伊坂幸太郎 – 夜の国のクーパー

yorunokuni

仙台からヤケになって船をだしたのはよかったが、あらしに巻き込まれ、気づいたら知らないところで寝転がっていた。しかも縛られている。ふと見ると胸の上に猫がいて話しかけてくる。。。。

伊坂さんもいろいろ読んできてるけど、こういうパターンは初めてだし、まあ昔はかかしがしゃべったりもしたけど、猫が喋るという点でもう読まずにはおられない気持ちになった。

猫はいろいろ語りかけてくる。この国(どうやら知らない世界、国は来てしまったらしい)では長く戦争があったけれど、それがようやく終わった。しかしその戦争には負け、いよいよ占領軍がやってくるという。占領軍は怖かったが一応なんとかむちゃくちゃはしないようだ。でもこの状況を打破したい。それにはクーパーの戦士というものたちが救ってれると街のものは期待している。クーパーとはその戦争をしていた相手国との間にある谷に発生(?)するという木から変化した巨大な怪物らしい。。。。

おとぎばなしや寓話のような肌触りで、だからこそ奇想天外なだったり、非日常的な物事が起こったりしても「まあ、わかんないけど、それはそれとして飲み込んで次にいくか」的な感触を与えながら、どんどん物語が展開をつづけていくのはちょっとオーデュポンの祈りの感じに近いかなとも思うけれど、この物語の場合は、そのふわふわふわーっとした、まるで子供が空想したもののような確固とした手触りのない物語の奥底かはたまた空の上に、見えないほどかすかだけど確かに存在する暗闇や暗雲のような不安感をずっと感じさせる。面白おかしく描いた寓話の裏に実は真実が隠してあって、、、的な。

あとがきや解説で作者本人や松浦氏がそれがどういうことなのかという話は書いていたりするけれど、でも、それ以上に(その作者が書いたあとがきの言葉以上に)もっともっと、いまの世に訴える、人々に気づいて欲しいなにか、漠然と感じているかもしれないけれど、それが何かであるかはみんな普段考えまいとしているような物事、を伝えようとしているんじゃないかと思ってしまう。考えすぎなのかもしれないけれど。魔王やマリアビートルのときにも感じた、「これこれこういうこと、あったら怖いよねえ。あ、いやーそんなこときっとないけどね、ははは」というように言ってしまいそうな、あるかないかわからないけど、あったら(起こったら。もしくは存在したら。もしくは存在するけどみんなが見ないようにしてたら)恐ろしい物事を描こうとしてるように思ってしまう。

まあそれ以外にも、この物語自体を、自分の身の回りのことや、伊坂さんいうようにいまのこの国に置き換えて読んでみると、あれれ?もしかしてなあ、とか思うこともたくさんある。世の中ではそれを陰謀だなんだかんだと、どちらかというと面白い方向に目を向けてしまいがちだけど(向けさせてしまいがち?)、それより実際、我々のような力のない市民がいざという自体になったとき、何ができるのか?実際はなにもできない弱い集団であって、気づかないうちにやんわりとだけどじわじわと崖っぷちに立たされようとしてる、、、それがどういう物事の比喩かは置いておいて、そんな状況に実際なってることがいくつもあるのに、昨日から今日、そして今日から明日へとつづく安穏を貪りたいがために、目の前に吊される美しくて心地よい看板しか見ないようにしてる、そんな情況を危惧してみなに訴えようとしてるんじゃないかと勘ぐってしまう。実際はもっと個人的な感情で書いている、というように言っているけど。

読んでるときや読後すぐは、なんだろこれ?面白いのか面白くないのか?とか思ってしまうけれど、あとになってジャブのようにじわじわぞわぞわと何がしかの感触が這い上ってくるような作品だった。

解説では松浦正人氏がもっと物語の(文章作品としての)伊坂さんのねらいやうまさ、テーマとそれに紐づく哲学者たちの言葉などを書いてくれていて面白い。こんなことは知らないと読んでるときはなにも出てこないけど^^;

創元推理文庫 2015

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THE BEATLES – EIGHT DAYS A WEEK

