重松清 – トワイライト

twilight

40歳になったら小学校のときに埋めたタイムカプセルを掘り起こそう、そういう約束だったが、理由あってそのすこし前に開封することになり、ある日懐かしい小学校の校庭に集うかつての同級生たち。変わっているようで変わっていない。でもやはり確実に変わっている当時の子供達。それぞれに40歳前のそれぞれの事情を抱えて生きている。かつて同級生に抱いたイメージは、大人になった彼らからはずれていっている。子供のときの関係は残っていても大人になるとその関係は変容してしまう。

掘り出したタイムカプセルから思い起こす昔。無邪気だったころに何十年も先の自分はまったく想像できなく、もっと輝かしいものであると信じていた。そしてそこにはいっていたかつての担任の先生からの手紙。かつてその担任の先生は子供達に語っていた家庭や家族を大事にしようという言葉とは裏腹に、不倫の末死んでしまった。

その担任の先生とほぼ同じ年齢になったかつての子供達は、タイムカプセルが教えてくれた自分たちが想像していた未来と大きく違う現実に戸惑う。もう若くはない彼らの今の苦悩、幸せとは何か、ということを今一度振り返って考える。

現実はそれぞれに厳しいし、楽観できることなんてなにもないけれど、それでも生きていくいく。いかないといけない。未来というもの(年をとるとそういう言い方すらできなくなりそう)に期待できることも少なくなってしまう。でも悩んで立ち止まったりしていることも含めて、いま生きていること、振り返って生きてきた道をみたとき、諦めていろんなものを置いていって身軽になったある種の哀しい爽快感、そんなものをすべてひっくるめて、いまいる自分が幸せなものだすこしでもと思えたらそれでいいのじゃないかと思う。

明日のことなんてわからないし、わからない明日に過度な期待をするより、いまをちゃんと、一生懸命に生きて、もがいても生きてるな、と思えたほうが幸せに思えるんだと、思いたい。

どんよりとまではいかないけれど、胸の奥にたまらないやるせなさと、ぴったり自分に重なってくる悲哀を感じて、すこしじっとしたくなるような作品でした。

太陽の塔の3つの顔がそういう意味とは知らなかった。

文集文庫 2005

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