今日2025/01/17で阪神大震災から30年が経った。毎年のように同じことを思うけれど、本当に昨日のことのように思い出せる。
前日は姫路で大学の同級生の結婚式があり、しこたま飲んで終電で帰ってきて眠っていた火曜日の早朝。まだ寝ぼけてるはずの耳に、どこからかゴーっという低い音が聞こえてきて「なんやろ?」と意識が起きてきたところに突然の揺れ。あまりの未経験の揺れに揺れていることさえ理解できない状況。ジェットコースターに乗ってるのか怪獣がきたか、全く頓珍漢なこと考えてた。揺れが収まってから真っ暗中をとにかく外に出なくてはいけないと思って、玄関からでて、マンションの出口まで来たが扉が開かない。それを蹴破って(ごめんなさい)外に出ると、少し明るくなった外の景色はみたことない景色。道路にひび割れがあったり、裏の家の一階がなかったり、隣のマンションは全体にヒビだらけになっていた。そのうち雪がちらちら降ってきたのかな、と思ったら灰だった。西の方で煙が何箇所も立ち上っていた。どこからか近所の人が持ち出してきたラジオから浜村淳さんの声が聞こえて「地震があったようです」とアナウンスしたことで、あ、これ地震なんや、と初めて理解するまで何が起こったかさっぱり分かってなかった。
ワンルームの部屋はぐしゃぐしゃ。寝ていた頭の上をテレビが飛び越えていた。建物の建て方や部屋のレイアウトの向きによっては家具などの下敷きになってたかもしれなかった。住んでいたマンションが揺れの向きに対して縦長だったために揺れがマシだったのかもしれないし、4階だったのもあったかも。同じようなレイアウトでももっと上階だったらどうなっていたかわからない。
あの時、心の底から、生きているってことは奇跡的なことなのだと思い知った。生かされてる、と言うのかもしれない。今この瞬間のあとに何が起こるかなんて誰も分からない。だから今を一生懸命生きることが大事、というのは、真理のひとつだと思ってる。食べることも、楽しむことも、悲しむことも、誰かに会うことも、演奏することも、今この瞬間しか確かと言えるものはない。だから大切にしたいと思って今も生きて/生かされている。
つぎはぎだらけの記憶にはなっているだろうけれど、今日は30年前の今日を思い出して気持ちを新たに。映像や写真集を見るとあの時の気持ちや肌の感覚が蘇る。僕は怖くはないけれど、いまだに怖かったり悲しかったりする人はたくさんいると聞く。その方々の傷や気持ちが早く癒えますように。そしてその後に起こった数々の震災で被災した方々にもはやく平穏が訪れますように。今日も祈ります。