有川浩 – 県庁おもてなし課


実際に高知県にある「おもてなし課」をモデルに、高知県愛をこれでもかーと詰め込んだ有川さんの作品。この作品読むまで有川さんが高知出身だとわかってなかった。「空の中」読んだらわかりそうなものなのになぁ。意識していなかったか。

さて、「おもてなし課」は実際にあって、そこから有川さん自身が観光大使を依頼されたことからこの小説の構想が始まったそうなのだけれど、実際このお話もそういう展開で、だからこそかやたらとリアルさがある。そして実際にお話の中で紹介されるスポットやらイベントやらは実際にあるものだし、出身者の有川さんが描くからというのもあり、お話の”フィクションじゃないさ加減”がすごくて、ほんとにあった話(実際あった話の部分は多いのだけど)みたいで見事。そしてその高知県愛が彼女の父からもたらされたものである、というのもよくうなずけるお話。実際そんな父親いたら楽しいだろうなぁ。

書かれたのは2011年だけれど、20数年前に瀬戸大橋ができてようやく四国が陸続きになり、相次いで明石海峡からのルートやら広島から島々をめぐって今治に到達するしまなみ海道なんかができて四国へのルートは楽になった(それまではフェリーだったから。それも旅情あってよかった。なので時間あったらあえて載ったりする)けれど、実は高知はまだ遠い場所。実際、関西圏から到達するのにもっとも時間かかる都道府県は高知もそのひとつ。四万十なんてどんなに遠いか。高速道路が高知市から少しの辺まで伸びたけれど、他の四国三県に比べると実際にアクセスは悪く、僕自身もながいこといってない。でもすごく魅力的な場所なんだけれど。海は広いし、太平洋を望む海岸に立つと「いっちょやったるか!」て気分になるし、山は深く険しく緑が深い。そして当然食べ物はおいしいし、いうことない場所なのだけれど、なかなか行きにくいのよね。でもそれを逆手にとる、なるほど、街中に住む人間はあの開放感はどこにいっても味わえないもの、不便さの魅力、ってのはこれからもっと求められるものかもしれない。

そして、やはり有川さん作品らしく、きゅんとさせてくれる恋話できゅっと締めてくれるあたりさすがだなと。やもすれば重たそうな話題も、彼女のかかれば明るく未来ある話に聴こえてくるし、なによりわかりやすくて、興味がわく。リアルすぎてどこからどこまでかフィクションなのかわからないけれど、おもてなし課の成長物語はほんと感動してしまった。これが全国でしょぼくれ気味になってる地方で広がればどんなに楽しいか。どの県もちゃんと魅力あるもんね。よそ者には見えて、地元には見えないものがたくさんある。

また行きたいなどっか遠いとこ、そして高知県。「あーー、やっとたどり着いたー、ぐてー」って思えるのも、たまにはいいのよねぇ。

2013 角川文庫

川上弘美 – ゆっくりさよならをとなえる


川上さんの作品はいくつか読んできているけれど、エッセイははじめて。普段は物語というものを通してしか感じられない川上さんという人が、エッセイからだともっと濃く(そして思ってた感じだったり、そうでなかったり)感じられておもしろい。やっぱりちょっと(?)へんてこな人だなあと(いい意味で)思う。少し湿り気のある感じとか、そんなとこに引っかかるのか?と思わせるポイントがあったりとか。

新聞や雑誌なんかにちょろっと書かれた文章がほんとうにたくさん。なんとなく章に振り分けられている。でもどれもおもしろく、ひそやかで、あんまりがちゃがちゃしていなくていい。川上さんがあちこちぽつぽつ歩く姿が目に浮かぶ。

読んだ本から気になる一文をひっぱりだして、そこからいろいろ想像を膨らませたり、とるにたらないものにひっかってみたり、作者のなりを想像してみたりする、そんな章があるのだけれど、川上さんの視点で選ぶ本、文なんかを見ているとまたまた読みたい本が増えてしまってこまる。そのうち川上さんのように街に落ちている本を拾うようになったらどうしよう。たしかに本って他の落ちているもの/捨てられているものとちょっと異質感あるというか、存在感を放ってるかも。僕は本を捨てたりできないから余計にそうおもうのかも。

