西加奈子 – きいろいゾウ

kiiroizou

久々、というか3作品目の西さん。一昨年直木賞を受賞して一気に有名になった。イラン生まれの大阪育ち、実は高校の後輩だったりするので勝手に嬉しく思っていたり。

「ムコさん」「ツマ」と呼び合う若い夫婦が都会を離れてすごい田舎に引っ越してきた。ムコさんは売れてるのかどうかよくわからない作家。ツマは世の中のいろんなものものの言葉が聞こえる不思議なひと。物語はツマの視点で語られるが、同時にその日の様子がムコさんの日記からも語られる。植物や虫、風や星からもいろいろな言葉を聞くツマがとてもへんてこりんなのだけれど、それは彼女のエネルギーが大きいからだとムコさんは暖かく見守る。なんでもない小さなものごとがおこったり怒らなかったり。隣の鶏がやってきたり、野良犬があがりこんできたり、子供が来たり。そんな日常をすごしていたけれど、実はムコさんには忘れられないひとがいたのだった。そして背中に謎の大きな鳥の刺青があるのだった。

ある日やってきた手紙がこのささやかな生活に大きな波紋を起こす。何も説明しないムコさん。そしていらない想像ばかりしてしまうツマ。二人の溝が埋まらないそんな中でムコさんは決心して都会へ行ってしまう。それは彼自身の問題を解決するためだったけれど。。。

こんな女性が横にいたらさぞや楽しいだろうと思うけれど、よっぽどのんびりしてるか、のんびりできるところや時間にいないとダメになってしまうかも。イラっとすることはないけれど、どうしたらいいんだろうというような気持ちになってしまう。人を愛すること、いろんなことを分かち合うこと、経験すること、生きて行くにはいろいろ必要でいろんなことが怒るけど、このムコさんのように生きられたら素敵だなとおもう。ムコさんの必要なものはシンプルでとてもいい。

きいろいゾウは、各章のあたまに挿入される(架空の?)絵本のものがたり。お月様の光をあびて黄色くなったゾウ。むかしツマの夢にでてきた。そして二人とも子供の頃から読んで好きだった。素敵。

西さんの小説は、こんなにのんびりしている様子を描いているのにスピードがある。感情のスピードというか。感覚というか。堺っこだからというシンパシーはここには感じない。けど、このスピードの感じはなにか知ってる感じがする。速さとか熱さ、というより、深さというか。言葉にするのは難しい。

岡崎武志さんの解説がとてもよくわかる。

2013年公開された映画の原作。

2008 小学館文庫

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五代ゆう – 豹頭王の来訪(グイン・サーガ139)

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グイン・サーガ、139巻。ああ、手元に買い置きしてあるグインも底を尽きてきた。たまに本屋さんにいって大量に出てるのを発見して喜んで買うのだが(普段チェックしてない)、何冊かあってもおもしろくてずんずん読んでしまうので、あっという間に読みつくしてしまう。

跡目騒動や少しずつあきらかになってきたまた別の陰謀などに悩まされるグインとケイロニア。災害があってあきらかになった皇女の息子シリウスの存在、行方不明のシルヴィア本人、彼らを探しに馬を駆って国中を巡るグイン。寸でのところでその子シリウスを助け出すグイン。

そしてケイロニアのはずれにあるベルデランドにはパロから落ち延びているヴァレリウス、マリウス、リギア、そして魔道の力を持ったがゆえに事件を起こしてしまった子・アッシャが滞在していた。彼らの元へも突然訪れるグイン。旧交をあたためつつもグインとヴァレリウスは会談し、パロのこの先や、現在おこっているケイロニアまわりの異変について語り合う。グインは陰謀の中に潜むある人物の存在にも薄々気づいているよう。

やっぱりグインが剣をもって戦うとわくわくする。単純にヒロイックファンタジーというのはこういうことだ、とか思ったり。外伝一巻で描かれたケイロニアの異変以降、グインの周りには良きにつけ悪しきにつけ、運命の変転が訪れる。どうなるのかケイロニア?!

