誉田哲也 – ストロベリーナイト

少女時代のトラウマから警察官になり若くして警部補にまでなった姫川玲子。ちょっとした死体遺棄事件がその陰に潜む「ストロベリーナイト」と呼ばれる謎をひっぱりだす。

まるで自分が警察内部の人間であるかのように錯覚させる視点で描かれていて、またその警察の捜査のやりかた、内状なんかも非常に詳しく、でてくる警察官たちのキャラも生き生きしていて、少し厚みあるけれど一気に読んでしまえるスピード感あふれる作品で、おもしろい。

ストーリーも複雑だしミステリーの部分もなかなか手が混んでていい。核心にせまるまでの右往左往が面白い。ネット関係の捜査のあたりがもうちょい面白く描けているといいなーと思ったり。でも描きにくいものではあると思うけれど。ラストはもっとえぐくなるかとおもったけれど、そんなにではなかった。でもなるほどーな展開。読めたかもしれないけれど。

シリーズらしいので他も読んでみたいなー。

光文社文庫 2008

有吉佐和子 – 悪女について

昭和58年の刊行だそう。物語の時代背景が戦後からなので話自体は古く感じるけれど、文章とか書き方はまったく古さを感じない、というか斬新。

この物語で語られる「悪女」こと富小路公子(鈴木君子)はいきなり謎の死を遂げているところからはじまるのもさることながら、物語は27章にも分けて書かれていて、その章ごとに公子と関わりがあった人間一人一人にインタビューをするという形式になっていて、27人の登場人物のキャラが見事に描き分けられているし、読み進むにしたがって、登場人物間の相関関係、関わり方による主人公の見え方、そこから見える主人公の人となり、立ち振る舞い、などなど、長い文章なのにちっとも飽きないし、ミステリーというとちょっと違うけれど、ずっとワクワク感が続くし、実際そんな人物がいたかと錯覚してしまうほど。

なぜ公子が死んでしまったのか、その答えは描かれないのだけれど、ヒントはいくつか。いろんな人が公子のことをいろいろ言うけれど、本人の口から何も語られないので、どれが本当なのかはわからない。でも得てして一人の人間というのは(またとくにここで描かれているような成功を収めた人間)その人に関わった人間の数だけ側面があるものであり、それを極端に表現してみたのかも。

見事としか言いようない。

新潮文庫 1983

江國香織 – がらくた


とにかく江國さんの文章は好き。このひとの本を読み始めると、例えば江國さんふうにいえば「わたしはどうしようもなく、たちまちそのとりこになってしまう」て感じかな。このがらくたもその例外に漏れず、読み出したとたんその世界にどっぷりつかってしまった。

「彼のすべてを所有したい、その存在も不在も」なんて、思いつきもしない感覚だし、よくよく考えるととっても恐ろしいような気がするのだけれど、江國さんはそれを素晴らしい恋愛のおはなしに、マジックにしてしまう。読んでみるとやっぱり少し形おかしくゆがんでいるような気もするのだけれど、不快な感じもいやらしい感じもまったくせず、清潔に透明な光がさしているよう。でもこの物語の主人公柊子のようなのっておかしい、と思う人たくさんいるとおもうけれど。

対比ででてくる少女美海がその子供でいてでも大人な、ある意味まっとうな視点でいることがこの物語をまた立体的にしているとおもう。まっすぐな視線がみつめるものは、大人たちの理解できない関係を照らし、彼らになにか考えさせる。それは若い人だけがもつものか。

このひとの物語を具体的にカタチにして感想いうことなんかできない。白いシーツと赤紫のベルベットと青い海と木のカウンター、タバコの煙とフレッシュな香水が混ざったようなおはなし。色は言えるけれど、形はいえない、のような。

でも素晴らしく素敵。

新潮文庫 2010

瀬尾まいこ – 天国はまだ遠く

やたらと北近畿っぽい感じがでてるなぁと思ったら、実際丹波で教師をされてたそう、瀬尾さん。悩める時間をすごす女性の物語。

特にダメになったわけではないけれど、不安としんどさから自殺を考えてしまい、それを決行しに人のいないところいないところへと進んでいく主人公。でも決意した自殺はあまりにもあっけなく失敗し・・・・。

最近とくに夜になったりすると自分の無力感に苛まれてしまう。特に何かがダメだったり、よくなかったり、上手く行っていないわけではないのだが、ふとした瞬間に無力感、無気力感が沸き上がってきて、ふっと消えてしまいたくなるような夜がある。先々への不安なのか、はたまた意識して見ないようにしている自分のことへなのか。

だからこの主人公の等身大の、まさに隣で息づいているような存在感、大きさにとても惹かれる、というか同化してしまう。そこに自分を見てしまうから?