表題作、とても素敵でした。

2004 新潮文庫

谷川俊太郎、松本大洋 – かないくん

最近また訪れるようになったほぼ日こと「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイト、オープンしたころはよく見てたのだけれど、もうずっと見てなかった。けれど、ふとしたことからまた毎日訪れて眺めるようになってる。やっぱり糸井さんは面白い、ウィットに富んでる。まぁ関西人としてはどうしても中島らもさんと比較しちゃうところあるんだけれど。

まぁそれは関係なく、久しぶりにながめたほぼ日はすごくコンテンツが変わっていて、そしてそのコンテンツや糸井さんのまわりから仮想世界を離れてリアルなものが作られるようになってた、手帳だけかと思ってたら。

そのなかで最近でたのが、この絵本、「かないくん」。印刷についての対談というかプロジェクトの話のコンテンツがあって(もちろんこの本をつくるとなっての話だったが)、それがいままでぼくがCDアルバムとかをつくるときに考えていたようなことと共感することがすごくあって、とくにこの絵本の場合は、松本さんが描いた絵の、白、をどう表現したらいいのか、鉛筆の線をどう印刷したらいいのか、ということがすごく語られ試行錯誤したそうで、それがどんな風になったのかということにとても興味をもって(もちろんこの絵本の内容もだけれど)、入手してみた。

なんせ、発色が綺麗だなと第一印象。そしてページ毎に印刷の加減か手触りが変わったりするのもすごくいい。議論になっていた鉛筆画はまるでそのページに描いてあるような薄いタッチまでちゃんと印刷されたものだし(そりゃほんとの鉛筆で描いたらへこんで立体的になるだろうけれど、一瞬、え?と思えるぐらいの感じ)、何より白がとてもいい。白が白い。普通の印刷だったら白は使っている紙の色に左右されるんだろうけど、これはちゃんと白だ。白で印刷した上に、普通に印刷してその中で松本さんが描いた白を印刷してるそう。コストとか手間考えたら普通やらない。でもそれをやってる。それは、そうしたかったからであり、そうした方が松本さんの意図が、見えてるものが、描かれたものがよりよく読者に伝わるわけで、とても大事だけれど、いまの社会システムでは打ち捨てられがちなこと、もしくはウリにしたりする。

ぼくはたまたまその制作過程の話を読んだから(もちろんそこに興味持ったからであったけど)この、白、を見て、触って、おおお、とおもったりするけれど、知らなければ普通にスルーするかもしれない。でも、何人かは、すごいと思うかもしれないし、おや?と思うかもしれないし、思わなくても感じるかもしれない。モノを作って、コストのこととかも考えないといけないけれど、そのモノをできるだけ思った通り(印象や考え、感じて欲しいこと)に人に手渡すには、モノの意味や機能だけじゃなくて、こういう一見無駄なことに見える部分に大事なことが含まれることが多いと思う。そこをおろそかにしてしまうと、意味は伝わっても、大事にはされないかもしれない。ぼくがいる世界、音楽の中にはそういう面がたくさんあると思う。

谷川さんの書かれた詩については、いまはまだわからない。すごく抽象的なイメージが伝わってくるけど、言語化はできない。帯のことばが邪魔しているところがある。子供が読んでも大人が読んでも、同じことを、違う側面から感じ取れる、そういう風に書かれているような気がする。

松本さんの画は、とにかく、素直さと、うっとおしくない愛が感じられる。感じた、イメージしたそのままを、限りなく正確に描いた、そこには邪な感じはなく、ただただ素直に描ききった感じ。いたわり。客観的にどう見せたいかとかじゃなくて、あくまで松本さんの気持ちを主観的に描いたものがそのまま伝えられるようにと、まっすぐに描かれている、そんな印象をうける。

なんせ、間をあけて、ページを開いてみないと。絵本なんてぱーっと読めば、すぐにおわっちゃうけど、時間をかけたり、あるタイミングで見たりすると、また違う風に、見えなかったものが見えたり、読めなかった意味が視覚から伝わってきたり、そんな不思議なメディアなんじゃないかなと思う。

