五木寛之 – レッスン

これまただいぶ前に読んだので、備忘録的に。そう、暇なんです。で、読んで積んでおいてある本を片っ端からレビューしていこうとしています。こうやって記録しておかないと、また同じ本を手に取ったりするので^^;(今までなんどもある)

転職してライターとして歩み始めて軌道に乗り始めたところの主人公。先輩との付き合いでいったゴルフ場で彼は謎めいた魅力的な女性・佐伯伽耶と出会う。散々なゴルフをしたあとに彼はひょんなことから彼女の生徒になることに。ゴルフからクルマ、ファッション、などなど人生を生きるすべを。彼女はすべてを教えてくれ彼はそれに必死に応えていくのだが、、、

読んでるときはきっとこれはだいぶ昔に書かれた物語なのかなと思っていたけれど、刊行は1996年なのでそこまで前じゃない(80年代かと思った)。バブルが弾けたあとだけれどなんかバブル前の時代背景の感じがしたから。車にしろファッションにしろ、海外のことにしろ、お金がかかってる物事ばかりなので。五木さんの本ってほとんど読んだことないのだけれど、勝手に思っているイメージと違って意外な感じがした。

もしかしてこの歳になってもこの物語の真髄の部分はまだわからないのかもしれない、もしかしたら永遠にわからないかもしれない。言い方は悪いけど物語は一見ファッション的なもの感じるのだけれど、その奥に五木さんが言いたい深い人生哲学があるのかな、と。少し読み返してみたけれど、そんなことを少し感じた。時間をおいてもう一度読んでみることにする。

にしても、この女性は魅力的。それが描きたかったのかな。完璧すぎる女性とその生徒となる荒削りで若い男。ある意味男のロマンの一つかも。あと主人公が僕と同じ名前なのよねえ(笑)

新潮文庫 1996

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五木寛之 – 風の王国

いつだったか忘れてしまったけれど、何かの話のきっかけで(たぶん今の大河ドラマあたりの話ではなかったかと思うのだけれど)あまり知られていない日本の歴史というか闇というかそんなことを教えてもらったりして、そこで出て来た「サンカ」と呼ばれた(これは体制側から付けられた呼び名)人たちがかつていたということで、それについて書かれた小説としてこの五木さんの本を紹介されたのでさっそく読みました。

一応お話仕立てになっているけれど、結構史実を基にうまく話にそのサンカ(彼らは自分たちをケンシと呼ぶそう)の歴史、側面なんかをちりばめた構成になってて、今更ながらこういう人たちがいたのだ、という事実を知り、いま何も疑問に思わずに単にあるから/正しいと思っているから(思わされている?)受け入れている社会システムの根幹をなす戸籍もしくは住民票というものの存在について、おや?と思うことができた。折しもいま世間では(世間というより施政者たちが、か)法案が通り着々と地固めがなされている「国民総背番号制度」が話題になっているけれど、まさにこれの反対をいくのがケンシの人々。

考えてみれば、まあ社会システムを構築するにあたっては、施政者側からは国民(というかその国土にいるすべての人間)を管理したいはず。徴税や場合によっては徴兵、さまざまな管理をしやすくするために。もちろん個人はその恩恵にもあやかれるわけだけれど、それを良しとしない人たちがいても不思議ではなく、彼らが自分たちで独自の文化を築き、そこにある社会システムから乖離して/もしくはうまく摺り合わせて存在したいと願うことは当たり前のことだとおもう。でも、施政者/権力者はそれを許したくない。なので年月をかけて戸籍や住民票などの裏付けというかレッテルというかがないと生きにくい社会を構築し、教育を施し、ある部分洗脳するというかうまく従わせるように持って行っているのは明らかなことだと思う。でもそれが間違っているかどうかはわからない。でもそれ自体に組み込まれたくない人たちもいて当然で、そういった人たちが存在することが今の世では非常に難しい状態になっている。日本にも明治以前はたくさんいたけれど、いまはいるのかいないのか、社会にとけこんでいるのか。もしくは我々の目が蓋をされているのか。外国ではジプシー(ロマというのが正しい呼び名か?)と呼ばれる人たちも未だ沢山いるというのに。

ひとつ問題だったのは、そういう定住しない人々を減らすというか生きにくくするために当時の(江戸後期か)施政者たちが悪者に仕立て上げたらしい、ということ。主に山賊だのなんだのと一般の人々に悪いイメージを植え付けようとしたそう。それは実際は実態とはちがっていた部分もあり、多くは定住せずにいろいろな技術をもって里と交流し、土地や人びとの血脈となって世間を活性化させていた人々だったよう。

ぜんぶ五木さんの受け売りだけれど、今まで全然しらなかったことを知り、そしてそこから今ある姿の違う面が見えるようになった。まだまだ知らないこと/伏せられていることはこの国にはたくさんあるのだろうな。良きにつけ悪しきにつけいろいろ知りたいものだ。

新潮文庫 1987