辻さんの本は好きでいろいろ読んできたけれど、こういうタッチというか描き方のは初めてだな。すごく新鮮だったし、お話も着眼点もすごく面白かった。
夏音は五女。つまり5人姉妹。祖母も母も健在で、その母が姉妹たちの旦那や子供も含めた大家族の長となりその大家族を仕切っている。そこに夏音の夫として大家族の一員となる物書きの主人公 平太造。彼は父母のみの核家族で育てられたため、この旧態依然とした大家族に苦悩し、また作家としての自分の進路を迷う。
だいたいもうこんな大家族ってない。大きな家もないし、兄弟姉妹がたくさんいる家もなくなってきた。それは時代なのかもしれないし、文明のせいなのかもしれないし、政治のせいなのかもしれない。が、事実いまは核家族化が進んでいるし、現在に至ってはそれすら壊れようとしているように見える。
この物語ではまるで学者が第三の視点で研究するかのように、太造の目を通して大家族の生態というものが観察される。まずそこが面白いし、太造の視点というのが、現在大半を占めるであろう核家族で育った男の視点としてすごく平均的なもの(作家という設定がすこし影響をだしてるけれど)なので、すんなり読める。なるほど自分も同じ立場になれば、きっと同じことを思うであろうから、すぐに感情移入してしまった。
そんな大家族の古いしきたりを受け入れられない感覚に居心地の悪さを覚え、末席に据えられてしまうこと、作家という仕事への影響などから大家族への嫌悪感を増すのだが、子供をもうけ、その生死の危うきに接して、家族への考え方を改めていく・・・しかしやはり生まれ育てられた感覚はなかなかぬぐえない。ゆえに深く押し込めてしまうのだが・・・
いや、ほんと自分だったら・・・的感覚で読めるし、章ごとに挿まれる学術的解説もなるほどって感じだし、面白いなぁ。物語も長編だけれどうまくまとまって起伏あって、家族の物語として読めるし、研究論文みたいにもよめる(そういう体裁をとってるだけある)。
核家族で育ったものにとっては大家族というのは、知らないからこそ生じるあこがれと、想像だけで思い込むめんどくささ、の両者の同居した摩訶不思議なものとして目に映る。そんな気持ちをある面から代弁してくれるこの物語は、自分の気持ちや頭のどこかにうまくはまり込んでくれる、そんな気がした。
中公文庫 2001