伊坂幸太郎 – SOSの猿

他人の心情が映像となって見える男、二郎。そしてとにかく物事の原因を調べ上げる男、五十嵐。彼等の前に幻想なのかそうでないのか出現しては謎のヒントを残す孫悟空。絵の修行にイタリアにいったのに悪魔払いのまねごとをするようになった二郎がひきこもりの男を助けたり、ちょっとした入力ミスで会社に三百億という負債を負わせた男のミスの原因を調べ上げる五十嵐。やがてこの2つの話が交錯していく。そしてその間には孫悟空。。。。

なんかこうやって書くとトンデモ話みたいだけれど(いや実際へんてこりんな話というか、ちょっとトリップ感あるよねぇ)謎が謎を呼ぶということでもないのだけれど、いろんなキャラがテンポよく現れてちょっとずつ物語が紐解かれたり、意外な部分がちょっとずつリンクしていったりするあたりがとてもおもしろく(伊坂さんらしい)一気読みしてしまった。ちなみにこの物語はもともと2008から2009にかけて読売新聞に連載されたものだそう。さらにこの物語は五十嵐大介の『SARU』という漫画と対になっているそう(なので入手したw、はやいとこ読もう)。物語の中だけではなくこうやって別作品と関連性をつくっていったりする試みすごいなぁ。

このところ伊坂さんの作品てわりと明確(でもないか)にテーマを提示している感じがする。この本の場合は”本当に悪いのは誰?”というのが一番出てくるテーマか。あと「モダンタイムス」あたりから”本当のことは隠れていてわからない”てのもずっと引っ張っているような気がするな。どんどんわかりやすく読者に現代社会が抱える問題を提示しているような気がするんだけれどどうだろう。

この本のおかげで西遊記を読みたくなってしまった。実際どんなお話か知らないし、孫悟空が山から出たあとの話しか知らないし、その前がどんなかも知りたいもんなー。

中公文庫 2012

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伊坂幸太郎 – あるキング


努力と才能で野球界における怪物(異物)といわしめるほどの打者になった王求(おうきゅう)。彼のその数奇な運命の人生を描く物語、と書いてしまうとすごく単純なものなのだけれど、そうなのかそうでないのか。いままでの伊坂さんの作品のように複雑で見事なパズルを解いて行くようなものはなくて、ちょっと面白い運命の輪があるぐらい。

今回のテーマは冒頭に引用される「マクベス」の”Fair is foul, and foul is fair.”。「きれいはきたない、きたないはきれい」などいくつか有名な訳がある言葉。この物語はいたるところでこのマクベスの言葉や物語そのものが出てきたり、解説で柴田元幸氏が「野球をテーマにしている物語を念頭において描いた、と作者がいっていた」というようなことを書いているのだけれど、残念ながらどれも読んだことないので、そのあたりの面白さはわからないのだけれど、伊坂さんは”絶対的なものはない”と言っているんだと思うな。けれどもその”絶対的なものはない”ということすら絶対ではなくて、けれども”すべては相対的なものである”かといえばそうでもない、という、まさに現代の感覚という感じか。

ま、そういうこともありつつだけれど、サクセスストーリーというのとはちょっと違うけれど、この主人公がどんどん成長して行くのをみるのは面白いし、いろいろトンチの効いた言葉でてくるし、面白い物語だった。いまちょっと読み直してみたけれど、ずるずると最後までまた読んでしまいそうになった、あぶないあぶない。

しかし最近(?)伊坂さん適当に当て字すんの流行ってるのかなぁ。「仙醍市」とか「東卿ジャイアンツ」とか(笑)

徳間文庫 2012

伊坂幸太郎 – モダンタイムス

 

最初に手に取った伊坂さんの本は「ゴールデンスランバー」だった(同名のThe Beatlesの曲が好きだから)のだけれど、このモダンタイムスは同時期に書かれた作品だそう。彼の作品は最初のものから順番に読んだほうがいいのだということに気づいて順番に読んできて、ついにここまできた。

なんでも実行してしまうし気まぐれだし突飛な洞察力がある恐ろしい妻を持つ主人公渡辺。彼はシステムエンジニアなのだが、ある日優秀な先輩社員・五反田の失踪が元で請け負った仕事が首を突っ込めば突っ込むほどよくわからないシステムの改修であり、やがてその秘密に気づき、その真相に近づこうとする。するとそれと同期するかのようにまわりの関係者になにがしかの害が及ぶ。一体どういうことなのか?