ハヤカワ文庫 2016

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宵野ゆめ – ケイロンの絆

グイン・サーガ正伝138巻。この巻は宵野さん。話は変わって場所はケイロニア。先帝アキレウスの死去にともない次期皇帝選びでもめる国内。グインを擁立しようという一派とそうでないものたち。いくら先帝の寵愛を受け、娘婿となり、息子とまで呼ばれたとしても、ふらりと現れた傭兵であったグインではなく、やはり血を引き継ぐものを後につけたいと思うものはいるはずであり、グインもそのことをよくわかっている。またこれをネタに国を揺さぶろうとする輩も現れているよう。そこでグインはもう一人の皇女であるオクタヴィアを推すのだった。

そして隠されていたもう一人の皇女の子供。これがまた物語に波乱を呼ぶ一人になることは間違いない。グインあるところに何かが起こる。その大きな波にケイロニアは飲まれてしまうのか、それとも新しい皇帝とグインがはねのけるのか。スカールの話もあって再びグインのもとにいろいろなものが集まりつつある。

ああ、面白いなあ。相変わらず一気読み。ここにきてケイロニアのいろいろな地方や特色が描かれることが増えてきて、ちょっと目が白黒。ケイロニアって広い国、連合国家だもんなあ。ガイドブック買おうかなあ^^;

関係ないけどこの本を読んでるとき電車に忘れていくってことをしてしまった。しかも電車だったかどうかもわからず、心当たりあるところに全部問い合わせてみたが出てこず。諦めかけた数日後JRから連絡あって見つかったと、しかも姫路で。無くしたの大阪城あたりだったんだけど、どうやってそこまでいったんだろうか?拾って届けてくれた方に感謝です。本もだけどこのブックカバー戻ってくるにこれで2度目だなー^^;

ハヤカワ文庫 2016

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伊坂幸太郎 – 残り全部バケーション

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やはり久しぶりに読むと面白い伊坂さん。なんてことはない物語であっても、パズルのように組み合わせられると、その断面の見え方で違う感じになったりして、例えばある人の意外な面を突然見せられたりするようで面白い。この物語は当たり屋やらなんやら非合法なことを生業として生きている岡田と溝口。この岡田がある日この稼業から足を洗いたいと言ったところ、溝口は「適等な電話番号にメッセージをおくってその相手と友達になること」を条件とする。そこから物語が始まる。

時系列を行ったり来たりするので相変わらずけむに巻いたような感じで話は進んでいくが、岡田がいろんな余計なことに首をつっこむ(彼の性格らしい)と、なんでも適等に考えずにやってるようにみえる溝口のキャラが軽妙で、割と深刻なことを描いてあったとしてもそう思えないから不思議。この辺りのさじ加減も伊坂さんらしいなというところか。子供の虐待をまるで映画ターミネーターとヤマトの話をまぜたようなネタで解決してみせたり、子供時代の岡田がでてきたり(描かれてなくても昭和感がででる)、同じ世代の人が書くもの語りは設明なしにシンパシーを感じてしまえる。

途中で岡田は溝口のさらに上司である毒島に連れ去られてしまって(仕事の失敗を溝口が岡田に押し付けた、この辺りも溝口の適等さ加減がでている)、その消息はわからなくなってしまうが、、、、そして溝口と毒島も対決することになってしまうが、、、その結末は。。。

ちょうど読んでいるときに北朝鮮の金正男氏の暗殺事件があって、その手口が複数人による手の込んだやり方で、実際に手をくだした人間はテレビのドッキリだと思っていたあたり、この物語で描かれるある場面に似ていてびっくりしていた。「作業は一つずつこなしていけばいい。分担するのだ」こういった溝口のセリフがこの事件に重なって強くなった。伊坂さんなんか知ってるの?(そんなわけはないがw)

解説で佐藤正午氏が見事にこの小説をひもといてくれているし、その中で伊坂さんの手法についても書いてくれている。。この本の仕掛けについても、伊坂さんのねらいについてもなるほどなあと思うことばかり。すばらしい。

