田口ランディ – 馬鹿な男ほど愛おしい

田口さんの赤裸々なエッセイ集。彼女の(たぶん)実体験に基づく恋のエピソードがたくさん。彼女が振り返るととても恥ずかしいけれど、その分とても楽しく、素敵だった恋の話ばかり。どれも面白い。

ほんと自分に対しても人に対してもまっすぐな彼女のすがたが目に浮かぶ。まるでテーブル差し向かいでお茶でもしながらしゃべっているような錯覚を覚える。

素敵だなぁと思いつつも、羨ましくもあり、そして少し寂しい。

新潮文庫 2005

有川浩 – 図書館革命

図書館戦争シリーズ最終作、4冊目。結局やっぱり一気読み。おもしろいんだもん。恋のゆくえもさることながら、図書館のゆくすえ、おいては現社会への問題提起(と、勝手に思ってるのだが)がどうなるのか。

今回はいままでのようにエピソードが並んでいるのはなく、一つのおおきなお話。でも前作からつながってる。いきなり国内において原発テロが起こる、というシーンから。これにはびっくり。2011年の東日本の大震災も記憶に新しい(というかまだ続いているよね)けれど、あのとき少なくない数の人々が日本の弱点に気づいたはず。それを理解した上でかこの”原発テロ”の出だしにはびっくりする。しかも若狭だし。

このテロが起こったことにより(テロの真実については謎のまま、犯人がすべて死亡してしまう)、日本という国が国際テロのターゲットになりえる国になった、という解釈になるだろう。そしてこのテロの手口そのままを描いたかのような(犯人たちが参考にしたのではないかと疑われるほどの)著作を持つ(無論フィクションである)小説家が世間の注目を集めることになった。それは「テロなどを未然に防ぐため、このような危険な事件の参考になりうる著書を書いた作者の執筆は制限されるべきであるか否か」という点であった。

3作目では言葉に対する検閲に対して問題提起した有川さんだけれど、今度はそれを含めて表現の自由はいかなる場合も守られるべきかどうか、という、作家さんたち自体がもつ大きな問題に焦点をあてているように思う。”国”や”社会”といった公共の利益のためにはたとえ一部とはいえ”表現の自由”は制限されてもよいのかどうか。とても難しい問題だと思う。日本においては憲法において保証されている権利であるが、ひとつ間違えば、いまから数年後には変わっているかもしれないような世の中の流れだ。対象や目的は違えども、いまのこの日本を覆う不穏な空気の一端を指し示しているかのよう。もちろん人によって意見はばらばらになるだろう。

ここで有川さんが繰り返しキャラクターたちの口にのぼらせるのが、この国の国民たちは自分たちが直接関係ない(対岸の火事)出来事にはあまりにも無関心すぎる、ということ。いざ自分に影響がでるときまで過ちに気づかない。もしくは知ろうともよく考えようともしない。それがとても危険なことである、と。上記のようなことがもし現実に起こった場合、多くの人々は「制限もやむなし」と考えるかもしれない。それはそうだ、本に感心がないひともたくさんいるだろうし、ましてや多く存在する作家のうちの一人の著作が制限されたところで、大半の人には関係ないものであるから。でもこれはとても危険なこと。ひとつの例が作られれば、その上に同じような例が積み重ねられていくというのは歴史をみれば明らかなこと。「一部制限する」というのは「ほぼ全部制限する」のと同意なのだ。

物語はその作家をいかに守るか(図書の自由をまもることはすなわち作家の執筆活動の自由をも守ることである)というストーリーで、どんどん手詰まりになっていく中、郁の何気ない一言で物語がおおきく展開していく。今回は隊員たちの動きがドキュメントのように手に汗を握る感じですごくリアルで面白い。そして堂上と郁の行く末も。