相変わらず良く練られたプロットですぐには話の全体像が見えないし、いつまでたってももやもやした部分があったり、謎掛けのような感じであったり、伊坂さんの本はほんと飽きない。途上人物はそんな多くないけれど誰もがちゃんと意味ある存在(しかもそれらが複雑に絡んでたりして)あって面白い。でもその中では主人公の妻が異色な感じ。ストーリーには直接関係ないのにいろいろ関わってくる感じがなんか新しいパターンのような気がする。一番のキーマンは気まぐれでつけたのにしては面白すぎる名前の友人の作家「井坂好太郎」。彼が作中で書く作品にこの「モダンタイムス」自体の意味が投影されているような感じ。

一貫してテーマは、本当のことは隠されている、知るために行動するには勇気がいる、ということのように読める。そして個人と国家の関係。国家というような大きなシステムの前に個人ができること/なすべきことは何なのか?。インターネットがツールとして頻繁にでてくるが、今現在でも思うのだけれど、無限に広がるネットの世界、検索すればどんな情報でも入手できそうな気がするけれど、それは錯覚だ。ネットに載っている情報はいい情報も悪いものでもすべて「誰かが載せたくて載せている」情報だけ。すべての情報があるわけでは当然ないのにみんなそう思い込まされている。圧倒的な情報量とスピードで考える余地を与えない。目の前で起こったことより「ネットに記載されているウワサ」のほうが真実味を感じさせてしまうこの感覚の逆転。本当のことはどこにも記載されていないかもしれないということすら分からない。すごく危険な状態にはいりつつあると思う。

また時代設定も魔王・砂漠の少し先。徴兵制が敷かれていたりして、だいぶ国の様相が変わっている。伊坂さんは近未来は決して明るい方向に向かっているわけではないと、暗に提示しているような気がする。そのとおりの気がするのが怖い。

講談社文庫 2011

 

 

伊坂幸太郎 – 砂漠


伊坂さん、ずっとこの本が手に入らなくて(古本屋さんで探したりするからそういうことになるんだけれど)伊坂さんの作品を読むのがとまっていた(出版順に読もうと思っているので。登場人物とかが後の本にでてきたりするし)のだけれど、ようやく手に入ったので読んだ。やっぱり伊坂さん、楽しいなぁ。文体がしっくりくる。好きなミュージシャンの音を聴いているよう。

大学入学で出会った5人の男女の物語。彼等の名前がとても考えて付けたのか、はたまた適当に付けたのかわからないけれど、なんかその適当感がいい(でもそれには意味あるけれど)。4年、4つの季節を通して彼等の友情と成長を描く。めずらしくすごく普通の青春小説。でもちょっとした言葉やことがらが伏線となってあちこちにぽこっと出没したりするのはすごく伊坂さんぽい。

一応主人公のような北村、やたらと軽い鳥井、目をみはるような美人の東堂、ほのぼのした南、そしてなにかにつけてまっすぐすぎる西嶋。かれらがちょっとした出来事に遭遇しながら喜んだり、へこんだりして成長していく様子や、彼等のそばにいる魅力的な脇役たち – 幹事ばかりやる完爾、北村の彼女の鳩麦さん、すごい伏線ででてくるキックボクサーの阿部薫(もちろんサックスの阿部薫から来てるんだろうな、こんな名前だすかなーw)、謎のプレジデントマンなどなど、でてくる人物達も多様で読んでいて楽しい。

相変わらず伊坂さんの作品には気になってしまうアイテムが数多くでてきて困ってしまう。今回はサン=テクジュペリとラモーンズ、そしてクラッシュ。サン=テクジュペリは子供の頃に公開された映画「星の王子様」(いまとなってはぜーーーんぜん憶えてなくて、主題歌だけ憶えてたりする。どこかに本あったと思うのだが行方不明)を観に行って、それで憶えているだけ(あ、バオバブという木が怖くなったのと、煙突掃除夫さんが大変やなと思ったの思い出した!)だし、ラモーンズやクラッシュは全然しらない、パンク聴かないから(でも、MiceteethのけいちゃんがよくラモーンズのTシャツ着てたので、気にはなってた)

自分の学生時代を思い出す。なんとなく毎日が楽しかったり、つまらなかったり、うれしかったり、寂しかったりしながら過ごしていたけれど、その毎日は確実に過ぎ去っていってしまって、結局無駄に時間を過ごしていることが大半だったけれど、その無駄は決して無駄ではなかったんじゃないかなーと今になって思ったり。どこかにそんな台詞があったなぁ。なにかやるせない懐かしさと、言葉にすると陳腐すぎる「青春」というものを感じるお話だった。