集英社文庫 2015

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五代ゆう – 廃都の女王(グイン・サーガ137)

guin137

グイン・サーガの正伝137巻。栗本さんから複数の作家さんが引き継いで7冊目。物語のグインと並ぶ鍵となる人物・アルゴスのスカールはなんとか亡霊の国を逃れ、かつてグインも訪れたことのある魔都フェラーラにたどり着く。そこはいまも変わらず半獣半人のようなものたちが住まう土地であったが、ここも竜王の侵攻にあい、生き残った一部のものたちも神殿の奥深くに隠れているだけで、破滅の時を迎えようとしていた。女王リリト・デアも死の床についているような状態をみかねたスカールは彼らをなんとか助けようとするが。。。。

ここにきてスカールがとても重要な鍵を握るようになってきたこのシリーズ。栗本さんはここも書いていたのかいなかったのか。なんせ男気あるキャラクターが活躍するのは楽しい。そしていままでは絵がかれていなかった、ここ魔都にも存在する謎の船。そこで明かされるグインやこの世界にまつわる秘密の一端。この感じ、もとのグインの世界に近いなあ。でも栗本さんと違って若干このあたりは言葉の選び方も新しいような(コンピュータ関係が進んでるもんね)

そして一方魔導師ギルドが全滅したらしいパロの残された一人であるヴァレリウスのもとに弟子としてやってきた小さな女の子アッシャ。彼女が犯してしまった罪をどうしたらよいのか。まったく綺麗に消し去るか、それとも魔道の世界で生きていくのかヴァレリウスは迫る。このアッシャ(とそのの周り?)も今後の展開に影響を及ぼしそうな人物。どうなることやら。

どんどん続きが読みたくなって仕方ないこの感じ。やっぱりいいなあ。

ハヤカワ文庫 2015

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菅原正二 – 聴く鏡

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岩手は一関にある喫茶ベイシー。ジャズファンやオーディオファンなら知らない人はいないくらいの老舗。そこのマスターである菅原さんが長年季刊ステレオサウンド誌に連載しているコラムをまとめたもの。この本は1994年から2006年の分と、いくつかのコラム、そしてSESSIONS LIVE!と題して渡辺貞夫、村松友視、坂田明との対談3本を収めた作品(その続きのIIもある)。

何も知らずに読んだらただのオーディオオタクのかなり頑固なヒト、的な感じしかしなかったかもしれないけれど、実はベイシーには2度だけいったことがあり(幸いにも一度は懇意にされている方と一緒にいったので、幸運なことにいきなり’あの’テーブルに就ていろいろお話伺えたのでした)、あのお店の音の凄さ(体験しないとわからない)、菅原さんのあの感じを少し見知っているので、本を読んでいると、まるで菅原さんが目の前でいろいろしゃべっているように感じられた。あのお店にいって、あの音を聴いて、あそこでの時間を愉しんでいたら、この本に書かれていることは、まるで映像をみるかのようにいろいろ想像できるんじゃないかなと思う。

オーディオでレコードを鳴らすこと、(自分が信じる)いい音を出し続けるということ、ジャズという音楽とそれを産み出した人々を愛すること、そんな日々が(割と?)赤裸々に ー 場合によっては愚痴に見えるぐらい ー 語られる。菅原さんのあの声が聞こえてきそう。なぜここまでこだわるのか、もっとスマートにできるものをややこしくしてみたり。坂田さんとの対談でも書かれていたけど、これらは修行であって、あがきつづけることが大事で、それによって各々がしかるべきところに収まる時が来る(と信じる)、そうでないと何も面白くない(簡単に答えがわかることはつまらない)。全くもってその通りだと思うけれど、今の風潮はそうではないのかもしれない。

ああ、またあのくたびれかけたソファーにどっかと座って、あの音を浴びたい。まさに浴びるという感じ。レコードをただしく再生してやると、録音された時の空気がそのまま蘇る、と菅原さんがいうことがよくわかる。単に聴いているだけでは聞こえない、録音された音のマイクの向こうにそのときいた人たちの息遣い、衣擦れの音、体の大きさ、立っている様や座っている様、表情までが見えてくるよう。

