わっているようで変わっていない。でもやはり確実に変わっている当時の子供達。それぞれに40歳前のそれぞれの事情を抱えて生きている。かつて同級生に抱いたイメージは、大人になった彼らからはずれていっている。子供のときの関係は残っていても大人になるとその関係は変容してしまう。

掘り出したタイムカプセルから思い起こす昔。無邪気だったころに何十年も先の自分はまったく想像できなく、もっと輝かしいものであると信じていた。そしてそこにはいっていたかつての担任の先生からの手紙。かつてその担任の先生は子供達に語っていた家庭や家族を大事にしようという言葉とは裏腹に、不倫の末死んでしまった。

その担任の先生とほぼ同じ年齢になったかつての子供達は、タイムカプセルが教えてくれた自分たちが想像していた未来と大きく違う現実に戸惑う。もう若くはない彼らの今の苦悩、幸せとは何か、ということを今一度振り返って考える。

現実はそれぞれに厳しいし、楽観できることなんてなにもないけれど、それでも生きていくいく。いかないといけない。未来というもの(年をとるとそういう言い方すらできなくなりそう)に期待できることも少なくなってしまう。でも悩んで立ち止まったりしていることも含めて、いま生きていること、振り返って生きてきた道をみたとき、諦めていろんなものを置いていって身軽になったある種の哀しい爽快感、そんなものをすべてひっくるめて、いまいる自分が幸せなものだすこしでもと思えたらそれでいいのじゃないかと思う。

明日のことなんてわからないし、わからない明日に過度な期待をするより、いまをちゃんと、一生懸命に生きて、もがいても生きてるな、と思えたほうが幸せに思えるんだと、思いたい。

どんよりとまではいかないけれど、胸の奥にたまらないやるせなさと、ぴったり自分に重なってくる悲哀を感じて、すこしじっとしたくなるような作品でした。

太陽の塔の3つの顔がそういう意味とは知らなかった。

文集文庫 2005

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池井戸潤 – ルーズヴェルト・ゲーム

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池井戸さん久しぶり。テレビドラマにもなったらしいこの本。ある中堅の精密電機メーカーの業績不振とそのあおりを食らう同社が伝統的にもっている野球部のお話。

いまはこの本と同じようにどこの企業も潤沢ではない時代になってしまっただろうから、企業が野球チームを維持していくのは大変だと思うけど、まだ頑張っているところは少なくない(都市対抗野球って大概企業チームがでますよねえ)。でも企業のイメージ戦略や、宣伝などがリアルな方法からメディア戦略、そしてネットの世界へも広がっていくなか、企業がもつ野球チームの立場も変遷し微妙になってきているのかも。かくいうぼくがかつていた企業は事業所毎にチームがあったりしたけど(しかも強かった)、いまはどうなんだろう。

他から一歩抜けた技術はあるけど、大手の値下げ競争の前に青息吐息のあるメーカー。銀行からも(銀行がちゃんと出てくるとこがやっぱり池井戸さんらしい?)コストダウンをしないと融資はないと言われ、リストラの風が吹き抜ける。そんななか、昔はよかったけれどいまはいまひとつパッとしない野球部にも矛先が。創業者が作ったチームなだけになかなか手を出せてこなかったが、ついに聖域にメスが。

一方企業としても新製品の開発なくしては状況の打開はなく、執行部、技術屋の間でもギスギスした雰囲気が。はたしてこの会社は生き残れるのか。野球チームはどうなるのか。そしてそれらの間でいろいろ揺れ動く現社長。創業者からすべてを任された彼がどういう決断をするのか。

相変わらず話の流れがうまく、山あり谷あり、生き生きとしたキャラがいて、魅力的な物語。そしてまるでテレビの時代劇を見ているかのような安心感(?)。池井戸さんっていいなあと思う。でもこの本はある意味先が読める感じで(そこがいいんだけど)、すこし物足りないといえばそうかも。でも落とし所は見事だった。

こういう話読んでると、やっぱりメーカー、モノ作りっていいよなあとつくづく思う。できあがった製品もいいけど、そこに至るまでの時間とか人間関係とか紆余曲折とか、そういうアナログなものが、ほんと魅力的。でもそういうものがどんどんこの国から減っていってて、それを実感できる人間も少なくなれば、こういう物語も廃れていくんだろうか。寂しい。

講談社文庫 2014

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