江國香織 – 真昼なのに昏い部屋


江國さんも文庫化されている分はだいぶ読んでしまっているので、なかなか新しいものに出会わない(古本屋さんでは。普通の書店にいけばきっとまだまだある)。これは新しい本だけれどたまたま本棚にあって、すぐに手に取った。やっぱり江國さんは理屈抜きに好きだ。

このお話はいままで読んだ中では結構激しい(という表現は適切ではないが)感じのタッチ。ざくっと言ってしまえば不倫の話なのだけれど、その不倫をしてしまう主人公美弥子さんの頑固なまでのまっすぐさ加減(何に対してもきちんとしていようとする姿勢がすごい)が、逆に振れたときにその不利幅が大きくなる感じが、今まで江國さんの本で出会って来たどの人物よりもはっきりしている(なんと言うかうまく書けないけれど、いままでももっと強烈な話や濃いシチュエーションなんかはあったはずだが、この本ほど明白というか、色彩濃くないというか)あたりが、全然違うなーと思わせる。ある意味怖い。

でも、いままですごく安らかな位置にいて、守られていて、その世界をきちんと司り、万事上手く行くことに身も心も砕いていた人間が、そういう部分をすっとばして、自分が知らなかった自分の側面を見せてくれ、それをあまりにも強烈に共有できるような人間と出会ってしまったら、その元の世界から飛び出てしまうことも致し方ないのかもしれない(彼女はそれを「世界の外に飛び出してしまった」と言い、元の場所を「対岸」と呼んだ)。そういうことを経験する人間は少ないだろうし、そうやって現実を飛び越えられる人もそういないのかもしれないし。でも、そんな恋愛(これはあくまで恋愛のお話)もあっていいのかなと。江國さんが描くとどうしても何かどこかへんてこりんに歪んだ感じもしなくはないのだが、そんな風にも思える。

しかし濃い話だなぁ。一気読みしてしまった。

講談社文庫 2013

中島らも – とらちゃん的日常

ねこつながりw。らもさんの本はもう彼が亡くなってからほとんど読まなくなってしまっていたけれど、やはり古本屋さんでちらりと覗いた表紙のねこ(とらちゃん)の写真があまりにも可愛かったので、手に取った。いままでらもさん結構読んだけれど、ねこの話なんて書いてたかな?と思い読み出してみたら、そうですか、らもさん家は動物だらけなんですね。

なじんだらもさんの語り口そのままの文章に懐かしさを感じながら、そこに描かれるとらちゃんというねこへの愛情をすごく感じ(ねこばっかりの文章だけじゃなくて、たまに登場するあたりがいかにもねこらしい)るし、相変わらずらもさんの話はちょっとしたことでも面白い。なので一気読みしてしまった。

ところどころに差し込まれるねこの写真(とらちゃんだけでなくふくちゃんというねこも出てくる、かわいい)もやたらと可愛くて、もうめろめろ。いくつかの写真にもらもさん自身も写っているのだけれど、どことなくリラックスしている表情していて、とても和む。

ああ、らもさん生きてたら、もっとねこ可愛がりしたのかなぁ。いまとらちゃんはどうしているんだろう。

文集文庫 2004

永森裕二 – ねこタクシー

昨年だったかいつだったか忘れたけれどカンニングの竹山さんの主演で映画化された作品の原作というか脚本を読み物化したもの、かな。話題になっていたのも知っていた(映画は見なかったけれど)けれど全然興味湧いてなかったのだが、古本屋さんでふと目に留まって手にとった。無論表紙の猫の写真がかわいかったからもあるのだけど、どんな話なのか読んでみたくなって。

ぜんぜん営業成績のあがらないタクシー運転手間瀬垣さんがいつも休憩に使っている公園で出会ったデブ猫”御子神さん”。偶然なのかタクシーにこの猫が乗り込んだことから主人公の生活が、人生が変わって行く。御子神さんは単にいるだけなのに、この猫を通して人と人がつながったり、主人公に何か示唆を与えたりする。ほんとにこんなことができたら楽しいだろうなぁと思うが、話の中にも出てくるように、こういうことは営業上難しいそう。

