伊坂幸太郎 – フィッシュストーリー


4つの物語からなる短編集。解説によるとこの本に集められてる物語たちは結構期間を置きながら書かれたものだそう。「動物園のエンジン」(2001/3)、「サクリファイス」(2004/8)、「フィッシュストーリー」(2005/10)、「ポテチ」はどうやら2006年末ごろだそう。かといって4つの物語に技量の違いやらなにかの違いを感じるわけではないけれど、ばらばらのものを集めながらも何かどこかしら共通したものを感じてしまう。

タイトルが面白すぎる、くだらない駄洒落(?)と妙な殺人事件から意外なオチへとすすすと進む「動物園のエンジン」、おなじみ?の空き巣のプロ黒澤が登場し探偵さながら事件を解決する「サクリファイス」、表題であり、ひとつのものごとが人と時空を越えて世界を救う(!)「フィッシュストーリー」、ほろりとさせられる「ポテチ」。どれもいいお話。今まで読んだ伊坂さんの作品としては、短編ばかり(しかも作品群としてではなく、単に短編集だ)なので、大きな仕掛けやテーマやら技巧が目立つわけではないぶん、短くまとめられた中にしっかりしたテーマがあって退屈なく読める。

やはり面白いのは「フィッシュストーリー」かな。実際こういうことってないわけじゃーないかなーと思ったりする。ある作家の作品の引用が印象的な売れなかったロックバンドが残したある曲。その曲が人を通して伝わりその作家の言葉が時空を越え、やがて世界を救うことになる。そんなうまい話ないと普通思うけれど、実は見えないだけでこんなことあるんじゃないかな。大きな物事でも元をたどるとすごく小さな出発点だった、みたいに。

今回も「サクリファイス」と「ポテチ」で活躍する黒澤さんがいい感じ。すごく知的で必要十分な技術はもっているけれど控えめで、でも必要な力はちゃんと発揮する、という大人の男。きっと見た目もかっこいいんかなーと想像して楽しい。でも僕が好きなのは、その隣でちょこまかしてる空き巣としてはダメな今村。彼はたぶん天才。だからあんまり俗世間のことには関心がない。ないことはないけれど、自分の興味が勝つことがあればそれまでの一般的な損得勘定はどこかへいってしまう。ピタゴラスの定理を発見してみたり、ニュートンの法則を発見したり(これは別の本)、おとぼけキャラなのに実は世界の真理を示すことを言ったりする。あこがれるなあこういう人。

短編ながらどれも内容が濃くて、読み返し読み返ししてたら結構時間かかってしまった。とっかかりにはいい本かも。

新潮文庫 2009

伊坂幸太郎 – ラッシュライフ

結構厚い本で断片的かつ同時進行、しかしまったく関係ない物語が進んでいくので一体何がなんだったか?誰がどれだったか?こんがらなりながら読みすすんでいくうちに、物語がひとつふたつと重なっていき、やがて全体像が見えてくるという、これまた見事な構成美というか複雑さをもった作品。いやー、すごいなぁ。話自体のおもしろさよりもこの見事さのほうに感心してしまう。

神のごとく予言をする男、生きている死体、金ですべてが手に入ると信じている男、巻き込まれ青年、達観した空き巣・・・・さまざまな人間がばらばらに存在しながら交錯していく。ミステリアスな部分だけを取り出してもとてもおもしろいし、各人物像がくっきりしていておもしろい(これほど個性的な、というかくっきりしたというか、カラーが違う人間たち)し、物語のばらばらさ加減もいい。そしてそれが見事に繋がり収束する感じ。まるでとんでもない音からすごく遠回りしていたのにあれよあれよという間に見事に(しかも憎くなるほど洒落た音に)着地するドミナント進行のよう。

あまりにも複雑で時系列もこんがらがるのでネットには時系列を整理してくれる人がいるほど。なのであわてて読むとほんとよくわからない。一体どうやって書いたのだろう?と考えたけれど、もしかしてまともに書いてからちぎってばらばらに(でもすばらしくうまい手順で)並べたのかもなーと思ってしまうぐらいばらばらだ(決してそんな面倒なことはしないだろうけれど)。現代音楽、ミニマム音楽のよう。まぁちょっとつぎはぎがすごくて全体がわからなくなってしまうので、そのつぎはぎぐあいに圧倒されて物語の本筋の面白さが隠れてしまいそうになるのが難点だけれど、おもしろいことには違いない。でも強烈な印象はないかも。

印象に残るのは登場人物の黒澤さん。彼の吐く台詞がいちいち面白い(彼は他の作品にもでてきた!)。プロの泥棒である彼が言う。「誰だって人生のアマチュアだ」。その通り!

