同名の映画が公開されるというCMを見たときから気になっていた。だってThe Beatlesが大好きだから。いろいろ寂しいエピソードの多い彼らの(本当の意味での)ラストアルバム「Abbey Road」のB面(今となっては死語か?)のメドレーの真ん中ぐらいで出てくるこの曲は、いつ聴いてもポールの歌声が突き刺さってくる。「かつてそこには家路へと向かう道があった・・・」と万感の思いを、すべての思い出を込めて歌われるこの歌を聴くたび、子供心にさえ人生への後悔とか哀愁を感じずにはいられなかった。しかも、今でもその感覚は変わらない。
あるふとしたタイミングで本屋さんに寄ったときこの本が目に付いた。めったに新刊なんて買わないのだが、気になっていたので手にとった。そして読み始めたら・・・もう止まらない。
仙台で催された首相のパレード。大観衆が見守るなか事件は起こる。爆破によって首相が暗殺されるのだ。そしてその犯人と目されたのが配送の仕事をしている青柳。その動機・目的は?手段は?読者もまるでテレビの視聴者のような視点で話が始まっていく。そしていろんな人物の視点から事件を眺め、やがて青柳の視点でも語られる。しかし彼は言う「俺は犯人じゃない」。ではいったい誰が?どういう目的で?謎が謎を呼ぶ展開に息をつく暇もない。
物語の章立ても時系列じゃないところがうまいなと思う。うまく核心をはずしながら遠くからじりじりと事件の真相を追わせ、しかもそれが退屈しないいいスピードで、しかもストーリーは複雑ですごく面白い。ガチガチに書き込まれてるわけでもなく、だらけた描写があるわけでもなく、すごくスピーディーに進むわけでもないのだが、緩急あっていいバランスだなあと読みながら感心。ふとしたタイミングで繰り返し口ずさまれる「ゴールデンスランバー」が自分の何かとシンクロしてしまう。
もちろんフィクションだけれど、こんな大掛かりでなかったとしてももしかしたら実際に起こりうる事象なのかもしれないし、奇しくもこの3月に起こった震災と原発の報道を見ている限り、メディアというものはある側面しか映し出さない(しかも無意識的にか、はたまた意識的にか)ものであるということが実感されたし、ましてや警察や同様の組織、個人の力の及ばない大きな力というものの前に、いかに個人は非力で否定されやすいものであり、いつでもそんな脅威が隣にあるのだ、という恐怖を感じさせる作品だった。でも本当にこんなことが起こるとは思えないけれど、小さな規模で同じようなことは起こってるのだろうな、と思わせる/気づかせるものだったように思う。
だからといって全く救いがないわけでもないかわりに、明確な答えがあるわけでもない。でも納得できることはある、というぐらいの中途半端な感じっていうのが、現実なんだろうな。実際なんでもそういうものなのかも。割り切れることは、珍しいことだ。
新潮文庫 2010