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原発

東北ぶらり旅:その4 原発災害地について思う

(つづきです。長文乱文です。前のはこちら

たぶんこれが最後です。この文章も完全にぼくの個人的な見解というか、見て感じたことを書くので、不適切な表現があるかと思いますし、誤った部分もあるかもしれません。とくに被災された方々には失礼にあたることや神経を逆撫でしてしまうことがあると思います。でも、思ったことをそのまま書きたいと思います。あくまで個人の意見です。

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広い範囲に渡って生じた東日本大震災の被災地の中でも、この原発による災害を被った場所は、被災地ではなくて、被害地、と呼ぶべき場所になっていると思います。いろいろ見方はあると思いますが、ここに関しては完全に人的ミスによる被害です。もちろんその引き金となったのは地震や津波であることは間違いないですが、原発がそこに存在すること、そもそも原発という代物を選択したこと、それをもともと考えられた耐用年数を遥かに超えて使い続けた/使わざるを得なかったこと、という点では人的ミスによる被害といえると思います(もちろん震災当時の原発のコントロールミスもあったと思います。それは現場のコントロールもそうでしょうし、トップの判断ミスもでしょう)。一時”想定外”という言葉が世間を賑やかせましたが、すべてのことを想定するということは、人間にとってはかなり難しいことだと思います。が、過去に原発というものを必要あって選択した。それは誰が悪いというわけではないと思います。原発が日本に導入されようとしたとき、もちろんいろんな利害関係や野望、希望、必要があったと思いますし、誰もが少しずつ公益と利害をもってことにあたったと信じたいです(まったくの利権だけのために動いたとは思いたくない)。

でも結果的にいまは「帰還困難区域」と呼ばれているよくわからない名称の場所は無人の街となっていて、やはり無人の「警戒区域」や、住むことはできない「居住制限地区」、一応住めることになっているけれどほとんど戻ってくる人がいない「避難指示解除準備区域」などなど、地震や津波の被害は免れたのにいまだに住人が戻ることのできない/していない区域、これは被災ではなくて、被害なんじゃないでしょうか。

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今回の旅でほんと悔やまれるのは(他の地域での行き当たりばったりというのはとても良かったのですが)この原発被害にあった地域だけはちゃんと調べてから行動すべきだったということです。もちろんいまでも線量は他所の地域に比べては高い部分もあるようですので、長居することは危険だと思うのですが、もっともっと見るだけでいいから、南相馬や浪江町、できれば大熊町や双葉町なんかも通ってみたかったのです。うまくやれば福島第一原発だって見えるところにもいけたと思います。今回僕が通ったのはこんなルートでした。

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何も知らずに、とりあえず仙台から南下して、浪江町ぐらいまでいったら、どこかを通り抜けて(きっと迂回させられるだろうことはわかっていた)南側に出られたらいいなぁ、なんて考えてR6を南下していったのですが、結局は浪江町のはずれぐらいで行き止まり(許可ある車しか通れない)、また浪江町や双葉町自体が自治体として立ち入りを制限しているので、僕のようなよそ者は立ち入ることができずに、R6を戻って迂回路を探しましたが、上記の図のように、浪江町自体や警戒区域、帰還困難区域は通れないので(通り過ぎることすらできない)、県道258、県道34、県道12を通って南相馬から飯館村、川俣町に抜けました。もし浪江町を迂回するつもりなら川俣町からR349で二本松市、田村市を抜けて、R49でいわき市に出て、というルートしかなさそうです。細かい県道など通れたとしても必ずどこか立ち入り禁止のところにあたるので、かなり大回りする必要がありました。なので飯館村を走ってる時点ぐらいでもう16時ぐらいだったので、迂回して原発の南側に出るということは今回は諦めたのです。

でも、浪江町のほんの一部や、もともと警戒区域だった南相馬の南部分、今でも居住制限がある飯館村などを通って見た光景は異様な感じでした。言葉で説明するのは難しいのですが、いわゆる廃墟的なものではなくて、変な表現になりますが、SF的な、ある日街中の人が蒸発してしまった的な感じでした。それは地震で倒壊したり津波で流されたような建物はほとんどなく、しかも住んでいた人たちは避難したとはいえたまに戻ってきて手入れをする方もいらっしゃったり、除染などをしたために、建物も、田畑(これらは津波区域と同じように更地のような感じになっている)も牧場も荒れていないからでした。なので、街はきちんとしているのに人だけがいない、という不思議な状態で、それが異様さの一因であったと思います。大熊町や双葉町はもっと荒れたりしているのかもしれませんが(テレビでちょこっと見た)。

