星野道夫、こんな写真家がいたことをこの本を手にするまでしらなかった。北国に惹かれ、北海道からアラスカへ。人を寄せ付けない土地、数千いや一万年以上まえから変わらない景色。大地を渉って行く動物の群れ。そんな中で自然と調和し生きている人間たち。そんなものたちを愛した星野さん。この本は星野さんがアラスカに渡ってつづった文章の数々を収めたものの一つ。
便りの形をとって書かれた章、独り言のような随筆、たぶん何かに連載されるために書かれたものたち。どれからも星野さんのアラスカへの、その自然への、暮らす人々への、愛と敬意に満ちあふれている。そしてこれらの言葉たちが語りかけてくることは、人間という存在について、自然の清々しいまでの厳しさ大きさのこと、時間というあいまいだけど確実に存在するものについてなど。そしてそういう物事たちを通して生きて行くことの厳しさ、生きていることへの喜び、幸せ、そんなことを語られてるような気がする。
印象的なことがたくさん記されている。古い地図のこと(彼が住んでいた家の近所の古本屋さんの話がとてもいい)、大昔に流れ着いたであろう漂流民のこと、坂本直行そして広尾又吉のこと、エスキモーオリンピックのこと、ジム・ハスクロフのこと、そしてなによりも前人未到の大地アラスカのこと。もちろん知らなかったことばかり。アラスカなんて地図上の位置、そして一度アメリカからの帰りの飛行機から眺めた白い山々が延々と続く大地、ということしか知らない。でもこの本を読んですごく魅力的に感じた。星野さんがこの本を通してその素晴らしさを、自身の経験と、その気持ちで投げかけてくれている。
都会に暮らしているとほんと忘れていることだらけ。子供たちをある氷河に一週間連れて行きオーロラを見ようとする話でこんな箇所があった。
オブラートに包まれたような都会の暮らしから、少しずつ自然に帰ってゆく子どもたち……何もないこの世界では、食べて、寝て、出来る限り暖かく自分のいのちを保ってゆくことが一番大切なのだ。(中略、反抗期の高校生I子がつぶやく)「オーロラだよね、本当に見てしまったんだ。ここに来る前、テレビも何もないところで一週間も一体どうするんだろうと思ったけれど、来てしまったらそんなこと一度も考えなかった……」(ルース氷河 より)
この文章たぶん20年前ぐらいに書かれたと思うけれど、”テレビ”を”スマホ”に替えたら全く同じことが言えるんじゃないかな。ほとんどの人があの狭い画面の中にすべてがあると思っていて、そこで何でもできる/用が足りる、と思っているように見える。でもそれは単にそこから溢れくる大量のデータに翻弄されているだけで、貴重な時間をどれほど費やしているのか。見慣れていたとしても、車窓の風景の変化をみたり、道に落ちているものを見たり、空の雲をみたり。人でもいいし、動物でもいい、いろいろ語りかけてくれるものを感じ、それらを自分で選り分けたりする。都会ではそんなことしなくても困らないけど、そうでないところではとても大事なこと。画面から流れてくるものは命は取らないけど、自然はうっかりすると奪って行く。そんな当たり前のことを忘れすぎてないか?
とにかく、忘れていたことを思い出させてくれたり、新たな魅力を植え付けるきっかけとなった本だった。星野さんのほかの本も読みたいし、なにより写真集を眺めてみたい。
文集文庫 1999