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先月ぐらいだったかに上映が始まったビートルズの映画を観てきました。あまり人気ないのか、上映開始から一月ほどしか経ってないと思うのに近所のシネコンでもうレイトショーしかやってないようなので、やっているうちに行ったほうがいいなと思って。

というのも今回の映画は本編(ビートルズの62年ごろから69年までの活動の伝記的なもの)は本編でいいとして、そのあとにビートルズが65年にアメリカで行ったツアーの最終日のライブの映像(これを最後にビートルズはライブをしなくなった)を、映像も音も綺麗に仕上げ直したものを劇場だけで上映するという話だったので。ずっとファンなのに、実は動くビートルズをほとんどちゃんと見たことがない(映画も見てない)ので、これは見ないわけにはいかないな、と。

曲はいろいろ知ってるけれど、バンドやメンバーのこと、どんな経緯があったのかなどなど、実はあんまり知らなくて(あまりそういうものに興味がない)。でもこの映画をみて、さすがにジョンはあんまり出てこないけど、主にポールとリンゴが昔話をしてくれたり、時系列的に映像と音楽で(簡単に駆け足だけど)ビートルズの足跡を見せてくれて、あたらめてすごいバンドで、いい曲のオンパレードだなー、と当たり前のことを再認識しました。

デビューから全米No.1のモンスターバンドになって、ツアーとレコーディングその他の目が回るような日々の中、自身たちも大人になり、音楽も少しずつ変化していくのに、”THE BEATLES”というものと、ファンの期待と、自分たちのギャップが膨らみ、、、なるほどなあ、という感じ。もっといろいろ他にも映像があれば見てみたいな、知りたいなあ。

そして劇場だけでみれるライブの映像。もしかしたらネットとか家でもなにかみれるかもしれないけれど、やっぱり劇場で爆音で聴けたのはとてもよかった。なにより、いままでレコードや写真の中でしか存在しなかった4人が、生身の人間、しかも生きている(いた)人間に感じられたし(動くし、いろんな方向から見えたからかも)、聴こえる音を通して、実際のライブのステージ上の音が想像できたりして、これはすごくすごくいいものを得られたかも。

しかし、このライブのときのバンドの演奏力の高さといったら。モニタもなにもなく、アンプは非力で、5万を超える観客の歓声で何も聞こえないなか、あの演奏ができるっていうのは本当にすごい。とくにポールってほんと楽器操るのうまい。音だけや写真ではこれわかんないよなあ。

でもこのライブもだけど、その前の年の東京でのライブのときの映像をみても、本当に愉しんでやってるなーという風にはみえない(うがった見方すぎ?)のが寂しい。いまなんてどんなひどいライブハウスでも当時の彼らよりはましなんじゃないかという悪条件とハードスケジュールのなかやってたんだから仕方ないのかもだけど。でもなんか人間臭さが垣間見えて、それはそれでどこか嬉しかった。

中学のときに友人が貸してくれたドーナツ盤で初めてビートルズをきいて(たしか While My Guitar Gently Weeps / Eleanor Rigby だった)、なんてカッコイイ音楽なんだと衝撃を受けてから、いろいろ聴いて、そのころはローカルのテレビ局でも夕方に音楽番組あったりしてビートルズのPVが流れてたりもしたし、ないお金はたいてLPを買ったり、レンタルレコード屋さんいって借りたり、ラジオをエアチェックしたり(いつだったかNHK-FMで特集があって100曲以上かけてくれたことがあった)して聴き漁った。それ以来ずーっと飽きもせず、というか聞くたびに好きになってしまうこのバンド。間違いなく僕の音楽の太いルーツのひとつはビートルズと言い切ってしまえる。最も影響を受けて、いまでも受け続けてるバンドとその音楽たち。こんなバンドが存在してくれてほんと良かった!

