R.I.P.関さん

昨夜、ロイヤルホースの関基久氏の訃報がもたらされた。

ぼくはそんな数多くロイヤルホースに出演させてもらったわけではないけれど、でも少なくはないはず。たしか学生のころに学生ビッグバンドのイベント的なものか、それかTBの広兼さんらと組んだOBフルバンドでわりと定期的に出してもったのがロイヤルホースへ足を踏み入れることになった最初だったと思う。そのとき初めてお会いした関さんは(だからまだだいぶ若かった。いまでも年齢不詳的なところあったけれど)いい意味で”怖そうな大人”だった。いや、実際怖いところも多々あるのだけれど。

なので細々とだけれど付き合いはまあまあ長く、ぺーぺーの時代から見知ってもらっていたのもあって、いつも呼び方は「たけいー」だったし(こういう風に呼んでくれるお店の人も少なくなったので、うれしいものだった)、よく怒られたりもしたし(そういうことをする人ももう珍しくなった)、可愛がってもらっていたなという感じがする。怖かったけど。最近ではライブのときに挨拶にいって一言二言言葉を交わすのがほとんどで、ゆっくり飲んだり話したりしたことは数えるくらいしかない。

なので関さんのことは実はあまりよく知らないのだけれど、ロイヤルホースのようなジャズクラブの老舗的な看板を背負ってやっていくというのは想像を絶するようなことだったと思う。いろんな修羅場もあっただろうし無茶もあっただろうし、書けないようなこともきっとたくさんあったはず。でも、ジャズを愛して、ミュージシャンを愛して、それらを世に出すために惜しみない努力もきっとされただろうし、そういうことがなかったらジャズシーンというものはなかなか根付かなかっただろうし、ミュージシャンも世に出るチャンスがもっと少なかっただろうと言ってもおかしくないとおもう。ホースの表に誇らしげに飾っている数多の写真がそれを物語っていると思う。

あの深い絨毯と暗めの照明の空間で数多のミュージシャンと丁々発止を繰り広げてきた、ある意味、魔物のような偉大な人がいなくなった。音楽の世界には明るい場所だけではなくて、暗くてよく見えない魑魅魍魎の世界があってこそ、より全体が深まったり輝いたりする、そんなことを暗に示してくれてた、というと深読みしすぎ、かな。

関さん、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
ぼくらが会えなくなったたくさんのミュージシャンの演奏をまたこころゆくまで愉しんでください。安らかに。

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