一気に4冊とも読んじゃったけど、こりゃ別冊も読まないと気が済まないなあ。

今回のおまけは手塚と柴崎の物語「プリティ・ドランカー」。児玉さんとの対談も最終回。

有川浩 – 図書館危機

図書館戦争シリーズ3作目。ほんと面白い(というか有川さんが好き)なので一気読みしてしまう。普通シリーズものでもちょっと間を置いて頭冷やしてから読んだ方が新鮮味あってよかったりするのだけれど、このシリーズ、止まらない。。。w

今回も5つのエピソード。図書館で多発する痴漢事件を取り締まる「王子様、卒業」。郁と同期たちの昇任試験の苦労話「昇任試験、来たる」、人気俳優のインタビュー記事から発覚する自主規制/検閲の問題「ねじれたコトバ」、郁の地元茨城で開催された美術展の最優秀作をめぐる攻防「里帰り、勃発」、そしてその茨城の攻防当日の模様、そしてその攻防のもともとの原因となった地方の図書隊管理の問題責任について「図書館は誰がために」。かわいらしいエピソードから、このお話のキャラクターたちがもっとはっきりいきいきするお話。そしていわゆる「日野の悪夢」にも近い茨城での攻防・・・。有川さんの想像力の翼はとどまるところを知らないのか、すごいな。前作で登場した郁の同僚・手塚光の兄・慧と彼率いる「未来企画」が図書館界に結構影響をおよぼす存在になってくるし、どういうラストを迎えるのか、楽しみでならない。

ま、話の面白さはさておき、この巻のメインは前作の巻末で手塚兄の手紙のおかげ(?)で郁が憧れていた”王子様”が正に上司である堂上であることが発覚して、とくに郁の行動や思いがぎくしゃくしたりするところかな。おもしろいもん。女子っぽくて。女性じゃなく、女子(笑)。

でもこの巻でいちばんひっかかるというか、ああ、と思ったのは、3話目の言葉をめぐる問題について。僕もそうだけれど本をはじめとしてたくさんのメディアに囲まれて日々暮らしていると、その膨大さも原因のひとつかもしれないけれど、知らないうちに言葉/表現を制約(選別?)されていることには気づかない。いまの社会では一応自主規制という形で各メディアが指針を決めて使う言葉を選んでいるのだけれど、この本の世界のように(でも、そんな遠い世界の話には思えない)違法とわかりながらも検閲が存在するような世の中では、一般市民が普通に使っている言葉でさえ、誰かの横やり(その大半が悪意のない親切心からによるものである、というあたりがまた恐ろしい)によって禁止される言葉となってしまう。

この3話目では”床屋”という言葉が問題になっている(実際に床屋は放送禁止用語にリストアップされているみたい。というか●●屋という表現自体が差別的表現だという理由により – その理由も”特定の日に金銭の授受が行なわれる商慣習を持つ商いでなかったことから、軽蔑を込めて用いられる”だからだそう。そんなに月清算とかできる職業が偉いのか?)。エピソードの主人公である人気俳優が愛情を込めて使った”床屋”という言葉が検閲に引っかかるため、それを”理容店”や”理髪店”等の言葉に直さなければならない、という問題だった。本人は祖父が生業とし、自分を育ててくれた”床屋”という職業(しかも祖父は自分自身をそう呼ぶ)に愛情と尊敬を抱いているのに、つまらない、誰のためだかわからない検閲/規制によって使えず、傷つく。一体言葉を正しく用いているのは誰なのか?

どんな言葉でも使い方、使うタイミング/シーンによって適切/不適切はあるだろう。たとえ昔からあった慣習だからといってそれは時とともに変化していくし、大多数の人に当てはまったとしてもそれは全員ではない。使う側、使われる側がお互い理解し合ってやりとりされる言葉に関して、どうして彼らと関係ない第三者が「よくない慣習だから」「差別用語として使われるから」という大義名分でさばくことができようか?

