川上弘美 – どこから行っても遠い町


以前読んだ「センセイの鞄」もよかったけれど、この本の方がさらに好きかもしれない。都心から電車で20分ほどの郊外にある小さな町が舞台。そこに住む普通の人たちが主人公。とくに目立った人がいるわけでもなく、予備校の先生だったり、魚屋さんだったり、喫茶店なのか居酒屋なのかわからないお店の店員さんとかとか全員がいわゆる普通の人たち。

でもそんな普通のひとたちでも人生は平凡なわけではない。その人本人が平凡と思っていても他所から見ると平凡ではないし、普通なことは普通ではなかったりする。誰もがすこしずついいところも悪いところもへんてこなところももって、それぞれ生きている。

この本は11の物語で描かれていて、それぞれ違う人が主人公のお話なのだけれど、小さな町が舞台なのでその主人公になるひともそれ以外の人もいろんな話にでてきたり、話題に上ったりする。一人称でかたる視点と、まわりから見える姿、そして人の口にのぼった姿、いろんな姿がちょっとずつ重なって、今の、この町の様子、人々の暮らしができあがっている。

どこかにあるんだけれど、そこにはたどり着くことのできない不思議な町。でも人はちゃんと生きて、そして死んでいく。決して何か大きなことが起るわけでもないけれど、何もないわけではない。ちょっと時間が止まったように感じてしまう世界感。川上さんが生み出すなにか実態のない実は得体の知れない不思議な空間に引き込まれると、もうその世界に自分も所属してしまっている錯覚に陥って、町の住人のひとりとなってあちこちうろつきはじめたりする。

この本の感想はうまくかけない。読んでいるときはしっかりとその世界を感じているのに、本を閉じるとまるでゆめうつつであったかのように、物語とその感触はすっと遠のいてしまう。だからまた本を開いてそこにいる人たちに会いに行ってしまう。どうなってるのかよくわからないけれど、この本は好きだ。

解説で松家仁之さんが上手く書いてくれているので、それを参考に。

新潮文庫 2011

E.D.F.東京2Days珍道中

(長文駄文ですw)

1/22,23とE.D.F.で東京に演奏にいってきました。もう22年やっているバンドなのに実は東京は初めて。以前は四国などにぼちぼち行くこともあったのですが、最近ではもう大阪だけでやってるような感じだったので、とても新鮮(バンドでこうやってどっかに行くのはいつでも楽しいものです)でした。

もともとは23日に催されたNHK-FMの公開収録コンサートへの出演依頼があったことが発端だったのですが、それだけだと面白くないなーというのと移動のしんどさを考えて(早起きして新幹線>ライブ>とんぼ返り、という方法もあったのですが)折角の機会だから前日にいってライブやって、そしてNHKいったらええやん、という話になり、1/22に池袋Apple Jumpにてライブをという段取りにしました。

機材と5人が楽に乗れるレンタカーを借りて朝早くに光田さんと僕と田中くんで集合して出発。奈良の西川さんちに清水さんが集合していたので、そこに行って荷物を乗せかえて、いざ5人で東京へ。こうやって一台の車にバンド全員でのって移動して、というのはもう15年以上前に松山に行って以来かも。車内は終始愉快(のんびりしたバンドなので家族みたいですw)で、道も空いていて楽なドライブでした。5人とも運転できますしね。

マスクマン達その1
マスクマン達その1

マスクマン達その2。しかし全員これだと怪しいだけやなw
マスクマン達その2。しかし全員これだと怪しいだけやなw

無理もせずまあまあなペースで、名阪から東名阪、伊勢湾岸をとおって東名から新東名。新しい道は走りやすいです。浜松SAでご飯食べて、そのままひた走ってやがて御殿場からまた東名に。そういえば昨年の同じ時期に東京に車でいった(PANDEMIKだったなぁ)とき、この足柄以降で大雪になって朝10時に足柄SA出たのに池袋に夜8時に着くというえらい事態があったなぁとか思い出したり。今回は順調に見えてたドライブだけれど、やっぱり知らない車ってのは厄介なもので、後もう少しで東京というとこあたりでガソリンのEmptyランプが点灯。普段乗っている車ならだいたいあとどれくらい走るかわかるけれど、知らない車だわ、燃費わからんわ、でも海老名も越えてしまってもう高速上にガソリンスタンドないわーという緊急事態(?)になったのですが、なんとか用賀まではもって、そこでガソリン入れて一安心(笑)。そして池袋へ。

 

