Home > Review >

宵野ゆめ – ケイロンの絆

グイン・サーガ正伝138巻。この巻は宵野さん。話は変わって場所はケイロニア。先帝アキレウスの死去にともない次期皇帝選びでもめる国内。グインを擁立しようという一派とそうでないものたち。いくら先帝の寵愛を受け、娘婿となり、息子とまで呼ばれたとしても、ふらりと現れた傭兵であったグインではなく、やはり血を引き継ぐものを後につけたいと思うものはいるはずであり、グインもそのことをよくわかっている。またこれをネタに国を揺さぶろうとする輩も現れているよう。そこでグインはもう一人の皇女であるオクタヴィアを推すのだった。

そして隠されていたもう一人の皇女の子供。これがまた物語に波乱を呼ぶ一人になることは間違いない。グインあるところに何かが起こる。その大きな波にケイロニアは飲まれてしまうのか、それとも新しい皇帝とグインがはねのけるのか。スカールの話もあって再びグインのもとにいろいろなものが集まりつつある。

ああ、面白いなあ。相変わらず一気読み。ここにきてケイロニアのいろいろな地方や特色が描かれることが増えてきて、ちょっと目が白黒。ケイロニアって広い国、連合国家だもんなあ。ガイドブック買おうかなあ^^;

関係ないけどこの本を読んでるとき電車に忘れていくってことをしてしまった。しかも電車だったかどうかもわからず、心当たりあるところに全部問い合わせてみたが出てこず。諦めかけた数日後JRから連絡あって見つかったと、しかも姫路で。無くしたの大阪城あたりだったんだけど、どうやってそこまでいったんだろうか?拾って届けてくれた方に感謝です。本もだけどこのブックカバー戻ってくるにこれで2度目だなー^^;

ハヤカワ文庫 2016

楽天ブックスで詳細を見る
Amazonで詳細を見る

伊坂幸太郎 – 残り全部バケーション

nokorizenbu

やはり久しぶりに読むと面白い伊坂さん。なんてことはない物語であっても、パズルのように組み合わせられると、その断面の見え方で違う感じになったりして、例えばある人の意外な面を突然見せられたりするようで面白い。この物語は当たり屋やらなんやら非合法なことを生業として生きている岡田と溝口。この岡田がある日この稼業から足を洗いたいと言ったところ、溝口は「適等な電話番号にメッセージをおくってその相手と友達になること」を条件とする。そこから物語が始まる。

時系列を行ったり来たりするので相変わらずけむに巻いたような感じで話は進んでいくが、岡田がいろんな余計なことに首をつっこむ(彼の性格らしい)と、なんでも適等に考えずにやってるようにみえる溝口のキャラが軽妙で、割と深刻なことを描いてあったとしてもそう思えないから不思議。この辺りのさじ加減も伊坂さんらしいなというところか。子供の虐待をまるで映画ターミネーターとヤマトの話をまぜたようなネタで解決してみせたり、子供時代の岡田がでてきたり(描かれてなくても昭和感がででる)、同じ世代の人が書くもの語りは設明なしにシンパシーを感じてしまえる。

途中で岡田は溝口のさらに上司である毒島に連れ去られてしまって(仕事の失敗を溝口が岡田に押し付けた、この辺りも溝口の適等さ加減がでている)、その消息はわからなくなってしまうが、、、、そして溝口と毒島も対決することになってしまうが、、、その結末は。。。

ちょうど読んでいるときに北朝鮮の金正男氏の暗殺事件があって、その手口が複数人による手の込んだやり方で、実際に手をくだした人間はテレビのドッキリだと思っていたあたり、この物語で描かれるある場面に似ていてびっくりしていた。「作業は一つずつこなしていけばいい。分担するのだ」こういった溝口のセリフがこの事件に重なって強くなった。伊坂さんなんか知ってるの?(そんなわけはないがw)

解説で佐藤正午氏が見事にこの小説をひもといてくれているし、その中で伊坂さんの手法についても書いてくれている。。この本の仕掛けについても、伊坂さんのねらいについてもなるほどなあと思うことばかり。すばらしい。

集英社文庫 2015

楽天ブックスで詳細を見る
Amazonで詳細を見る

五代ゆう – 廃都の女王(グイン・サーガ137)

guin137

グイン・サーガの正伝137巻。栗本さんから複数の作家さんが引き継いで7冊目。物語のグインと並ぶ鍵となる人物・アルゴスのスカールはなんとか亡霊の国を逃れ、かつてグインも訪れたことのある魔都フェラーラにたどり着く。そこはいまも変わらず半獣半人のようなものたちが住まう土地であったが、ここも竜王の侵攻にあい、生き残った一部のものたちも神殿の奥深くに隠れているだけで、破滅の時を迎えようとしていた。女王リリト・デアも死の床についているような状態をみかねたスカールは彼らをなんとか助けようとするが。。。。

ここにきてスカールがとても重要な鍵を握るようになってきたこのシリーズ。栗本さんはここも書いていたのかいなかったのか。なんせ男気あるキャラクターが活躍するのは楽しい。そしていままでは絵がかれていなかった、ここ魔都にも存在する謎の船。そこで明かされるグインやこの世界にまつわる秘密の一端。この感じ、もとのグインの世界に近いなあ。でも栗本さんと違って若干このあたりは言葉の選び方も新しいような(コンピュータ関係が進んでるもんね)

そして一方魔導師ギルドが全滅したらしいパロの残された一人であるヴァレリウスのもとに弟子としてやってきた小さな女の子アッシャ。彼女が犯してしまった罪をどうしたらよいのか。まったく綺麗に消し去るか、それとも魔道の世界で生きていくのかヴァレリウスは迫る。このアッシャ(とそのの周り?)も今後の展開に影響を及ぼしそうな人物。どうなることやら。

