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2015-05

奥田英朗 – 東京物語


1978年、名古屋出身の18歳の青年が上京する。なれない大都会、学生時代の淡い恋、仕事に追われるだけの日々、少し得意になっていてもまだまだと実感する20代半ば、そして30歳を前にして思うこと。友人と、恋人と、仕事の仲間と過ごす青春の日々。そのときどきにはその時代のトピックがあった。ジョンレノンの射殺、キャンディーズの解散、ベルリンの壁崩壊などなど。80年代を経験した人は(そうでないひとも)あのころのことを追体験するような時代の匂いがする小説。

奥田さんの作品でも初めての感じ。これとてもいい。まあたんにこの時代が懐かしいからというのもあるのかもしれないけれど、バブルにむけて時代が大きく派手に動いていた時代、みんな忙しくも楽しく輝いて生きていた。なにもすべてが良かったというわけじゃないけれど。そういう気持ちをすごくよく思い出させてくれる。とくにキャンディーズの解散は懐かしい、70年代が終わったって感じしたもんなぁ、幼かったけど何か変わるんだって感じた。

まあ20代ってほんと甘酸っぱかったり青春って感じで、誰も大なり小なりこういう経験してきているとおもうけど、僕らぐらいの年代の人間にはさらにその青春に80年代というのがかぶさると堪らない気持ちになってしまう。懐かしい、ほんと懐かしい。いい時代だったとおもう。読みながらあのころの空気の感じとか、街の変わっていく様子とか、音とか、匂いとか、いろいろフラッシュバックしてしまう。

またなんとなーく片岡義男っぽいところもあったりして(ブランド名の出てき方とか、服装の描き方とかとか)それもまた好きな要因かな。「彼女のハイヒール」なんてタイトルそのまんまぽいもんw

楽しかった。

集英社文庫 2004

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池井戸潤 – 株価暴落


半沢直樹シリーズとおなじ銀行もののお話。ただしこっちのほうが半沢シリーズより前にかかれたのかな。巨大スーパー・一風堂が爆破される。それは企業テロだった。顧客は不安になって店から離れていく。拡大路線一筋だったこのスーパーはまさにいま業績不振からの経営テコ入れ、銀行融資を受けたところだったのに、事件によってさらに業績は悪化、株価は下がっていく。こんなときその主力銀行はどうすればいいのか。倒産を免れるために支えるのか、それとも・・・。融資を審査し苦い反応をしめす主人公・坂東と銀行経営を上手く行かせたい企画部の二戸は正面衝突する。

そしてこの事件の犯人と目された人物の親は一風堂出店により軋轢が生じた小さな商店街で反対運動をした男でだった。その男は自殺をしていた。これは恨みからの犯行なのか?

長年に亘って築かれたシステムを守るのが大事なのか、それともあくまでバンカーとしての姿勢を貫くことが大事なのか。テーマはお金に翻弄され人生を狂わされる人たちや社会を守ること、そしてやもすればそれと対立する銀行という私企業のあり方、それらが天秤にかけられることが描かれる。今が大事なのか、先のことを考えるべきなのか、お金というものの力を思い知らされる。たしかにこれは判断するに難しいこと。大企業の倒産というのはそれだけでたくさんの人を巻き添えにすること。でも一方銀行は金を正しく運用することが一番大事なこと。これらは時には相反する。

そこで悩む主人公。根回しして主人公を追い落そうとする誹機の中の敵。企業テロの陰に見え隠れする別の顔。一体犯人の狙いは何なのか?

銀行のことは組織もなにもわからないので組織名や役職を読んでもぴんとこないので、最初は少々読み解きにくい部分もあるけれど、まあなれたら大丈夫。でも、読めば読むほど銀行っていうのは特殊な組織・体質なのだなと思う。彼らは実際には何かを産んだりしないもんな。だからこそ権力を握ろうとしたりするんじゃないだろか。バブル以降、銀行も潰れるというような世の中になってさえ、やはり銀行はどこか違う地平にあるような気が、読んでいてする。

銀行の組織の話、そして企業との関係、そしてテロとそれにまつわる企業の評価の推移。それらをうまくつなげて犯人は見事な作戦を練り上げている。それがどう解かれていくのか、そのあたりもスピード感あってぐんぐん読めて面白い。でも、もう少し(銀行というところを描こうとするからそうなるのかもだけれど)スムーズに読めるといいんだけどなあと思う。ムズカシイ言葉がおおいから、か。

あと最後ももうひとつ物語欲しかったなぁ。ラストがだいぶ急いだ感じするから、ちょっとだけでも頭取という人間を見てみたかった。

文集文庫 2007

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田中啓文 – 猿猴


「大きな猿が世に生まれだして人類を食らうだろう」という聖徳太子の予言から話は広がっていく。雪山で遭難した主人公奈美江が助かったのは偶然転がり込んだ土仏が並んだ奇妙な奇妙な洞窟のおかげだった。その失敗を拭おうをもう一度雪山にチャレンジした奈美江だったがやはり遭難してしまい、同じ洞窟にまたたどり着き、猿人のようなものに襲われる。まるで猿のような子供、猿の仮面をかぶった男たち、、、猿にまつわる奇妙な物事が奈美江をとりまいていく。

物語が進んで、いろんな謎が謎を呼んでいくなかで、「このままギャグ落ちだったらどうしよう」とか思ってしまったけれど、すごくシリアスな展開のまま最後まで怒涛のように進んで一気読みしてしまった。エピローグもいい感じ。なんか映画・猿の惑星を思い起こさせる(物語中にも何度か猿の惑星でてきた)。