天気よかったのに富士山は雲の帽子
天気よかったのに富士山は雲の帽子

ちょっと宿で休んで、Apple Jumpへ。ライブをやるにしてもどこでもいいという訳ではなかったので、ある程度の広さがあって、ピアノがよくて(ここが大事)、誰かいったことあるお店、ということでApple Jump さんに依頼したのですが、清水さん以外初めましてーという状態でしたが、お店の音もよく(お客さんが入ったらどうなるのかなーという感じでしたが、それはやりながら考えればいいので)、リハもちょっとやっていい感じでライブ迎えられそうでした。でもやっぱり東京、お客さんの入りとかなんだかんだ緊張します。

おまけにどうやらぼくは西川さんから風邪もらったみたいで、ちょっと熱っぽくふらふら。でもなんとかうどん食べたりして(池袋の西口五叉路のとこの君塚いいですねぇ)体力温存を図るものの、あ、折角なのにカメラ忘れたと思って宿に取り帰ったところ、ない。。。あれ?と思って車を見に行くと、あ、座席にある、しかし鍵は持ってない。。。なのでお店にもどって光田さんに聞くと鍵もってない、、、え?もしかしてキーインロックした?!?!しかも今の車って、なんて言うんですか、スマートキー?鍵穴がない車。どうしよう。

。。。落ち込む2人。まぁ、JAFでも呼ぶかー、みたいな話をしながらレンタカーの車種(エスティマだった)のことを調べていると、もしかしたら鍵開けるの大変かもしれない、JAFでは無理かも、もしかして交換?みたいなことになり、ますますピンチ。でもこういう車はキーをインロックできないようにしてあるらしい、ということらしく、とにかくライブ終わってから見に行こうと。

さて、そんなことは関係なくお客さんはどんどん集まって下さって、ライブ始まる前にはほぼ満員に。芸大や、クライドライト(ツーリングクラブ)の懐かしい面々、清水さんの2CV仲間、僕の所属してきたクラブの先輩・後輩、知人などなど、ほんとうれしかったです。そんなみなさんに囲まれたので、東京なのにまるで大阪でやってるライブのような雰囲気と盛り上がりで、やってるほうも、きっと聴いて頂いてる方々にも、お店にもいい時間になったんじゃないかなーと思います。結局えらい遅くまで(23時前)やってしまったし。いやー、熱い夜でした。

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Apple Jump

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(photo by KARA)

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(photo by KARA)

(photo by KARA)
(photo by KARA)

終演後、お客さんともだらだら話たりしているうちに時間も深夜になってきたので、みなさんとは別れを惜しみ(また明日会える人もいるし)、お店をでていったん宿に荷物ほりこんで居酒屋へ。そう、今回のこの旅、バンド内では演奏ツアーではなくて”慰安旅行(演奏つき)”って感じで(笑)。演奏よりこっちが大事だったりしてw

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おっつかれさまでしたーー!!!

まぁまぁ飲んで(でも若い時のようにみんなでバカ飲みはしなくなった。だってもう全員40越えたもんなぁ)、明日のセットリスト何にしようかいろいろ意見を戦わせて(?)、んで、ゆっくり寝ました。あ、心配していた車のキーですが、結局ロックされていなくて(つまりキーが入ったまま、ドアも開いてた。よくパクられなかったな。。。)

***

で、明けて23日、NHKの収録の日。なんか緊張してたのか、それともぐっすり眠れたからなのか、チェックアウトよりはずいぶん早く目が覚めてしまったので、天気もよさそうだったしちょっと散歩に出ました(東京にくるといつも散歩ばかりしてます)。昨晩はよくわかんなかったのですが、Apple Jump のすぐ裏というか隣のブロックは立教大学だそうで、そこに行ってみようと。ちょうど2限目(って今でも言うの?)ぐらいの時間だったのか、駅から続々と若者が。私立だからなのか、いまはみんなそうなのか分からないですが、みなさんお洒落!(ぼく大学いってたころは、僕も含めダサかったもんな)そしてキャンパスも結構広くて、お洒落!生協の食堂ではなくてお洒落なカフェがあったり、売店じゃなくてキオスクみたいなんがあったり。あんまりきょろきょろしてると怪しまれる(十分怪しいですが)ので、すすっとキャンパス内を散歩して、近所のえらい安い喫茶店でコーヒーを。うーん、いい午前、完璧(笑)

綺麗なキャンパス♪
綺麗なキャンパス♪

ストレートコーヒー200円也
ストレートコーヒー200円也

そして、チェックアウト時間に集合して、近所でご飯を揃って食べ(みんな同じもの頼んだりする辺が可愛いw)、いざ渋谷へ。ちょっと予定時刻より早く到着してしまったけれど、スムーズに入構させてもらえ、ふれあいホールへ。このNHK渋谷にくるのは20年ぶりぐらいかなぁ。モダンチョキチョキズでPOP JAMにNHKホールに出たとき以来かも。ふれあいホールはそのNHKホールの隣の新しそうな施設。200席ぐらいですごく天井も高い。楽屋入りして今回の仕掛人となったM浦さんにご挨拶(実は昨年の高槻JSのときに声をかけられたのでした)。その後ホールでスタッフのみなさんとの顔合わせをし、サウンドチェックからリハーサルを。