社会的に中立(公正というほうが適当か)であらなければならないメディアにおいては(といいつつ中立・公正なメディアなんて今はないように見える)、不特定多数の人を相手にするため、放送禁止用語のようなものを規定するのはやむを得ない部分もあるのは分かる。教育の現場でも同じかも知れない。でも、そうやって大きな影響力をもつものたちが強制的に言葉を伏せる(狩る、とも言われてる)ことにより、その言葉自体の存在がなかったことにされる、ということ自体が危険であるような気がしてならない。それは言葉だけではなく、社会一般通念的なことでも同じかも。簡単に言えば「危ないものには蓋をしてしまう」。例えば、溺れる危険があるから池を立ち入り禁止にする、だから近づいてはいけない。それはその通りなのだが、そうしてしまうとなぜ池が危険なのか、どうしたら溺れてしまうのか、溺れるということはどう危険なことなのか、という知っておくべきことさえも知りえないことになってしまう。なんでもかんでも禁止してしまえば波風は立たなくていいのかもしれないが、どうして波風が立つのか?危ないことはどこにあるのか?どう危ないのか?ということまで蓋をしてしまうことは、非常に危険なことだと思うのだが。

話がそれたけれど、その放送禁止用語にもなっている”床屋”という言葉を、では著作の上で使うというのはどうなのだろうか?上記的解釈であるとNGのはずだが、表現の自由という面から、そして著者が意図して使う場合においてはどうなのだろうか?そんな問いかけを有川さんにされているような気がする。お話の上でも、今の社会においてもNGの言葉をお話の上とはいえこの社会に”字という媒体”で見せてくるこの見せ方。有川さんすごいなぁと思う。あとがきの対談でもそんな話(見えない規制)になったりしているけれど、勇気をもって(そして出版元の理解)こう突き進んでいく有川さんに尊敬の念を抱かずにはいられない。

相変わらずおまけの児玉清氏との対談は深い。おまけは「ドッグ・ラン」

角川文庫 2011

有川浩 – 図書館内乱


図書館戦争シリーズ2作目。1作目とは違い、5つのお話が(といっても時系列だが)並んでいる感じ。新たに出て来たキャラクターが実はこの後の展開を握っていたりする伏線になるのも楽しい(読みながらなんとなくわかるけど)。

図書特殊部隊配属になったことをひた隠しにしていた主人公・郁の職場見学にやってくる郁の両親とのドタバタを描いた”両親攪乱作戦”、後天的な難聴になった年下の幼なじみが事件に巻き込まれる”恋の障害”、郁の同期の美人・柴原に近づく謎の男”美女の微笑み”、やはり郁の同期の優等生手塚の兄・慧との確執”兄と弟”、そして郁が図書隠蔽事件に巻き込まれる”図書館の明日はどっちだ”の5編。一応違うエピソードにはなっているが、時系列なのでちょっとずつ関係性があるし、とくに手塚の兄・慧と彼が率いる「未来企画」と名乗る研究チームが暗い影を図書館に落とす。

良化委員会と図書館の争いのことはもちろんだけれど、その辺りの権力の綱引きにより隊員たちが大なり小なり事件にまきこまれ被害にあう。単にお話としても面白いのだが、そこに著者が光をあてるのが、普段はまったく見えないけれど実は大きく社会に働く権力の実態のようなもの、だ。ここではあくまでもフィクションとしての検閲と表現の自由の対立の構図だけれど、リアルな社会にはこれに似た構造のものが実はたくさん存在している/しているのではないか?という問いかけをされているような気がする。単に話がおもしろいからそんなこと考えずに読み進めばいいのだけれど、どうもそういうことに問題提起してるように思えるのは、思い過ぎか?