世の中なんてテレビほどドラマチックでも感動的でも、はたまた厭世的でもないけれど、なにか大きなものに煽られすぎて、もともとちっさな自分を見失ってしまい、普通に立っていられるものを立ててないと思い込んでしまったりする。そういうとき、どうしたら自分のたっていられたことを思い出せるか、なにかヒントをもらえたような気がする小さな物語だ。

新潮文庫 2006

川上弘美 – 物語が、始まる


「神様」のときに衝撃を受けた川上さんだけれど、さてこの本はどうかなーと読み出したら、これまたいきなり「雛形を手に入れた。何の雛形かというと、いろいろ言い方はあるが、簡単に言ってしまえば、男の雛形である」から始まる、また「?」な展開。突飛やなぁ、突飛すぎる!

このひとの物語たちはどれも恐ろしく突飛なところから突然出てきて、そのままのテンションというか密度で話が進み、読者が嚥下するより速いスピードで繰り出されて、しかもさらに濃密になってゆく、、、というようにスピード感満載というよりは、怖い話がテンポ速くエンドレスに続く、みたいな感じの進み方するように読める。なので話を理解するというか感触を掴むのに苦労するのにそれより先に話を進められてしかも怖い、みたいな。一体どういう頭の構造してるんやろ。

というか、きっと物語が発想されて、そこから煮詰めて煮詰めて、ドロドロのイメージが出来上がったそのままの温度で全部言葉に一気にしてしまっている感じ。だからダレるところがなく、突っ走っていくような。この本はそんな感じだった。

その男の雛形を拾って、それと一緒に生活し(しかも男として成長する)なんか同棲のような生活になる表題作「物語が、始まる」、小さな幸運のトカゲをもらったことから生活が狂っていく「トカゲ」、閉じた空間から手招きするおばあさん「婆」、ある日突然自分のルーツである先祖の墓を探したくなる「墓を探す」。これら4編とも全然味が違う。でも共通して何か切羽詰った怖さ、ひたひたと角の向こうからやってくる恐怖、暗くて湿度の高くて、みたいなものを感じる。

とにかくなんか濃い。苦い練乳のよう。

中公文庫 1999

辻 仁成 – 明日の約束

すごく久しぶりに辻さん。最近あまり手にしていなかったというか、新しい本にめぐりあってなかった。というか古本屋さんでだけど。文庫はこのタイトルだけれど単行本のタイトルは「アカシア」

辻さんの生み出す物語たちは、ほんとうに突飛もないものばかり。やたらとピンポイントなフォーカスで描かれるのに、そのアイデアからみごとに深く広い世界が紡ぎだされる。でもそれらはなにか悲しく寂しく、そして人間のやさしさに包まれている。それはなにかのあきらめの裏返しなのかもしれない。

この本には5編の不思議な食感の短編と、あとがきにかえてアンコールのように短編がついている。

いつも毎日同じ時間に現れる女性「ポスト」、未開の地に迷い込み時間のない社会で生まれ変わる男「明日の約束」、妻を見失い鳩を飛ばして忘れようとする男の「ピジョンゲーム」、大人たちの歪んだ社会をじっと見つめる素直な目「隠しきれないもの」、冷めはじめた夫婦には何が必要だったのか「歌どろぼう」。ああ、どの物語も何か歪んでいて、非現実的で、やるせなくて、でもどこかに確実に存在しているという気にさせられてしまう。少し怖い。

そしてこれらの紆余曲折の物語たちに対し、最後のデザートで口直しをさせるかのように出される、別れ話を切り出せない彼女と結婚したい彼の心もよう「世界で一番遠くに見えるもの」。素敵。

見事としかいいようがなく、ゆえに悔しい。

文集文庫 2008

乃南アサ – 氷雨心中

表面上はするっとした物語だけれども、最後にギクっとするような怖い終わり方をする短編6つ。どれもが人間のドロドロっとしたところを表していてコワイ。

家業である線香屋の秘密が怖い「青い手」、男が変わる度に着物を染め直す女と着物屋の人間模様「鈍色の春」、表題にもなっている造り酒屋の時代を越えた愛憎物語「氷雨心中」、ジュエリーデザイナーを夢見る歯科技工師の甘い思いが壊れるとき「こころとかして」、能面に自分のすべてを賭ける舞踊家と能面作家のふれあい「泥眼」、そして提灯屋の妻の密かな思いが突き刺さる「おし津提灯」。どれも秀逸。