そのライブの映像が終わったあと、劇場内で拍手が。涙出ちゃったよ。もう。

もっともっと彼らのことを知りたくなった、そんな映像だった。
10年早く生まれたかったなあ。

2016.10.14

 

重松清 – トワイライト

twilight

40歳になったら小学校のときに埋めたタイムカプセルを掘り起こそう、そういう約束だったが、理由あってそのすこし前に開封することになり、ある日懐かしい小学校の校庭に集うかつての同級生たち。変わっているようで変わっていない。でもやはり確実に変わっている当時の子供達。それぞれに40歳前のそれぞれの事情を抱えて生きている。かつて同級生に抱いたイメージは、大人になった彼らからはずれていっている。子供のときの関係は残っていても大人になるとその関係は変容してしまう。

掘り出したタイムカプセルから思い起こす昔。無邪気だったころに何十年も先の自分はまったく想像できなく、もっと輝かしいものであると信じていた。そしてそこにはいっていたかつての担任の先生からの手紙。かつてその担任の先生は子供達に語っていた家庭や家族を大事にしようという言葉とは裏腹に、不倫の末死んでしまった。

その担任の先生とほぼ同じ年齢になったかつての子供達は、タイムカプセルが教えてくれた自分たちが想像していた未来と大きく違う現実に戸惑う。もう若くはない彼らの今の苦悩、幸せとは何か、ということを今一度振り返って考える。

現実はそれぞれに厳しいし、楽観できることなんてなにもないけれど、それでも生きていくいく。いかないといけない。未来というもの(年をとるとそういう言い方すらできなくなりそう)に期待できることも少なくなってしまう。でも悩んで立ち止まったりしていることも含めて、いま生きていること、振り返って生きてきた道をみたとき、諦めていろんなものを置いていって身軽になったある種の哀しい爽快感、そんなものをすべてひっくるめて、いまいる自分が幸せなものだすこしでもと思えたらそれでいいのじゃないかと思う。

明日のことなんてわからないし、わからない明日に過度な期待をするより、いまをちゃんと、一生懸命に生きて、もがいても生きてるな、と思えたほうが幸せに思えるんだと、思いたい。

どんよりとまではいかないけれど、胸の奥にたまらないやるせなさと、ぴったり自分に重なってくる悲哀を感じて、すこしじっとしたくなるような作品でした。

太陽の塔の3つの顔がそういう意味とは知らなかった。

文集文庫 2005

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池井戸潤 – ルーズヴェルト・ゲーム

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池井戸さん久しぶり。テレビドラマにもなったらしいこの本。ある中堅の精密電機メーカーの業績不振とそのあおりを食らう同社が伝統的にもっている野球部のお話。

いまはこの本と同じようにどこの企業も潤沢ではない時代になってしまっただろうから、企業が野球チームを維持していくのは大変だと思うけど、まだ頑張っているところは少なくない(都市対抗野球って大概企業チームがでますよねえ)。でも企業のイメージ戦略や、宣伝などがリアルな方法からメディア戦略、そしてネットの世界へも広がっていくなか、企業がもつ野球チームの立場も変遷し微妙になってきているのかも。かくいうぼくがかつていた企業は事業所毎にチームがあったりしたけど(しかも強かった)、いまはどうなんだろう。

他から一歩抜けた技術はあるけど、大手の値下げ競争の前に青息吐息のあるメーカー。銀行からも(銀行がちゃんと出てくるとこがやっぱり池井戸さんらしい?)コストダウンをしないと融資はないと言われ、リストラの風が吹き抜ける。そんななか、昔はよかったけれどいまはいまひとつパッとしない野球部にも矛先が。創業者が作ったチームなだけになかなか手を出せてこなかったが、ついに聖域にメスが。

一方企業としても新製品の開発なくしては状況の打開はなく、執行部、技術屋の間でもギスギスした雰囲気が。はたしてこの会社は生き残れるのか。野球チームはどうなるのか。そしてそれらの間でいろいろ揺れ動く現社長。創業者からすべてを任された彼がどういう決断をするのか。

相変わらず話の流れがうまく、山あり谷あり、生き生きとしたキャラがいて、魅力的な物語。そしてまるでテレビの時代劇を見ているかのような安心感(?)。池井戸さんっていいなあと思う。でもこの本はある意味先が読める感じで(そこがいいんだけど)、すこし物足りないといえばそうかも。でも落とし所は見事だった。