ま、そんなことはおいておいて、ちょっとずつ成長する郁を見ているのが楽しくて仕方ない。まわりのキャラクターたちもどんどん自己主張をはじめてきたし、やっぱりそれぞれの恋がどうなっていくのかが楽しみ。ラブコメだもんねー(笑)

今回も文庫本にはおまけつき「ロマンシング・エイジ」。そして児玉さんとの対談もすごくいい、男女関係のおはなしと社会のありようについて。

有川浩 – 図書館戦争


久しぶりの有川さん。この図書館戦争シリーズは彼女自身はじめてのシリーズもので、代表作になりますと言った通りとてもおもしろい。本編4冊、別冊が2冊あるそう。その最初の刊。やはり今回も裏切らない有川さん、ありえない設定からはじまるのが面白すぎ。そして一連の自衛隊ものからきたのかメカメカ(というほどでもないか)しいのも楽しい。戦場ラブコメ(笑)。

少し未来のお話(でも年号は平成ではない)。30年前に公序良俗を乱す表現を取り締まる「メディア良化法」という法律が成立し、憲法21条(表現の自由)ぎりぎりのところで検閲というものが堂々とまかり通る時代、唯一その権力に対抗するべく整えられたのが図書館を守る図書隊であった。メディア良化法を盾に検閲を進めるのは良化委員会であり、その執行組織である良化特務機関は日々検閲の名のもとに出版物を狩るが、図書館法による「図書館の自由」を保証されている図書館はあらゆる図書を収蔵し公開する。そのため良化委員会と図書館は(ある一定の制限の範疇でではあるが)武装部隊同士の戦闘が繰りかえされる — そんな時代。

その図書隊を希望して入隊した笠原郁。上司の堂上や同期の手塚や柴原(彼らはとても優秀)から心配されながら(あまりにも郁が不器用なので、でも運動神経だけはとてもいい)日々がんばっていき、やがて良化特務機関と直接対決する図書特殊部隊(タスクフォース)への配属が決まる。郁がもともとこの図書士を目指したのは高校生の頃に本屋さんで検閲にでくわし、そのとき救ってくれた図書隊の男性への憧れ(彼女は”王子様”と呼んでいる)から。

いろいろ戦闘やら組織やら社会的背景やら(この辺のこまかさが有川さん見事)がでてきて一見モノモノしい感じがするかもしれないけれど、やはりこれはラブコメだ。女の子っぽくてきゅんきゅんした感じ(笑)。郁は結構男っぽい設定のキャラだけれど、やっぱり内実は女子なのである。そこがまたいいんだけれど。この一巻ではこのラブコメ的な部分はまだそんなにあからさまではない代わりに、このシリーズの世界観、そして検閲というもの、ひいては明に暗に世に存在する制約や権利や義務のことを考えさせるきっかけになるような要素をたぶんに含んでいると思う(巻が進むともっとわかるようになる)。物語はもちろんだけれどこういう部分も有川さんが描きたかったテーマなんじゃないかなぁ。

現に今の社会でも「人道的な側面から」などの理由により表現は制限されている(いまはメディア自身による自主規制がほとんどらしいけど)。実際こういうところでも(まぁ個人的なブログは大丈夫だろうけど、書くのを好ましくないと言われる言葉が多数ありますよね)書いちゃいけない言葉がある。たしかに明らかに差別的表現なものはNGだろうけれど、グレーゾーンなものも多数ある。それは倫理や良識や状況でいろいろ変化するもののはずだけれど、長い時間にわたって自主的にであっても制限していると、制限していること自体わからなく(世にその表現が存在しなくなる、もしくは表現しようとするものがいなくなる)なるし、制限自体が力をもってしまうのではないか? 例えばこれは検閲の話だけれど、もっともっと他のことでも人々の自由を密かに奪っているものは隠れて見えないだけでたくさんあるのかもしれない。そんなことを知らせてくれているのかもしれない。

ま、難しい話はともあれ、このシリーズ、ほんとおもしろいです。次巻につづく。
文庫版にはおまけがついてます(番外編のようなもの)。また児玉清さんとの対談もすごくいい。

角川文庫 2011

ダニエル・キイス – アルジャーノンに花束を

いつぞやか古本市でタイトルを知ってた(有名著ですよね)ので手に取ってみた本。めったに外国文学は読まない(興味はあるのだけれど、これまで何度もチャレンジしたけれど、翻訳がまずくて読み進められなかった/外国の文化的背景がわからなくて読めなかったパターンが多かった)のだけれど、読んでみたくて。同じ風に興味あるのは「ライ麦畑でつかまえて」かな、ミーハーな意味でw。

