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2014-03

岩合光昭 x ねこ旅

世界的な動物写真家であり、とくに猫に愛情を注いでその写真を撮り続けている岩合さんのねこ写真集。日本で出会った猫と世界(エジプトやスペイン、モロッコなどなど)で出会った猫たちの写真がたくさん。一度この岩合さんのねこ写真集を買おうと思っていて、昨年また新しいのが出たので本屋さんで手に取ったのだけれど、それからゆっくり眺めていたら、半年ぐらいかかってしまったw

写真集としては小さめのサイズなので、猫の存在感的なものはあまりないのだけれど、すっと手に取っていくつか眺めて、またぱたっと閉じて、じんわりするのにはとてもいい感じ。こうやって見比べてみると、日本の猫とよその国の猫は同じ猫なのにどこか違う感じがするのがわかる。もちろん景色や光の色が違うと言うのもあるのだろうけれど、それよりももっと、生き方というか、街に対する存在の感じとか、馴染み加減というのが違う感じがするのがおもしろい。

なんかね、日本のねこのほうが、おっちゃん(おっさん、ではないところがミソ)ぽいのよね。それに対してよその国の子たちはもっとしゅっとしていてお姉さんみたいな感じ(雄雌関係なく)。もしかして足の長さとかちがったりするんやろか?とまで思ってしまったりするけれど、写真からはわからない。でもなにか身にまとう雰囲気が明らかに違う。同じ油断してる感じでも、その油断さ加減が違う、とか。でもこれは僕の感想なので、よその国の人がみたらまた違って見えるのかも。

猫って一体なんなんでしょうね。どこからも独立していて、でも住む場所や自然には依存したような存在。一般的に動物には表情はないはずなんだけれど、この写真集を眺めていると、同じ顔からいろんな意味を読み取ってしまえる。犬とはまた違う感じなのよね。仏像に近いのかも。

ま、ぼくが猫大好きだから、勝手におもってるだけかも、だけど。

山と渓谷社 2013

浅田次郎 – プリズンホテル【3】冬

プリズンホテル第3巻。冬になるとここ奥湯元あじさい温泉 – 通称プリズンホテル – は雪に閉ざされる世界となる。深い雪のせいでだれも来ないこのホテルに気分転換にと来た看護婦長の阿部(またの名を血まみれのマリア)。そして天才登山家、安楽死が問題とされた医者、などなどまたいろんな人が集まり、それぞれのドラマが交錯する。

この巻のテーマはたぶん命、生と死。そんな大げさな感じでは描いてはいないけれど。救急でとにかく失いかけた命を救い続けることを使命とする看護婦長。苦しい延命治療の果てに患者に死という権利を与えた医師。矛盾しているけれど2人とも見ているものは同じなのかもしれない。しかし不器用にもその自分のできることを信じて止まない。そして死と隣り合うところにこそ生を感じることができるという登山家。本人にはすごく大きなことだが客観的にみるとほんと些細なことで死を選ぼうとする男の子。冬山の厳しさを通して生きるていることの素敵さ不思議さ厳しさを伝えようとする男とその不思議な魅力に気づく少年。これら2組の人物の間でかわされる言葉によって、生きていることの素晴らしさ、命への愛を描く浅田さん。この巻では、ホテルの人たちはあまり活躍せずになりをひそめている分(というわけでもないけれど大暴れしたりはしない)、このテーマがくっきりと浮き彫りになってるように読めて、感触が違うのだけれど、やはりなにか気持ちが安らぐ、そんなお話だった。

しかし今まで粋でかっこいい感じできてた仲蔵親分のうろたえぶりったらw カッコ悪ーw かといって自分がその立場になったら、、、、同じことになりそうな気がするけれど。ぼくもお医者さん苦手だし。

集英社文庫 2001

浅田次郎 – プリズンホテル【2】秋

2作目。任侠団体専用の宿として別名「プリズンホテル」と呼ばれる奥湯元あじさいホテル。ちょっとした偶然から今回投宿することになったのは、警視庁の慰安旅行団体だった。同宿するのは桜会の大曽根一家、往年のスター真野みすず、アイドル崩れの歌手とそのヒモのようなマネージャー、そして実は指名手配されている男。もちろんホテルオーナー仲蔵の甥である作家・木戸孝之介もなぜか秘書兼愛人清子の娘・美加を伴ってやってきた。さぁ、ヤクザとマル暴が同居する一夜、どういう騒ぎが起るのか?