こういう話読んでると、やっぱりメーカー、モノ作りっていいよなあとつくづく思う。できあがった製品もいいけど、そこに至るまでの時間とか人間関係とか紆余曲折とか、そういうアナログなものが、ほんと魅力的。でもそういうものがどんどんこの国から減っていってて、それを実感できる人間も少なくなれば、こういう物語も廃れていくんだろうか。寂しい。

講談社文庫 2014

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乃南アサ – すれ違う背中を

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ある街の片隅でひっそりくらす芭子、そしてパン職人を目指す綾香。対照的な二人だったが彼女たちは仲良しで、二人にしかわからない過去を背負っていた。二人は塀の中にいたのだ。

読み始めてから、あれ?これ続き物の途中だなあとおもって(でも一話完結なので読みやすい)、前の読んでないよなあ、とかおもってたら、6年前に読んでました^^;(いつか陽のあたる場所で

解説で堀井さんも書いているように。きっと刑期をおえて出所した人たちは数少なくいて、そのほとんどの人が元のサヤには戻りたくなくて、住んでいた場所を離れたり、まったく違う人生を選んだりして(選ばざるを得ないというのが実情なのかも)、社会にそっと復帰しているんじゃないだろうか。そして。彼らはこの本の主人公の二人のようにいつもびくびくしながら静かに生きて、でも生きていくためにいろいろ苦悩しているんじゃないだろうか。そしてほとんどの世間の人はそれに気づいていないんじゃないだろうか。

物語中にも描かれるように。彼女たちは犯した罪を償ったにもかかわらず、それを終えたあとでさえ、罪を犯す以前と同じような生活には戻れず、まるで柔らかに刑がつづいているように悩みながら暮らしているんじゃないだろうか。仕方ない、とか、そんなものじゃ済むわけがない、という意見もあるかもだけれど。社会では等しくみんな生きていけたらいいのにな、とも思う。難しい問題。ほんと実際どうなんだろうか(再犯に走るタイプの人は除くけど)。自分の身の回り(しかも自分に関わりあるような)にいたらどう感じるんだろうか。人間関係にもよるんだろうか。

そういう内緒の暗い過去を背負う二人がひっそり、びくびくしながら暮らしているようすが淡々と描かれていくけれど、この本では、その二人が少しずつ光明をえて、片やパン職人をめざし、片やペット服作りに自分の生きていく道を見出していく、そんな姿が描かれていて、応援したくなる。うまくいくといいのにな。少しずつ街の人たちと交わったり、慎ましやかな生活のなかでもたまには居酒屋でがははと笑ったり、たくましく生きていってる姿がどこかうれしい。

まだ続きがあるみたいだから、それも探して読もう。

ドラマになったのは知ってるけれど見てはなかった。でも配役が上戸彩はちょっと違う感じするなあ。飯島直子は近い感じがするけど。

新潮文庫 2012

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レッドタートル ある島の物語

redturtle

先月頭に東京で開かれていた「ジブリ大博覧会」をみにいったときに、この映画の宣伝のコーナーがあって、ジブリでも外国人監督の作品を扱うようになるのか、変わっていくのね思い、公開されてわりとすぐに観に行きました。ある無人島に流された男の人の話で、全編セリフがないらしい、ということだけ聞いて見に行ったのだけれど、、、とても素晴らしい作品でした。

この映画、というかこの作品(なぜかこう言ったほうがしっくりくる)はやはりアニメーションでしか作りえないもので、ストーリーはいたってシンプルで、言葉にしてしまうとほんのちょっとで終わってしまうのだけれど、それを隅々まで神経をいきわたらせて描かれた絵、いい意味で没個性なキャラクターたち、まったくないセリフ、で、見事に描ききっていると思いました。ドラマッチック過ぎず、かといって単々としているわけでもなく、静かに力強くながれていく映像から読み取るストーリーにどっぷり浸れた80分でした。