チャンスがあれば訪れて欲しいお店だし、行ったらこの本を読んでほしい。

ステレオサウンド 2006

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江國香織 – はだかんぼうたち

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歯科医の妹・桃とフリーの作家のような仕事をしている姉・陽。最近ずいぶん年下の男の子・鯖崎と付き合うようになった桃はそれまでのいい恋人・石羽と別れてしまう。桃と高校時代から仲のいいヒビキこと響子、4人の子供を抱えて主婦業が忙しい。その姉妹を見守るがどこかまた違う種の女性である母・由紀、そしておおらかな夫・詠介。最近亡くなった響子の母・和枝とその恋人だった山口。。。。。

などなど、主に桃と鯖崎と中心として家族や友人、元カレや恋人やらの人間模様が淡々と描かれる。十一月に始まって、二月、五月、八月、九月、十一月、二月と一年少しあまり。断片的なシーンごとだけれど、そのなかから彼らの人間像が、関係が、息遣いが感じ取られていく。

しかしこの江國さんの文章の不思議さ。決して力強く主張してくるわけではないのに、どこか心の奥までしみこんでくる。そして解説で山本容子さんが書いているように、ひとりきりで誰にもじゃまされずにゆっくりよみたくなる。そして一ページ目を開いた時から、描ききらない描写というか、行間の大阪にその文章から目が離せなくなり、すっかり物語の住人(傍観者としてだけど)になってしまう。山本さんは「物語にとりこまれる」と書いてるけど、全くその通りだと思う。そして文章から江國さんの息遣いが聞こえて来るような気さえしてしまう。

彼女の文章を読んでいると、どこか絶対的な孤独であったり、逃れられないけれどゆるやかでいつまでたってもやってこない破滅とか、ハレの陰によりそうケのような、そういった存在を強く意識させられる。人生という時間のなかの表面的な上げ下げではなくて、ずっと静かに寄り添って横たわっている何か。運命というとロマンチックすぎるし、宿命というほど厳しくない。でも、確実に抱いているもの。それが人生に陰をおとし、立体的にしてくれているというような。

ぼくは読み取れなかったけれど、山本さんの指摘で気づいたけど、各章(二月とかね)それぞれに人物たちのシーンが描かれているけど、それが韻を踏んだようにも書かれている。静かなママのシーンの次に賑やかな母親が登場し、白いご飯を食べ終えたあとに白いスタジオが始まり、、、とまるで映像のような、文章の韻のような。そんな遊び心というか、細やかさも江國さんらしいというか。

ふわっとしてるけど、確実に自分が過去にこういう人たちにあったことがあるような錯覚を覚えるほど、濃く人間とその時間が描かれた作品だった。

角川文庫 2016

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越谷オサム – 陽だまりの彼女

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かまたまがいなくなった折、「これまさにいま読んでよー」と手渡された本。題は聞いたことあったけれど、越谷さんは知らないし、女子が男子に読んで欲しい恋愛小説No.1という帯がついているので、これは女子力が試されるのか?とか思って読み始めた。

幼馴染と10年ぶりにすごい偶然で再開した浩介と真緒。中学で信じられないくらいのアホだった真緒はいまは仕事がバリバリできる大人のひと。いじめられっこだった真緒は、なぜか真緒はやたらと浩介にだけ懐いていた。自然と交際するようになった二人。でも真緒には実は秘密があった。。。

最初は甘々の、しかもちょっと文字の多い感じの最近の小説だなあとか思いながら読んでいたけれど(しかし甘々^^;)、表題の彼女である真緒ちゃんがちょっと不思議な感じがしたり、ちょっとミステリー要素あったりするので、ただの恋愛小説という感じじゃないなあと。そして後半になるとすこしずつ差し込まれる何かの予感、、、真緒のちょっと不思議な行動の数々、、、そしてラストは、、

単純にちょっとSF(?)の入った恋愛小説としても読めるけれど、いやいや、見事に伏線をいくつも張ってあって、それがすこしずつ結実していくのが見事だなあと。しかもそれが自分が好きでたまらないものである、というのが、ほんとにねえ。ああ、あれはあれのああいいうところか!なんて感心したり。越谷さんよく観察してるというか、よく知ってるなあ。

