西山さん、ありがとう。

今日、正確にいうと昨日朝に大阪ジャズ界の屋台骨といっても過言ではない、ベーシストの西山満氏が亡くなった。享年78歳。あんなにパワフルで元気な人だったのに、と、今、なんともいえない気分。

西山さん、そして彼のお店SUBとはそんな縁が深い訳じゃない。SUBには実は数えるほどしかいったことがないと思う。それでもまだ若かった頃、あちこちのお店に行ってみたかった頃、あの開けにくい扉(笑)をひらいて入ったときの印象はなんとなく覚えてる。暗くて、こわ、だった。いまではますます少なくなっていっている「ジャズ」という文字の染み付いたようなお店。コーヒー飲むので精一杯だったように憶えている。

西山さんとは何度も演奏をご一緒した(でもライブとしてまるごとずっと一緒に、というのはほぼなかったように覚えてる)けれど、たぶん僕の名前おぼえてもらってない(でもここ数年は顔は覚えてもらっていたとおもう)。毎回「おい、お前誰だ?」からはじまって、演奏して、「お前いいな、またやろう」と言ってもらう、というのの繰り返しだったけれど、名前覚えてもらってないことなんてどうでもよくて、ただ一緒に演奏できたことがうれしかった。だって西山さんなんだもん。

一番覚えているのは清水さんの結婚パーティーのときのこと。2次会だったかでセッションになって、来ていたミュージシャンが入り乱れていろいろ演奏していた(あのときは本当に楽しい会だった!)。西山さんもご機嫌でベースを弾いて僕もそれに参加してという機会もあって、そのときすごく気に入ってもらえたらしく、「おいお前、なにかやろう!デュオだデュオ!よし、ブルースだブルース、キーはC!!」と声をかけてもらったので喜んでステージいくと、西山さんいきなりピアノ弾きだして、しかも曲はセント・トーマスだった、ということがあった。いまでもなんでああなったのかと笑ってしまうけれど、西山さんは思ったことやりたい人ですぐに素直にそれに向かえるひとだったんだな、と今思う。

気に入らない演奏にはまっすぐにダメ出しをし、「ブルースがなくてはダメだ」という西山さん。いまだから少しわかるような気がするけれど、「ブルース」=「人間」ということなのかもしれない。音楽で音楽を奏でるのではなく、人間で音楽を奏でないといけない、と、そればかり言ってもらってたんじゃないかと。

若手たちを可愛がりそして厳しくできる先輩、海外のミュージシャンが慕う人物がまたひとりいなくなった。大阪はまた寂しくなる。でもぼくたちは彼の姿を憶えている。微々たる歩みでも彼に近づき、そしてまた彼の遺したものをつないでいかねば。それが僕たちの仕事か。

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西山さん、ほんとうにありがとう。
そしておつかれさまでした。
とりあえずちょっと休んでいてください。
またあいましょう。

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