西嶋、いいなぁ。とてもいいなぁ。ラモーンズ聴いてみたい。

2010 新潮文庫

伊坂幸太郎 – グラスホッパー


やっぱり伊坂さんの作品はいい。読んでいて落ち着く。この落ち着く感じはなんなのかと考えるんだけれど、きっと「同年代だから」という単純な理由もあるんじゃないかと思っている。同じ言葉を使っていたとしても近い年齢だと言外に伝わることってある、あんな感じかな、と。

このグラスホッパー。今まで読んだ伊坂作品の中でも極めて静か、というか、不穏な空気感、というか、いつものようなほっとさせる優しさのようなものを極力排して、厳しい感じ、切羽詰まった感じが漂っている。解説の杉江さんの言葉を借りれば「ハードボイルド」ということらしい。主人公となるのが3人の殺し屋(押し屋、自殺屋、そしてナイフを使う男)たちのお話なので、ひともたくさん死ぬし、それが結構残虐。なのに悲しい感じにならないのは、徹底的に文章が第三者的映像的な切り取り方をしているからかもしれない。本の中の人物たちにとっては主観的なのだが、読者にはすごく第三者的に見えるので、ダイレクトな恐怖はないけれど、あとからじんわりくるものはある。

断片的なシーンが時間的なマジックも手伝って徐々にピースがはまっていく感じ(といってもこの本は割と時系列に並んでいるので、同時並行的な感じだけれど)も気持ちいい。相変わらずうまいなぁと思う。3人とも魅力的だけれど個人的に好きなのは鯨かなぁ。そしてだれもが哲学的なことを口にするのも面白い。その中でも鯨はほんとストレートな感じに読めるんだけれど、どうだろうか。

また全体に重苦しい割には読後感がすっきりしているのも、不思議な感じ。

「グラスホッパー」はいわゆるバッタ。押し屋の言葉「どんな動物でも密集して暮らしていけば、種類が変わっていく。黒くなり、慌ただしくなり、凶暴になる。気づけば飛びバッタ、だ」「群集相は大移動をして、あちこちのものを食い散らかす。仲間の死骸だって食う。同じトノサマバッタでも緑のやつとは大違いだ。人間もそうだ」。まさにずっと思っていること、怖いなと思っていること、そのままだった。

2004 角川文庫

伊坂幸太郎 – 陽気なギャングの日常と襲撃


伊坂さんにしては珍しい、というか今のところ続編というものはこれしかないそう。「陽気なギャングが地球を回す」(映画にもなった)の続編。

もともとは主役である銀行強盗4人がひとりひとり主役となる短編を4つ書くことからはじめたそうだけれど、やはり4人でないと・・・と思ってまとめたそうで、なので、第一章は4人がばらばらの事件に出会うというところからスタート。でもそれがやがて様々な断面でするするとまとまっていき・・・というあたりが伊坂マジックでやっぱりすごいなぁと感心。ほんと無駄なこと書かないなぁ、物語の構造つくるのほんとに上手いなぁ。

個人的には響野がいつものように長台詞をとうとうとしゃべるのを聞きたかった、いや読みたかったのだけれど、今回のお話は銀行強盗の部分ではないところが主体なのでそういう部分はなくて残念。でも4人がそれぞれの特技を活かして活躍するのが清々しく気持ちいい。

あとこの小説には徹底的な悪人がでてこなくていいな。ユーモアある人ばかり。心が荒まなくていい。

祥伝社文庫 2009

伊坂幸太郎 – 魔王


タイトルを見て「死神の精度」みたいに魔王がでてくるのかなーと思ったけれどそうではなかった。不思議な力をもった(かもしれない < この辺りが面白い)兄弟のお話。表題の「魔王」は兄である安藤の話、後半の呼吸は弟である潤也の話。

念じることによって(条件はあるのだが)それを他人にしゃべらせることのできる能力。ある日安藤はそんな力が自分にあることに気づく。最初はその能力に懐疑的だったが、本物であると信じうるにあたり、あることを思いつきその実行をしようとある政治家に近づくのだが。。。そして5年後、弟である潤也は賭け事に必ず勝てるという(これもある条件があるのだが)能力があることに気づく。

