宮尾登美子 – 天璋院篤姫

実はこういう時代物というか、日本の歴史ものを読むのははじめて。もともと多分そんなに得意でないので、どうだろうと思って読み出したのだけれど、ちょう ど江戸時代末期の波乱に満ちた時代の話である事もあって、ぐんぐん引き込まれた。現在NHKでやっている大河ドラマ(ほとんど見てないが)とは大分印象が 違う。幼なじみうんぬんな話はでてこないし。

また、はるかな昔に社会の授業でかすかに聞いた覚えのある(笑)ような、桜田門外の変、戊辰戦争などなど少しはなじみのある史実がでてきて、へー、あの話はこんなときのことなのかー、と思えるのも楽しい。

13 代家定以降の徳川家の人々やその流れ、篤姫自身の人となりの考察もすばらしいけれど、やはり大奥の描き方が見事かと。いまの時代ではまったく考えられな い、かなり複雑なシステム。それによってゆがむ人と人の関係。そこには上に立つものの喜びよりも苦しみがたくさんあらわれる。

でもそん ななか、そして徳川家の瓦解への不安な時流、異国の侵攻、ひとつの大きな時代の流れの終焉のなかにいて、薩摩藩とはいえちいさな分家から大奥の御台所と なった人間のつよさ、それゆえの哀しみ、軋轢、意地と意地のぶつかり、そんなものが浮き彫りになっていて、想像の中でしかないが、そういう時代に生きると いう事、しかも大奥という中で生き、時代に翻弄される身であること、そんなもの大きさに圧倒されてしまう。

関西とくに京都では篤姫は悪 くいわれる事がおおい(14代家茂の正室は京都の天皇家からもらったが、篤姫というか大奥つまり武家の家風と相容れず、公家風であったため、いじめられ て、結局は夫もうしない京へもどったため)らしいが、この本を読めば、どっちもどっちというところか。それが大奥でなければ、この2人の女性の運命もち がったはず。

今から350年ほど前、いったいどんな時代だったんだろな。

上下巻、かなりのボリューム。
講談社 2007

新装版 天璋院篤姫(上)
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新装版 天璋院篤姫(下)
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マイティ・ハート

近年の911からの流れでつづくテロ(といっても、どれがテロなんだか、実際はわからないけれど)。それらを追うジャーナリスト夫婦。ある日、その夫があ る高位の指導者へのインタビューを行える事になり、約束の場所へ出て行ったきり、連絡がつかなくなる。必死に捜索するが、なかなか手がかりはない。そのう ち実はこれはインタビューというものを餌にした拉致ではないか?という可能性が出て・・・・となかなか複雑なストーリー。実話だそう。

ア メリカ映画だったから、またアメリカ寄りなストーリーかと思ったら、そうではなく、わりと中立(?)な立場から描かれてるように見えた。どうしてもこうい う映画をみると、このへんてこな副題のような、愛だとか絆とか、そんなことよりも、政治的な、宗教的な、もっと裏のドロドロした本当の世界のこと、なんか を想像して見てしまう。

しかし、アンジェリーナ・ジョリーのかなり素な演技がとてもよかった。夫を探し、心配する身重の妻、ジャーナリ ストとしての人間性、高度な政治取引の世界になってもたじろがない強い女性。そんな像がとても彼女に似合っていた。また映画全体が妙に盛り上げたりしない のがよく、事件の緊迫感、重さ、その裏にひそむ物事なんかがより浮きだってたと思う。

しかしこういう事件になったときの、外国の警察やら特殊部隊やらの行動力と行使力はすごいな。日本こんなんでけへんもんな。

人の命を取引につかうのは許されない。でもそういう手段をとらざるを得ないような所にまで追い込まれるイスラム圏とアメリカのひずみ、もっと解決する方法はいま採られている方法とは全然違うとこにあるとおもう。

マイティ・ハート/愛と絆
マイティ・ハート/愛と絆 – Amazon

永遠のマリア・カラス

稀代のオペラ歌手、マリア・カラス。この映画はフィクションだが、彼女ととても親交のあった映画監督がとった作品だそう。だから、この映画には彼女への愛があふれている。

物語としてはどうしたこともないのだが、声をわるくして、引退のような生活をしている彼女に、さる音楽プロデューサーがカムバックを薦める、というおはなし。結局カムバックはしないのだけれど。

それでも隠遁生活をしていた彼女がふと街角にあらわれたときに、パリ市民たちが示す反応とか、彼女のひとことひとことに騒動が巻き起こる様とか、どれくらいのスターだったのか、というのが、彼女を全く知らない人にもよくわかる。