何の前知識もなく本を開いたけれど、最初に著者自身による序文(日本語版文庫への序文)があったために、どういう感じのお話かはわかったので迷いなく入ることができた。もしそのまま読み始めてたら、非常に読みにくいひらがなばっかり(しかも間違いあるし、句読点ないし)な文章に辟易して読むのやめてたかもしれない。

32歳という立派な大人になっても知能の発達が遅れてしまったために幼児のような状態のチャーリィ・ゴードン。実はまわりからはそのおかげで馬鹿にされることも多かったのだけれど、持ち前の明るさもあってパン屋さんで一生懸命働いていた。そこに夢のような話が舞い込み、手術によって著しく知能が改善され発達し、常人およばぬ天才へと変貌する。

アルジャーノンとはチャーリィが預かられた大学の実験室で同様の手術をうけたネズミの名前。彼も天才的な能力を獲得しており、最初はチャーリィと能力争いをする。でもやがて天才となったチャーリィはその後のアルジャーノンの様子から自分の行く末を案じるようになり・・・・

はたして原文がどういう感じだったのかはわからないけれど、日本語訳もかなりうまく出来ているんじゃないか(その原文の雰囲気を醸し出せている)と思う。読みにくかった文章が(チャーリィの一人称の日記という形で綴られる)読みやすくなり、高度になり、それによりただの日記からもっと内面のこと、洞察したことなどなど人間の成長を短時間でおっているような気分になる構成がすごいなと思う。でもそんなテクニカルな部分より、彼が天才的な知能をもったことにより得たものと失ったもの、それはなんだったのか、幸せだったのはどのときだったのか、そういうことが読み進むにしたがって暗に明に問いかけられる。そこにこの作品の最も大事な部分があるんじゃないかと思う。

すごくドラマチックなお話だけれど、なぜだかすごく普通に淡々と読めた。あまり感情移入できなかったからかなぁ。それは外国作品だからなのか翻訳のためなのか、それとももっと他の要因があるのか、それはわからない。

ダニエル・キイス文庫/早川書房 1999

雫井脩介 – 火の粉

初めての雫井さん。最初は分厚さに戸惑ったけれど読み始めると進む進む、あっという間に読み終えてしまった。

ある一家殺害事件で生残った武内。彼は状況から殺人犯と起訴されるが、逆転無罪となる。それからしばらく後のある日、その裁判の裁判官であった梶間と武内が偶然出会い、そしてまた偶然にも武内が梶間の隣に引っ越してくる。彼は裁判官であった梶間とその家族に恩を返すとばかりにいろいろ善意を向けてくるが、その一方すこしずつ梶間の家族が瓦解して行く・・・・・。

スピード感があってとってもいい。最初は冤罪を全面的にとりあげた作品なのかなと思ったけれど、それは問題提起としてあったとしても主は事件に関わった人物たちと裁判官家族の人間模様。どうして加害者だった冤罪になりかけた人間が元裁判官の隣に引っ越してきたのか?それは偶然なのか?以前の事件の真相はどうであったのか?主に梶間の妻・尋恵、そして息子嫁・雪見の2人の視点で描かれる物語はやがて武内の人物像に迫っていく。またそこで崩壊していく家族の描写が真に迫っていて怖い。

普段の生活ではほとんど目に触れない法曹界の内面や、人間としての裁判官という職業、冤罪などについて考えさせられる。世の中にどうして冤罪が生まれるのか。この物語の場合はさらにそれは冤罪だったのか?というところまで切り込んでいく。