お話はあったかくてとてもよかったけれど、それよりやっぱり作者の猫の観察眼というか、猫の生態をよくわかって描いているのがとても楽しかった。猫って普段ぐーたらしているし、特になにもするわけないのだけれど、それが意外と雄弁に何かを語っている(ように受け取れてしまう)様子なんかをうまく描いてるなーと思う。本人にしたら単に居心地いいとこを常に求めているだけなのかもしれないけれど。

僕も昔飼っていた猫にこんなやつがいた。何人か人間がやってくると、とにかくその中で一番ねこ嫌い(もしくは慣れていない)人のところに行って、ちょこんと膝にのる、そういうねこだった。おかげでねこ嫌い(不慣れ)な人もねこ好きになってしまうという、全く不思議なねこだった。そういえばその子もだいぶお年を召した状態で拾って来たなぁ。あれ、感謝なのかな。

とにかくねこにはやられっぱなしなのです。はい。

竹書房文庫 2009

有川浩 – 植物図鑑

相変わらず楽しいです、有川さん。そして扱うネタもおもしろく、そして意外な組み合わせ。これだけあったらほんとごはん3杯ぐらいいけそうな、そんなお話が詰まってました。で、やっぱりとろとろにラブコメだけどw。あまりにおもしろかったので一気読み(食い?)してしまいました。

身の回りにいくらでもあるけれど、普段はまったく気にしないそのへんの雑草たち。知りたいなとは思うけれどよっぽどの機会がないと憶えられない植物/花のなまえ。昨年育てたあさがおのようにずっと付き合うと自然といろいろ憶えるけれど、街や川の土手や山なんかに生えている本当にたくさんの植物の名前、見たときはふーんとおもうけれど、結局全く憶えられない。憶える気がないのかというとそうではなくて、単に憶えるだけじゃなくて、何かとセットじゃないと憶えない(憶える気にならない)のかもしれないな。

そういう点でこの「植物図鑑」はたんにそのへんの雑草(雑草にはすべて名前があるそうです)の名前を羅列するだけじゃなくて、食べたり飲んだりすることと組み合わせてくれたので、俄然憶えたくなりました。またどの料理もうまそうで、同じ素材(雑草)でも料理屋で食べるものもいいけれど、そうやって自分の手で摘んだものを自分で料理するってのはとても楽しいんだろうなーと、強烈に思ったから。そういう目でみてたらその辺の道ばたの道草がなんでも食べられそうに思ってしまうのは、あまりにも短絡過ぎかも、だけど。

なんせ、普段インドア傾向だけれど、ちょっとその辺でこんな楽しい思い(冒険?)ができるなら散歩も悪くない、いや、散歩はもともと好きだけれど、なぜか散歩するときは上ばっかり見てたので、今度から下向いて歩こうw。そんな気持ちをわかせてくれるくらい、ほんと身近なところにたくさんの素敵な草花があって、それらはとっても面白いよとこの本は教えてくれた。有川さんありがとう。

有川さんのこのラブコメ度は苦手(とくに男子)かもしれないけれど、新井素子さんや栗本さんを読んでいたからか、全然ましなような気がする(もっと爽やかかな)。苦手でもはまると面白いんだけどなー。

子供の頃は父が好きで、タケノコ掘ったりワラビ採りにいったりしたけれど、子供の頃はその面白さはいまの万分の一も感じてなかったんだろうなーと、今更ながら悔しいです。あれ一体どこいってたんかなぁ。も一回行きたいなあ、今行ったらきっと楽しいのに。

辻仁成 – 愛をください

辻さんでこのタイトルだとどうしてもZOOって歌を思い出してしまうけれど、それとは関係ないのかあるのか。久しぶりに読んだ辻さん。巻末に辻さんの著作一覧が載っているのだけれど、辻さん久しぶりだなと思ったのは道理で写真とか絵メインのやつ以外はほとんど読んでる。気づいてなかったな。まぁ、辻さんの本は好きだがまた読み返すかどうかはわからないけれど。

この本はある2人の文通だけで綴られた作品。親に捨てられ孤児として育ち人生に何の希望も持てない17歳の女の子と、同じく親に捨てられたが養父母に拾われなんとか育ったという二十歳過ぎの男。養育施設のある人を通して知り合った(男から女の子に文通が持ちかけられる)2人だが、「絶対に会わない」というルールのもと、そのときの本当の気持ちを語り合う。それを通して2人の愛とはまた違う信頼関係が築かれていくことになるのだが。

