かじったりんご

今日(正確にいうと昨日)2011/10/6、Steve Jobs氏の訃報があった。若いときにAppleを立ち上げてMacintoshという夢のようなコンピュータを生み出した、偉大な人物。いろんな夢を具現化してくれた人がまたひとりいなくなった。同じ時代に同じ空気を吸って生きていた尊敬すべき人がいなくなるのは非常に寂しいことだ。

ぼくは子供の頃にいとこの兄の影響でコンピュータ(そのころはマイコンと呼ばれていた。彼が持っていたのはNECのPC-6001だった)というものに興味をもち、中学のころ難波の千日前デパートの跡地に新しい百貨店プランタンができて、そこにパソコン売り場ができたとき、すごくうれしくて、毎週のように電車にのってそこにいき、パソコンとういものを触って遊んでいた(まぁほとんど見ていただけだけれど)。”最新のテクノロジー”とか”なんでもできる機械”みたいなイメージがあって、未来的なものが好きだった僕はすっかり虜になっていた。(そのころまだ日本橋の電気街なんて知らなかったのよね)

でもいったんそこでパソコン熱は冷めるのだが(興味がSaxに移ったから)、大学の4回生ぐらいになって研究室に出入りするようになったとき、そこにPC-8801シリーズと(3.5インチのフロッピーディスクドライブあるやつだった!)見慣れない白い小さな画面のコンピュータがあり、その小さな筐体にとても興味をもった。それがAppleのクラシック(SE/30)だった。NECのパソコンに比べて、そのコンパクトでなにやら中身の詰まったような感じのするコンピュータがすごく魅力的に感じたし、マウスというデバイスに革命を感じたのかもしれない。

その後Windows3.1というまことに笑えるOS(というかアプリケーションかな)が出た後、Windows95というOSとPC/AT互換機の低価格化により世の中はWindows一色になってしまったけれど、ぼくのMAC熱はぜんぜん冷めなくて、社会人になってお金をためて初めて買ったコンピュータがPowerMacだった。あのオフホワイトの筐体、普通のパソコンと見比べて、なんだかしっとり湿度がありそうだったり、豆腐のようにみっちり中身が詰まってるように思えて、すごく愛らしかった。あんまり活躍させられなかったけれど、あるだけで満足してしまうような魔法の機械だった。

それ以来世間がなんといおうと(いろいろ便利だからWindowsマシンも使ってるけど)MAC大好きで、集めて喜ぶほどではないけれど、Apple製品はいつも気にしていたし、PowerMacG3やらG4、G5、PowerBook、iPodなどを持ち(ここ止まり、どーもIntelMacにはまだ手が出ない)いまでも愛用している。

ソフトとハードをセットにして作る。商業的にはいい手かどうかはわからないけれど、全体から細部にわたるまでのコンセプトやこだわり、いつも世間の2歩ぐらい先をいく先進性と驚き、そして何よりMac=COOLというイメージ。これらの魅力にハマってきっとこれから先も手元になにかApple製品は置いておきたい。そう思えるようなものを生み出しつづけたApple、そしてそこにいたJobs、彼に感謝をしてやまない。

人々に”未来”という夢を見えるように描いてくれたのが手塚治虫だとしたら、”未来”という形を触らせてくれたのはJobsだったと思う。

R.I.P. Steve Jobs、ありがとう。

PS
おまけ。Jobs氏のスタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版
http://t.co/YdLSFSw2