100巻

コロナの第1波が来て日本中が緊急事態宣言だったころ、Facebookとかでいろんなバトン回し的な投稿が来たものだったけど、その中に好きな本を5つ挙げるというのがあった。さすがにチェーン的なものに加担するのは面倒だったので、一冊だけ、その時好きな、というか、ずっと好きで読み続けてる本(未完のまま他界された。しかし有志で続きのようなものが書き続けられてる)、栗本薫さんのグイン・サーガを挙げた(「好きな本」)のだけれど、その時とても久しぶりに出して来たその本が気になってページをめくってみたが最後、そこから今に至るまでずーーーっと続きを読んでいる。それが先日100巻までついにきた。

実際の刊行ではここまでに26年かかっている(2005年発行)。今までにも何度か栗本さんの筆が鈍って新刊が出ない時期に(年に4冊以上のペースで出てたけど、全く出なかった時もあった)一から読み返したことが2、3度あったような記憶があるけれど、今回ほどちゃんと読んだのは初めてかも?というのも、読み返してみるとところどころ欠けてる巻があって、そこはどうやら読み飛ばしてたみたい。でも結構どの巻も大事なんだけれど。なんで、それらを古本で買い足して足りないところを全部埋めて読んで来て、この度100巻を超えた。2年4ヶ月くらいかかった。

なんで、いつもは本を読んではたまにはレビューをブログに書いたりしてたのを最近ほとんどしてないのは、このシリーズばっかり読んでたからだったのでした^^; まだあと外伝も入れたら70冊近くあるし、、、どこかキリのいいところで一旦止めようかなーと思ってたけれど、物語の勢いが止まらずしばらくこのまま続けて読むことになりそうです。でもたまには違う本も読むんだけれど。

今回こうやって知ってる話を再び読んで思うことは、何度か読んでるのに気づいてないことがあったり、違う解釈をしてみたりと、読むたびに感触が変わるということ。これは文章だけでなく、絵画や映画、音楽でもそう。出会うタイミングによって感じ方が変わる。そして対峙するたびに新しい発見があったり、より深く考察したりする。

一つの作品にその作者が込めたものは計り知れない。時間をかけて対峙し、強く感じることによって少しずつそれらが紐解かれていく。その過程はとても楽しいことだけれど、自分が惹かれる全てにおいてそういうものがあるということ気づくと、圧倒されて、途方に暮れてしまう。

いわゆるサブスクがいろいろなジャンルに適応されるようになって、たくさんのものに短時間で出会えるようになったことは素晴らしいことだとは思うけれども、特に文化芸術的なものに関しては両手を上げて歓迎すべきものではないのじゃないかと思う。広く識ることは大事な側面ではあるけれど、ひとつのものにゆっくり対峙して、深く考察することのほうが、よりたくさんのことを識ることができるのではないか、と思う。

話が逸れちゃったけれど、グイン・サーガ、まだまだこの先も楽しみ。終わりまで読むノダ。

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