こういうパターンだとなんとなく先が読めてしまうのだけれど、辻さんが用意したストーリーはやがて全然違う様相を見せ、意外な結末を迎える。なるほどと思うけれど、救いがあるのかないのか、わからない、受け止め方によるのかも。希望も何もない女の子が生きる希望や愛というものを享受できるようになる/なったのか、というあたりが読ませどころ。

キャラが2人しかいないので(正確には違うけど)、彼らが書いた(という設定の)文章を読んでそこから勝手に想像する彼ら2人の像が楽しい。女の子のほうの文はいかにも女の子っぽいのだけれど、男のほうの文章って、わざとそうなのか、若い男がなんだかちょっと大人っぽく書こうとして書ききれてなかったり、読んでいて恥ずかしかったりする感じが、もしかして辻さんの狙い通りなら、すごいなぁと思った。

江國香織 – 左岸

 

そういえば江國さんの読み始めは当時話題になった「冷静と情熱の間」だった。その著作もこの「左岸」と同じく辻さんとの共作(同じ物語を違う主人公の視点から描く)だった。

主人公茉莉の幼少時代から大人(中年?)までを描いた物語。物静かな父と派手な母、思慮深い兄をもつ茉莉は子供の頃からひとりでうたって踊るのが好きだった。そんな子供時代に一番頼りにし、世界への扉だった兄の突然の自殺により、周りが一気に変化してしまう。やがて母がいなくなり、自分自身も産まれ育った博多を離れて東京へ駆け落ち。そこからも土地を男を変遷し、やがて結婚/出産したり、出会った一人の画家に誘われフランスに言ったりと、自由奔放に生きていくが、その時々に顔を出すのが、幼少のころ兄と一緒にいた隣に住む九ちゃんだった。。。。

ひとつひとつのエピソードはすごく身近な感じなのに、こうやってまとめて読まされるとなんとおおきな物語なのだろう。そしてどれもこれもが偶然に積み重なっていっているはずなのに、ずいぶん年月が経ってからわかる死んだ兄の陰。何か大きなものでループさせられている感覚。

派手な主人公なのに、文章からは騒々しさはまったく伝わってこなくて、カーテンから漏れる淡い日光や、遠くに聞こえる喧噪、花の美しさ、物静かなことば、などなど、やっぱり江國さんは江國さんで素敵。でもその奥底に流れる大きな、でも決して暴れ出てくることのない、そんな力(運命?)みたいなものがすぐ横にある感じがすこし怖くて、でもいい感じ。

まるで茉莉の一生を一気に体験したような気がした。素敵だけれどちょっと寂しくて、それでいてごく普通、なのかもしれない。辻さんの「右岸」も読んでみよう。

柴田トヨ – くじけないで

今年1月に101歳で亡くなられた柴田さんの詩集。実はこの「くじけないで」だけでなく百歳を記念して出版した「百歳」とのセットを入手。どちらもいい装丁(木村美穂)で手に取るだけでじんわりほっとする。いい感じに作るだけでなく、柴田さんのその人柄を現すかのような丁寧な本たち。それだけでうれしい。

日記にも書いたけれど、少し前まではとてもお年を召してデビューした詩人さんがいる、ということぐらいしか知らなかった。が、今年の正月に実家においてあった(母が貸してもらったといっていた)この詩集を手にしたとき、一目でこれはちゃんと入手してじっくり味わいたいな、と思ったほど、その柴田さんの紡ぐことばの、なんともいえない優しさ、暖かさ、朗らかさ、そのようなものに魅せられたのでした。

かんたんな言葉で綴られる彼女の詩は、なんでもないことなのに、どうしてこうもストレートに心に入り込んでくるのでしょう。べつにドラマチックでもないし、ハッパをかけられるわけでもないし、力強いメッセージを訴えかけてくるわけでもない。でも、言外に、行間に、ちょっとした物語や応援歌、人生の機知、ユーモア、悲しみ、いろいろなことが滲みだしている。そしてそれらを母のような微笑みをもって伝えてくれている、そんな気持ちになる。もともと詩を読むというのは不得意なのだけれど、彼女の言葉はすんなり受け止められる。