本 編中にながれる(それが物語上でプロデューサーが仕立てる作品なのだが)、本物の彼女の歌声をつかい、それにミュージカル仕立ての映像をつけた作品(これ が見事に役者が合わせきっている)が素晴らしい。というか、やっぱり歌がものすごい。カルメンとか椿姫とかとか。オペラには全然なじみがないけれど、その 神が宿ったかとおもえるような歌声に打ちのめされてしまう。

ピアフが人生の喜怒哀楽を歌ったのならば、彼女は神の言葉を歌ったのかも。どちらもすばらしい。

永遠のマリア・カラス
永遠のマリア・カラス – Amazon

エディット・ピアフ~愛の讃歌~

最近のこういう音楽家の半生とかを描いた作品ってのは、ほんと役者さんの徹底さがすばらしい。この映画でピアフ(これって芸名だったのか)役を演じたマリ オン・コティヤールがすばらしかった。なんであんなにできるんやろ。改めて国外の俳優さんたちの層の厚さを感じずにはいられない(って、単にモノ知らずな だけなんだが)歌も歌っているのかー。やっぱすごい。

戦争に翻弄された不幸な生い立ちからか、はちゃめちゃな清秋時代、そしてちいさな チャンスをつかんで大きく成長していく姿は、ひたすらへーっっと思ってしまうのだが、やっぱり才能あるひとというのは、努力ももちろんするのだろうけれ ど、頭角をあらわすべくしてあらわすんだろな。

全編をいろどるピアフの歌、その歌声の素晴らしさ、というか、すさまじさにほかのすべて が消し飛んでしまいそう。この人が歌うシャンソンってこんなんだったのか。内容とかも全く知らずぺらぺらした雰囲気ばかりが伝わってしまうものが多い中、 本当にシャンソンというものがこういうものだったのよ、ということを思い出させてくれただけでうれしい。

しかし筋の方が時間の制約か、 結構人生を描いて行くこと、恋人との日々、そして不幸な別れを描くのに精一杯で、もっと人生の深い、ピアフの内面を描くに至ってなかったような気がするの が残念。もっと一部分だけ切り取ってでも、このピアフのすごさを伝えられたんじゃないかと。

「愛の讃歌」ほんとはこんな歌だったのね。

エディット・ピアフ~愛の讃歌~
エディット・ピアフ~愛の讃歌~ – Amazon

江國香織 – ホテルカクタス


「ホテルカクタス」という名前のアパートに住む3人の住人、それも不思議な住人たち – 帽子ときゅうりと数字の2 – のおはなし。まるで絵本になりそうな感じのおはなしのようだけれど、読み進んで行くと、これはなにかしっかりした人生哲学を説かれているような気にもなっ てくる。

お互いはじめて顔をあわすところから(そのきっかけもちょっとした迷惑騒ぎから)まったく違う性格の3人が、しかも普通ならきっとあまり結びつかないような3人が、仲良くなって、一緒にいろんな経験をしていく。いくつもの夜を語らい、恋をしたり、旅をしたり。

帽 子、きゅうり、数字の2、という、とても彼らが動いたりしゃべったりするのを想像しにくいキャラクターたちが、読み進んでいるうちに気にならなくなって、 しっかりした姿でないにしろ、なにか「こんなかな?」ていう姿ができてきて(でも絵に描けといわれたら、無理(笑))、彼らが生き生き動き出すのが不思 議。これも江國さんのマジックかな。

淡々と話はすすんでいくけれど、なにか大事な事を諭されている気がしてくる。やわらかな文章のなかの強い意志。とても江國さんぽいと思う。

PS 高橋源一郎氏のあとがきがこれまたとてもいい。

集英社 2004

恋とスフレと娘とわたし

もともとのタイトル「Because I said so」は、主人公のひとり、ダイアン・キートン演じる母親の口癖。なにかにつけて3人の娘の行動に口出ししたがる、ちょーーとイタささえはいった母親が、 その娘の一人といさかいを起こしたり、仲良くなったり、なんだかんだとドタバタを繰り替えすうちに、親子(母子)とは、恋とは、愛とは、親離れ子離れと は、なんてことを知っていくストーリー。

ダイアン・キートンがほんと困ったチャンな母親なのだが、絶妙なセンスの服装がなんとも。演技 も楽しいし、見ていて楽しい、微笑ましい。やもすればうざったい内容になってしまいそうなおはなしだけれど、チャーミングな女性4人が画面をところせまし と走り回るので、にこにこ見てられる。

