4071回目のおやすみを君に

グレーのごわごわした毛にまんまるブルーのおめめ、くびれのないまるでトトロのような体つき、いちばん大きなときで11キロにもなったPちゃん。呼びかける時も、みんなに紹介する時も「ぴーちゃん」て言ってきたけど、ほんとの名前は「鈴木CP」。

やってきたのは2013年の初夏。ちょうど僕が前年に閉店した西宮北口にあったジャズ喫茶「Corner Pocket」のラストライブの映像の編集をやってる真っ最中だった。いつもその時気になってることとか、自分の中で流行ってることを織り交ぜて名前つけたりしてきてたけど、この子の場合はそのまんま。CPはもちろんコーナーポケット、そして鈴木はお世話になったオーナー夫妻のお名前、それらを勝手に頂いたのでした。だから「武井鈴木CPちゃん」が正解。でもこの名前で呼んだことほとんどないけど(笑)

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ほんとのほんとことを言うと、白い猫が欲しかった。そのときいたかまたまが黒猫だったので、2匹で白黒になったら楽しいだろうなーという単に僕のわがままで。複数頭飼いは経験ないのでためらいがあったけれど、でも、その時まだまだ元気だったけれどかまたまがもう13歳で、もし彼が居なくなって正気じゃいられなくなりそうなときに別の子がいてくれたら大丈夫かも、と考えたのだった。

ある時、仕事の関係の知人Sさんちに子猫がたくさん生まれたのでどう?という連絡をもらったので見せてもらうと、そこはロシアンブルーのお父さんのいるおうちで、子猫たちも可愛い綺麗なグレーの子たち。すごく気持ちが動いたけれど、やはり白い子がいいなあーというのがあったので「もし白い子生まれたらまた連絡してくださいね」と言ってその時はおわったのだけれど、また半年ほどして「また生まれました。白い子もいるよ」と連絡をもらったので「じゃあ、その白い子がもし残ったら引き受けます」と伝えたところ(その子以外はやはり綺麗なグレーの子たちだった)、見事に白い子が残って。今ではすっかりグレーの印象になってるPちゃんだけど、昔はもっと白かったんですよ、ほら(笑)

顔の真ん中がすこし黒いのは、シャム猫の血が入ってるから。Sさんのお話によるとSさんちのロシアンは純血(?)のロシアンじゃなくて、その昔ロシアンの頭数がとても減ったか何かあったときに、イングリッシュブルーとシャム猫から作り直したそうで、だからたまに白い子猫が産まれるらしい。貰い受けにお邪魔しに行った時、お父さん、お母さん(茶トラだったと思う < 訂正:ロシアンでした)に混じって走り回ってた。

まだ片手でひょいと持ち上げられる程のおおきさだったので、ケージにも入れずに手に持ったり足の間とかに居させたりしながら車で帰ってきたけど、やんちゃなもので走る車をものともせずに車中を探検しながらニャアニャア。1時間ほどの道のりで疲れたのか静かになったなーと思ったら、ドアと椅子の間で寝てたのは懐かしい思い出。

そしてお家へ戻ってかまたまとご対面。天真爛漫(だったのよ!)なPちゃん(まだこのときは何とも呼んでなかった)はかまには無頓着。一方かまはこの得体の知れない小さな生物がなにか分からず、興味湧くよりちょっと怖がって。数日間は変な緊迫ムードだったけれど徐々にお互い(まあ主にかまだけど)何となく慣れて行った。でも老齢のかまにはこの元気で得体の知れない生き物はちょっとストレスだったのかも。

最初はあんなに小さかったのに半年も経つ頃には普通の猫ぽくなり、1歳くらいで立派、3年経つ頃にはだいぶ貫禄も出て、いつの間にかやってきた時と逆転してPちゃんはかまよりおおきくなった。かまが縮んでいってるのもあったけど。

かまが亡くなったとき、Pちゃんはとても怖がった。昨日までちょっかい出してた相手が何か違う恐いものになったかのように。最初に一度匂いを嗅ぎにきてからは一切近寄らなかった。

その後はひとりでのんびり。大人になってからはすっかり大人しい性格になったPちゃん。もともとあまり気持ちを表わすタイプでもないし静かに暮らしていたけれど、ひそかに大きくなっていってて、ある日気づくと、テナーのケースからはみ出すおおきさになってた。