博覧会でもコンテや下書きみたいなのが飾られていましたが、たぶん鉛筆で描かれたそれらはまことに見事で、あるものはまるで墨絵のようだったし、あるものはティズニーのような線だったり。これらが元になって、きっとアニメーション自体もぜんぶ手で描いたんじゃないかなと思える絵たち、そしてその結果の映像でした。

いままでのジブリ作品とはぜんぜん違うテイストだけれど、なんとなくですがこれはやっぱりジブリ作品のように思えます。いきいきとしたキャラクターが活躍するようなものじゃないけれど、アニメーションの力を最大限につかって、体験したことないような世界を見せ、派手ではなくとも観客の心に何かを残す。そして何よりもとても丁寧に手をかけて作られた作品だなと実感できる。そんなところがジブリ映画に通じる何かを感じさせるのかもしれません。

ほんといい作品でした。静かに観たい作品です。

PS
後半とても怖いシーンがありますが、それをまた正直に(しかも驚くほど丁寧に)描いてるのがすごいと思いました。あの一連のシーンは「コナン」を連想した人も多かったんじゃないかな。

有川浩 – ストーリー・セラー

storyseller

一気に読んだ。いままで読んだ有川さんの本の中である意味最高傑作かもしれないとまで思う。

内容はもちろん、恥ずかしくなるくらいのラブラブ恋愛小説度も物語のスピードも、没頭のしやすさもそうだけど、何より文章というか本自体の構成が素晴らしすぎる。Side:A、Side:Bという2つの相対する物語そのものも素敵(そして悲しい)だけど、それを書いている主人公の立場とそれがうまくスライドして物語の中身とオーバーラップするようになってるそのスムーズさというか、現実と虚構の混じり具合が物語に没頭するとわからなくなって、最後に、あ、と思わされてしまうその構成(というか没頭させる文章力)が見事で、それが対になっていて、どこからどこまでが物語上の現実で、どこがその中で書かれた物語なのかわからなくなってくる。没頭して感情移入してしまうともうどうしようもない感情にさらされてしまうぐらいの濃い恋も、この人の物語の中なら何故か安心して読めてしまう。不思議。

そしてもしかしたらこれ有川さん本人の物語じゃないの?とまで思ってしまう。というのも、作家が主人公なので作家に向けられる言葉や作家が一人称で思う言葉が物語の中ででてくるのだけど、それらが作家じゃないと言えないような言葉なので、有川さん本人の言葉のように思えて仕方ない。文中にも「あたしは作家だ。腹の足しにもならない空想を、絵空事を、夢を、この世でお足に替えている。あたしは夢を操る生き物だ。」とか「小説なんて自分の一番脆いところをさらけ出して勝負してるのに」とあったり、それに主人公が家族から投げつけられる罵詈雑言の数々。まあ想像力の豊かさは作家必須の才能だとおもうけど(物語からも逆説的にそうなるよねえ)、なかなかこんな具体的に出るものなのかな。

そして物語とは離れるけど、作家という部分を音楽家と読み替えたら、腑に落ちたり、ああと膝を打ったり、頭を垂れたくなることも多々。同じようにものを作っていく(でもそれは”腹の足しにもならないシロモノ”であって)人間としては、気づいたり学んだり考えたり、態度を改めさせられる言葉もたくさんあった。有川さん、すごいです。

しかしほんと見事。

幻冬舎文庫 2015

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シン・ゴジラ

shingozilla
知人が「とっても面白かった。いままでゴジラ観たことない人でも楽しめるヨ!」と言っていたので観に行ってきました。実はいままでゴジラ作品一本も観たことないのです。同じように実はクロサワ作品も一本も観たことないのです。釣りバカ日誌も寅さん(これは一つ二つあるけど映画館ではない)もぜんぜん観たことがないのです。いったいいままで何してたんだ?w

いろいろ面白い作品を世に送り出している庵野監督というのもあって、庵野さんがいったいゴジラをどう料理するんだろう?という興味もありました。最近の庵野さんといえば「風立ちぬ」の声優してたなーという感じですが。