怖いけれど、どの話も日本の美しい事柄が描かれていて素敵。それらが美しいから、人間の気持ちの恐ろしささえ美しく感じてしまう。日本てこういう国、人柄だよな。

一番好きなのは「泥眼」。泥眼とは能で用いられる、女の生霊を表すといわれる面。自分の納得のいく面を追い求める女流舞踊家が求める泥眼とは何かということを通して、面打師は彼女の思い、生き方、そして女の人生への諦観、それらを垣間見る。そこに同じような立場である自分を少し重ねて考えてみてしまったりする。少しわかる。分かりたくないけれど、そうなりたくないけれど、すこし近いところにいる自分をみつけて、こわくなってしまう。

幻冬舎文庫 1999

北森鴻 – メビウス・レター

ある作家のもとに届けられる謎の手紙。その手紙の内容から昔の事件を思い起こし悩むその作家。しかし読者にはその作家と事件の接点は明かされず、その他にもいろいろな事件が、関わりありそうでなさそうな具合に起こり、やがてそれらがひとつに繋がっていく。そしてそれらはその手紙の内容となにか符号し、やがて作家は追い詰められていく。

最後までどうなるかわからない、しかも伏線が多くて読み進むのが難しく、複雑だが、面白い。引き込まれた。そして最後にすべてがひっくり返って、なるほど!とオチがつく。見事な構成と見事なタネ。うーん、見事。じっくり考えながら読んだらわかるのかもしれないけれど、没頭してしまったら、最後までわかんなくて、楽しめた。

講談社文庫 2001

梁石日 – 血と骨

初めてよむ梁さん。在日文学のベストセラーといわれ、すごく話題にもなったので、なんの話かも知らずに手にとってみた。上下で1000ページほどにも及ぶ長編。

戦前戦中そして敗戦後の大阪。そこに住む在日韓国人たちの暮らしを描いた作品。どうして大阪に多数の韓国人が住んでいるかということ。戦前の日本の彼らにたいする処遇。まったく知らなかった世界のことだけれど、きっと事実だったことごとに、いちいち震えが来てしまう。それほど衝撃的なまでにリアル。読み終えて知ったけれど、実際に著者の父をモデルにした作品だそう。たしかに見聞きしたようなリアル感があるもんな。

いまでこそ子供のときからの同級生やら仲間やら、いろんなところに在日人たちがいるから、あまりなんの差もなく暮らしているけれど、彼らの歴史には暗い、覆せない、想像すらできないような思いがあるのだ、ということだけはわかる。それは怒りであり諦めであり。知らなかった、意識していなかった自分がすこし嫌だ。

しかしこの物語の主人公である金俊平という男が怖い。こんな男とでくわしたくないと思うぐらい、怖い。しかもなぜ彼がこんなに怒り、わけのわからないことをし、理解の出来ない言動をするのか。その源はなになのか?理解することも気持ちの一端でも知ること想像することさえできない。そういう血なのだ、といわれればそうと思うことしかできないけれど、あまりにもわからなすぎて、どうしたらいいのかわからない。でも真っ直ぐに熱いのだ、ということはわかる。

日本人はあまりにも穏やかすぎるのだろうか。

幻冬舎文庫 2001

池永 陽 – 走るジイサン

ある日気づくと、頭の上に猿がのっている。しかもそれは自分にしか見えないらしい・・・・

そんな奇妙な設定で始まる老人のお話。でもその猿の奇妙な謎よりも、この物語を読んでいると、なにかその物語の中に自分が混ざってしまっているような錯覚に陥ってしまう。それは著者の視点がすごく物語のなかの人物たちの目線と同じ高さにあるからなんだと思う。するとより物語がリアル、というかそんな日常に自分がいるかのように思えてきて、何でもない人達の何でもない暮らし(といっても何かはあるのだが)や、その人達の小さな喜びやあがきが身近に、いとおしく思えてくる。

巧みな描写だとか選びぬかれた言葉たちを使って、という文章じゃないけれど、あまりにも視線がすばらしくいい意味で普通で、登場人物たちが生き生き、というか、「生きている」感じがある。

あと年老いた人たちの悲哀が淡々と、でもしっかり描かれ、人間誰しも不可避な老いや、それに対する気持ち、あがき、あきらめ、社会との関係、なんかを考えさせられる。若い人は親のことを想い、年老いたひとは自分のこの先を考えさせられる、そんな物語のように思える。なんでもなく流れていく日時、でもそれは確実に過ぎ去っていき、戻らない時間。老い、別れ、それは誰も逃げられない。だからこそみんなあがいて生きようとするのだ。

短いけれど、すごいいいお話だった。池永さんの他の本も読みたい。第11回小説すばる新人賞受賞作品

集英社文庫 2003