大原美術館へ

20180826-1

おととい8/25に(たぶん)25年ぶりに倉敷アヴェニュウで演奏した(そのときはたしかドラム三科氏に誘われてだったと記憶してる)。ママもその時期のことを覚えてくださってて、お店に来る時に「確かきたことあったと思うんだけどなあ」という記憶が正しかったのがわかった。いやー、その時のことほとんど覚えていないけど^^; Scottさんたちとの演奏はすこぶる楽しく、いい夜だった。また行きたいな。

で、一夜明けて、朝から倉敷の美観地区へ。暑くてウロウロするのもしんどいので、すごく久しぶりに大原美術館へ。

点数こそ多くないけどいい作品ばかり。今日は子供向けのイベントやってて騒がしく、じっくり向き合ったりできなかったけど、普段は静かな美術館に子供の声が響くのもまた楽し。

ビュッフェの「アナベルの像」、ピカソの「牛の顔」「フランコの夢と嘘」、児島さんの朝顔のシリーズよかったな。今日は現代アートはちょっとしんどかった。昔来た時とは展示が違ってたような。草間さんのは楽しかったな(無題 No.RED.Z.A.)。グレコの「受胎告知」は写真とかで見るのとあまり印象変わらず、素敵な絵だけど。

日本美術もたくさんあって棟方さんいっぱい見れて嬉しかった。板画もいいけど取り上げてる詩がいいなあ。以前は展示があるの知らなかった。芹沢銈介がすごくよかった。心にしっくり入ってくる図案がどれも美しくて可愛くて。

熊谷さんの「陽が死んだ日」があってびっくり。先日東京で見て衝撃的だったから。そして今日もやっぱり衝撃的だった。すごい絵だと思う。
あと東洋美術で昔占いに使った骨のかけらに古い文字書かれたものが興味深かった。漢字の起源的な側面もだけど、占っている内容がいろいろ興味深くて。どの日に祭祀をするといいかとか、生贄はどれくらいのものがいいかとか、王がどうしたらいいかとかとか。昔の人々の息遣いが感じられるようで。

やはり民藝的なものや仏像や日本絵画などのほうが今はしっくりくるみたい。西洋絵画は何かと意見や思想みたいなものを投げかけてくるけど、それらはじっと受け入れるというかあるがままにあるだけで、やがて心が落ち着く。もともとそういう違いがあるものなのかもね。

100年ほど前の日本で、西洋美術を勉強するのにあまりにも本物がなくて学生たちが不便ではないかという考えから、大原さんがパトロンとなって児島さんたちが集めた作品はどれも素晴らしい、というのもあるけど、そういう熱い気持ちがいろんなものを動かしてそしてこれらが我々の前にあるということに、本当に感動するし感謝したい。

チャンスあればまた来たい美術館。

コメントを残す