で、肝心の映画は単純に楽しめました。ゴジラを得体の知れない巨大な生物として存分に映像化することに成功してたとおもうし(ちょっとしつこいぐらいだったけど。でもあんなん現れたらもう逃げまくりますよね)、いままできっとなかったんだろうゴジラ自体が進化するというネタもまるほどなーという感じで面白かったです(まあ、完全にエヴァじゃん、とかとも思いましたが)。

ゴジラが何者なのかを研究する流れの細かさとか専門的っぽい感じ、日本という国のシステムのだらしなさ(またそれがいい部分もあったりするが)、自衛隊の限界を描いたこと(想像でしょうけど。全面的に自衛隊の協力受けてましたもんね。あまりにもすごいのでプロパガンダか?とかまで思ってしまうほど)などなど、いろいろ映画をつくるにあたって庵野さんが伝えたかったことや、面白がって欲しいとおもったことが盛りだくさんで、ほんとよくできた映画だなーと思いました。が、結局のところゴジラがなぜ東京にやってくるのか?という一番単純なところが描かれてなかった(見落とした?)ように思えて、そこがちょっと消化不良でした。なぜあの生物が生まれたのか?というのがもともとのゴジラのテーマだったように聞いたことあるのですが。

しかし、映像すごかったです。やっぱりゴジラは日本人が描いたほうがよりゴジラっぽいのでしょうかねえ?(ハリウッドのやつも観てないけどw)

棟方志功 – 板極道

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先日ある美術館で久しぶりに棟方さんの板画をみた。以前たまにいっていた宿にも棟方さんの作品がいくつか飾ってあって、その時からいいなあとは思っていたのだが、その美術館で久しぶりに見た棟方作品に衝撃を受け(華厳譜という作品だった)、棟方さん作品をもっと見てみたいし(やっぱり印刷されたものではなくて、実物を)、彼のことをもっといろいろ知りたくなって、まずは自伝ともいうべき本書を手に取った。

青森の鍛冶屋に生まれて、貧しいながらも絵筆をとって絵を描き始めた棟方志功。無頼でまっすぐな彼は、そのすさまじいエネルギーを絵だけではなく、字や、木版画にも発揮していく。やがてその才は大きく開花し、世界のムナカタとなっていく。その彼の半生を一人称で描いた自叙伝。

とにかく目の前で棟方さんがしゃべってるかのような、途切れのない、怒涛のような物語にすぐに飲み込まれてしまう。文章だけだと苦労もしたけれど、とってもうまくいった、って感じの人生に見えてしまわなくもないけれど、文章からも滲み出てくる、不器用さとまっすぐさ、尽きない熱意が彼の人生をそういうところへ持って行ったんだと思う。でも作品はもっともっともっといろいろ語りかけてくるように思う。この自叙伝からかいま見える彼の人間そのものの感じが。

優れた芸術作品は技術ややり方や考え方やらいろんなことを経て見え聞こえるものになるけれど、棟方作品はある点でその真逆をいっているんじゃないか。しかし同じものを指し示している部分がある、そんな風に感じる。迷いがなく、信念があって、無駄がなく、とてつもなく勢いと力強さがあって、その上で愛がある。そんな風に感じてしまう。そう感じる作品がいかに彼の中からでてきて、どう思ってそういう作品が出来ていった(彼は、生まれたという)のかもっと知りたい。禅、真言、いろいろヒントはあるけれど、まずは彼の言葉と作品からそれを感じてみたいと思う。

中公文庫 1976

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桐野夏生 – 天使に見捨てられた夜

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少し前に読んだので備忘録的に。

「顔に降りかかる雨」につづく私立探偵・村野ミロのシリーズ2作目。今回はある弁護士を通して紹介された出版社の経営者からの依頼で失踪したAV女優を探す。リナと名乗っていた彼女の映像はまるで虐待を受けているように見えるという。遅々として進まない調査だったが、すすむにつれリナの暗い過去が明らかになってゆく。彼女はいまどこにいるのか?死んだという噂まででているが。。。

切れ味がいいというか、クールというか、結構しんどい目の内容だけれどそれを感じさせない軽さがあって、物語に没頭して読めた。94年の作品だけどちっとも古さを感じない。

講談社文庫 1997

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