分かりやすいといえば分かりやすいネタかもしれないけれど、今回もとてもいい感じ。普段は公僕とその敵対組織。宴会が隣同士だったことからホテルサイドはすごく警戒するが、その警戒を吹っ飛ばすかのような騒ぎ。でもどちらも実は社会の隅においやられた男たち。ちょっとした諍いから始まるが、最後はなぜか傷をなめ合う仲間になったり。ほんとどじくさい男達が可愛くなってくるから不思議。

でも一番かわいいのは美加ちゃんかな、けなげだわ。

集英社文庫 2001

重松清 – とんび


重松さんがあとがきで書いているように、不器用な父親がでてくる物語。時代は僕がうまれるちょっと前ぐらいの感じ。まだまだ世の中不便だったけれど、だからこそ世界はもっと狭くて、人がもっと密接に関わっていて、「頑張ればよりいい明日がくる」と信じられた時代懐かしいというか、胸がちょっと詰まりそうになるほど、忘れていたいろんなものが思い出されてくるお話だった。

読み始めてからなんとなくタイトル知ってるような気がするなあと思っていたら、一昨年にNHKとかでドラマになったものだった。今、配役をみてみて、先に見ていない状態で読んでよかったなと。やはり字で読む物語は読み進むに従ってキャラクターたちのイメージが自分なりに出来上がっていくので(また、特にこの本の場合は、僕ぐらいの年齢の人ならば、イメージが重なるような人が子供時代に身近にいたんじゃないかな)、先に映像を見ない方がぼくは好きだ。映像でなにがしかの印象が先についてしまうと、キャラクターがどうしても俳優さんなどのイメージに左右されちゃいがちなので。でも映像作品はそれはそれでいいのだけれど(どうしても時間的制約があって、原作は原作って言う風になりがちなのが、ちょっと残念なところはあるけれど)。

ほんと、いらだつぐらいこの父 – ヤスさん – は不器用。照れ屋でちょっと意固地だから、素直に気持ちが言えない。こういう姿をみていて、僕も重なるところがあるのだけれど、それ以上に父を思い出した。父はどちらかと言えば器用な人だったけれど、自分の気持ちを素直にいうのはたぶんヘタだったとおもうな、似てるもんな。でもこのヤスさんの気持ち、そしてやってしまう態度、よくわかる。なんども「うんうん」と思ってしまった。仕方ないのよね、そういう風にしか生きられないから。でも不器用だけれど、気持ちは本当にまっすぐ。よく見ている人にはわかる。そんな人が昔は沢山いたような気がする。ぼくはそんな人たちに囲まれて育ったけれど、到底こんな人にはなれない、すごく憧れるけど。

そして子供への愛情。親がいるから子供がいる。子供がいるから親は親でいられる。でも親も昔は子供だった。そんなあたりまえのことをちゃんと思い出させてくれたこの本。ほんと重松さんって泣かせる。いや泣かせるというより、ほのかにあったかく嬉しく寂しい気持ちにさせてくれる。それは決して嫌じゃなくて、なんか、忘れていた大事な感じを思い出させてくれ、それがたとえつらいことであっても、それでもありがとうと思えるような。

子供のときは好きになれなかった親の駄目な一面でさえ、こうやって大人になると、懐かしく、感謝したくなるものになるのだ、ということを、また思い出した。そして気づくと自分もその同じものを持っていたりする。親から子へ、子からその子へ、こうやって受け継がれて行くものなのね。