また何度も読む。

***

個人的な意見だけれど、いろいろ必要あってこの絵本には帯がついてる(大概単行本や絵本ってついてる)のだけれど、それはいいけど、この絵本の場合はなんの先入観もなく谷川さんと松本さんの世界に飛び込みたかったので、売り文句はいらないと思うなぁ。せめて裏面にかくとか。前もって内容をある方向の視点からスタートさせるような文句は没頭するまでもしかした邪魔になるかもしれない。今回はそう思った。

東京糸井重里事務所 2014

カズオ・イシグロ – 日の名残り

はじめて読むイシグロさん。子供の頃から英国に渡って住んでいる方だそう。英国文学はとくに読んだことない(イシグロさんの場合、外国人による英国文学。それが英国人には描けない視点での英国文学になっていると解説で丸谷さんは言う)のだけれど、なんとなくお堅いイメージなんだろうかとページをひらいた。

時代は20世紀初頭ぐらいか。スティーブンスという執事は自身の仕事の一番大事なことは「品格」であると認識し、その道を邁進しつづける真面目な男。長く仕えたダーリントン卿がいなくなり、新しくやってきたアメリカ人の主人ファラディから少し旅にでておいでと提案を受け、ある目的も兼ねて短い旅にでる。その旅先で思い出す昔のダーリントン卿時代の栄華、執事としての自分の人生。そして執事とはいったい何者であるのかという自己分析。美しい英国の田舎風景や人々との交わりもあるのに、彼は自己回想ばかり繰り返す。

旅の目的でもあったある人に会う時が近づくにつれ、思い出は鮮明になり、自分がどう生きてきたのか、それは良かったのか、それが明確には描かれないけれど、スティーブンスの微妙な気持ちの揺れとなって読者につわたってくる。伝統的に、正しく、品位をもって生きてきた。それは古いやり方だけれどもとても大切にすべきこと。しかしそのために失ったこと、間違いを正せなかったこと、そういうものがいくつもあった。だが、それは誤ったといえるのか?正しいと信じきってそれを遂行しつづけたことは無駄なことだったのか、間違ったことだったなのか?

スティーブンスの自己肯定とそれが産んだ結果のあいだで悩む姿に、英国という国のあり方が透け見える(そう)。哀しくなるかもしれないけれど、ほんのりした気分になる作品だった。

土屋正雄訳

ハヤカワepi文庫 2001

岩合光昭 x ねこ旅

世界的な動物写真家であり、とくに猫に愛情を注いでその写真を撮り続けている岩合さんのねこ写真集。日本で出会った猫と世界(エジプトやスペイン、モロッコなどなど)で出会った猫たちの写真がたくさん。一度この岩合さんのねこ写真集を買おうと思っていて、昨年また新しいのが出たので本屋さんで手に取ったのだけれど、それからゆっくり眺めていたら、半年ぐらいかかってしまったw

写真集としては小さめのサイズなので、猫の存在感的なものはあまりないのだけれど、すっと手に取っていくつか眺めて、またぱたっと閉じて、じんわりするのにはとてもいい感じ。こうやって見比べてみると、日本の猫とよその国の猫は同じ猫なのにどこか違う感じがするのがわかる。もちろん景色や光の色が違うと言うのもあるのだろうけれど、それよりももっと、生き方というか、街に対する存在の感じとか、馴染み加減というのが違う感じがするのがおもしろい。

なんかね、日本のねこのほうが、おっちゃん(おっさん、ではないところがミソ)ぽいのよね。それに対してよその国の子たちはもっとしゅっとしていてお姉さんみたいな感じ(雄雌関係なく)。もしかして足の長さとかちがったりするんやろか?とまで思ってしまったりするけれど、写真からはわからない。でもなにか身にまとう雰囲気が明らかに違う。同じ油断してる感じでも、その油断さ加減が違う、とか。でもこれは僕の感想なので、よその国の人がみたらまた違って見えるのかも。

猫って一体なんなんでしょうね。どこからも独立していて、でも住む場所や自然には依存したような存在。一般的に動物には表情はないはずなんだけれど、この写真集を眺めていると、同じ顔からいろんな意味を読み取ってしまえる。犬とはまた違う感じなのよね。仏像に近いのかも。