まあ確かに両親とも大きめだった記憶はあるけれど、ここまでおおきくなるものかな?何でかな?と思い出してみると、そう、かまが晩年になって食が細ってきた時に老齢の猫用のごはん(高カロリーで美味しいらしい)をあげてたのだけど、Pちゃんもそれが気に入ったらしく、かまのを横取りしたり、欲しがるもんだからぼくがあげたりしてたのが原因でした。おかげでほんとトトロのようになってしまって。でも10キロに迫る重さだったけれど足腰ふつうで元気に走り回ってたので、まあ大丈夫かなー、可愛いしーと思って甘やかしてたのが結局はよくなかったと思う。また、大きすぎるので自分でお尻舐められなかったのは可哀想だった。けど、いつのまにか手で中継する技を編み出してた(舐めた手でお尻を撫でる)。

そして穏やかな日々が流れていってたある日、昔のバンド仲間から連絡があって、訳あってやって来た子猫をもらってくれないか、と。Pちゃんまだ若かったけれど、かまのときのことがあるので、また猫いなくなったら耐えられないだろうなぁとなんとなく考えてた僕は、その子を迎えることに(積極的に猫をもらいに行くってことはしないルールにしていて。何か縁があってくる子を迎えたい)。それがまろちゃん(うたまろ)。

この子が小さい頃のPちゃんに輪をかけたくらいやんちゃで、平穏で静かな生活をしてきたPちゃんにとっては青天の霹靂のような出来事。追いかけ回されるわ、踏まれるわ(わざと寝てるPちゃんを跨いで後ろ足で踏む)、喧嘩をふっかけられるわ(身軽な子猫にはスピードでは敵わないのだけど、最終本気をだすと目方の勝利になるw)などなどとても賑やかな日々になった。自分も子供の頃はかまにいろいろしたくせにすっかり忘れてまろにシャーシャーいうPちゃん。

仲良くくっついて寝る日もあれば、同じおもちゃを取り合う日も、大好きすぎるマタタビを振りかけた魚のおもちゃを取られて本気で怒ったり、あの大きな体で家中を追いかけっこしたり。夏は玄関の三和土を取り合い、冬は僕の布団の上で陣取り合戦をし、こっちは重たいわ踏まれて痛いわだったけど、いつ思い出しても微笑んでしまう。

もともと遠慮がちな性格のPちゃんは、なんでもまろの後。ごはんやトイレは別だったけれど、おもちゃもおやつも先に気づくのはPちゃん。だけど、あ、いいなーと思って近づいてくる間にまろが先になってしまう。あのゴワゴワの密度の濃い毛を梳いてあげてても横からまろが割り込むし。でもそこは「はい、Pちゃん、まろちゃん、順番ね」と言い聞かせて。

なんでも食べるってわけじゃなかったけど食欲は旺盛。テーブルに登場する魚料理には確実に手を出しに来た。お刺身はもちろんのこと、秋刀魚やほっけ、鯖の焼いたのとか、ブリ大根、お寿司、鯖の棒鮨(酸っぱいんじゃないの?と聞いても舐める)。袋を出してきただけで駆け寄ってくるのは鰹節。お好み焼き作って上にパラパラ掛けるとそれを狙ってやってくる。ほんのちょっとこぼれた細切れでもなんとか口にしようとする意地汚さ(笑)。

でも猫のご飯にはほとんど文句言わなかった。入れてあげたドライフードをポリポリ食べてた。大きくなりすぎてからはロイヤルカナン。たまにご褒美に魚の燻製のおやつとかあげると目の色を変えて突進してきてた。買い置きがなくなって仕方なく違うご飯をあげると最初は見向きもしないけど「これしか無いねん、Pちゃん、ごめんね」と言うと、ウニャウニャ文句言いながら食べてた。

そしてある時から突然好きになったのがヨーグルト。しかもプレーンのちょっと酸っぱいのが。最初はダノンビオを仲良くわけわけしてたけど、スプーン共有しちゃダメとひとに叱られたので、もっぱら食べきった後に少しスプーンについたのを舐めさせてた。この3年ぐらいはR1だった。これもあの容器のプラの部分を開ける音がしたら気づいて足元にやってきてた。

また子供の頃からひとが飲んでるものに興味があったようで、よくテーブルの上に来ては僕が飲んでいる飲み物のコップに手を突っ込んで味見してた(液体のついた手を舐める)。当時よく飲んでた牛乳のトマトジュース割りとかフルーツジュースとかコーヒー牛乳とか(もちろん冷たいのか常温の)。水飲み用においてあるバケツからも直に飲まずに手を突っ込んで掬って飲んでたりも。なんかのマネだったのかもね。