ちゅうか、母娘ってこんな似るもんですかねぇ。
なんか、ぼーっと見れる映画だった。

恋とスフレと娘とわたし
恋とスフレと娘とわたし – Amazon

田口ランディ – ミッドナイト・コール

少しずつさみしい女性がでてくる9編からなる短編集。みんな自分を見失って苦しんでいる。それらがごくふつうにあるような景色のなかで見事に描かれてい る。自分が女性でなくてもこの物語たちのなかにでてくる女性たちの気持ちはなにかしら染みてくる。それはこの話が立場逆にしても少しはわかる物事を描いて いるからなのか、単に僕がそういう性格だからなのか、はわかんない。でもこの物語たちの中に出てくる女性たちの相手、つまり男性、の立場でみても「あぁ、 こういう男いるなぁ」と思ったり、「こういう態度とることあるよなぁ」なんて思う。ランディさんってなんて観察眼がいいのか。経験してるよなぁ。

「ア カシアの雨にうたれて」に出てくる男性は、男がだれしも一度はそんな経験あるんじゃないかな、こんな風にするの。「花嫁の男友達」はこれまたよくわかる (といってもこんな経験ないけど)話。「海辺のピクニック」「海辺のピクニック、その後」は男が「あちゃー」と思う男がでてくるけれど、僕なんかそんな風 になってしまいそう、いや、なってしまうんちゃうかなー、と思うような情けない男が、「100万年の孤独」を読んだら”100万回生きたねこ”が読みたく なった。

ほかにも短編あるけれど、これらが好き。

PHP研究所 2003

ミッドナイト・コール
ミッドナイト・コール – Amazon

安西水丸 – 手のひらのトークン

このひとが小説書いてるって知らなかった。村上春樹氏の本になんともユーモラスな絵を描いてる事ぐらいしかしらなかった。だから小説あるのかーと思って手にとってみた本。

時 代は69年、NY。まだNYに住んでる日本人なんかすごく少なかった時代(だと思う)。そんなときに、広告デザインの仕事をしながら、遅れてやってきた彼 女との日々を暮らす主人公のお話。いまのNYとは全く違った、まだのんびりした感じもうけるNYでの日々が淡々と綴られる。でも今も昔もそこにある問題は 同じなのかもしれない。

読んでいると、今ではあたりまえのNYの風景もすごく珍しいものとして描かれていることに、改めて新鮮さを感じる。こんなNYならもう一度行ってみたい気もするな。

というか、やはり60年代というものが、いまとなっては懐かしさ、なにがしかの良き時代を感じさせる、そんなノスタルジックなものになっているのかもしれない。

実は、ほとんど著者の実話だそう。

新潮社 1990

 

ストンプ・ザ・ヤード ストリート・ビート

ストンプ、この映画の場合は道具を使わず体だけで音をだすストンプ。LAでダンサーをしていた主人公が、兄の死からアトランタへ移住し、そこの大学でスト ンプのサークルに誘われ、迷いつつもその世界にはいっていくお話。お話の流れとしては「ドラムライン」とにてる。主人公の感じも。

ま、 お話はおいておいて、冒頭のシーンでのダンスがめちゃめちゃかっこいい。それだけでしびれてしまった。ダンサーといろいろやる機会も多いけれど、やっぱり 黒人の身体能力はほんとものごっついな。見た事ないダンスをたくさんみた。あんなことどーやったらできるのか、全く持ってわかんない。迫力ありすぎ。

ラストのシーン、結局ストンプにもストリートダンスの要素を取り入れたミックスになるのだが、これまたかっこよく、チーム同士のバトルなんかが、またしびれるぐらいかっこいい。これまた「ドラムライン」と似たような展開だが。

いやー。すごいな。

ストンプ・ザ・ヤード
ストンプ・ザ・ヤード – Amazon

江國香織 – ウエハースの椅子


江國さんの小説。まるでウエハースのように、ふわふわとした、すぐに壊れそうな、でも凛としてそこにある、そんな景色が見える。

このひ との小説(とくに恋愛の)のなかでも、かなりじわっとしたほうだとおもう。ほとんど変化のないような日常しか描かれていないけれど、事態はじわりじわりと 深刻な闇を抱いてやってくる。そんなじわり感がまるで優しさであるかのように錯覚してしまえるような文章。哀しいとまではいえないけれど、かなりハラハラ してしまう。こんな恋愛、こわいやろなぁ。

でもなぜか、よく心に届く。よくわかってしまう。

角川春樹事務所 2001