また南相馬の南側などで見ましたが、田畑や牧草地だったところを復旧するのに除染や、ほったらかしだったために生えて枯れたような草木を取り除く作業をしていましたが、取り除いたものってきっと低レベルの放射能廃棄物になるのでしょうから、集めてどこかで処分しないといけないのでしょう。この区域じゃない所だったら枯れ草なんて焼いてしまえばいいのに、それもできない。するとやはり時間や人手がかかってしまう。よって手をつけるまでに時間が経ってしまう、なんて構図になっているようにも見えました。(無論ある一定以上線量が高いと作業もできないのでしょう)

またこの色の着いている範囲の外側には線量も落ちてきて帰宅しても大丈夫な場所が増えてきているそうなのですが、そこに戻る人はかなり少ないそうです。どうしてかというと、例えば病院や商店といった生活基盤になるものが一緒に戻らないと生活できないですし、戻ったとしてもその方々が生業にしていた例えば農業とか林業などが立ち入れない区域内だったとすると仕事もできません。やはり街の大半が戻らない限り生活できないので戻れないということのようです。

じゃぁ原発の封じ込めや除染がすすんで、放射性物質の移動なんかが完全に押さえられたら戻れるのか、というと、なぜかそういう感じがしません(あくまで根拠のない感じなのですが)。たぶんまき散らされている放射性物質を完全に取り除くというのは困難を極めるだろうということと、実際問題としての原発の完全なる廃炉は計画はされていたとしても完全に見通しの立った作業工程ではきっとないだろうと思うからです。まだまだこの先にいろいろあるんじゃないかと想像してしまいます(無論関係する方々は日々ちゃんと考えてやってるんだと信じています)。ということは、ひどい話を想像してしまいますが、避難させられた方々は戻ってこられず、もし戻ってこられたとしたらそれは何代もあとの子孫なんじゃないかと思うのです。ということは誰一人もともとの景色を知っているものはいないという状態。喩えが悪いですが、「昔、戦争があったときに空襲でこの街は全部燃えてなくなったんだよ」とか「昔、原子爆弾が落とされてこの街は壊滅し、長い間放射能で苦しんだ人たちがいたんだよ」と同様に「昔、ここで原子力発電所の事故があって、長い間誰も住んでなかったんだよ」「へー、いつ頃のお話?」「お父さんのひいじいちゃんの時のお話だよ」というようなことになりかねません。すると、これはもう復興とか復旧ではなくて、また一から新しく街ができてゆく新興と呼んだほうがいいんじゃないかと思うのです。

もし本当にそんなことが可能なら(避難されてる人や、関係する人には全くもって申し訳ない想像なのですが)行政や事故を収束したがっている側は、この人が一度住めなくなった地域を(原発も含めて)全部壊して、一切合切削り取って何もない状態にして(そのどけたものをどこに持って行くかはさておき)、一から新しい町づくりをしたほうが楽だ、と考えてしまうんじゃないかと勘ぐったりします。誰もながい期間戻れない時期がつづいてみんな諦めてしまえばそれも可能になっちゃうんじゃないかとか思ったりします。「帰還困難区域」という名称は、戻りたいと切に願う人々の希望と、本当はすべて無理なんだということを隠蔽するための行政側の苦肉の策(最初から戻れないを前提にすると全責任とらねばならないから)の、思惑のはざまでつけられた名前のようにしか見えないです。

付け足しのようになってしまいますが、それでも線量が減って大丈夫になった地区に戻ってなんとか生活を元に戻そうとしている方もおられます(区域の境目ぐらいにちらほらみられた)。そんな方々が早くもとの生活ペースに戻ることを祈るばかりです。

帰還困難区域って?@浪江町

帰還困難区域って?@浪江町

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ぐちゃぐちゃ書きましたが、僕の感じたことは、この原発事故の被害が及んでいる範囲は容易には元に戻らないだろうな、ということでした。それも10年20年というレベルではなくもっと長い期間かかるだろうなと。ということは僕たちはその結果を知ることはできないかもしれないのです。そう感じたのが、この区域に感じた怖さだったのかもしれません。

未だにこの区域のことは腑に落ちないというか、自分でもどう感じているのか自分ではっきり分からないです。また行くと違う感想を持つかもしれません。なので早くもう一度行きたいです。そして時間をかけて見て、どう思うのか、どう感じるのか、知りたいなというのが、今の僕の心持ちです。

2014.3.9 たけい

 

 

 

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