ステージから。このノイマンのM149 tube(多分)めちゃよかった
ステージから。このノイマンのM149 tube(多分)めちゃよかった

いやほんと驚いたのですが、このホールのやりやすさといったら!響き自体もですが、モニターの返りがとてもよかった。普通機材やらチューニングの問題でだいたいまぁこんなもんかな的な音で、それを実際の自分の音のイメージとの差分を感じて(自分なりに)補正してやる場合がほとんどなのですが、そのまんまの音で返ってきた(しかも適度な音圧で)のでびっくりしました。とくにジャズのようなアンサンブルが大事な音楽やるときにモニターというのはどっちかというと邪魔(広いステージだと致し方ないが)なもんなのですが、ここは素晴らしかったです。もうほとんど何も注文することないほど。ライブハウスでやっているときと同じような感覚の音場で、すごいやりやすかったです。

そして時間や照明の加減をチェックしながらの全曲リハーサルやら、放送時の番組司会となる浜中アナウンサーからのインタビュー受けたりしているうちに時間は経ち、NHKの食堂にご飯をたべにいって(たぶん大河ドラマ撮影中の役者さんがいた。侍の格好のまま自販機の前で仁王立ちしてはったw)、あちこちうろうろしたかったけれどそれはやめて楽屋でわいわい。そのうち客入れ(一瞬で満席になりました)をして、いよいよ開演時間に。

事前のアナウンス(やっぱ拍手の練習とかするのね)の後に紹介を受けてステージ上へ。満員のお客さん、ほとんど初めましてなので緊張するけれど、でもいつもの感じで演奏を。番組のテーマ曲であるC Jam Blues(清水さんアレンジ)からスタートして、E.D.F.の(というか清水さんの)名曲のオンパレードを。でも普段やってる曲ばかりじゃなく、番組にあうような選曲にしたのと、なんといっても放送用なので時間がきっちりしているので、そのあたりでちょっと普段のいい意味でだらっとした感じにはなりにくかったかもしれません。

それでもお客さんのあたたかな拍手とかけ声に励まされ、最後まで楽しく演奏できました。きっとえらい緊張してて、しかもえらく間違ったりしたけれど、ちょっとはE.D.F.の魅力が伝えられたかな?と思います。もっと知られたいですから、E.D.F.と清水さんの楽曲は。

リハーサル中
リハーサル中

照明・美術もとてもいいです
照明・美術もとてもいいです

おー!NHKのマイク!
おー!NHKのマイク!

社員食堂でごちそうさま
社員食堂でごちそうさま
本日のスケジュール
本日のスケジュール

本編はゆるいしゃべりも含めて(今回はなんだか一つのネタを押しまくりましたねえ、しゃべりも緊張したわー)1時間ちょっと。放送時間的にはちょっとこぼれてしまったけれど、MCをカットしたら曲は全部放送できるサイズだったかなーと思います。で、アンコールでまたステージに上がったのですが(これは本放送とは関係なく、アンコール集みたいな放送がある)、そのときは時間のこと気にしなくていいので、しゃべりも演奏もなんだかいつもの雰囲気で。なんて分かりやすいバンド(笑)。

最後までみなさんに熱心に聴いてもらえてうれしかったです。知った顔もちらほら来られてましたし。うわーっと盛り上がるというよりは、じわーーーっと沁み込むような感じだったんじゃいかと思います。来場いただいたみなさん本当にありがとうございました。そしてM浦さんをはじめスタッフのみなさま、本当にありがとう&お世話になりました。失敗いっぱいしてるけれど、放送楽しみ。。。でも怖いなぁ。。

で、いろいろ挨拶などして片付けて、機材をまた詰め込んで渋谷を後に。高速道路にのって走っているとこの2日間なんてあっという間の出来事で本当にあったことかなー?なんて思ってしまいました。夜中には綺麗な半月が昇ってぼくたちの帰路を見守ってくれていました。

で、この収録の放送はNHK-FMで4/6の22:30-23:30の予定です(再放送は4/11 10:00-11:00)。お時間ある方ぜひエアチェック(懐かしい言葉!)してくださいね。また近づいたらアナウンスしたいと思います。

ほんと、みなさん、お疲れさまでした!!

