逢坂剛 – さまよえる脳髄

初めて読む逢坂さん。これも随分前に読んだのでどんなだったかなーという感じなので、備忘録的に。たしか伊坂さんが面白いって書いてたんじゃないかな、忘れちゃった。

原因のよくわからない突発的な事件が頻発する。精神科医の南川藍子はそれらは大脳に障害があるためではないかという推論に至った。しかしその藍子を付け狙う人物まであらわれ。。。

当時最先端だった脳科学の研究を積極的に取り入れたミステリーだそう。でもこういうネタって時間がたつと古めかしく感じたり(それは科学テクノロジーもよね)実は間違ってることが後から判明したり、と、なかなか難しい題材だと思う。

しかし内容はともかくとして、タイトルを見るとどうしても「ルパンvs複製人間」のマモーの本体を思い出しちゃうのよねえw

新潮文庫 1992

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東野圭吾 – 11文字の殺人

備忘録的に。だいぶ前に読んだのでほとんど覚えてないけど、実はほとんど読んだことのない東野さん。「ガリレオ」だけ読んだかな。最近は本当にすごいペースで本が出てて、本当に一人で書いてるの?って思わないでもないけれど、これは割と初期の作品のよう。ある11文字の言葉をヒントに交わるミステリー。洋上のヨットであった事件の真相とは。

なぜかすごく読むのに時間がかかるというか、読み進みにくくて自分にはあってないのかなーとか思った。「ガリレオ」もテレビのイメージが焼きついちゃってるし、読んだのがこれなもんで苦手な作家さんと思ってしまいそう。

光文社文庫 1990

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好きな本

この自粛期間中というのは家にいる方が多いのか、SNSの動きが活発でいつもより投稿なども多くて楽しいのですが、その中にいろいろバトンを渡して行くタイプのものもあり、僕にも一つ回ってきました。それは自分の好きな本を紹介して行くっていうものだったのです。

まあこういうものはチェーン的になりがちなので最初は楽しいけど、どんどん量増えていってしんどくなるので、僕から廻すことはしないですが、その好きな本を考えてて(いっぱいあるというか、本ばっかり読んでるのでどれが一番とか言えない)思いついた本について書いてたら、意外に熱くなってしまい、Facebook上にえらく長い文章を投稿したのですが、読んでみてから自分でも面白いな、と思ったので、こちらに転記しておきます。

SNSってなんでも流れて行っちゃうのがもったいないです。自分の身から出たものの中にも、たまにこうやって留め置きたいものもあります。

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常々、ぼくは読書家というわけではなくて、活字中毒、だと思っています。なんせ字を読むのが好きなのです。でもやっぱり字は紙で読みたい人で、モニターでは長い文章、とくに本のようなものは読みづらいです。そして何より物理的な本だったら、残りの厚みで、ああ、もうすぐ終わっちゃう、どうなるのだろう?読みたいけど読み進みたくないー!とか思えるのも本が楽しい要素の一つでもあります。

いろんな本があって知識や知恵を得られるものもいいのですが、やはり物語(小説)が好きです。本を開いて1行目を読み始めたとたん、リアルの世界から本の中の世界へすっと移ってしまい、読んでる間はその世界の住人になってしまえるから、です。最近大好きないしいしんじさんがある小説で「本は違った世界への扉を開く(中略)。そのかわり、表紙をめくると背後でもう一つの扉が閉まる。本は「外」の世界を一時的にしろ滅ぼしてしまう」と書いてあって、本当にその通り!と思いました。

そして何より活字だと、音も映像もないので、描かれる街や人、景色や空気感は読者の想像の力のみで形作られます。誰かが与えたものじゃなくて、読者それぞれに主人公の顔や声、描かれる世界の景色なんかがバラバラに存在し得るというのがとても楽しいです。僕も読んでいるときはセリフがその人物の声となって聞こえてくるような気がしてます。目で読む字としてではなく。

こういう理屈を書いていると、僕にとって本は、酒や薬物(汗)と同じような立場のものなのかしら、と思えてきました。一時的にでも現実世界を忘れさせてくれ、楽しい気分になり、切れかけ(終わりかけ)たら寂しくなり、また次が欲しくなってやがては中毒、という(笑)もしかしたら本のおかげでそういうものには嗜好が行かずに済んでるのかもしれませんねw

さて、こういうこと書いてるとなんぼでも書けるので戻します。一週間毎日どうのこうのだそうですが、こんなに読書好きなのに、この本!というのがなかなか選べません。なので一冊だけ載せます。

