伊坂幸太郎 – 死神の浮力

shinigaminofuryoku

伊坂さんの「死神の精度」の続編として書かれた長編。前作を読んでなくてもこれ単体で楽しめる。今回も人間の死の時期の見極めにやってきた死神たちが人間の生活と微妙に関わる。

死神・千葉(死神はなぜか都道府県名)が今回担当するのは、1年前に娘を殺害されたという作家・山野辺。まさにその犯人である本城への無罪判決が出た直後に彼らを訪ねる。山野辺夫妻は世間の興味の目をさけ家にこもっていたが、彼らは本城への復習を緻密に計画していた。しかし実は本城は彼らの予想を上回る頭の切れ味をみせる。彼はサイコパスだった。

そんな彼らの復讐劇を横目に見ながら死神・千葉は山野辺の力になるでも邪魔になるでもなく彼らに付き合う。時には結果的に助けることになったり、邪魔になったり、肝心なことをスルーしたり。死神が自分の仕事を全うするために、人間だったらこうするのにーというようなことをしなかったり、思わなかったり、言わなかったりするあたりが面白く、逆にこのことによって人間が普段どういう風に生きている生き物なのかということを目の当たりにさせられる。それがひとつの伊坂さんの狙いでもあるのか。そして本城はサイコパスという役割のもとで、生きていく上での絶対的な悪というか、悪意とか運命的なものの象徴になってるようにおもう。ほんと読んでて憎らしい。でもそういうものを前にした時の人間の言動にまたはっと気づかされる。

伊坂さんの作品はこんな死とか悪意とか人間にとっては大きな壁となるようなシリアスなものの存在を示唆しつつ、それをあくまでもシリアスじゃなくてエンターテインメントの中で表現しているので、読んでいて本当に怖くないというか、シリアスな気分に落ちていかないのがいいと思う。それでも大事なことはちゃんと伝わるようにしている。これこれこんな恐ろしいことがあるんです、怖いですよねー、僕も怖いんです、的な、読者側と同じ視点にいるというか。もちろん作者と読者は物語からすると神のような位置にいる(全部を見渡せるわけだから)けれど、大概は作者が提示して、読者がうけとるのだけれど、伊坂さんの場合、気づくと横にいて同じ方向から眺めているような感覚になるときがある。

結構大作で、結構シリアスで、いわゆるパズルのピースのようなバラバラの物語がひとつになるっていうタイプじゃなくふつうに進んでいく物語だけれど、最後までどうなるんだろう(つまり本城が予想の上を行き続ける)という感じがおもしろく、でも悪意と失意に満ちている。けれども死神がたまに口にする我々人間にとってはトンチンカンにうつることが少しユーモアを与え、文字から聞こえてくる音楽が潤いを与えているよう。

端々に引用されるパスカル、渡辺一夫の言葉が重くておもしろい。死、というものについて、誰にでも訪れるものということを人間が見ないようにしている事実。人間という生物の特殊さ。今回のこの死神の物語は、そのあたりが見せたかったことなんだろうか。

とても面白かった。

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