ま、ぼくが猫大好きだから、勝手におもってるだけかも、だけど。

山と渓谷社 2013

浅田次郎 – プリズンホテル【3】冬

プリズンホテル第3巻。冬になるとここ奥湯元あじさい温泉 – 通称プリズンホテル – は雪に閉ざされる世界となる。深い雪のせいでだれも来ないこのホテルに気分転換にと来た看護婦長の阿部(またの名を血まみれのマリア)。そして天才登山家、安楽死が問題とされた医者、などなどまたいろんな人が集まり、それぞれのドラマが交錯する。

この巻のテーマはたぶん命、生と死。そんな大げさな感じでは描いてはいないけれど。救急でとにかく失いかけた命を救い続けることを使命とする看護婦長。苦しい延命治療の果てに患者に死という権利を与えた医師。矛盾しているけれど2人とも見ているものは同じなのかもしれない。しかし不器用にもその自分のできることを信じて止まない。そして死と隣り合うところにこそ生を感じることができるという登山家。本人にはすごく大きなことだが客観的にみるとほんと些細なことで死を選ぼうとする男の子。冬山の厳しさを通して生きるていることの素敵さ不思議さ厳しさを伝えようとする男とその不思議な魅力に気づく少年。これら2組の人物の間でかわされる言葉によって、生きていることの素晴らしさ、命への愛を描く浅田さん。この巻では、ホテルの人たちはあまり活躍せずになりをひそめている分(というわけでもないけれど大暴れしたりはしない)、このテーマがくっきりと浮き彫りになってるように読めて、感触が違うのだけれど、やはりなにか気持ちが安らぐ、そんなお話だった。

しかし今まで粋でかっこいい感じできてた仲蔵親分のうろたえぶりったらw カッコ悪ーw かといって自分がその立場になったら、、、、同じことになりそうな気がするけれど。ぼくもお医者さん苦手だし。

集英社文庫 2001

浅田次郎 – プリズンホテル【2】秋

2作目。任侠団体専用の宿として別名「プリズンホテル」と呼ばれる奥湯元あじさいホテル。ちょっとした偶然から今回投宿することになったのは、警視庁の慰安旅行団体だった。同宿するのは桜会の大曽根一家、往年のスター真野みすず、アイドル崩れの歌手とそのヒモのようなマネージャー、そして実は指名手配されている男。もちろんホテルオーナー仲蔵の甥である作家・木戸孝之介もなぜか秘書兼愛人清子の娘・美加を伴ってやってきた。さぁ、ヤクザとマル暴が同居する一夜、どういう騒ぎが起るのか?

分かりやすいといえば分かりやすいネタかもしれないけれど、今回もとてもいい感じ。普段は公僕とその敵対組織。宴会が隣同士だったことからホテルサイドはすごく警戒するが、その警戒を吹っ飛ばすかのような騒ぎ。でもどちらも実は社会の隅においやられた男たち。ちょっとした諍いから始まるが、最後はなぜか傷をなめ合う仲間になったり。ほんとどじくさい男達が可愛くなってくるから不思議。

でも一番かわいいのは美加ちゃんかな、けなげだわ。

集英社文庫 2001

重松清 – とんび


重松さんがあとがきで書いているように、不器用な父親がでてくる物語。時代は僕がうまれるちょっと前ぐらいの感じ。まだまだ世の中不便だったけれど、だからこそ世界はもっと狭くて、人がもっと密接に関わっていて、「頑張ればよりいい明日がくる」と信じられた時代懐かしいというか、胸がちょっと詰まりそうになるほど、忘れていたいろんなものが思い出されてくるお話だった。

読み始めてからなんとなくタイトル知ってるような気がするなあと思っていたら、一昨年にNHKとかでドラマになったものだった。今、配役をみてみて、先に見ていない状態で読んでよかったなと。やはり字で読む物語は読み進むに従ってキャラクターたちのイメージが自分なりに出来上がっていくので(また、特にこの本の場合は、僕ぐらいの年齢の人ならば、イメージが重なるような人が子供時代に身近にいたんじゃないかな)、先に映像を見ない方がぼくは好きだ。映像でなにがしかの印象が先についてしまうと、キャラクターがどうしても俳優さんなどのイメージに左右されちゃいがちなので。でも映像作品はそれはそれでいいのだけれど(どうしても時間的制約があって、原作は原作って言う風になりがちなのが、ちょっと残念なところはあるけれど)。