本当に何が真実か最後までわからない。狂気だ。

幻冬舎文庫 2004

辻 仁成 – 愛のあとにくるもの

本当に久しぶりに辻さん。だいぶ読んでしまっているのもあるけれど、なかなか最近出会わないので。でもこの本ももう3年前のものか。相変わらず辻さんの筆は鋭く、少し突き放すかのような一見乱暴に見えるのだが実はすごくやさしい、まるでツンデレ(といってしまうとすごく安っぽいが、うまい言葉が見つからない)のような文体が、読みながらどんな話が待ち受けているのかという期待と不安を(結構不安な気持ちになってしまう)ないまぜにして投げつけてくる。

昔、突然だがまるで必然のような出会いをした主人公潤吾と紅(ホン)。若く希望にあふれていたふたりは当然のように恋に落ちるが、やがて小さな行き違いから暗雲がやってきた。そして7年後作家になった潤吾がソウルを訪れたとき偶然にもまた紅と再会し・・・・。

物語では最初どうした別れがあったのかは明かされないが、それは言葉だけでは越られない国境のようなものだった。文化の違う人間、愛を抱いていたとしても、お互いを理解するのは難しい。理解したと思っていてもそれは勘違いだったかもしれない。

辻さんの小説はいつも読み終わる寸前までどういう結果がまっているのかわからずにドキドキする。この本も最後の最後まで「そうなのか。裏切られるのか?」とドキドキした。爽快感とやるせなさ、暖かさと寂しさ、なにかいろんな感情が宙に浮いた上体で集まりやがて霧散していく、そんな気分になった。

読み終わってから気づいたけれど、これ韓国人作家の孔枝泳さんとのコラボなのね。「冷静と・・・」と同じパターンね。でも探して読もう。

幻冬社文庫 2009

伊坂幸太郎 – 陽気なギャングの日常と襲撃


伊坂さんにしては珍しい、というか今のところ続編というものはこれしかないそう。「陽気なギャングが地球を回す」(映画にもなった)の続編。

もともとは主役である銀行強盗4人がひとりひとり主役となる短編を4つ書くことからはじめたそうだけれど、やはり4人でないと・・・と思ってまとめたそうで、なので、第一章は4人がばらばらの事件に出会うというところからスタート。でもそれがやがて様々な断面でするするとまとまっていき・・・というあたりが伊坂マジックでやっぱりすごいなぁと感心。ほんと無駄なこと書かないなぁ、物語の構造つくるのほんとに上手いなぁ。

個人的には響野がいつものように長台詞をとうとうとしゃべるのを聞きたかった、いや読みたかったのだけれど、今回のお話は銀行強盗の部分ではないところが主体なのでそういう部分はなくて残念。でも4人がそれぞれの特技を活かして活躍するのが清々しく気持ちいい。

あとこの小説には徹底的な悪人がでてこなくていいな。ユーモアある人ばかり。心が荒まなくていい。

祥伝社文庫 2009

新井素子 – ハッピー・バースディ

なかなか文章に馴染めないので敬遠しがちな新井さんなのだけれど、ふと手にとってみた本。読み始めてしんどい書き方(結構あちこち話が飛ぶ、というか気持ちの説明が多い、というか独り言のような感じの挿入文がおおい)なので、読み進みにくかったが、しばらくすると慣れてきた。だれか友人の語りを聞いているよう。

編集者の夫のおかげでベストセラー作家になったあきら。一方大学受験がうまくいかずに面白くない浪人生活をしている裕司。2人が偶然出会ってしまうことから不幸が始まる。偶然から夫を亡くしてしまうあきら。やっかみからあきらにいたずら電話をかける裕司。追い詰められていくあきらは・・・・。

結構ひどい(でも実はそうでもない)話なのだけれど、新井さんの語り口のおかげかそんな深刻さがないというか、非常に客観的にみていられる。またこの2人の主観で語られるので、感情移入してしまいそうになる(でも文章のおかげでしないのだけれど)。

なるほどなーという感じで終わるが、どうなんだろう。やっぱりちょっと苦手かなぁ。おもしろいんだけど。解説が有川さんなのがなんかおもしろい。

角川文庫 2005