マタタビが大好きで、粉をかけた魚のおもちゃを噛んだり自分に擦り付けたりネコキックしてた。夏にどこからか出現する(笑)タオルで巻いた保冷剤を枕にすること、冬の僕が抜け出した後の布団、ちょうど自分がのる大きさのぺちゃんこの枕、ちゅ〜る、魚の味がするおやつ、ベランダの水を流すための溝にハマること、植物の葉っぱ、鯉のぼりの吹き流しみたいなおもちゃ、振るとカタカタと音のするネズミのおもちゃ(好きすぎて原型を失うぐらいまで追っかけては噛んでーを繰り返してた)、テナーのケース、コーナーポケットから貰ってきた椅子の下、自分が到底入れもしないおおきさの箱、毛を梳いてもらうこと、が好きだった。Pちゃん来てからは家にある黒い服や布はぜんぶ白い毛だらけになってしまい、洗濯してもぜんぶとれないのでお掃除用の粘着テープのコロコロで服とかの毛をとってたけど、冗談でPにやってやると気持ちよかったらしく、コロコロ出してくると寄ってくるようになった(笑)

そして、お尻の上を掻いてもらうことが大好きだった。椅子に座ってると足にあたまゴツンとしてくるので撫でてやると、すぐお尻をむけて伏せをするのが「お尻掻いて」のサイン。絶妙に届かないところに伏せるもんだから、結局はこっちがしゃがんでやらないといけない。気持ちいいのか撫でるとお尻上げたり下げたりするのでいちいちこっちが合わせてやる。やがて横向きに寝転んで他のところも撫でてくれというけど、お腹を撫でられるのはあんまり好きじゃなかったな。そう、背中とかグレーのところは長毛で太い毛でごわごわだったけれど、首や胸の周りの白いところはとても柔らかなつるつるした毛並み。触るとこちらもとても気持ちいい。

臆病なので知らない人がくるとすぐ押し入れに。宅急便のチャイムでさえ怖がる。でも品物はいの一番にチェックしにくる(笑)。 フルートの音、柑橘類、お風呂で洗われることや濡れること、爪を切られることが嫌い。掃除機の音も怖がったけどは徐々に慣れた。

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ベランダには出るけど、注射しに行った時と去勢した時以来外には外に出たことない箱入り。このせまいおうちの世界で平穏に暮らしてきたPちゃんの様子がいつもと違うなと感じたのが1週間ほど前。それまで食べたものを毛と共にすぐに吐き戻すことはあったけれど、いつもとは違う消化しかけのご飯を全部戻して。それでもまあいつものように意地汚く一気にたくさん食べたからかな?とか思っていたけれど、それから全くご飯を食べようとしなくなり、水も飲まなくなり、トイレもいかなくなってしまった。

便秘か、もしかして疾患か何かかなと心配になって病院に連れて行ったのが実に11年ぶりぐらいのお外。子供の頃は入ってたケージには入りそうになかったので、一番大きなボストンバックに入ってもらって。すごく抵抗されたけど。嫌だ嫌だと鳴くのを騙しすかして昔お世話になった病院へ。

最初は便秘だろうという診たてだったけれど、それからも毎日口にするのは少しのちゅーるを溶いた水だけ。トイレも行かない。気になって別の病院(行った病院が休診だったりして)に行っては説明して診てもらうを繰り返して、血液検査したり、点滴を打ってもらったり。体に水分や栄養分が入ったら少し元気になって水飲んだりトイレ行ったりするようになって、少し元気になったかな?と思ったけれど、おしっこをトイレでしなくなったり、息が荒くなったり、たまに聞いたことない声を出すようになったり、、、様子は一進一退というより、悪くなっていってるように見えた。

そして8月23日金曜日。昨晩は一晩中浅い息をしてたまに痛そうな声を出すPちゃんが気になって眠れず、添い寝しながら撫でていたけれどちっとも様子は変わらず。たまらずまた別の病院で診察してもらってレントゲンとエコーを撮ってもらうと、6cmくらいの腫瘍らしきものがあり、おまけに腹水が溜まっててお腹ぱんぱんだと。痛くなった腫瘍や内臓を腹水で圧迫されているのがそもそもの食べない飲まない、痛いの原因じゃないか?という話になり、今後の対応をどうしたらいいかみたいな話をしてもらって。

少し落ち着いたPちゃんを連れておうちに帰った。真昼だったので暑かったのか落ち着いてた様子からまたしんどそうに息が荒くなってたけど、お水を飲ませたり、保冷剤抱かせたり(やっぱり熱かったんだと思う)して、なんとかしんどくないように横たわらせてあげて。