しかしとくにこの兄弟の能力により何か大きな事件がおきたり、世界が変わったりする、そういう部分は描かれない。あくまで個人の力が及ぶ範囲のものごとでしか描かれてない。しかしそんな個人の力で社会に影響をおよぼしたい(及ぼすべき理由/思想があって)と兄弟は心では思っている。その対象は国政。野党ながら歯に衣を着せぬ物言いと、的確な指摘、魅力によってのし上がる犬養議員(やがて首相になるのだが)に焦点が絞られている。話は結局は彼にはおよばないのだが、なにか、話全体として大きな流れのなかに小さな力が及ぼしうる希望的可能性を示唆するかのよう。

まぁ、いまちょうど国政のややこしい時期だからとくにこの犬養という人物の言動に注目してしまうのかもしれないけれど、もしかすると世間のみなさんはこんな人物の登場を心待ちにしているかもしれない。強い、言葉と行動を曲げないリーダー。でも、彼にも、そしてそれを指示する人間にも”覚悟”がいる。なるほどもっとも。でも考えれば恐れてしまうこと。でも、それが必要なときが来ているのかも。

ちょっと読み返してみても不思議な小説。何かにオチがつかないまま無言の可能性だけを残して次へ次へとすすむ伊坂ワールド。つかんだようでつかまえられないもどかしさ、でも何か心に爪痕を残す。

講談社文庫 2005

伊坂幸太郎 – チルドレン


伊坂さん初の短編集だそう。本人いわく「短編のふりをした長編」だそうだけれど、なるほど読んでいくと分かるけれど、おもに3人を主人公として、話ごとに視点がかわっていく連作のような感じ。ただし、短編ごとに時代というか時期が前後するので、全体を通して時間の流れがわかったりする仕掛けがあるのも伊坂さんぽいか。

長編に比べてこねくり回し感が少ないのですっと読めて気持ちいい。でも短編といえどいろりろ仕掛けがあって読んでて楽しい。とくに陣内というキャラが何かと強烈ですっとするところもあればいらいらするところもあり、魅力的。彼を見ていると時間の進み具合がわかる。

分かりやすいかもしれないけれど、中では「チルドレンⅡ」が好き。ぼくたちも人生の中でなにか奇跡を起こしたいと思っている。それがどんな形であってもいいから。奇跡なんてない、と思うより奇跡は起こせる/起こると思っていたほうが幸せに生きられるんじゃないかな。

あと先天的に目の不自由な永瀬、彼が哲学的で面白いし、思考も論理的でなるほどなーとおもうところがあって楽しい。こういうキャラも伊坂さんぽいなぁ。「イン」でおもに音を題材とした話が描かれるけれど、なるほど、ぼくたち音楽に携わるものにもヒントを与えてくれるようなエピソードがちらほら。

”・・・僕は耳に神経を集中させる。耳の外側に、大きなメガホンを取り付け、遠くの音までを拾う。そういう感覚だった。僕はこういう時、川の中に立っている気分になる。(中略) 自分の身体の周囲を、水が次々に流れていく。温かい場合もあれば、冷たい場合もある。周囲の音も同じだ。僕のまわりを次々と、音が、音楽や声や雑音や騒音が、通り過ぎていく。(中略)そして、川の中を泳ぐ魚や、落ちている小石、流れる小枝、水生の昆虫、そう言ったものを手で掬うように、僕は必要な音を拾い上げる。すごく神経を尖らせて、タイミングを見計らわないとつかまえられないものもあれば、さほど苦労もなくひっかかるものもある。・・・”

なるほど。普段無意識にやっている聞く(聞こえる)という行為。もう少し見直す必要ありかと。

講談社文庫 2007

伊坂幸太郎 – 陽気なギャングが地球を回す


久しぶりに伊坂さん。やっぱりいいな。とくにこの物語は語り口が軽くて(でてくる連中もなんだか軽くて陽気でいいな)すいすい読める。でも読みやすいだけじゃなくて、話の進み方、出てくるものごとの無駄のなさ(これにいつもすごく感心する)、最後に話がするりとまとまるあたり、やっぱり伊坂さんいいなぁ、とつくづく思う。

実はこの話は映画のほうを先に見ていたので(といってもずいぶん前だけど)そのイメージに振り回されるかなとかも思ったけれど、読み進めていくともう映画のことなんてでてこなくて、また新たなイメージの世界にどっぷりつかってしまった。まぁ物語りもうろ覚えだったし。いままで読んだ伊坂さんの作品の中ではいちばん理屈っぽくない、というかひねくれてないというか(どっちも言葉悪いなぁ)、物語の中でギャングの一人が限られた時間で行う演説のように、すべてが淀みなく、しかもわりに速いスピードで流れていくので、すっきりした感じがあった。かといって物足りないわけでもなく、このあたりのバランスがすごくいい。

