初めて読む百田さん。プロフィールを読むと2006年にこの本を出版して作家デビューしたそうだが、関西老舗番組「探偵!ナイトスクープ」の放送作家をされてたとかで勝手な好感を抱いたりして。帯をみると、最高に面白い本大賞(文庫・文芸部門)で1位をとったり、児玉清氏が号泣したとか書いたりしてる。たしかにものすごく面白いし、とても感動する物語だけれど、僕には面白さや感動よりももっと哀しさや怒り、憤り、そして敬意、感謝の念を抱く物語だった。
主人公健太郎はライター志望の姉の依頼と興味もあって自身の祖父の過去を調べることになる。祖父は60年前の太平洋戦争で特攻隊にいて、そしてそこで戦死したらしい・・・・。同じ隊にいたひとや戦地にいたひとを訪ね歩く彼ら。彼らの口から語られる祖父は臆病者であったり、天才だと言われたり、さまざまな姿。しかし共通して言われるのは祖父が「死にたくない」「生きて帰りたい」と言っていたこと。なのに彼は特攻にいった。それは何故だったか?
祖父の姿を紐解いていくのと同時に、太平洋戦争が時系列に語られていく。日中戦からいよいよ対米開戦となり、いかに日本軍(ここでは主に海軍について語られる)が戦っていったのか。戦場はどんなところだったのか。真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル攻防、レイテ海戦、沖縄戦、と言葉だけでは知っている戦争を祖父の同僚であったパイロット(や、整備員、訓練生)たちの視点から語られるとき、この戦争が教科書的なものではなく、人と人とが生身で戦っていたこと、それらがいかに大本営の思惑や作戦によって左右されたかということ、そんなことが肌に感じられるような気がする。理屈としては分かっていてもこんな風に感じたことはなかった。
開戦当初の日本軍パイロットたちは優秀で、戦いの中でもおおらかに生きていたこと。開戦時にあまりにも優秀すぎた零戦ゆえの悲劇。敗戦色が濃くなっていく中で戦うことの意味を模索する彼ら。そして特攻へと向かう彼らの心境・・・・彼らのいろんな姿を通して僕たちの先祖がどんな気持ちでいたのか、想像を絶するけれど、その入り口は見せてくれる。
戦争が終わってだいぶたってから生まれた僕たちは歴史の中のものとしてしかこの戦争をしらない。でもたかだか60数年前のことだ。この本に描いてある世界を想像してみると、いまからは全く考えられない世界だ。でもこれらは事実であり、もっともっと知っておかねばならないこと。なぜなら、この戦争の犠牲の上に僕たちは生きているからだ。この物語で描かれるようなパイロットひとりひとりの屍の上に立っているのだ。それをもっともっと感じないといけないんじゃないかな。戦争の善し悪し/結果とは関係なく。
そして物語のなかで描かれる海軍士官たちのとった行動/作戦の数々が目が点になることばかり。少なくない数の作戦が失敗したそうだが、その要因が見切りのあまさ、弱腰、そして昇進競争のための点数制度などにあったらしい。自分たちは遠い場所で現実をみない作戦をつくり、兵は消耗品と考える、現場でも実際の作戦の成果よりも、点数を稼ぐためだけの指令、そして有利な状態からの撤退等々。読んでいるといまの社会と同じような構図になっているような気がしてならない。利権や派閥、出世欲のための争いばかりで、本当に必要な戦いをなにもできない行政や官僚や富めるものたち、そして彼らの陰で飢える民。戦争が終わって変わったはずなのに何も変わってないように見えるのはなぜだろう。
ほんとに太平洋戦争についてあまりにも知らなさすぎるのに愕然とする。学校教育も古い時代のことはともかくとして19世紀以降の近代史をもっと教えるべきなんじゃないかな(いまってどうなんだろ)。この本を読んでたくさんのことに興味をもった。自分がいまこうやって生きていることを噛み締めるためにも少し前にあったことをもっと知りたいと思う。