辻仁成 – 代筆屋


辻さんの本の中では、ちょっと違う感じのものかも。作家をめざす主人公がそれでは食えないためにやむなく始めた(人の人生を覗き見るという勉強になるとも考えた)手紙の代筆屋 – いまとなってはあまり日常的ではなくなった手紙というもの – で手がけた文章をいくつか紹介する、という形をとったエッセイのような短編集。短編集といっても全部同じ主人公/設定だけれど。

若者たちのラブレターもあれば、人生の終わりに夫に文句を言いたくなった老婆、家族への遺言という名の甘え、長く秘めていた恋心、などなど、代筆という形をとってその人のなりやその人の人生そのものも透かし見る。何かを文章にするということは、そのとき考えていることだけでなく、その陰に潜む思い、長い時間、人との関係などを掬いとることとほぼ同じこと。(この物語上で)文章で描かれる背景がなくとも、手紙だけでもその人の境遇や思いがありありと出せる。手紙というのはすごいメディア。簡易で迅速でないからこそ成り立つものなのかも。そしてその人のためだけにその人に向けて書かれる手書きの文字の数々。何かを伝えるのにはとても素敵なもの。

たしかにもう手紙は書かなくなってしまった。昔は書いていたこともあった。でもいまは面倒になって、というか必要に駆られないというか。でもちょっとしたものに手書きで付けてみたりすると無味乾燥なワープロ文とは違う暖かみがあるような気がするのも確かで、肝心なときには手書きの文章を添えたりする。でも書いてみたものの文章や字そのものが気に入らなかったりして、何度も書き直したり。でもそれが結局は文章を推敲したりする時間にもなり、拙くとも相手になんとか何かを伝えようとする見えないものが乗っかって、手書きならではのものになるんではないかとおもう。

たんに事実を伝えたり、用件を理路整然と伝えるだけでなく、面と向かえない相手に何か気持ちを伝えるのにはやはり手紙。もらったときもすごくうれしい。字から感じられるものって多い気がするしね。

素敵だった。

幻冬舎文庫 2008

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