あと、やっぱり年齢が近いせいなのか、同じ時代の空気を吸って生きているからか、セリフに含まれるほんのちょっとした物事や表現、しゃべり口、街の空気感、登場人物の(語られない)背景なんかが理由なく腑に落ちてくる感じがする。そうそう、そうよね、うん、そんな感じ、というように、ただただその”感じ”に共感するというか。

ストーリー自体はとくにびっくりするようなどんでん返しがあったりするわけではくコンパクトだけれど、ギャングたちとその周りの人間たちのキャラがたっているのでそれだけでも面白い。やっぱり響野の語りが面白いなぁ。こんな人一度でいいから一緒にお茶のんでみたいなーと思ってしまうなぁ。それでいて話したこと片っ端から忘れてたりして(笑)。あ、あとこの話が仙台が舞台じゃなかったのも、ちょっと新鮮だった(ま、ふつうなんだけれど)。

そしてもうひとつ、伊坂さんの話には音楽(ジャズ系が多いように思う)のことがいろいろでてくるけれどこの物語にでてきた『僕は誰よりも速くなりたい。寒さよりも、一人よりも、地球、アンドロメダよりも』というところにドキっとした。阿部薫よねぇ。17年前の阪神大震災の1週間後、阿部薫をモデルにした音楽劇をしたことを思い出した。懐かしいが、昨日のことのように新鮮だ。

伊坂幸太郎 – オーデュポンの祈り


ちょっと時間がかかってしまったけれど読了。これまでに何冊か伊坂さんの作品を読んできて、その作品たちに前の作品の人物なんかが出てくるのを読むにつれ、「やっぱり一冊目から読むべきかな」と思って手にとった一冊目「オーデュポンの祈り」。「ゴールデンスランバー」から読み始めたので、このオーデュポン~の文体がちょっと今とは違う(今のほうがより構造が明確でいろいろはっきりしていると思う)ために、最初だいぶ戸惑ったのだが、我慢して読み進んでいくうちになれて、また違う感じの伊坂ワールドを楽しむことができた。

つい出来心でコンビニ強盗を働き捕まってしまう主人公伊藤。ちょっとしたきっかけで逃走するのだが、気づいてみると見知らぬ土地にいる。そこは誰も知らない島。現在社会から切り離された場所。変わった人間ばかりがいて、さらにはしゃべるカカシまでがいる・・・・。

ぼーっと読んでいると、ただただ主人公がよくわからない島でよくわからない人たちに会い、よくわからない会話を繰り返すだけの、焦点のちょっとだけずれたへんな物語にしか読めないのだけれど、ある事件をきっかけにそれまでのちょっとした会話、人のつながり、そんなものから歯車がかみ合っていって・・・すべてのことに因果があってつながっている、という見事に伊坂さんらしく物語をまとめあげていくところが、おおー、という感じなのだが、そのタイミングがすごく最後のほうなので、いったいどうなるのかわかんないと読みながら不安になる。表から見てる分にはちんぷんかんぷんな紋様が、裏から見たら見事に均整を取れて美しい紋様になっていた、のような。

解説で吉野仁さんが書いているようにこの作品で描かれるありえない世界に引き込まれる感覚=シュール(超現実的)な感覚がこの作品の最初の醍醐味であり、そして次々に謎が出てくるミステリー、最後までわからない「この島に欠けているもの」などなどがこの作品の魅力となっている。名探偵に関する考察もおもしろい。「名探偵は事件を解き明かすために存在する。しかし誰も救わない。名探偵がいるから事件は起こるのではないか」・・・これとカカシ優午がリンクしていく。今の社会への風刺だともとれる。

「この島に欠けているものはなにか」がわかったとき、思わず感嘆の声を上げそうになった。そう!そう、本では描けない(こともないか)けれど、いつもそこにあるはずのもの。そして伊坂さんがすごく大事にしているもの。そう!

この作品を皮切りにして、今まで読んだ物語やそれ以外の物語が生まれていったのか、伊坂さんと同じ時間に同じ空気吸って生きているんだ、まだこの人から生まれていない作品にまた出会うことができるのだと思うと、うれしくなってしまう。

新潮文庫 2003