栗本薫こと中島梓さん(ヒントでピントに出演されてたの覚えてる方もいるかな?)のグイン・サーガ シリーズの第1巻「豹頭の仮面」です。SFです、ヒロイックファンタジー(英雄もの)です。グインという豹頭の仮面のものすごい戦士が活躍する、戦いは剣と魔法(ここでは魔導)で、移動は徒歩や馬、さまざまな国があるけどまだ世界には未開の地がたくさんあるような中世的な世界観の物語です。いままで読んでいろいろ影響うけたり、考えさせられたりした本、また好きな物語なんかもありますが、僕の人生の横にずっとあるのはこの物語かもしれません。

この本を手に取ったのは13歳の時だったと思います。友達が貸してくれて一気に5巻ぐらいまで読んでハマってしまい(その時はもう既刊だったので)古書店でまた一巻から買って、途中で追いついて、そっからずーーーーっと新刊で読んでいます。その間矢継ぎ早に出版されることもあれば、しばらくあくこともあり、その時はまた一から読んだりもして毎回新刊がでるのを楽しみにしていましたが、悲しいことに2009年に栗本さんが亡くなってしまい130巻で未完になってしまいました。しかし、嬉しいことにそのあとも有志の作家さんがこの世界を引き継いで描いていて、現在146巻(こないだ読んだ)。これが正伝で外伝がさらに26巻あります。未完のためギネス認定は却下されましたが、事実上は一人の作家が執筆した世界最長のシリーズ小説だそうです。

中身のことを書くと途方もなくなるのでそれはwikiにでも任せるとして、この物語の面白いところのひとつは、始まったときすでに結末が明かされていたところです。刑事コロンボの手法ですね。でもそこに至らず(100巻で終わるっていうてたのに!)栗本さんは亡き人になってしまいました。いま有志で引き継がれているのは、その結末のさらに後の世界です。

もうここまで30年以上この世界に付き合っていると、この小説の世界がぼくの体験の一つとしてリアルに存在していて、もしかしたら行ったことある外国よりも詳細な経験として体の中にある気がしています。そういう意味ではこの現実世界の次に長い時間を過ごしたこの物語の世界は僕の人生に影響を一番与えてる(具体的に何がどうというわけではなく)と言えるんじゃないかと思っています。絵に描け、音にだしてみろ、と言われてたらできないけれど、この本の扉をめくると、そこにいる人物たちの姿が見え、声を出してしゃべっているのです。

写真はこのために引っ張り出してきた、当時古書で買ったものです。35年以上前のもので何度か読んでるけどブックカバーのおかげで綺麗なままです。そう、ブックカバーはラテン大阪の人間なら一度は行ったことあるんじゃないかという天牛堺書店(天牛書店とは違う、悲しいかな去年倒産した)の当時のブックカバーです(古書なのにつけてくれてた)。中高と学校の帰りとかに毎日のように三国ヶ丘駅そばの店舗にいってました。懐かしいです。何もかもが懐かしい(by 沖田十三) w

ぼくはこのシリーズが大好きなので人にオススメしたいところでありますが、なんせいまのところ全部で172冊もあるので、、、、一年ぐらいコロナ自粛がつづくなら読破できますけどね(苦笑。それは困ります)。さっきも箱にしまってあるこの物語のずらっと並ぶ背表紙のタイトルを見るだけでびびびっとしびれてしまいました。また一から読みたいなあ。でも読み出したら最後、また全部読んじゃうんだろうなあ^^;

おわり。

(追記)
このシリーズ、あとがきを栗本さん本人が書いてるのですが、どの巻も出版されたころの時勢が反映されていて、それを読むだけでも、ああ、そんなことあったなあ、とか、そんな時期やったなあ、とか懐かしさが溢れてきます。これまた楽し、です。

伊坂幸太郎 – 首折り男のための協奏曲

久しぶりに伊坂さん。というか、前に読んでいたのだけれどレビュー書いていなかったので、また読んだ。やっぱり面白いし、驚きがある。

首折り男とよばれる殺人を請け負う仕事人が主人公で描かれる「首折り男の周辺」という短編から連なる、といっても連作として書かれたのではなく、伊坂さんが違う時期にいろんな依頼に対してバラバラに書かれたものだろうだけれど、まとめるにあたって加筆修正した部分もあって”首折り男”、”少年のいじめ”、”大人との約束”、”時空のねじれ”などによって繋がるようになっている(福永さんの解説より)。もちろんどの短編もそれ自体面白いのだけれど、直接ではないにしろ、各短編が少しずつ繋がっているように見えるのもまた楽しい。

