重松清 – 半パン・デイズ


どうしてこうも重松さんが書く物語は心の底に眠る懐かしい記憶、匂い、甘酸っぱい想いなんかを見事に掬い出してきてくれるのだろう。年齢が(というか少年時代の時間的重なりが)近いというのももちろんあるのだろうけれど、ちょっとしたところで拾われる(ゆえに文章中に出てくる)物事が自分の中で忘れていたものを思い出すスイッチになっているよう。

昭和40年代半ばごろ東京からひとつの家族が瀬戸内の小さな街へと引っ越してくる。そこは少年ヒロシの父の故郷。東京と違い、言葉も荒く、港町だから気性もあらい人たちが住み、プライベートなんてあんまりない、そんな慣れない環境だけれど、一度受け入れてもらえればみんな家族・仲間。そんな中でヒロシは多感な小学生時代を過ごし成長していく。これはヒロシの成長、仲間との友情、まだ青春というには青すぎる子どもから少し大人になる時間を描いた作品。

出てくる時代背景が何もかも懐かしい。読みながら自分の小学生時代を思い出した(実際物語はぼくが生まれた頃にスタートするので6年ほど過去だけど)。子どもたちの中ででてくる流行もの。鉛筆のキャップ集め、フルーツ消しゴム、金色に塗られたシャープペンシルの芯、駄菓子屋さんのさまざまなお菓子やゲーム。4年生ぐらいになったら急に女子が大人びた感じになったこと。バレンタイン・デーのチョコレート。階段の段数をより多く飛び降りた奴がエライこと。修学旅行。・・・すべてが懐かしい。でもそれらがただ単に懐古するために描かれるのではなく、小学生ヒロシの”今”を描くためにさらりと登場し、物語の引き立てをしているだけ。でもそういう細かいものたちが僕のような世代の人間にはとって、物語をよりリアルにさせるアイテムとなっているのは確か。

思い返せばいろんな奴がいた小学校。最初はみんな同じようでも学年が進むに従って、走るのが速い子、賢い子、おもろい奴、けんかばかりする奴、やんちゃな子、悪い奴・・・いろいろな顔が、特徴がでてくる。仲良くしたり喧嘩したり、競ったり、泣いたりしながらみんなで過ごした時間。今から思えばみんな可愛い。そうやって中学というより大きな社会に出て行く前の小さな社会で、でもそれが世界のすべてであるかのように思っていた小学生時代は幸せだったのかも。時代もよかったのかもしれない。女の子と本気でけんかできたのも子どもの頃だけよねぇ。へんなあだ名つけたりからかったりして。

最初は「トーキョー」というあだ名までつけられ、ちっとも馴染めなかったヒロシが、おどおどしながらもやんちゃな同級生や周りの大人たちに励まされ、いじめられ、仲良くなったり別れたりしながら成長していく物語がすがすがしい。9編の短編からなってるが、とくに「あさがお」「しゃぼんだま」「みどりの日々」が好き。

読者それぞれにもヒロシのどこかの部分が重なるかも。こんな本を書いてくれて重松さんに感謝。

講談社文庫 2002

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