誰だって忙しい。やりたいことも、やらなければならないこともたくさんあるのは分かってる。でも、たった1分でいいから、想像して欲しい。いま、まさにいま、同じ時間をそう遠くないところで寂しい思いをして過ごしている人が少なくなくいるってこと。ちょっとぐらいいいじゃない、仕事さぼったって、何かを中断したって。今でなくてもいいから。今日という日のどこかであれば。今日でなければ意味をなさないことがあるんだから。
もしそんなこともできないというのなら、許されないというのなら、なんて貧しい心だろう、なんて貧しい国なんだろう。大切なことを忘れてさせてしまったそんな国はいずれ崩壊してしまうだろう。何か難しことをしろと言ってるわけじゃない。別に何かを背負えってっ言ってるわけじゃないし、分かち合わなければと言ってるわけでもない。そんなことできっこない。どんな物事もそれを経験した人以上に感じることなんてできない。立場を入れ替えたとしても、それが何かの解決になるわけでもない。ただ単純に、まっすぐ、思いやりたい。いや、やりたい、という言葉が違うなら、そう、思いを寄せてあげたい。具体的に、物理的な何かの行動をできなくても、そうやって思いを寄せることでできることはきっとある。それで心安らぐことがあると信じてる。自分が傷ついているとき、手を差し伸べられなくとも、どこかで祈っている人がいるってことを、見てくれてる人がいるってことを、感じられたら、少しは気持ちが楽になるんじゃない?
だからちょっとだけでいいから想像してみて。あなたが、ある日突然「今住んでいるこの家を出てください。手に持てる分だけ荷物もって。さあ早く!」といわれて、知らない土地にある四畳半のアパートに連れて行かれる。周りは知らない人ばかりだし、便利なところでもない。そこで4年いつづけるってこと。そしてそれがいつ終わるかわからないってこと。もともと住んでたの家はあるのに。
または、住んでいた町が綺麗になにもなくなって、そこに新しい街を作ろうとしている。でもその土地へ戻るのにまだ2年も3年もかかりそうだ、もう4年も待ったのに。それに、たとえ戻れたとしても親しかった隣の人が戻ってくるとは限らない。住み慣れていたはずの街が違う街に見えてしまうかもしれないという不安。
もっと想像してみて。いまのあなたなら、そんなことたいしたことない、耐えてみせる、打破してみせると思えたとしても、いまあなたが70歳だったら?80歳だったら?歩くことが心許ない立場だったら?
ぼくたちは明日という日を信じられるから、今を楽しんでいられる。どこかに自分にとっての拠り所が、帰る場所が、戻る部屋がある、という幸せがある。それは誰もがもてるはずのもの。この国では、この間までは。でも、明日がどうなるのかわからない、いくらか先になれば陽がさすようになるかどうかもわからない。そんな先が見えない中での、仮の住まい、仮の仕事、仮の姿。「仮」だらけのそんな足元不安定な状態が4年続いて、自分ではどうしようもない状態って、どんなだろう。そういうとき助けになるはずの国は、自治体はなにしてるんだろう。国って、自治体って、誰?
被災地の現場はみんな、とても一生懸命にやってる。頑張ってる。それは知ってる。なんとか早くこの状態を改善/解決しようと必死になってる、と思う。とても困難な場所での仕事も進めてる。でも、現場はそうでも、その舵取りするところがバカだったら?教えられた話と、書かれた数字だけで物事判断してたら?ましてや自分の損得だけで動いてたら?砂場でお城つくるのにショベルカー買ってきて、それで土砂積み上げて「いい感じでしょう?」とか言ってたら?
国は復興を加速するんだというよくわからない台詞を吐く。加速したら復興するものなの?きみたちが復興といっているものは見える形があるものだけなのか?それでもいいから加速するというなら、東京でやるとかいってる何かの大きなイベントに割いてる力をもっと向けるべきじゃないの?というか順番間違ってるんじゃない?いやいや、復興あっての国の成長、国の成長なくして復興なしでしょう、経済あっての復興でしょう、というかもしれない。そりゃぼくたちは国が築いたシステムの中で暮らして行けてる。でも国を形作っているのはシステムじゃない、人間と土地でしょ?システムを維持するためだけのシステムというのは結局誰も救えない。でもそうなってきてるように見えるのは僕だけ?
きっとみんなで、なんとなく効率よく、都合良く、つぎはぎだらけでもなんとか機能してるシステムをあまりに大きく育ててしまったがために、それを操作してる/されてる人間はそのシステムの末端がどうなってるか見えない/見なくてもいい、と思ってるんだろう。あと、ネットとか一見便利そうなツールが与えられたおかげで、そこを覗けば何でも見て知ることができると勘違いしてるんだろう。肝心なことはあんな小さなモニタ越しには伝わってこない、そんな当たり前のことも忘れるほど。
だから、今日だけでもいいから、そんな色眼鏡は外して、普通に当たり前の感覚になって、手を休めて、モニタから顔を上げて、窓を開けて、遠い空を眺めて。復興とかに関わって大きな仕事してる人でも、勉強中の人でも、ぜんぜん関係なく夕飯を作ってる人でも、なんでも誰でもいい。ちょっと想像する。それで救われることはあるし、ちょっとはまともな方向に向くかもしれないから。そう信じてるから。
—
4年て何日ですか?何回ご飯食べましたか?何回笑いましたか?何回泣きましたか?何度家のドアを開けましたか?知人の子供はどれくらい大きくなりましたか?あなたはどれくらい変化しましたか?
4年て何日ですか?