どの短編も面白いなあとおもうけれど、特に好きなのは年老いた夫婦(夫は病床)の妻が自分が若い時に4日間だけ恋に落ちた相手を探してくれと黒澤(伊坂作品によく出てくる彼ね)に頼む「僕の舟」、最後にあああって気持ちがあったかくなる。そしてチャップリンの映画のあるシーンになぞらえて(映画のことがたびたび話題になるだけだけど)、トリックについても、そして短編全体についても同じ手法で描かれる「月曜日から逃げろ」。いやー、ほんとよく考えてるなー(それが暗にじゃなくて、わかりやすく)と感心させられる、そして面白い!

同年代の作家さんの作品って、なんだろう、全部言わなくても”感じ”が伝わってくることが多くて(時代背景とか、流行りとか、使う言葉とか。音楽についても!)読んでいてストレスもないし楽しい。伊坂さんの作品は繰り返し読んでも発見あって楽しいなあ。次は何読もうかな。

新潮文庫 2016

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荻原浩 – なかよし小鳩組

nakayoshikobato

久しぶりに荻原さん。といってもあんまり読んだことないけど。社長と社員2名にバイト1名のすごく小さな広告代理店。そこで働く杉山。彼はアル中でバツイチになってしまってやさぐれていた。娘の早苗が遊びに来てくれると嫌がりながらも嬉しい。そんな広告代理店に大きな仕事が舞い込んだ。ほいほいとクライアントの元にいくと、そこはヤクザの事務所だった。このご時世ヤクザもイメージ戦略をしたいとCI(コーポレートアイデンティティ)戦略を頼んできた。こんな強面の人たちに囲まれて、仕事は成功するのか?

ハードボイルドにもできそうだけれど萩原さんが手がけるとユーモラスなお話になる。もちろん本当のところは怖いんだろうけれど、組員たちもクローズアップされると少しずつその顔がみえてくる。中間管理職だったり、やっぱり人の親だったり。まあ実際本当に怖く感じるようには描かないとは思うけれど、こんなにユーモラスにできるんだなーと。出てくるクセのあるひと、アクのある人もどこか好きになってしまう。

そして、その仕事の行方や会社の尊像とともに描かれるのが杉山の再生の物語で、離婚してしまったけれど、たまに会う娘が家に泊まりにきたり、アルコールをやめてみたり、走ってみたり。元妻のことを考えるようになったり。過去を振り返り、自分を見つめ直して、できる範囲で再び歩き始める様子が、大々的に感動的に描くわけじゃないけれど、すんと胸にしみてくる。いいお話でした。

登場人物というか、この広告会社が舞台の別の(前の)作品があるそうなので、それも読みたいな。

集英社文庫 2003

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いしいしんじ – 東京夜話

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もともとは「とーきょー いしい あるき」というタイトルで出版されたいしいさんデビュー当時の短編集。もしかしてほとんどが東京在住時のいしいさんの実体験と東京のあちこちの街から感じたインスピレーションで形作られてるんじゃないかと思うのだけれど、全部が全部ぜんぜんばらばらでとても面白い。ここに描かれる作品の切り口や語り口や、話のパターン、もうてんでばらばらなのだけれど、でもそこには”いししさん”という作家というか人間のキャラクターが横たわっていて、どの短編読んでもいしいさんだなーと思える。僕自身も普段やってる演奏はジャンルとかスタイルがばらばらだけれどよく聞いてみれば(うまくいってるのかな?)僕自身はずっと変わらない感じで一緒になってる(と思ってる)同じようなことなのかもしれない。

ちょっと不思議なSFぽいともいえる「真夜中の生ゴミ(下北沢)」「ベガ星人はアップルパイが得意なの(原宿)」「そこにいるの?(大久保)」「アメーバ横丁の女(上野・アメ横)」とか、いしいさんの体験のレポートみたいな「クリスマス追跡(渋谷)」「うつぼかずらの夜(田町)」「天使はジェット気流に乗って(新宿ゴールデン街)」「吾妻橋の下、イヌは流れる(浅草)」とか、もう想像力の賜物みたいな「クロマグロとシロザケ(築地)」「お面法廷(霞ヶ関)」「二月二十日 産卵(東京湾)」とかとか、もっとあるんだけど、様々も様々。どれも違うのでページをめくる食べ違う作家さんに出会うようでおもしろい。あと、話をまたがって登場する(たぶん同じであろう)シチュエーションや犬がいたりも楽しいところ。

