『風の谷のナウシカ』再び。

コロナ禍が始まってから全然行けてなかった映画館に久しぶりに行って「風の谷のナウシカ」を観て来ました。

6月末ごろから再上映されているジブリ作品たち。このコロナ禍によって打撃を受けている映画業界を救済すべく立ち上げられたプロジェクトだそう。テーマは「一生に一度は、映画館でジブリを」。「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ゲド戦記」の4作品が上映されている。そして好成績らしい。

ナウシカはDVDももちろん持ってるし(ジブリ作品は好きなのでほとんど全部ある)、テレビでも放映される度に見たりするので、もう何十回と見ているけど、劇場で見るのは最初に公開されて以来。1984年公開だから(勝手にもうちょい前かと思ってた)36年ぶりか。やっぱり劇場で見るのはテレビの画面で見るのとは違っていい。当時はまだ映画としてのアニメ作品の公開はそこまで多くなかったように記憶しているけど、子供の頃から漫画やアニメ(とくに松本零士作品、ああ、松本さんお元気になられたのかな)が好きだったので、ちょくちょく映画も観に行った。ナウシカは当時宮崎さんを知らずに観に行ったんだけれど、それまでの子供向けのアニメとは何かが違う、と感じた覚えがある。確か初めて一人で切符買って一人で映画観に行ったのががこの作品だった。

で、観ながら当時のこととか雰囲気を思い出すかな?とか思っていたけど、そんなことはなく、純粋に映画を楽しめた。こんなに知ってると思ってるのに、何箇所か、あれ?こんなんだったっけ?とかここの曲はこんなのだったっけ?とか思ったり。DVDを見直して見ないと(話が逸れるけど何年か前に「クラッシャージョウ」の劇場版を見たんだけど、これも子供の頃以来(83年公開)観たけど、結構細部まで覚えてて自分でびっくりした。子供の時ってすごい集中力発揮できるのよねえ)。この作品は宮崎さんがアニメージュで連載している途中の作品を映像化したから、いろいろ紆余曲折したんじゃないかと思うけれど、話としては見事にまとまってるし、子供にも分かり良くて良いなと思う。

そしてやっぱりこのころのアニメ作品は全部手書きのセル画でやってる(はず)だけあって、今のテレビで流れるめちゃよく出来たアニメ(というかCG)に比べたらいろいろ荒いところもあるけれど、そこに人の手がかかった感じが伝わってくるのがいい。わざとなのかもしれないけれど、何箇所かほんの少しだけセル画が浮いて(るように見えて)、描いたものではない影がでてるように見えるとこがあったりして、画面がアニメじゃなくてセルに描かれた絵の重なりに感じられたり(いい意味で)。

そういえばこのころのアニメ映画って、前売り券のおまけや何かのプレゼントでセル画とかフィルムの一部をくれるってのあった。今からしたらすごいこと(複製とかボツのだったかもしれないけど)だと思う。今はたぶん大半の作品はデジタルで出来てるから、そういうことできないもんね。実際持ってはないけど、好きなアニメ映画のセル画とかみたら、ああ、あのシーンのだなーとかわかったりするけど、動いてないと少し魅力が減って感じたり、おぼえてるのと少しイメージ違ったりした。

それにしても久石さんの作品の素晴らしさよ!どのジブリ映画でも思うけど(オープニングが久石作品と違うものもあるけど)オープニング観ただけで映画の世界観が透け見えてくるし(その時の映像も楽しい)音楽の力って大きいなと思う。にしてもこの作品はイメージソング(もうすっかりそんなの影を潜めてしまったけど、もちろん映画中もかからないし、安田成美さんがデビュー当時歌ってたよねえ)を細野さんが作ったのもあってか、本編の挿入曲もYMOぽい電子楽器つかったものが多く入ってて面白い。他のジブリ作品にはこういうのないよねえ。