そして何より伝わってくるのが、そのまるで少女のような初々しさ。長い人生を生きた先輩から贈られた重々しい言葉ではなく、可憐な少女が何気なくつぶやいたちょっとした言葉がものごとの本質を表していた、というような。こんな瑞々しさはいったいどこから来たのだろう。もともとなのか、人生をめぐってまた得られていくものなのか。どうなのかはわからないけれど、百年生きてまたこういう気持ちになれるのなら、なんて人生は素敵なんだろうと希望をもたせてもらえて、とてもうれしい。だから詩集を読んで思うことは「ありがとう」という感謝の気持ち。

なにごとにも真摯に、一生懸命に。それだけで素敵なことであるはず。
柴田さん、ありがとう。

宮部みゆき – 天狗風

以前読んだおなじ宮部さんの「震える岩」の続編。岡っ引きの六蔵の妹お初がその類い稀なる能力で難事件に立ち向かう。

今回は神隠し。若い娘の突然の謎の失踪、お初を襲う謎の風、吹き矢、しゃべる猫、、、、事件を追うと違うものに出会い、なかなか核心に迫っていかない。そこでやきもきしてしまうのだけれど、すべてはある一点に絡んでおり、やがて見えてくる一連の事件の正体は・・・。

どっぷりオカルト的な話になっているけれど、やはりそこも人の裏側というか人間が生み出す魔物として描かれる。あまり時代劇的要素はなくて現代劇のように読めてしまうのは宮部さんの筆だからか。それぞれの六蔵や右京之助などキャラクターもちょっとずつはっきりしてきたし、シリーズ物になっていくのかなぁ(知らない)。

猫としゃべれるという部分に異様に憧れてしまう(笑)

伊坂幸太郎 – グラスホッパー


やっぱり伊坂さんの作品はいい。読んでいて落ち着く。この落ち着く感じはなんなのかと考えるんだけれど、きっと「同年代だから」という単純な理由もあるんじゃないかと思っている。同じ言葉を使っていたとしても近い年齢だと言外に伝わることってある、あんな感じかな、と。

このグラスホッパー。今まで読んだ伊坂作品の中でも極めて静か、というか、不穏な空気感、というか、いつものようなほっとさせる優しさのようなものを極力排して、厳しい感じ、切羽詰まった感じが漂っている。解説の杉江さんの言葉を借りれば「ハードボイルド」ということらしい。主人公となるのが3人の殺し屋(押し屋、自殺屋、そしてナイフを使う男)たちのお話なので、ひともたくさん死ぬし、それが結構残虐。なのに悲しい感じにならないのは、徹底的に文章が第三者的映像的な切り取り方をしているからかもしれない。本の中の人物たちにとっては主観的なのだが、読者にはすごく第三者的に見えるので、ダイレクトな恐怖はないけれど、あとからじんわりくるものはある。

断片的なシーンが時間的なマジックも手伝って徐々にピースがはまっていく感じ(といってもこの本は割と時系列に並んでいるので、同時並行的な感じだけれど)も気持ちいい。相変わらずうまいなぁと思う。3人とも魅力的だけれど個人的に好きなのは鯨かなぁ。そしてだれもが哲学的なことを口にするのも面白い。その中でも鯨はほんとストレートな感じに読めるんだけれど、どうだろうか。

また全体に重苦しい割には読後感がすっきりしているのも、不思議な感じ。

「グラスホッパー」はいわゆるバッタ。押し屋の言葉「どんな動物でも密集して暮らしていけば、種類が変わっていく。黒くなり、慌ただしくなり、凶暴になる。気づけば飛びバッタ、だ」「群集相は大移動をして、あちこちのものを食い散らかす。仲間の死骸だって食う。同じトノサマバッタでも緑のやつとは大違いだ。人間もそうだ」。まさにずっと思っていること、怖いなと思っていること、そのままだった。

2004 角川文庫

柴田錬三郎 – 江戸八百八町物語

「江戸っ子」の由来や、吉宗の御落胤、辻斬りやら赤穂浪士、はたまた大奥から花魁まで、江戸時代の町、人々、そして武士たちを描いた物語が14。どれもありがちな時代物とちょっと違う逸話ばかりで楽しい。おおらかな人々の息づかいが聞こえるよう。

講談社文庫 1993