ありがとうございました!
ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

田中啓文 – こなもん屋うま子


この本はほんとにおもしろい!おもしろい!おもしろい!しかも大阪満開だし。大阪のいわゆる”こなもん”文化(こなもん=粉もの=小麦粉などでつくる料理すわなちお好み焼きやらたこ焼きやらうどんやら)とか”大阪のおばはん”という生態を知ってた方がよりおもしろく読める。いちいちうなずけることが多かったのですごく楽しく読めた。

大阪のどこかにある馬子(うまこ)というおばはんがやってる”こなもん全般”のお店、馬子屋。何か悩みをもつ人が偶然行き着くそのお店はこなもん料理ならなんでもあるというお店で、たこ焼きもお好み焼きもうどんも何もかもが絶品という不思議なお店。人間観察が趣味の男、東京から都落ちしてきた元アイドル、うどんが嫌いな上方の噺家、プロジェクトに行き詰まった男などなどいろんな人間がこの馬子屋でこなもんにはまっているうちに騒動に巻き込まれ、物語が急展開し、馬子の手腕でアクロバット的な解決を見る!?

7編の短編から構成されているけれど、どれもほんと面白くて、そして描かれている食べ物がこれまたどれもおいしそうで空腹のときに読むと腹立つぐらい(笑)。食べ物にももちろん詳しい田中さんだけれど、ちょっとした歴史ものとか、ヒーローとか怪獣とか落語とかそういう田中さんが別で手がけているものの片鱗がちょろちょろ出てきたりしてそれがまた物語をより立体的にしているように思う。全体にはすごく軽くて読みやすいのだけれど、実は細かいとこがよく描かれてると思う。

僕はもともと大阪の人間なのでこなもんは大好き。うどん、お好み焼き、焼きそば、たこ焼き、焼うどん(これ出てこなかったなぁ)あたりが好きだけれど、やっぱり一番はうどん。そしてうどんの中でも一番に好きなのは讃岐うどん。本編では大阪のうどんと比較して「四国ではうどんにしょう油かけて食うてる?アホちゃうか。出汁作らんでええねんやったら、うどん屋はすぐに蔵が建つわ」と馬子に一蹴されてしまっているけれど、いやいやこなもんというのなら讃岐うどんのほうがよりこなもんだと思うんだなー。一般に讃岐うどんといったら”しこしこで、のどごしつるつるのエッジの立った麺”とか”いりこを主とした濃い出汁の味わい”というとこがクローズアップされがちだけれど(もちろんどっちも好き)、僕が思う讃岐うどんの魅力であり、よりこなもんぽいと思わしめるのは、讃岐うどんの小麦粉の強烈な匂い、なのだ。あの掘建て小屋のようなうどんやさんに近づいたときに漂ってくるうどんを茹でる匂い、そして食べたときに口腔内に広がる小麦粉の香しい匂いといったら。。。といったら、くぅー、たまらんのー!大阪のうどんも好きだけど、匂ってくるのは出汁の香りだもんなあ。

話がもううどんのほうにしか行かないけど(笑)、「おうどんのリュウ」でも書かれているように『最近増えた「こだわりのうどん専門店」はぼくの性に合わない。ぐずぐずしていると、ゆがきたてを味わってほしいからすぐに食べろ、とか、生しょう油はこうかけろ、とか、出汁はこういう風に飲め、とかうるさいことを言われるし(後略)』ような店がとくに都会で増えてきたのもアホらしくて情けなくなる。好きに食べたらええのになぁ、うどんなんて、庶民のくいもんやん。ちゃんと仕事をしてるお店は必ずこだわりあるはず、口に出さないだけで。口に出すと言うことは逆にそうでもいわんと自信がないんか?と勘ぐってしまう。ラーメン店がその最たるものよね。

で、都会でよくある讃岐うどんを看板にするようなお店だけど、作り立てのうどんを食わすセルフの店と謳ってるのに、やたらレジ遅くて並ばせたり(のびてまうがな)、ネギやショウガを自分で入れられなかったり(セルフちゃうやん)、しょう油うどんのほうがかけうどんより高かったり(本来なら出汁の方が手間かかって高価になるはずなのに。同じ値段にせー、同じに!)、ひどい店になるとショウガおいてない店もある。匂いの強い麺とそれに負けないようにちょっとエグイ出汁(もしかしたら順番は逆なのかもしれないが)でつくるものなのに、そんなん七味で食べれるかいな。ショウガとネギが揃って全体のバランスが取れるのに!