ほんと、いらだつぐらいこの父 – ヤスさん – は不器用。照れ屋でちょっと意固地だから、素直に気持ちが言えない。こういう姿をみていて、僕も重なるところがあるのだけれど、それ以上に父を思い出した。父はどちらかと言えば器用な人だったけれど、自分の気持ちを素直にいうのはたぶんヘタだったとおもうな、似てるもんな。でもこのヤスさんの気持ち、そしてやってしまう態度、よくわかる。なんども「うんうん」と思ってしまった。仕方ないのよね、そういう風にしか生きられないから。でも不器用だけれど、気持ちは本当にまっすぐ。よく見ている人にはわかる。そんな人が昔は沢山いたような気がする。ぼくはそんな人たちに囲まれて育ったけれど、到底こんな人にはなれない、すごく憧れるけど。

そして子供への愛情。親がいるから子供がいる。子供がいるから親は親でいられる。でも親も昔は子供だった。そんなあたりまえのことをちゃんと思い出させてくれたこの本。ほんと重松さんって泣かせる。いや泣かせるというより、ほのかにあったかく嬉しく寂しい気持ちにさせてくれる。それは決して嫌じゃなくて、なんか、忘れていた大事な感じを思い出させてくれ、それがたとえつらいことであっても、それでもありがとうと思えるような。

子供のときは好きになれなかった親の駄目な一面でさえ、こうやって大人になると、懐かしく、感謝したくなるものになるのだ、ということを、また思い出した。そして気づくと自分もその同じものを持っていたりする。親から子へ、子からその子へ、こうやって受け継がれて行くものなのね。

角川文庫 2011

浅田次郎 – プリズンホテル【4】春

プリズンホテル、最終巻。季節毎に訪れることのできたこの物語もこれで最後。任侠もので売れっ子になった作家・孝之介。しかし彼はそれより恋愛ものを書きたがっていた。その彼の書いた渾身の恋愛小説「哀愁のカルボナーラ」が文壇最高の権威「日本文芸大賞」にノミネートされる。根っからのひねくれものの孝之介は記者に追いかけられるのを嫌がって、奥湯元あじさいホテル –  通称プリズンホテルへと逃げ込みそこで選考結果を待つ。それにくっついていく編集者や関係者の団体で賑やかな様相を醸すが、実は孝之介はノミネートのニュースが流れたとたんに姿を隠してしまった継母の富江が気になって仕方ない。

それとは別に同じ頃、ある手違いから52年の服役を終えてシャバにでてきた一人の老人がいた。彼は孝之介の叔父でありプリズンホテルのオーナーであり、関東桜会の顔役である正真正銘のヤクザである仲蔵のオジキにあたる博徒だった。行く宛のない彼は途中で偶然出会った月末の支払いに困る工場主を連れ、その足は昔教えられた宿、プリズンホテルへと向かう。そしてそこにまたしても偶然やってきた演劇に熱心に打ち込む母子、ホテル支配人の不詳の息子の担任などが集まって、今宵も名物宿のどたばたがはじまる。

いくつかのお話が並行して進んで行って、それがこの宿での出会いによってまとまって行く。今回も同じような感じだけれど、今回は演劇母子と先生の出会い、大学で同志だったものの再会、そして小僧時代の仲蔵とオジキの半世紀ぶりの出会い。そんな時間を超えたドラマに焦点があたっているよう。

そして一番の焦点はいなくなった富江、そして孝之介を捨てた母。その2人の間で孝之介はどう振る舞うのか?

***

孝之介を筆頭にして、へんてこな人間ばっかりがでてきて、おもしろおかしく読める、そんな小説「プリズンホテル」だけれど、実のところこうやって面白く思えるのは、登場人物たちがあまりにも必死で、一生懸命だから、というようなニュアンスを解説で中井さんは書いている。それを読んで、はたと気づく。まさにそのとおりだな、と。読者は小説の世界を上から(横から?)覗きながらその世界を楽しめるわけだけれど、このプリズンホテルを読んでいると、そこに出てくる人たちの姿が自分に、じゃあ君はどうなんだ?って問いかけているように思えてくる。「君はどうなの?一生懸命に生きてるの?」と。別に正しいとか間違ってるとかそんなことは関係なくて、何かにがむしゃらに頑張っているか?と。

