少し時間があいてしまいましたが、先月の17日で阪神大震災から20年が経ちました。やっと、なのか、もう、なのかなんとも表現しにくいのですが、普通の感覚で考えたら長い年月ということになるのかもしれません。なので普段の生活をしていると、もうすっかり過去のことになってしまったかのように思ってしまいます。しかし、先日の震災当日に報道された映像などを見ていると、震災は全然過去のことではなく、未だに生々しい今の感覚として感じている人も少なくないんだなと思いました。
でも、ぼくはこの20年がひとつの節目になる/なってしまうんだろうなと思います。20年といえばその頃生まれた子供たちが成人を迎えるわけで、ある統計では神戸市では震災を知らない人の人口比率が44%にもなったそうです。被災して亡くなった方、立ち退いて遠くへ移らざるを得なくなってそのままの方、20年の間に亡くなった方、そして新たに産まれたり神戸にやってきた人たち。確実に人は流れ入れ替わり、知らない人がたくさんいても全然不思議ではありません。震災のことを他人事や余所事のように感じる人が増えて、記憶や記憶が風化していくのはとても残念で寂しいことだけど、それは仕方ないことであり、もしかすると必要なことなのかもしれません。
もちろん忘れ去ったり記憶を葬り去ってしまえというわけではないし、体験した人間が記憶し思い出し伝えていくことはとても大切なことです。けれども(そんなことはないと思うんだけれど)体験したことの悲しみや喪失感に引きずられていつまでも悲しみ続けているだけという状態からはそろそろ卒業しないといけないんじゃないでしょうか。と言いつつ本当はほとんどの人はもうそうなっているのに、メディアの報道を見ているとどこか悲しむために悲しんでいるように(もしくは悲しさを過剰に演出しているように)見えてきてしまい、そうなって欲しくない何かか誰かがいて、そんな雰囲気を醸し出そうとしているんじゃないか?と思ってしまいました。
震災は年月が経ってもなかったことにはできない、たしかにあった出来事です。そしてそれを体験したたくさんの人がいて、その体験も感じた悲しさも消えることはなく、もうそれはその人の一部になって今という時間を生きていっている。街が再生されて綺麗になっていたとしても、未だに震災のときのまま土台だけ残して空いている土地も少なくなく存在し、街もまた震災の記憶をどこかに含んだまま新しく踏み出している。もうそんな段階に入っているんだと思うんです。だからもっと(変な言い方だけど)肯定的に震災の記憶を/悲しみを受け入れて、昇華したり糧にしたりしながらともに歩んで行く、そんな気持ちになる、そういうふうに被災者もそうでない人も社会もその他有象無象も一緒に変わっていくんだということを意識する時期なのではないでしょうか。それが20年というタイミングなんじゃないのかなと思うのです。
たぶん表立って阪神大震災が取り沙汰されることも少なくなっていくだろうし、ますます記憶は薄れ、伝えるものも形骸化していくでしょう。でもぼくは忘れません。ときには思い出すし、機会があれば伝えようとするでしょう。それはごくごく個人的なことでいいと思っています。社会としてはこれらをきちんと記録して教訓とし、追悼と感謝の念を忘れずにあればいいと思います。外から貼られる/貼りたがられるレッテルはもういらない。
今年はそんなことを、思いました。
でも、20年の経った神戸でさえこんな風に思うのだから、まもなく4年を迎えるもっともっと被災地が広かった東北はいったいどうなるんだろうと心配しています。また東北いきたいです。
改めて、被災した方々、それにつながる人たち、力を尽くしてくれた方々、思いを寄せてくれた人々、すべての人に追悼と感謝を。
2015.2.4 武井努