タイトルをカタカナにして英語をいろいろ充てるというアイデアもいい。音楽好きなのであろう伊坂さんを想像させる。やはり「Lush Life」を一番に想像してしまう。好きな曲。カバー表紙の絵も素敵。人生は交差することにこそある、のかも。または分かれ道の連続、ということなのかも。

新潮文庫 2005

伊坂幸太郎 – 死神の精度

タイトルからして謎かけのようなこの本。死神というと「デス・ノート」を思い出してしまい、おどろおどろしい姿を想像して本を開いてみたが、これが見事に期待を(いい感じに)裏切って、めちゃくちゃ普通の人の姿(死神なのでいつも違う人の姿に身をやつす)だし、ちょっと物知らずで世間からずれた感じだし、音楽(ここではミュージックと呼んでいる)が大好きで渋滞が大嫌い、なんとも人間味溢れる姿で微笑ましくなってしまう。そしてそういう彼らが死すべき人間の査定にやってくる・・・そんな設定にまたしてもやられてしまい、伊坂ワールドまっさかさま。

名前もない死神だけれど、ちゃんと個をもつ主人公(?)がいろんな姿で人間界に降り立つ。そこで死ぬべきと査定された人間と7日間過ごす。そんなエピソードが6つ。ひとつひとつは独立しているが同じ登場人物が別のエピソードにもでたりして、伊坂さんの構成力にまたまた感心してしまう。そしてどの話も人間じゃない死神がすこし人間くさくていい。

死神というのはここではリアル世界の流れからは切り離された存在だ。その死神という視点をもって人間界を眺めると、ぼくたちが普段普通に思っている事象がどれも少しゆがんで感じられる。解説で沼野氏も書いているように「異化」という手法だそう。我輩は猫である、もその一種かな。視界を覆いつくす大きな流れの中にいると流れがわからないけれど、そこに一点止まっているところがあると全体がよく見える、という感じか。普段小さなことすぎて目にも止まらないけれど、違う視点から見てみると、それが実に全体を現しているようなこと、それが実は本質ではないだろうか。大きなドラマなんか実際はなくて小さな波の上で生きている、それが人間なんではないだろうか。

そんな取るに足らないことが、死神の目を通すと実に生き生きし、ぼくたちがすばらしいと感じているものは実は取るに足らないことなのかも。こうやって生きて時間が流れている中でもそういう視点をもてばまた違う進み方が見えるのでは?と示唆されているように思ってしまう。

ま、そんなぐだぐだはさておき、すごく面白かった!すっきり読めて爽快。余分なものがないって感じかな。実際死神いるのかもしれないな、と思ってしまう(笑)

文集文庫 2008

伊坂幸太郎 – 終末のフール

伊坂さん2冊目。「ゴールデンスランバー」の衝撃がすごかっただけに、さて次はどうかなーと思って手にとった(特に順番も何も考えていない、目に付いたから)のだけれど、これもまた読み出したとたん見事にハマってしまい一気に読んでしまう。

なにより設定がおもしろく「8年後に小惑星が衝突して人類が絶滅するほどの大惨事が起こる、と発表されてから5年経った世界」。あと3年でみんな死んでしまうと分かっている状況でどんな風に人は生きているのか、案外普通にしてたりして?ってあたりがその通りなんじゃないかと思えてしまう。もちろん大混乱は起こり人は嘆き悲しむだろうけれど、そこでドロップアウトせずに怖れを飲み込んで日常を暮らす人がいたって不思議じゃない。

みんなが死ぬとわかっている世界。明らかに異常だけれど、そんなときこそはっきり「生」を感じるんじゃないかと思う。じたばたするのを通過すれば、自然と手の中には自分が大切にしたいと思っているものだけが残るのではないだろうか。諦観があるがゆえに優しさと厳しさとを併せ持つことができ、自分や他人その他の生きる姿を見つめることができるのじゃないだろうか。

物語としては地味に怖いSFと人間模様のような体裁になっているけれど、一貫して「生きている/生きていく、とは何か」ということを問われているように思う。最後のほうで出てくる「頑張って、生きろ」「死に物狂いで生きる」「生きていくことは義務である」「生々しい」という言葉でつづられるように、いま僕たちはシステムに守られ明日を保障されたようなつもりになり、目先のうれしさや悲しさ、お金のあるなしなんかに翻弄されて、生き物としてほんとうに「生きていくこと」の大切さ/大変さを見失っていると思う。生きてゆくことに必死になっている人は「幸せになりたい」とかとは思ってないだろうというレベルの話で。