角川文庫 2011

浅田次郎 – プリズンホテル【4】春

プリズンホテル、最終巻。季節毎に訪れることのできたこの物語もこれで最後。任侠もので売れっ子になった作家・孝之介。しかし彼はそれより恋愛ものを書きたがっていた。その彼の書いた渾身の恋愛小説「哀愁のカルボナーラ」が文壇最高の権威「日本文芸大賞」にノミネートされる。根っからのひねくれものの孝之介は記者に追いかけられるのを嫌がって、奥湯元あじさいホテル –  通称プリズンホテルへと逃げ込みそこで選考結果を待つ。それにくっついていく編集者や関係者の団体で賑やかな様相を醸すが、実は孝之介はノミネートのニュースが流れたとたんに姿を隠してしまった継母の富江が気になって仕方ない。

それとは別に同じ頃、ある手違いから52年の服役を終えてシャバにでてきた一人の老人がいた。彼は孝之介の叔父でありプリズンホテルのオーナーであり、関東桜会の顔役である正真正銘のヤクザである仲蔵のオジキにあたる博徒だった。行く宛のない彼は途中で偶然出会った月末の支払いに困る工場主を連れ、その足は昔教えられた宿、プリズンホテルへと向かう。そしてそこにまたしても偶然やってきた演劇に熱心に打ち込む母子、ホテル支配人の不詳の息子の担任などが集まって、今宵も名物宿のどたばたがはじまる。

いくつかのお話が並行して進んで行って、それがこの宿での出会いによってまとまって行く。今回も同じような感じだけれど、今回は演劇母子と先生の出会い、大学で同志だったものの再会、そして小僧時代の仲蔵とオジキの半世紀ぶりの出会い。そんな時間を超えたドラマに焦点があたっているよう。

そして一番の焦点はいなくなった富江、そして孝之介を捨てた母。その2人の間で孝之介はどう振る舞うのか?

***

孝之介を筆頭にして、へんてこな人間ばっかりがでてきて、おもしろおかしく読める、そんな小説「プリズンホテル」だけれど、実のところこうやって面白く思えるのは、登場人物たちがあまりにも必死で、一生懸命だから、というようなニュアンスを解説で中井さんは書いている。それを読んで、はたと気づく。まさにそのとおりだな、と。読者は小説の世界を上から(横から?)覗きながらその世界を楽しめるわけだけれど、このプリズンホテルを読んでいると、そこに出てくる人たちの姿が自分に、じゃあ君はどうなんだ?って問いかけているように思えてくる。「君はどうなの?一生懸命に生きてるの?」と。別に正しいとか間違ってるとかそんなことは関係なくて、何かにがむしゃらに頑張っているか?と。

曲がりくねったり、あちこちより道してしまうかもしれないし、間違うこともあるけれど、一生懸命にやってたら、やがて何か素敵なことがやってくる(かもしれない)、と思える/信じられるというのはなんて素敵なことなんだろう。そう信じられる人間がああやって頑張ってる姿はおもしろいけれど、でもやがてすごく羨ましくなってくる、というのは僕はそう出来ていないからだろう。

そう。読み始めたときに、なんでこんな根性曲がってんねん!と思った孝之介も、殴られるだけの情けない女・清子も、罵られるだけの継母・富江も、何も言わなかったという父も、酔狂なヤクザである仲蔵も、融通聴かない支配人・花沢もその息子も、黒田も、大曽根も、仲居の外国人のねーちゃんたちも、どの人も困ったちゃんなイメージしかなかったのに、読み終えた今となってはすごく親しい、身近にいる、ちょっとまぶしく羨ましい人たちのように見えてきている。そういう人たちの姿をこうも見事に、というか、あっけらかんと描いてみせる浅田さんにほんと感謝と拍手を送りたい。

ほんとこんな宿があったらなら、季節毎に訪れてゆっくり湯につかったり、怖いバーで呑んでみたりしたいな。とかくスマートに物をはこびたがる今の時代にはこんな時代遅れ(といったら失礼だけれど)な、人間臭さのある場所というのが、とても貴重で、懐かしい感じがして、実はちょっとうっとおしいなーと思うかもしれないけれど、飛び込んでみたらすごく暖かな世界であるということが分かるんだろう。いい話だった。ほっこり、うるる。

集英社文庫 2001

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