この2011年4月で、仕事を辞めて音楽でやっていこうと思ってから10年が経ちました。
若かったのか、無鉄砲だったのか、
最初はほとんど何の考えもなしに見切り発車してしまった、
というのが本当のところだったのですが、
どんなときにも周りの仲間や、友人たち、お客さんたちに助けられ救われて、
なんとかここまでたどり着くことができました。本当に感謝の気持ちで一杯です。
言葉では表現できないです。
結構のんびりやってきたようにも思っていますが、
振り返ると、それなりにばたばた忙しくもし、
あれやこれやと追われてあっという間の10年間だった、
というのが実感です。
でも、悔しいことにこの10年、10年もあったのに、
なすべきこと、やっておきたかったこと、
10年前に「せめてこの辺までは行っておきたいな」
と漠然と考えていた目標には程遠く、
何事も成し得なかった自分が不甲斐なく、
情けなさで心一杯になってしまっている自分がいます。
応援してくれたり支えてくれたみなさんにもほんと申し訳ないな、
という気分です。
また、先へ進むことばかり考えて周りのことを疎かにし、
いったいどれくらいの物事を打ち捨て、それらを見ないようにしてきたのだろうかと、
内心不安と葛藤と済まなさで押しつぶされてしまいそうです。
情けない話ですが。
今から先、
いったい自分に何ができるのか、
どうして行ったらいいのか/行くべきなのか、
迷うばかりです。でもそれは誰でも思うこと。
散らかすばかりだったものたちも、
ひとつひとつ拾って丁寧にまとめていかなければならない時なのかな、とも思います。
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とくにこの春は東北・関東での大震災があり、
暖かくうららかな春を迎える気分はどこかへ飛び去り、
奇しくも16年前の阪神大震災のときと同じような雰囲気になってしまっています。
被災地のことを考えると、以前のことが徐々に思い出され、
薄らいでいっていた記憶が蘇り、
精神まで蝕んでいくようです。
遠く離れたこんな場所の人間がこんなことを感じているのに、
ましてや現地の人々はどんなに不安定な気分でいるのでしょうか。
想像を絶してしまいます。
そして原発の問題とそれに伴う社会の混乱。
いままで磐石だと思っていた現実が崩れ去り、
露呈してしまった社会の溝、脆弱性、
先の見えない不安、見えない恐怖、
巻き起こる不信の数々、
何を信じれば良いのかわからない今。
混乱がどう収束していくのかまったくわかりません。
被災地の復興、原発のゆくすえ、
5年10年では終わりえない事態でしょう。
様々な議論、挑戦、運動、抑圧、軋轢がこの国や世界を覆い、
ぼくたちは迷い、不安におののき、何かを憎み、
何かをあきらめ、何かを受け入れていかねばならない、
そんな日々が続くのでしょう。
それでもぼくは明日を信じたいです。
みんなの中にある何かを信じたいです。
自分を信じたいです。
人はそれを甘い考えだと笑うかもしれないけれど。
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被災者の皆さん、現地でさまざまな活動に従事する皆さん、
そしてそれを心配し見守る皆さん、
すべての人の上に安息がありますよう。
ぼくも祈っています。
そしてもう一度出発点に戻り、
再び立ち上がることから始められたら、と願っています。
音楽を愛する徒として。
武井努
2011/4/8