と書くと、あまりにもシリアスな感じになってしまうのだけれど、それらをまったく感じさせずに普通の街の普通の様子、普通の人たち、状況がちょっとだけ変、という中で物語を生み、しかも8つの物語が独立しつつもうまく重なって(同じヒルズタウンという場所に住む人々の物語である)、エピソードが進むにつれ盛り上がってエエ話になっていくあたり、伊坂さんほんとに頭いいなぁ(すごくいい意味で)とひたすら感心しきってしまう。胸の中にしまったテーマ(気持ち)を全く明示せずに巧みなデコレーションだけで浮き彫りにした、みたいな。

あまりにも物語に夢中になってしまったため(とくにその設定に)、読んでいる最中にふと顔を上げたときでさえ「ああ、あと3年足らずか・・・」と妙にリアルに実感してしまい、まさにいまがそのときであると勘違いしてしまうほどだった。SFといえばSFなのに、妙にリアルな感じ(自然な感じ、のほうが近いか)がするのが伊坂さんの筆の魔力といえるのでは。ゴテゴテしがちな素材なのに、ぼくたちと同じ目線(というかトーンというか温度)で語るが故の自然さがより読者を引き込みやすくしているのじゃないかな。無理がないというか。

同様に出てくる人物たちの描かれ方、その人物のなりや喋り方、物語の中での存在の感じそのものがすごく普通に隣に住んでいるひとのことのように思えてしまう。描き方というよりは伊坂さんと同年代だから、自分も実際にそんなふうに世の中/人々と接している(そういうように見えている)からなんじゃないかと思う。

ああ、面白かった!!!!

集英社文庫 2009

伊坂幸太郎 – ゴールデンスランバー


同名の映画が公開されるというCMを見たときから気になっていた。だってThe Beatlesが大好きだから。いろいろ寂しいエピソードの多い彼らの(本当の意味での)ラストアルバム「Abbey Road」のB面(今となっては死語か?)のメドレーの真ん中ぐらいで出てくるこの曲は、いつ聴いてもポールの歌声が突き刺さってくる。「かつてそこには家路へと向かう道があった・・・」と万感の思いを、すべての思い出を込めて歌われるこの歌を聴くたび、子供心にさえ人生への後悔とか哀愁を感じずにはいられなかった。しかも、今でもその感覚は変わらない。

あるふとしたタイミングで本屋さんに寄ったときこの本が目に付いた。めったに新刊なんて買わないのだが、気になっていたので手にとった。そして読み始めたら・・・もう止まらない。

仙台で催された首相のパレード。大観衆が見守るなか事件は起こる。爆破によって首相が暗殺されるのだ。そしてその犯人と目されたのが配送の仕事をしている青柳。その動機・目的は?手段は?読者もまるでテレビの視聴者のような視点で話が始まっていく。そしていろんな人物の視点から事件を眺め、やがて青柳の視点でも語られる。しかし彼は言う「俺は犯人じゃない」。ではいったい誰が?どういう目的で?謎が謎を呼ぶ展開に息をつく暇もない。

物語の章立ても時系列じゃないところがうまいなと思う。うまく核心をはずしながら遠くからじりじりと事件の真相を追わせ、しかもそれが退屈しないいいスピードで、しかもストーリーは複雑ですごく面白い。ガチガチに書き込まれてるわけでもなく、だらけた描写があるわけでもなく、すごくスピーディーに進むわけでもないのだが、緩急あっていいバランスだなあと読みながら感心。ふとしたタイミングで繰り返し口ずさまれる「ゴールデンスランバー」が自分の何かとシンクロしてしまう。

もちろんフィクションだけれど、こんな大掛かりでなかったとしてももしかしたら実際に起こりうる事象なのかもしれないし、奇しくもこの3月に起こった震災と原発の報道を見ている限り、メディアというものはある側面しか映し出さない(しかも無意識的にか、はたまた意識的にか)ものであるということが実感されたし、ましてや警察や同様の組織、個人の力の及ばない大きな力というものの前に、いかに個人は非力で否定されやすいものであり、いつでもそんな脅威が隣にあるのだ、という恐怖を感じさせる作品だった。でも本当にこんなことが起こるとは思えないけれど、小さな規模で同じようなことは起こってるのだろうな、と思わせる/気づかせるものだったように思う。

だからといって全く救いがないわけでもないかわりに、明確な答えがあるわけでもない。でも納得できることはある、というぐらいの中途半端な感じっていうのが、現実なんだろうな。実際なんでもそういうものなのかも。割り切れることは、珍しいことだ。

新潮文庫 2010