個人的には浅草のと田町のが好きかなあ。前後して鬼海さんの写真集みてたりしたからかな。もともと浅草は好きなところだし、田町はちょっと思い出あるところってのもあるのかも。あと池袋が登場人物としてでてくるってのも面白いなあ。

あと主人公ぽい人が(まあ本人なのだろうけど)大阪弁なのも面白い。で、字で書いているのに大阪弁にちゃんと読めるのがおもしろい。関西弁しゃべらない人が書くとなんか違う感じがする(テンポ感の問題のような気がする)んだけど、いしいさんはさすが大阪の人なので、書いてある字も大阪弁のイントネーションで読めてしまうのが不思議。

これらの短編の延長に、いままでいろいろ読んできたいしいさんの作品があるんだろうなあ。物語的なものはだいぶ柔らかいというか少しまろやかなオブラートにつつまれた世界観になってる感じがするけれど、こういうトンがった感じがするのもいいな。いしいさんの別の面(というか物語的な作品にももちろん内包されているんだろうけど)を見た気がした。なのでまた同じ作品読んでも感触かわるかも。

新潮文庫 2006

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山本幸久 – ある日、アヒルバス

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久しぶりに山本さん。名古屋への往復電車で読み終えちゃった。やっぱり山本さんの作品はいいなあ。心がキュンとする。甘酸っぱいけれど照れくさくなくて、そして登場人物たちを素直に好きになれる。、朗らかな気持ちにさせるお話ばかり。

春先から初夏までの東京が舞台。東京の街をめぐる観光ツアーを企画するバス会社「アヒルバス」。5年目になるバスガイド高松秀子(通称デコ)は頼りにしていた先輩が会社を去り、同期も2人だけになってしまい、ついでに新人の研修まで任されるはめに。鉄鋼母さんとあだ名される大先輩にしごかれながら、まだまだ半人前だと思っている彼女の泣き笑い、奮闘の日々。

東京の魅力を伝えるべく企画されたツアーには老若男女いろんな人がやってくる。彼らに翻弄されながらも忙しい日々を過ごす。地方から嫁探しにきたらしい男たち、学生時代からつづく女友達の老女たち。やたらダンディーなおじさん、カップル、お一人様の女の子。彼らはそれぞれにバスツアーを楽しむ。そんな中デコは東京出身(でも八王子)ながら、自分でも東京の魅力をわからずにいる部分も。

単純な成長の物語でも、ドラマチックでも、大きな成功の話でもなく、日常の少し延長、もしかしたら隣にいるような人の人生を垣間見てるような気にさせてくれる山本さんの作品は、すごくわかりやすくて単純なお話と一言でいえない魅力がとてもある。なんだろうこの共感できる具合は。憧れとかそんな感じじゃなく、読者と同じ目線で、まるで読者の経験にもあることのように描くからかなあ。いつもホッとしてホロリとされる。

ちょうど春先のお話だったので、車窓から見える桜と相まって、懐かしい、胸が少し熱くそして寂しくなる感じがした。いいお話。つづきもあるみたいなのでいつか読みたい。小路さんの解説もとてもいい。

実業之日本社文庫 2010

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鬼海弘雄 – ぺるそな

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いしいさんのごはん日記で(三崎日記だったか?)で、すごく素敵な写真集が出たと書いていた写真集の普及版。写真家・鬼海さんが1973年から2003年まで、東京は浅草の浅草寺の境内のほぼ同じところで撮影した人物の写真集。いしいさんが素敵という写真集ってどんなもんなんだろうと思って手に取って見たもの。こいうとこミーハーというのか、影響されやすいというのか^^; でもこういう風に数珠繋ぎ的に新しい本に出会っていくという行為は冒険のようで面白いと思う。

鬼海さんが構えるカメラの前に立つ浅草寺を訪れたのであろう人物たちが単にモノクロの写真に収まっているだけなのだが、きっと撮影の時に交わした一言二言から添えられたキャプション(「寡黙な人」だの。「万歩計をつけた、真っ赤なネクタイの人」だの、「パワーシャベルの操縦者」だの)と、その写真にうつる人の姿から、じわりじわりとその人となりが浮かび上がって物語が聞こえるような気がする。中には数年経って(長いと15年とか)同じ人物を撮影しているものもあって、その人の上に流れた時間を感じることができる。