聖徳太子、豊臣秀吉、出雲の国譲りの神話、中国の秘境などなど、田中さん、また今回もいろんな世界を見せて、教えてくれる。しかしこのたくさんの知識をどっからもってきて詰め込んでるんだろう。ほんとに中国いったんかなー。まるで見てきたかのように文章から絵が浮かんでくる。すごい。田中さんが見せてくれるいろんなものからまた別の興味が湧いたり、知らなかったことを知りたいと思ったり。今回も日本の神話の下りや(自分の国の創世の物語をしらないのは日本人ぐらいではないか、という指摘もあった、その通りかも)、聖徳太子あたりの時代の話なんかはとても興味惹かれる。知らずにいままできたけれど、もっと色々知ってみたい。大いなる秘密というか、神秘的なもの、でもそこにも人間がいただろうし、もっと自然は過酷だっただろうし、そういうものを知らしてめてくれる昔話をもっと知りたいなと思った。

あー、面白かった。

講談社文庫 2012 書き下ろし

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[猫日和]2015.5.19 Pちゃん

Happy Birthday!!! 2nd Anniversary!

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Pちゃん、2歳の誕生日おめでとう!!すっかりでかくなってしまって、来た当時の可愛さはどこへやらだけれど、甘えたでやっぱり可愛いです。

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で、大きさ比較。右のアイロンは普通の大きさです。アイロン台になんとか載ってる大きさです。でか!

 

ケース

newcase

Walt Johnsonのケース。またたくさん働いてもらいます。で、大事にします。

テナーのケースを新調しました。新調といっても中古なのですが。同じものが良かったのですが気に入って使っているWalt Johnsonケースはもう作ってないのだそうです。というのも最近は作りがよくなくてクレームが多かったからだとか(じゃあちゃんと作ってよ、という話なのですが)。なので新品を入手することもできないし、中古にするならばできれば昔の(10年以上前の)作りよかった頃のものが欲しかったのです。で、いろいろ探していたらたまたま中古品でいいものがでたので早速入手しました。毎回ケースを選ぶときは、軽さや見た目よりも丈夫さ(移動も多いし扱いも荒いし。飛行機もあるし)を重視して、そのとき一番頑丈そうだなと思えるものを選んでいるのですが、それでも壊れるんですよね。

それに伴い、今まで使っていたケース(これもWalt Johnson)や、その前に使っていてほったらかしになっていたもの(Jacob Winter 壊れかけてる)、だいぶ前に買い換えたて使ってないバリサクのケース(これも壊れかけてる&ハードケースで重い)などを処分することにし、粗大ごみとして処分場に出してきました。

これまでにケースを捨てたことは確か一度だけあった(さらにその前につかってたテナーのケース、これもwinter)のですが、このときはどうやって捨てたのか忘れてしまいました。が、今回は粗大ごみとして持って行ってもらうのではなく、直接処分場にいったので、目の前でゴミになって、他のガレキと一緒くたに粉砕処分待ちのゴミ捨て場に投げ入れられるのを見て、心が痛くなりました。たかがケースなんですけどね。楽器と違って。ケースは楽器を守るもの、ケースが壊れても楽器を守ってくれたらそれで十分役目を果たしてくれている、そういう性質のものなのですけど。なぜか「あああ」とか思ってしまいました。そして、もしかしたら別の場所では同じように廃棄されていく楽器たちもあるんだと思うとさらに「ああああ」と思ってしまいました。正しく人の手がかかって産まれてきたモノが粉々になるのは忍びないです、たとえそれが十分に役目を果たした後だとしても。

もちろん楽器が大事なわけですけれど、ケースも長い時間一緒にあって、あちこちへ一緒に行ったりしてるわけです。楽器があるところ、つまりぼくがいった場所にはケースも行ってるわけですよね。一番重労働させられて、それで傷だらけになって、テープで補修してあったり、懐かしい公演のシールが貼ってあったり。そんなケースを初めて愛おしいというと変だけど、そんな気持ちになりました。

ケースだけに限らず、モノってお金と交換したらどういうように使おうが自分の勝手だ、というのが普通の感覚かなと思うけれど、例えば時計とか服のように嗜好品として愛用するものとは違って、明らかに消耗品/耐久品であるこういうケース(鞄とかはまた扱い違うのかもしれないですが)などにも同じように思えたら、もっと世の中、いわゆる「もったいない」の精神が広まると思うのですが、どうでしょうか。

ちょっと話は逸れますが、その処分場の帰り道にラジオで、外国語の文化すなわち(とくに英語)いろいろ口にして説明する文化について話題になっていたのですが、何かを口に出して相手に気持ちを伝えたり説明したりすることはとても大事なことですが、一方口に出さないことは思ってないのと一緒、というようになってしまってるんじゃないかと思います。主張しないことは存在しない、のような。東洋圏ではなんとなく伝わる以心伝心の文化があって、口に出さずに察して伝わるという文化(もしくは察しさせられる)がありますけど、これはとてもいい文化だと思っています。察すること、は、思いやることに通ずるんじゃないかと。もちろん両者とも長所短所あってどちらがいいとは言えないですけど、ケースを処分したときに、もの言えないモノがもつ何かの雰囲気、どんなものにでも魂が宿ると考える我々祖先からの価値観なんかが、ふっとよみがえってきて、大事にしないと(気持ちもモノも)なと思ったのでした。

たくさんのケースたち、いままで長く付き合ってくれてありがとう。新しいケースも大事にします。

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