今回も最後まで楽しく鑑賞できた。子供のときはあまり物語の深い部分はわかってなくて、メカとかキャラの好き嫌いで観てたように思うけど、ほんと良い作品。この作品の宮崎さんの手記ってあるのかなあ、あったら読んでみたい。もう上映から1ヶ月以上経ってたけど、週末というのもあってか満席だった(まあ席数少ないスクリーンで、間引いた客入れだったけど)。僕と同じぐらいの世代の人で僕と同じように子供の時に観たんだろうなーって人もまあまあいたけど、結構子供(少年や青年ぐらい)も観に来てた。楽しんでくれてたらいいなとおもうし、面白いだけじゃなくて、人間の愚かさや、世界の深遠さ不思議さ、生きていくことの意味や希望についていつか気づいてくれたら嬉しいな、と制作者でもないのに思ったり^^;

ほんとこの作品を世に出してくれたみなさんに感謝です。

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余談だけど、シネコン系でなくても映画を見に行くと、本編が始まる前にこれから上映される予定の映画のPRが流され、その映像には大抵主題歌とかが使われている場合が多いけど、ほんとどの曲もこれでもかっていうぐらいコンプがかかってて(多分)耳がしんどい。音量が大きいというんじゃなくて全部の音を押し付けられているように聞こえる。とてもうっとおしい。人間って視覚も聴覚も入ってくものを全部感じ取っているわけじゃなくて、取捨選択して必要なものを取り入れてるはずだけど、映像に関してはそういう風に見ることができる、音に関しては隅から隅まで聞こえさせるようになってて疲れる。なんでこんなことするんだろう。映像だったら例えばチカチカ明るすぎて目が痛く感じるようなもの。

それにしてもどの曲もよく出来てて、甘い声で、上手に盛り上がったり、すごく分かりよく切ない展開したり、、、結局何かよく出来た部品の上手な組み合わせにしか聞こえなくて(まるで典型的なハリウッド映画みたいに)こんなんでいいのかなあとか思う(自分のことは棚に上げるけど)。

半藤一利&宮崎駿 – 腰抜け愛国談義

引退を表明した宮崎さん。そして最後にするとしている作品「風立ちぬ」。かねてから会いたかったと宮崎さんが言う半藤一利氏との対談書。昭和史、飛行機、夏目漱石などを通して「風立ちぬ」で描きかたかったこと、この国のありかたなどを語りあう。

こんな対談を読んでいると、いかに自分が何も知らなくて、何も考えてないかを目の当たりにされて悲しくなってしまう。本当の意味で国を憂いたり、怒ったり、そんな人生の先輩たちの対談はとても刺激になる。そしてこのひとたち本当にいろいろ物識りだなとひたすら感心してしまう。いくら好きとはいえこんな細かなことまでよく知ってるなーと。彼等にくらべて僕のもの知らずさ加減に嫌気がさすぐらい。本当に好きでいろいろ自分で行動して勉強してるひとたちは(とくにこういう人生の先輩たちは)全然レベルが違う。自分がああいうふうになれるかとは到底思えない。

しかしその博学者たちの対談は知らない話であっても非常に面白い。夏目漱石や他の文学のことも、飛行機のこと、戦争のこと、どれをとっても面白い話ばかり。もっと本が分厚つくてもいいから対談全部載っけて欲しかったなあ。もう少し映画について突っ込んだ話があるかとおもったけれど、それはあまり思ったほどでなかったのが少し残念。

文春ジブリ文庫 2013

あれから4年(アニメージュ編集部編)

一連の「宮崎さんのこともっと知りたい」衝動から手に取った本。あれから4年というのは映画「カリオストロの城」から4年ということで、1983年、実に30年前のこと。もちろん映画自体は何度も何度も見て、自分の中での好きな映画のひとつにあげられるけれど、公開時は観に行ってはない。宮崎駿という名前を知ったのはナウシカのときだったと思う。でもどちらかというと高畑勳の名前の方が印象的だったような。