何でもない(というと失礼なのかもだけど)市井のひとたちの、しかも決定的瞬間ってわけでも、写真的なドラマがあるわけでもなく、ただただ立っているだけの姿なのに、この説得力はなんなんだろう?もしかすると鬼海さんのすごい嗅覚によって選びに選ばれた人たちなのかもしれないけれど、やっぱりどんな人にも同じ時間の分だけの物語があるってことなのだろうか?それほど写真から、その人となり(それが単に想像の代物だったとしても)が見えてくるのが面白く、何度でもページをめくりたくなる。モノクロで、背景もほとんど同じというために、より一層人物が浮かび上がって見えるのかもしれない。

あと70年代や80年代、90年代と移るにしたがって服装もだけれど、人々の中身(?)が垢抜けて言ってるように見えるのも面白い。70年代の写真なんてモノクロだからかもしれないけど昭和初期にも見えたりする。それと2000年代になると写真の質が違ってみえるのは、もしかしてデジタルカメラになったのかな?

写真を通して鬼海さんというひとの匂いが伝わってくるよう。音楽もそうだけど、こうやって作品からそういうものが見えてくるのはとても興味深いこと。とてもいい、そして面白い写真集だとおもった。ぺるそなシリーズはまだ続きがあるらしいので、そちらもいづれ眺めてみたいな。

あと、この普及版には鬼海さん本人のエッセイがあとがきも含めて5編収録されていて、これもまた鬼海さんの人が垣間見えるような文章でいいなーと思った。

草思社 2005

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伊坂幸太郎 – ガソリン生活

gasoline

コロナウイルスによるキャンセルの投稿ばっかりになって、めげてしまいそうなので、サボっていたレビューを。この作品、実はだいぶ前に読んでいたのだけれど、レビュー書かずに置いたままになってて、時間も経ったのでもう一回読んでみた。いやーーー、最初に読んだ時も面白いと思ったけれど、もっと面白く感じられた。やっぱり伊坂さんの作品は、緻密で、ユーモアに溢れている。そのおかげで実はかなり怖いこと書いてあっても(実際に現代社会のそこかしこにある闇)、そこまで怖く感じられないのがいい。

さて、この話はタイトルにあるように、ガソリンで生活するものが主人公。それは緑のデミオ。つまり車。でも例えばアニメのカーズのように車が自分で行動して大冒険!みたいなメルヘンチックなものじゃなくて、車は所詮車で、人間に運転してもらわないと動けないし(もちろん自分の意思で行きたいところに行くってこともない)、人間とコミュニケーションできるわけでもない。でも車はみんな人格(車格とでもいうのか?w)を持っていて、車同士はその排気ガスが届く範囲では会話ができる。自家用車はたいがい自分の所有者のことが好きで、働く車は一目置かれやすく、タクシーはおしゃべりが多い。そして車輪が多い方が偉いと思われてて車はみんな貨物列車に畏怖の念を抱いている。そして彼らが一番恐れるのは廃車w。車検が近づくと落ち着かない気分になるそうw また同じタイヤを持つものでも、バイクや自転車のような2輪は少しバカなのか(車が言うところによると)会話は成り立たない(「※★Φ!」とか言うw)。でもデミオはいつか会話できるかもといつも声をかけたりする。

というような、設定がほんとに面白い。本当に驚いたら「思わずワイパーが動くような」気持ちになったり、憎いやつは「ボンネットで挟んでやりたく」なったり、悲しくなったら「マフラーから水滴が落ちる」ような気分になる、などなど、きっと伊坂さん車になりきって思いっきり想像したんだろうなー的な描写がたくさんで、これまた楽しい。

その緑のデミオの所有者は望月さんで、夫に先立たれた妻と子供3人の家庭。名前そのまんまの弟言うところのベリーグッドマンである長男・良夫。思春期に入って何かと反抗がちな長女・まどか。そして望月家でいちばん聡明で子供とは思えない10歳の次男・亨。ある日良夫と亨が車で出かけていた先で停車していると、乗り込んできた女性がいた。それは誰もが知る元女優・荒木翠だった。彼女は追われているらしい。ある人と合流するのだという彼女の言われるがまま送り届けて別れるが、次の日彼女が事故死したというニュースが。荒木を車に載せたことや、そのあとの急死を巡って新聞記者などと繋がるうちに、望月家はやっかいなものごとに巻き込まれて行く。。。