あ、文句ばっかり書いちゃった。。。。

なんせうどんが好きなんです。とくに讃岐うどんが。なんで、解説で日本コナモン協会会長(そんなんあるんや、入りたい‥‥)の熊谷真菜さんがこなもん文化の根底にある出汁についてすごく語ってらっしゃるけれど(それは無論すごく大事)、うどんに関してだけ言うとやっぱりこなもんというとぼくは讃岐うどんのほうに軍配があがるのです。

そういや、昨日も今日も立ち食いうどんたべたな。。。余談でした。。。

いやーほんとに面白かった。田中さんごちそうさまです。

実業之日本社文庫 2013

19年

20140117

1995年の阪神・淡路大震災からもう19年。去年の1/17に「18年か」と思ってからもう一年経った。年を追うごとに月日の流れがはやくなっている。さすがに19年もたてばお昼のNHKの全国ニュースのトップニュースにもならないし、震災時刻の報道もNHKとサンテレビだけになってしまった。それだけ時間が経ったということもある(自分の中でも記憶が薄れつつある部分も多い)。もう大学生ぐらいでも知らない人が多いような災害になってしまった。でもこれは仕方ないこと。

思い出というか憶えていることを少し。あのとき僕は灘区の灘駅前に住んでいた。社会人一年目の終わりの頃だった。3連休の最後の月曜日だった前日に姫路で友人の結婚式があり、終電近くまで呑んで、「このまま会社いったろかな」とか思いつつ帰ってきて結構遅くに床についたのだが、5時46分の少し前に海の方からやってくる大きな地鳴りに起こされて「何やろ?」と思ったとたんにドン!という音と共にあの大きな揺れ。ほんとジェットコースターに乗ったかのような感じというか何がなんだか分からないうちに部屋はめちゃめちゃ。這々の体で玄関から出て、壊れかけたマンションのドアを蹴破って(すいません、ちょっと壊してしまった)出て、少し明るくなってきた空のもとで見た街の惨状。地面が割れてたり、裏の家がぺしゃんこになってたり、遥か西の方から煙が行く筋も立ち上っていたり、初めて見る光景だらけだった。近所のおばちゃんが持ち出したラジオで浜村淳さんが「大阪で大きな地震です」としゃべってるのを聴いてようやく「あ、地震なんや」と分かったほど動転していた。

さすがに会社に行くことができなかったのでその週はおやすみになったのだが、じっとしていても仕方ないので、あちこち歩き回った。ほんと三宮はひどかった。17日はまだフラワーロードの柏井ビルは倒れてなかった。あちこちガス臭かった。長田に一時住んでいて、そのあたりは長屋が多いところだったのだが、そこは延焼は免れたものの全部倒壊して(家って倒壊したらただの瓦礫になってしまうということを初めて知る)ぺしゃんこになり遥か遠くの蓮池中学校が見えてるような有様だった。

春前ぐらいかに母親が神戸にきたときに一緒に電車にのった。そのとき長田も通ったのだが車窓の風景を見て母が「空襲のときとそっくり。よう見やんわ」といって目を逸らして涙ぐんでいたのが忘れられない(母は堺で空襲にあい、その後も米軍機の機銃掃射などにも脅かされたそう。コクピットの米兵が見えるほどだっとか。母の生家には焼夷弾の跡があった、六角形の断面なのですぐわかる)。

今朝も神戸の市民のつどいに歌手の森祐理さんが出演して歌っていた。彼女が震災で亡くした弟の渉くんは僕の大学の軽音の後輩(テナー吹きだった)であり、しかも同じ泉陽高の出身。お葬式で彼女に会ったのを懐かしく思い出す。今年も森さんは美しい声で歌っていた。彼女の上にも僕にももう19年の年月が流れたかと思うとたまらない気持ちになった。

多分いくら若い人たちや子供に震災の話をきかせたり映像を見せたりしても、知識として知ることはできても経験にはならない。いくら怖い話をしたって実感できなくて当然だ。残念ながら経験は体験してこそ得られるもの。だから、たぶん遠くない将来にまた同じような災害が起こりうるということを震災を体験した大人はしっかり肝に据え、そのときによりよい対処ができるよう、せめて今日だけは昔のことをじっくり思い起こすようにするべきだと思う。

当時発行された写真集を眺めながら。
震災で亡くなった方、被災した方々に祈りを。

有川浩 – キケン


有川さんのあぶない小説かとおもって手に取ったけれど、ある意味キケンな(?)お話。ある大学の理系サークルである機械制御研究部、略して「機研(キケン)」のドタバタな日々を描く。2回生で部長であり何事にも突っ走りがちな上野、そして副部長でありもの静かで、存在感だけで威圧的な大神。ひょんなことからこのサークルに入ることになった”お店の子”元山とその友人池谷。2回生2人に率いられたキケンの面々が引き起こす犯罪すれすれな出来事から、体育会系も真っ青な学祭への取り組みなどなど、面白い話いっぱい。

