四半世紀

20200117

「あの日」から25年が経った。今日2020年1月17日で神戸の震災から25年。すごく長い時間が経ったような気もするし、あっという間のことだったようにも思う。実際たくさんの時間が流れたとは思うけれど、ふとしたことですぐにあの日の感覚が蘇る。あたりを包む不穏な通奏音、空を覆う真っ黒な煙、ヘリの音、救急車のサイレン。。。僕にとって「あの日」という言葉は1995年1月17日のことを指す。

25年ということは今の僕の人生のちょうど真ん中だったわけだ。それまでの25年とあれからの25年。同じ時間だけれど、意味はずいぶん変わってしまった。それまでは明日は永遠にくると思っていたけれど、あの日以降はそんな保証は全くないと思うようになった。

震災のことに関して何かをできるわけじゃないし、やってきたわけじゃない。震災の恐怖や教訓を誰かに伝えるなんてできないし、結果的に何かを失っていない僕はそんな資格はないと思っている。ただただオロオロするだけ。あの時はみんなが優しかった。同じ被災を経験した人同士が痛みと気持ちとモノを分け合った。大して被災してない僕も優しくしてもらった。そうすると誰かにも優しくできた。でもそれはあの苦しい非常時だったからのかも。普段の僕にはそういうことはきっとできない。

そういう意味で、今日という日は震災で被災した全ての人に祈りを、思いを馳せる日であると同時に、明日は何の保証もないのだと認識する日、そして自分の無力さと本当のところは優しい人間でも何でもないということをまた思い出し、そうじゃないようにありたいと自戒する日。「亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう」と歌われるけれど、そんな風にはきっとできない。でも、生きていくのだから、とにかく一生懸命生きていきたい。できることは限られるけど。

自分の人生も半ば。その人生の半分が震災後。世の中も自然も不安なことばかりだけれど、ここで一度原点ゼロに戻ったと思って、気持ち新たに生きていきたい。

いま一度、この震災で被災されたすべての人、ものもの、それらに繋がるすべてにお祈りします。そして生かされていることに感謝します。

2020.1.17

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