結局は傍観しかできない車たちが(物語は彼らを通して語られる)どう感じ、何を話し、そして望月家のみんなはどうなるのか?ハラハラドキドキするし、ものすごい怖い話もさらっと語られるけれど、伊坂さんのユーモアとめくるめく展開にすべては見事に昇華される。ああ、素敵、面白い!そして物語のエピローグが素敵すぎる。もし本当に車たちがこうやって会話してたらと想像するだけで本当に楽しいし、愛おしくなる。運転はきちんと、アクセルとブレーキは優しく。

しかしほんと読めば読むほど、伊坂さんの作品はちょっとしたことも無駄なく繋がって一つの物語を紡ぐように書かれている。ほんのちらっとでたことが後に大きなポイントになったり、ほんとに緻密だなーと思う。もしかしたら伊坂さんが作曲家になってても、すごく緻密な曲かけるんじゃないかーと思ってしまう。仙台でうろうろしてるときに、ふっと出会ったりしないかなあ、密かにいつかそういう機会ないかなーと楽しみにしてるのです。

p.s.
緑のデミオの所有者望月さんちの隣の細見さんちには古いカローラ、通称ザッパがいる(細見さんがフランクザッパが大好きだからw)。伊坂さんの作品は必ずといっていいほど音楽ネタがでてくるけど、今回はこのザッパの語るフランクザッパの名言たち。

「人間のやることの99パーセントは失敗なんだ。だから、何も恥ずかしがることはない。失敗するのが普通なんだからな。」

「一部の科学者は宇宙を構成する基礎単位は水素だと主張するが、それには賛成できない。水素はあちこちに存在しているから、というのなら、水素より数多く転がっているものは愚かさだ。愚かさが、宇宙の基礎単位だ」

他にもいくつか出てくるけれど、ほぼ聞いたことないフランクザッパに急に興味が湧いてきた。

p.s.2
ちなみにこの文庫本版には、気づきにくいけど、カバーの裏に「掌編小説」と銘打って短いエピソードが描かれている。これがまた素敵で、こんなことやってみても楽しいだろうなーって思ったりも。ほんと伊坂さんありがとう。

朝日文庫 2016

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いしいしんじ – プラネタリウムのふたご

puranetarium

いしいさんの本は、いつもどこかへ連れて行ってくれる。今いる世界とどこかで繋がっているような気もするけど、もしかしたら時間も空間も別な場所なのかもしれない。でもなぜか知ってるような世界。

山に囲まれた小さな村、そこは田舎で人々が和気藹々と暮らしている。そこには大きな製紙工場があってたくさんの人がそこで働いている。製紙工場からでる煙や、昔からの土地の成り立ちのせいで一年中もやがかかったような空。そこにプラネタリウムがある。泣き男とよばれる男が毎日その素敵な語り口でその町では見ることのできない夜空を投影している。ある日、そこに綺麗な銀髪をした幼いふたごが捨てられていて、泣き男は彼らを受け入れて育てていくことにする。テンペルとタットルと名付けられた2人はすくすく賢く育ち、彼らの側にはいつも泣き男の夜空の、星座の神話のおはなしがあった。

ある時町に手品師のテントがやってきてふたごは魅了される。そしてひょんなことからテンペルはその一座についていってしまうことになり、やがてテンペルは手品師(しかもすこぶる腕のいい)に、そしてタットルはプラネタリウムの星の語り部となる。二人の行く末は、村の未来は?

いしいさんは村のはずれにすむ不思議なおばあさんの口を借りて言う「だまされる才覚がひとにないと、この世はかっさかさの世界になってしまう」。手品はその高い技術でもって現実にはありえないことを目の前で起こせてみせる、そしてプラネタリウムは実際の夜空ではないのに、それ以上に美しく星々を投影してみせる。夢のあること。でも両方ともたねや仕掛けがあって、目にはそう見えたとしても、本当は上手につくりあげたうそ。でもそれを信じて騙されないと楽しめない。悪い人に騙されるのは違うけど、そうやって気持ちよくちゃんと騙されることによって世界はとても滑らかに繋がっていく。

とかくなんでも四角四面に、細かなことも明らかに、ルール、とりきめ、そういうものでしか回せないような世の中はもうギスギスしてきている。そうじゃない、いい嘘とそれとわかって気持ちよく騙されることによって滑らかになることはたくさんある。そんなことを教えてくれる物語。実際そうあって欲しい。いやだ、いまの世の中のかっさかさ加減。

もっと感想あるんだけど、物語のこまかいことより、この言葉が嬉しかった、沁みる物語。いしいさんありがとう。

講談社文庫 2006

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