ほんと大学といえばサークル、サークルといえば大学というぐらい大学生活におけるサークルが占める割合は大きい(と、僕は思う、僕はそうだったから)。下手をするとクラスやゼミの仲間よりもこのサークルの仲間や先輩/後輩のほうがその後の人生の友達や影響を与えられ/およぼす人脈であることが多いと思う。そんな多感な時期に面白いサークルに出会えるというのは本当に幸せなことだとおもう。社会に出た責任ある大人でもないけれど、大人と同じくらい行動できて遊べる、そんな大学の時期というのは無駄なことも全力で出来るいい時間。

そしてここでは有川さん得意の理系のお話。なんか理系男子好きなんやろなー、こういう集団をうらやましいーと思って見てたんちゃうかなーとおもわせるくらい、この物語にでてくる男の子たちを可愛がってる。そう、この物語はいままで読んだ有川さんのものとはちょっと違って、ほんと天真爛漫な男の子たちがたんにむちゃくちゃするだけの話(笑)。シリアスなテーマもなければ、メカもでてこない(ちょっとでてくるけど)し、甘アマなロマンスもない(ちょっとでてくるけど)。ホント理系男子たちのアホ話、例えば卒業して10年経って久しぶりに集まって呑みながら思い出して笑う類いの昔のおもしろ話、そんなものを聞いてる感じ。

部室とか懐かしいな。僕の場合大学ははっきりとそういう場所がなかったので、懐かしさを感じるのは高校の部室。学校の中庭にあって、おんぼろなプレハブで、年がら年中そこにいた。授業がなかったときや昼休み、放課後なんかはそこにいくと誰かがいて、練習したり、だらだら遊んだり、夜遅くまで話あったりテープ聴いたりした。いまでもその時の仲間とはずっと繋がっている。やっぱりそんな時間を過ごせた人間たちとはそこで積み重ねた時間の分濃い関係になるのかも。体験の共有というか。

ほんと有川さんはこれらのことを(たとえ作ったお話であっても)すごくうらやましく思ってるんだろうなーと。女子はこういう世界には入りにくい(あとがきでも書いているけれど、こういう理系男子の集団って女の子が一人でも入ると普段の姿ではなくなってしまう)から、それを外から思いっきり応援して、うらやましがる、そんな感じがひしひしと伝わってくる。そういう意味ではまたまた甘アマな感じだなーw

あー、おもしろかった、んで、甘酸っぱかった!

新潮文庫  2013

片岡義男 – 今日は口数がすくない

片岡さんを読むのはもしかすると25年以上ぶりになる。高校生のころすごくすごく好きでよく読んで、たぶん50冊以上読んだんじゃないかな。そのころはこの片岡さんの描く大人の世界(たぶん20前から20代の男女の話が多いとおもうのだけれど)にとても憧れていて、こんなお洒落な(そう、バブルに向かう途中で景気がよかったのよね)世界がまぶしくて自分もいつかこんな感じに、なんて思っていた(いま考えたら無理なのわかるけどw)。

先日お正月に実家に帰ったときに、自分の部屋の本棚にあるのをみつけて(あんなにたくさんあったのにもう数冊しか残ってなかった)どんなだったか読んでみようと一冊持って帰ってきたのがこの本。ほんとによく読んだけれどどの本もぜんぜん中身は憶えてない。四半世紀たったらそんなもんかな。でもページをひらくと内容は憶えてなくてもその文体や雰囲気から当時憧れていた気持ちや懐かしい風景が蘇ってきた。

短編が7つ。朝食を彼女ととる想像をしてしまう「朝食を作るにあたって」、次々と理由なく酔いどれる女性の相手をする表題でもある「今日は口数がすくない」、女性とライフル「標的」、次々と彼女を女友達にとられてしまう「僕と結婚しよう」、ある女性と以前の彼女が住んだ町を歩く「彼女を思い出す彼」、男女4人の恋愛模様「おなじ日の数時間後」、短編のネタをふたりでさがす「火曜日が締め切り」。どれもいいなと思うけれど、それはストーリーがというより、その文章からうける雰囲気みたいなものが、という感じ。