この本の大半は映画の中のクラリスに関する名場面をフィルムからとったフォト・ストーリーで、あー、懐かしーという感じしかしないが、最後にちょろっと1980年の宮崎さんのアニメージュへの寄稿、81年のインタビュー、83年の富沢さんの寄稿、そして83年の宮崎さんのクラリス論、と4つの読み物がついていて、これが読みたかった。

宮崎さんがテレビシリーズのルパンについて語るところがなるほどなとおもう。すでにいろんな手垢のついた「ルパン」というキャラクターと宮崎さんの生み出した理想的な美少女クラリスをどういう風にまとめるのか。テレビシリーズの最後でもルパンのキャラを変えようとしたり、映画でもやってみたり。でもすでにお客さんの中にできているルパン像から乖離することも不可能なわけで、そのあたりの苦労がカリオストロの中にいろいろあると。なるほどそうやってみると単なる活劇映画ではなくて、人間のドラマとしても見えてくるような。

宮崎さんは当時「もうルパンで映画はつくれないけれど、娘とかだったら」とか書いているけれど、結局そういうものは産まれず(それは大人の事情もあったわけで)だったのだが、少なくともルパンのことは好きだったんだろうなーと。そしてあまりにも出来すぎた少女クラリスのつづきも知りたかったけれど、具体的な案がでたわけでもない。あのカリオストロのつづきというのは知りたかった(作って欲しかった)ところだけれど。

アニメージュ文庫 1983

宮崎駿 – シュナの旅

宮崎さんの映像作品にはたくさん触れたことがあるけれど(ジブリ作品や、それ以前の監督やら作画やら設定やってた作品も好きだ)、著作物はあんまり触れたことがない。ナウシカの原作を何度も読んだぐらいか。今公開している「風立ちぬ」を最後に長編作品はもう手がけないと言った宮崎さんのことをもっと知りたくなって、いくつか著書や漫画を入手している次第。

その中のひとつがこの作品。1983年に描かれた漫画だから宮崎さんが42歳のとき、いまの僕とそう変わらない。いろいろテレビ界やら映画での作品をつくってきていて、映画「カリオストロの城」の後、「風の谷のナウシカ」の前、並行してナウシカの連載が断続的に行われていたころか。

宮崎さんの絵はいつもまるみが気持ちいい。手塚治虫のきっぱりした丸さとはちがって、もっと素朴な丸さというか。また鉛筆書きなのが(きっと彩色も水彩だろう)とてもいい。お話としてはチベットの民話をもとにつくったそうだれけど、今読んでみると、ナウシカ的な風俗/時代/地方設定(人里離れた谷に住んでいたり、着ている服の感じやら)と、もののけ姫のストーリー骨子(主人公が西へ向かうことになったり、乗っている動物がヤックルだったり、神々が住む森にたどり着いたり、銃が草木に覆われているところも)をくっつけたような感じだったり、たどり着くところがラビュタの設定ぽい(パズーが住んでいた家みたいだったり、おばあさんがドーラに似てたり)なんて感じで、いろんな作品を見てきたからこそ気づくけれど、当時はまだこれらの作品は世になかったから、宮崎さんが内にもついろんなお話やおぼろげな映像やらなんやらの種がここにあるんだと思うと、じんとしてしまう。この頃からその先生み出す作品たちをたくさんイメージしていたんだろうな、と。

逆にいうと一貫したイメージがあるから、それ以外がなかなか難しかったのではないかと思わなくもない。でもまぁこの作品みただけで宮崎さんのいったいどれほどのものが分かるのか、なんて分かるわけない。でも、この人がどんなこと考えていたのかはとても知りたいのだ、いま。

そんなに長い作品ではないけれど、じっくりゆっくり味わって読める作品でとてもよかった。ただ、コマによっては絵の色使いとの兼ね合いで(もしかしてわざとなのか?)挿入される文章が非常に見にくい箇所もある。でもいいけど。

アニメージュ文庫 1983