ジン、と心に沁みて、泣けちゃう感じもあるんだけれど、今の僕は泣いちゃうというより寂しさが増す感じか。でもそれは決して嫌な感じじゃない。いつかきっと(まあ今もだけど)笑って思い出すようにはなれるだろうけどね。なんなんだろうな、あいつらって。

もし本当に九生あって、まだ8回目だったなら、また現れてくれないかな。男の子だろうけど、いい友達になれたらいいな。会いたい。

2011 新潮文庫

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坂木司 – ホテルジューシー

hoteljuicy

大家族の長女に生まれて、親代わりに弟や妹の面倒を見たり、家事をしたりして育ってきたヒロちゃんは、すごくしっかりもの。何事もきちんとしていることが好き。大学の卒業旅行の費用を稼ぐために沖縄・石垣島のリゾートホテルでバイトをする日々だったが、ある日そこのオーナーに頼まれて那覇のホテルを手伝いにいくことに。それまで宿の仕事で充実していた彼女は、そのホテル・ジューシーで相当面食らうことになる。。。

昼行灯で夜中しかしゃんとしないオーナー代理(なぜかオーナーはいない)、勝手に人のものをいじったりする掃除担当の老姉妹、突然いなくなる同僚、ワケありの宿泊客などなど、ヒロちゃんは翻弄されつつも成長していく。

きちんとしていることはいいこと。でもそれが全てにおいて正しいこととは限らない。沖縄の(いささか誇張された)アバウトな感じと何事もきっちりしたい性格の間で悩むヒロちゃん。何が正しいのか、自分はどうしたらいいのか?

最初はたんなる青春ドタバタ劇っぽい内容だったり、沖縄のあの感じ(行ったことある方ならわかりますよね)がいろいろ描かれてて楽しい物語だなーとか思っていたけれど、後半に移るに従って、坂木さんが描きたかったであろう、正しいことってなんだろう?というテーマが見え隠れする。ぼくもヒロちゃんに似ているところが多分にある(もっといい加減だけど)ので、ヒロちゃんがオーナー代理に言われる言葉が心に刺さってくる。

正しくないから正したい。自分がいなければ回らないから手を出したい。主観的にはいいことだと思えても、本当はどうかわかんないし、実際物事は怒ってみないとわからないし、自分がいなくても世間はまわる。そんな単純なことをいつの間にか、一生懸命であるがために忘れてしまう。そういうことってままある。ほんと自分によくあてはまるような。

いつかまた沖縄にいけたら、もうすこしゆるりとしてみたいな、と思えた本でした。美味しそうなものいっぱい出てきたなあ。

角川文庫 2010

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辻仁成 – 99才まで生きたあかんぼう

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辻さん、面白い本を書いてくれたなーと思う。ある意味絵本ぽい(絵がそうあるわけじゃないけれど)物語。1ページごとに主人公がひとつずつ歳をとっていく。0才だったあかんぼうは、10才になり、20才になり、いろんな経験を積みながらやがて99才になる。

辻さんはどこから読んでもいい、最初からでも自分の年齢からでも、というようなことを書いているけど、まさにその通りでどこから読んでもいいし、それ相応の年齢の感じが伝わってくる。人生の経験の地層みたいなものが。でもやっぱり最初から読んだ方がいろいろシンパシー感じるかも。物語ぽくもあるけれど、いつの間にか自分の人生に重ね合わせてしまう。まあ、自分とは全然ちがうのだけれど。憧れも含まれてるし。

そんなに長くもないし、簡潔に描かれているけれど、その簡潔な分じわりじわりと主人公の人生の浮き沈み、喜怒哀楽が伝わってくる。大切なこと、幸せを感じるものごと、家族、友人、もしかすると僕たちの人生に必要なものはそんなに多くないのかもしれない。どう接するかであって。どう考えるかであって。

そういう点とは別だけど、2005年に描かれたこの物語が、今の世の中の様子と微妙にリンクしていて、その未来も描いてるもんだから、ちょっと考えてしまうところもあり。どうなるんだろう世の中は、この先。それでも人は生きていくのだけれど。

人間は死ぬまであかんぼうなのかも、とは、なるほどなあ。

2008 集英社文庫

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