どんどん続きが読みたくなって仕方ないこの感じ。やっぱりいいなあ。

ハヤカワ文庫 2015

楽天ブックスで詳細を見る
Amazonで詳細を見る

菅原正二 – 聴く鏡

kukukagami

岩手は一関にある喫茶ベイシー。ジャズファンやオーディオファンなら知らない人はいないくらいの老舗。そこのマスターである菅原さんが長年季刊ステレオサウンド誌に連載しているコラムをまとめたもの。この本は1994年から2006年の分と、いくつかのコラム、そしてSESSIONS LIVE!と題して渡辺貞夫、村松友視、坂田明との対談3本を収めた作品(その続きのIIもある)。

何も知らずに読んだらただのオーディオオタクのかなり頑固なヒト、的な感じしかしなかったかもしれないけれど、実はベイシーには2度だけいったことがあり(幸いにも一度は懇意にされている方と一緒にいったので、幸運なことにいきなり’あの’テーブルに就ていろいろお話伺えたのでした)、あのお店の音の凄さ(体験しないとわからない)、菅原さんのあの感じを少し見知っているので、本を読んでいると、まるで菅原さんが目の前でいろいろしゃべっているように感じられた。あのお店にいって、あの音を聴いて、あそこでの時間を愉しんでいたら、この本に書かれていることは、まるで映像をみるかのようにいろいろ想像できるんじゃないかなと思う。

オーディオでレコードを鳴らすこと、(自分が信じる)いい音を出し続けるということ、ジャズという音楽とそれを産み出した人々を愛すること、そんな日々が(割と?)赤裸々に ー 場合によっては愚痴に見えるぐらい ー 語られる。菅原さんのあの声が聞こえてきそう。なぜここまでこだわるのか、もっとスマートにできるものをややこしくしてみたり。坂田さんとの対談でも書かれていたけど、これらは修行であって、あがきつづけることが大事で、それによって各々がしかるべきところに収まる時が来る(と信じる)、そうでないと何も面白くない(簡単に答えがわかることはつまらない)。全くもってその通りだと思うけれど、今の風潮はそうではないのかもしれない。

ああ、またあのくたびれかけたソファーにどっかと座って、あの音を浴びたい。まさに浴びるという感じ。レコードをただしく再生してやると、録音された時の空気がそのまま蘇る、と菅原さんがいうことがよくわかる。単に聴いているだけでは聞こえない、録音された音のマイクの向こうにそのときいた人たちの息遣い、衣擦れの音、体の大きさ、立っている様や座っている様、表情までが見えてくるよう。

チャンスがあれば訪れて欲しいお店だし、行ったらこの本を読んでほしい。

ステレオサウンド 2006

Amazonで詳細を見る
楽天ブックスで詳細を見る

江國香織 – はだかんぼうたち

hadakanbo

歯科医の妹・桃とフリーの作家のような仕事をしている姉・陽。最近ずいぶん年下の男の子・鯖崎と付き合うようになった桃はそれまでのいい恋人・石羽と別れてしまう。桃と高校時代から仲のいいヒビキこと響子、4人の子供を抱えて主婦業が忙しい。その姉妹を見守るがどこかまた違う種の女性である母・由紀、そしておおらかな夫・詠介。最近亡くなった響子の母・和枝とその恋人だった山口。。。。。

などなど、主に桃と鯖崎と中心として家族や友人、元カレや恋人やらの人間模様が淡々と描かれる。十一月に始まって、二月、五月、八月、九月、十一月、二月と一年少しあまり。断片的なシーンごとだけれど、そのなかから彼らの人間像が、関係が、息遣いが感じ取られていく。

しかしこの江國さんの文章の不思議さ。決して力強く主張してくるわけではないのに、どこか心の奥までしみこんでくる。そして解説で山本容子さんが書いているように、ひとりきりで誰にもじゃまされずにゆっくりよみたくなる。そして一ページ目を開いた時から、描ききらない描写というか、行間の大阪にその文章から目が離せなくなり、すっかり物語の住人(傍観者としてだけど)になってしまう。山本さんは「物語にとりこまれる」と書いてるけど、全くその通りだと思う。そして文章から江國さんの息遣いが聞こえて来るような気さえしてしまう。

彼女の文章を読んでいると、どこか絶対的な孤独であったり、逃れられないけれどゆるやかでいつまでたってもやってこない破滅とか、ハレの陰によりそうケのような、そういった存在を強く意識させられる。人生という時間のなかの表面的な上げ下げではなくて、ずっと静かに寄り添って横たわっている何か。運命というとロマンチックすぎるし、宿命というほど厳しくない。でも、確実に抱いているもの。それが人生に陰をおとし、立体的にしてくれているというような。

ぼくは読み取れなかったけれど、山本さんの指摘で気づいたけど、各章(二月とかね)それぞれに人物たちのシーンが描かれているけど、それが韻を踏んだようにも書かれている。静かなママのシーンの次に賑やかな母親が登場し、白いご飯を食べ終えたあとに白いスタジオが始まり、、、とまるで映像のような、文章の韻のような。そんな遊び心というか、細やかさも江國さんらしいというか。

ふわっとしてるけど、確実に自分が過去にこういう人たちにあったことがあるような錯覚を覚えるほど、濃く人間とその時間が描かれた作品だった。

角川文庫 2016

Amazonで詳細を見る

楽天ブックスで詳細を見る

ホーム > Review >

Search

Return to page top

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。