朝にあったリハーサルは休ませてもらったけれど、お昼の演奏は行きたいなと思ったので、しばらく様子見たらそう変わらなさそうだったので、じゃ、行ってくるね、また後でね、と頭を撫でてあげたら苦しそうな息の合間からゴゴゴって喉を鳴らす音を聞いたのが、最後になってしまった。

この数日間、演奏してるときずっとPちゃんのことが気になっていたけど、この日聰音で関谷さんと演奏してる最中に何度もPちゃんが思い出されて、あまりはっきり覚えてないけれど多分2回目の演奏してる途中で、あ、、、と感じる瞬間があった。もしかして、もしかして、という気持ちが渦巻いていたけど、でも演奏はとても楽しく、いつも以上に美しく感じられて。お店を出てはやる気持ちを抑えながら、でも少し用事のために寄り道して、お世話になってるお店に少し顔だして話して帰宅。1時間ぐらい余分に時間がかかってしまった。

階段を駆け上がってドキドキしながら扉を開けると、いつものようにまろがお出迎え。あ、変わりがないのかなと感じたのは一瞬で、まろの様子も少し変で。リビングの扉を開けると、出かけた時と同じ冷えて気持ちのいい場所にPちゃんが寝てる。でもそれは寝てるのではなくて静かな眠りだった。

1週間、いやきっともっと長い間、痛いのを、暑いのを、何かお腹に感じる違和感を、何も言わずに我慢して、ついにこの2、3日は痛くて食べられなくて苦しくて、それを声に出してみたけど僕は何もできなくて。もっと前から少しずつサインが出てたのを気づかず、直視するのが怖いから、何でもないように普段通り振る舞ってた僕を責めもしないで、足元に寄ってきては撫でてほしいポーズをしてくれたPちゃん。

もう君とお話したり、美味しいお魚を取り合ったり、遊んだりすること、できなくなってしまった。11歳でまだまだこれから色んなこと一緒にできるね、と言ってたのに。異変に気づけず、気づいても判断おそく、間も悪く、すべて後手後手にまわってしまって、君を苦しませる結果にしてしまった。

寂しかったろうに、苦しかったろうに。看取ってあげられずごめんね。苦しそうな顔じゃなかったのがせめてもの救いだったけど、やっぱり恨んでるかな。ごめんね、ほんとうにごめん、Pちゃん。

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奥ゆかしくて、賢くて、謙虚。体はあんなにおおきいのに小顔で男前だったね、Pちゃん。

いつも僕から見えるところにいてくれたね。へそ天ででも、うつ伏せでも、横向きでも可愛かった。ときどき尻尾踏んづけちゃってごめんね。噛まれたり引っ掻かれたりして痛かったけれど、こっちもたまに叩いたりしちゃったから、おたがいさまかな?

いつまで経っても目を合わせてはくれないし、甘え下手だったけど、この2年ぐらいはまろの真似をして甘られるようになれたね。あんなに抱っこされるのを嫌がってたのに、まろのいない隙を狙ってはお腹の上に乗りたいって目で訴えてきたね。

抱っこしたらお腹と胸の上がPちゃんでいっぱいになって、ほかほかして幸せだったよ。撫でるとすぐにごろごろ言って、こちらの体に響いてきた。いい匂いのする頭や背中に顔を押し付けるとフカフカして気持ちよかったよ。

ほんと幸せだったよ。

2013年5月19日生まれ。
うちにやってきたのが7月3日。
そして2024年8月23日にかまたまのところに遊びに行った。

さっきまでその姿はあったけれど、いまは箱がのこるだけ。

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4071のおはようと
4070のおやすみ

もうあした君におはようと言えない
だからきょうさいごのおやすみを君におくるよ

おやすみ、Pちゃん、安らかに
幸せな日々をありがとう
君がいてくれて、ほんとうにたのしかった

もういちど
おやすみ、ゆっくり寝てね、Pちゃん

ありがとう。

2024.8.25

P.S.
散らかったおうちを少しずつ片付けて、ご飯の入れ物が1つになり、トイレが1つになり、Pちゃんの痕跡が消えていくのが寂しい。あんなに鬱陶しいとおもってた、部屋のあちこちについてる白い毛が、いまはとても愛おしい。会いたいよ。毛がつくのを気にせずぎゅーって抱きしめたいよ、Pちゃん。

“4071回目のおやすみを君に” への2件の返信

  1. pちゃんも大好きなご主人と一緒に過ごせて幸せだったんじゃないかと思います。
    pちゃん安らかに。

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