片岡さんの文章はとても視覚的・映像的だと思う。説明みたいなものがあんまりなく、最小限の描写と短い会話、(その時点ではあまり知られてなかったような)お洒落な大人のアイテム、スムーズな時間のながれ。ストーリーよりも文章から薫ってくる雰囲気とか男女の恋愛の甘い感じとか、そういうところがまず伝わってくる。そしてとにかく洒落ている。簡単に言うと生活臭みたいなものがほとんどない。都会的。舞台が田舎であってもうまく風景を切り取って素敵に配置する。写真でもそうだけれど画角に入るものの切り取り方で本来のまわりの印象は消されてしまいターゲットだけが浮き上がる。のように片岡さんもなにもお洒落なものを集めて書いたというのではなく、どこにでもあるものをうまく切り取って、それがくずれないようにうまく配置して並べる、というのがとても巧みにできるんじゃないのかなーと今になって思う。

たとえばこの本の中だったら「標的」という短編があるけれど、ストーリーというのはほとんどなくて、描かれているのは主人公の女性の身体の筋肉の美しさや動き、そしてM16A1というライフルが分解された状態から組み上がるまでの様子。やもするとくどくどとした説明書きになってしまいそうなのに、片岡さんはそれらをまるでカメラマンがうまくフォーカスをずらしていくように、映画監督がカット割りを工夫するように、正確に表現するけれど冗長ではなく、マニアックだけれど退屈でなく、なめらかに連続する映像が読者の視点をうまく引っ張って、かつところどころでポイントとなるようなアイテムを配置して、それらが全体でクールにまとめている。

あんまり憶えてない(また読み出したらいろいろ思い出すかも)けれど、この片岡さんの本からいろいろ大人とかちょっと洒落たアイテムなんかを拾ったなぁ。”洗いざらしのジーンズ”とかw 具体的なブランドとかそういうのは出さないけれど、そういうものを醸し出すものものを片岡さんはよく出してきた。それらがいちいちぐっときてたのよね。

ぼくにとって80年代半ばから後半といえばこの片岡さんの本、わたせせいぞうの漫画、FMステーション(FM放送の番組表雑誌)の表紙(鈴木英人さんというひとが描いていたそう)、そして小林克也だったな。今はどれとも全然関係ない生活してるけれど、でもやっぱりこれらには影響うけていることがはっきりわかる。すごく久々にあのころの甘酸っぱいというよりはもう少し、こう、体の奥のあたりがもやもやする感じ、を思い出した。とても簡単に言ってしまえば、青春だったんだな、と懐かしく思う。もうちょい読み返してみようかな、思い出とともに。

角川文庫 1988

C.W.ニコル – TREE

宮崎さん関連で買って読んだ本。ニコルさんとはもちろん会ったことこそないけれど、ずいぶん昔にアファンの森を散歩させてもらったことがあるし、彼と親しい人が黒姫にいて、そこでよく遊んでいたのでもしかしたら会えるような方なのかもしれないけれど、畏れ多いなー(もちろん会ってみたいけど)。

この本は「月刊アニメージュ」(この雑誌が創刊された頃が懐かしい)に1988から1989にかけて連載されていた「The Tree」というコラムを文庫化したもの。ウェールズ生まれのニコルさんが故郷を出て、カナダでイヌイットと暮らしたり、エクアドルで国立公園の監視官をしたり、黒姫で原生林を保護したり、故郷のウェールズに新たに森をつくったり、屋久島にいったり、太地で捕鯨の調査をしたりなどして、いま(といってももう25年前だが)世界各地とくに日本で起っている環境破壊(それが国の政策としてやっているところに大問題がある)、森林の伐採などの問題を語ってくれる。この国に住んでいる人間が知らない/知ろうともしていないことをこうやって知らされること自体も問題だが、それほど環境破壊は深刻な問題だそう(ということを深刻に感じられてないことも問題だ)。

ニコルさんは言う、「一体どれだけ木の名前を言える?」。その辺に植わっている街路樹ならいくつかは言えるけれど、じゃあ山に入ってその辺に生えている木の名前をいったいいくつ言えるだろう、もしかしたら一つも言えないかも。植林された杉ぐらいかもしれない。恥ずかしい話。そして、ではそれらの木を切り倒したらいったい幾らになる?想像もできない。山には木々がたくさん植わっているし、建材などのために切り倒されたあとには植林されてるからこの国に森林破壊なんてないよ?と思っているかもしれないけれど、植林された森と原生林はまったく違う代物だということさえ知らなかった。

ニコルさんは世界各地や日本を飛び回って調査や活動をし、森の力の減衰、水資源の枯渇、自然災害は密接につながっているし、国際的なクジラ保護の問題や各地の紛争も実は同じ根っこをもつ問題だということを教えてくれる。

