祈る。

20200201

最近こんなことをふと考えた。

もしかしたら僕はまあまあお祈りするほうかもしれない。神頼みというわけではなくて、ただただ何かに感謝したり、家族や親しい人のことを想ったり、遠い不穏なことに思いを寄せたり。実際言葉をかわしたり、手紙やメールやメッセージを送るというのもいいのだけれど、ただその瞬間に何かに感じて、祈る、というように。何かを通ってその思いが願いがその先へ届いたり、単に遠くから思いを寄せてることが波となって伝わったり、そんなことが起きるならば嬉しいと思う。嬉しいと思う、というのも少し違うような気がするけど。

そう、もちろん祈ることによって、相手に何かが伝わればそれは素敵なことだけれど、そうじゃなくて僕の場合は、自分のためにもやってるような気がしている。祈ることによって自分の何かが救われたり、言い訳の代わりにしていたり、のちの後悔のことを先に感じて謝っている気持ちだったり。まわりの人のためでもあるけれど、自分の何かに向かっても祈っているんだな、と。

祈る時、その瞬間は、その対象となるものものへ気持ちで集中していっぱいになれる。ほかのまわりのことは忘れて。人間ってほんと常々自分のことばかり考えがち。仕事のことでも、食べ物のことでも、好きなことでも、結局は自分に帰結するようなことばかり考えてる。たぶん生物ってそういうものなんだと思う。でも、祈っている時はそこから一瞬離れることができる。言い方おかしいかもしれないけれど、それが気持ちいいのかもしれない。もちろん祈ってる言葉は自分からでてるのだから、やはり何か自分に帰結するようなことを心の底で考えてるのかもしれないけれど、少しそれが薄れるのじゃないかな。普段の、欲ばかりの時間から少し離れられること、何かどこか自分以外のものに役立ってるような気になれること、それらがしばしば祈る理由だとすると寂しい気がするけれど、きっとそうではないと信じている。

祈ることが、自分のためにも世界のためにもなっていればいいな、と想って、またときどき祈ろう。

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