そしてラストはニコルさんと宮崎さんの対談。自然保護を通したこの国の将来のありかたについて、そして宮崎作品が訴える自然についてのものごとなど、興味深く読めた。

この本が刊行されて23年。果たして現状はよくなったのか悪化しているのか。。。

アニメージュ文庫 1991

五十嵐大介 – SARU

先日読んだ伊坂さんの「SOSの猿」という作品と対になっているというか、セットになっているというか、コラボした作品がこの「SARU」という漫画だそう。五十嵐さんの作品には初めて触れる。「SOSの猿」のベースというか引用しているのが西遊記、すなわち孫悟空なのだけれど、このSARUという作品も孫悟空がキーワードになっている。

孫悟空の身外身(つまり分身。毛を抜いて息をかけると分身ができるという技がある)が独立してこの世に残ってしまったことから、彼等(2体)が世界の運命に影響をあたえることになる。一体は自身のエネルギーに耐えられなくなり肉体を捨てて精神的な存在となり、たくさんの人類の体にわかれて宿る方法をとった。それらがいわゆる予言者や能力者となる。そしてもう一体はエネルギーを蓄えられる巨大な生物となって人類史にときどき影響を与えながら(その度に能力者達によって封印され)地下で眠っている。しかし、いまそのバランスが崩れ巨大な猿が蘇ろうとしていた。。。

いままでにもあった科学的に説明できないような物事、古い文明でよく描かれる猿の姿、世界各地にある神聖な踊り、インカ帝国をほろぼした征服者ピサロ、キリスト教を布教した聖職者たち、整地と呼ばれる場所などなどいろんなものをうまく繋げてこの漫画の世界観を構成してるのがすごい。そして「SOSの猿」と同様のテーマを投げかける。2体の猿の争いは決着がつくのかつかないのか。見る立場によってはどちらが悪でどちらが正義とはいうことはできない。すべてはそのバランスなのではないか。

なるほど伊坂さんがいうようにこの作品は「SOSの猿」とセットになった物語として読める。おもしろい。そういえば伊坂さんの作品には五十嵐さんでてくるなー。おもしろいなーこういうちょっとした仕掛け。

小学館 IKKI COMIX 2010

辻仁成 – 愛はプライドより強く


すごくぼくが思っているイメージの辻さんぽい作品だなと感じた。すこし鋭角で、すこし冷たい感じがするけれど、その奥に狂おしい感情を隠している感じ。作品の構成もすごく細かく章にわかれていて(短いところは1行だけってのもあった)、それがまた場面を変えるというかうまい区切りになっていてすごい。

同じ音楽制作会社で働いていたナオトとナナ。二人は恋に落ちて結婚したいと考えるが社内結婚は禁止という掟があって、片方がやめざるを得なくなった。ナナは新進気鋭のプロデューサーであり、辣腕でミリオンヒットをつぎつぎ飛ばすヒットメーカーで会社の稼ぎ頭となっていた。そのためナオトは以前からやりたかったという作家業に転職するのだが。

ヒットのためにはいかにヒットする音楽を作り上げるかということに情熱を燃やすナナとぜんぜん筆が進まないナオト。一緒に暮らすもののすれ違いの生活、お互いの仕事への干渉を薄くするにつれ少なくなる会話。情熱を燃やした結婚というものも一体どうしたらよいのかわからなくなっていく2人。そしてナナの前に現れる大人の男。。。。

歩み寄るためには「愛」あればいいのに、お互い自分の仕事への「プライド」や相手のために思いやっていると思っている「プライド」そんなものが邪魔をして気持ちと行動がちぐはぐになる感じ、誰しも少しは経験あることだろうから、すごくダイレクトに響いてくる。

読み進むにつれて分かってくるのだけれど(まだどっちがどっちか判別できてないけれど)、途中ぐらいからナオトまたはナナの本編のストーリー以外にナオトやナナという名前の主人公(とくにナオトがおおいんだと思うんだけど)でナオトが書く小説が混じってくる。なので(この本の物語上で)どちらがリアルでどちらがフィクションなのかがわからなくなってくるのだが、それでも何か両方に通じるもの/空気感があって、読んでいてどちらがどちらなのか混沌として行く感じがおもしろく感じられた。実際どっちがどっちかわかってないんだけれど。でも最後はすとんと上手く落としている(てのがどっちかも、判別しにくいんだけれど、それはそれでいいのかも)

特に音楽業界の描きかたはさすがその業界にいる辻さんだからできることとほんと感心。そして数字か内容か、なにが大事なのか、問題提起してくる。「売れなくてもいいと思って歌っているのなら、自主制作で十分でしょ?少なくともこの世界ではそういう理想は通用しません」ナナはこういう。(とくにメジャーと呼ばれるような業界では)そのとおりだけれど、そうだけであってほしくないというのが希望だけれど、どんどんそうでなくなっていってるのは何も制作側だけが悪いのではない、と思う。

幻冬社文庫 1998