曲がりくねったり、あちこちより道してしまうかもしれないし、間違うこともあるけれど、一生懸命にやってたら、やがて何か素敵なことがやってくる(かもしれない)、と思える/信じられるというのはなんて素敵なことなんだろう。そう信じられる人間がああやって頑張ってる姿はおもしろいけれど、でもやがてすごく羨ましくなってくる、というのは僕はそう出来ていないからだろう。

そう。読み始めたときに、なんでこんな根性曲がってんねん!と思った孝之介も、殴られるだけの情けない女・清子も、罵られるだけの継母・富江も、何も言わなかったという父も、酔狂なヤクザである仲蔵も、融通聴かない支配人・花沢もその息子も、黒田も、大曽根も、仲居の外国人のねーちゃんたちも、どの人も困ったちゃんなイメージしかなかったのに、読み終えた今となってはすごく親しい、身近にいる、ちょっとまぶしく羨ましい人たちのように見えてきている。そういう人たちの姿をこうも見事に、というか、あっけらかんと描いてみせる浅田さんにほんと感謝と拍手を送りたい。

ほんとこんな宿があったらなら、季節毎に訪れてゆっくり湯につかったり、怖いバーで呑んでみたりしたいな。とかくスマートに物をはこびたがる今の時代にはこんな時代遅れ(といったら失礼だけれど)な、人間臭さのある場所というのが、とても貴重で、懐かしい感じがして、実はちょっとうっとおしいなーと思うかもしれないけれど、飛び込んでみたらすごく暖かな世界であるということが分かるんだろう。いい話だった。ほっこり、うるる。

集英社文庫 2001

有川浩 – ヒア・カムズ・ザ・サン


わずか7行だけ綴られたあらすじ。それをある役者が「ここから有川さんがどんな物語を生み出すのか読んでみたい」と言ったことがきっかけでうまれた物語が2つ。「ヒア・カムズ・ザ・サン」と「ヒア・カムズ・ザ・サン Parallel」。その7行とは

真也は30歳。出版社で編集の仕事をしている。
彼は幼い頃から、品物や場所に残された、人間の記憶が見えた。
強い記憶は鮮やかに。何年経っても、鮮やかに。
ある日、真也は会社の同僚のカオルをともに成田空港へ行く。
カオルの父が、アメリカから20年ぶりに帰国したのだ。
父は、ハリウッドで映画の仕事をしていると言う。
しかし、真也の目には、全く違う景色が見えた……。

このあらすじだけでいろいろ想像できてしまうのに、ここから有川さんがどんな物語を産むのか?ということを考えただけでわくわくする。読み始めたら没頭してしまい、あっという間に読み終えてしまった。そんなに厚くない冊子に2つの物語。これは登場人物や設定はだいたい同じだけれど物語として全然違うもの。

読み終わって最初にしたことは「あれ?これって有川さんの作品やったよな」と表紙を見直したことだった。そう、いままで僕が読んできた有川さんの作品とはどこか感触が違う。ひとつは単純に主人公がちょっと特殊な能力をもっているという設定自体のためだと思う(そんな感じのはまだ読んだことない)けれど、もっと違う感じがするのは、あの喩え方が悪いかもしれないけれど、まるで女子高生のような、甘アマ、とか、ツンデレ、ぽいのとか、そういう部分がぱっとは感じられないところか。でもそれが物足りないというわけではなくて、逆にシンプルにより深く、登場人物たちの感情を表現しているように思えた。

しかしほんと素晴らしい。この同じ設定をもつ2つの物語をこの長さで描ききった有川さん。どちらもアリよねーと思えて、いい結末。野郎と思えばもっとドラマチックな盛り上げ方もできるのに、そうはせずに適度なふくらみでじわっとした終わらせかたもいいなぁ。この2つの物語、どちらかというとぼくは上演された舞台をもとに着想を得たという「ヒア・カムズ・ザ・サン Parallel」の方が好き。父娘関係、ひいては世の親子関係の描き方、年を食えばそのほんとの姿や変化が見えてくる、そこを気づかせてくれる物語がたまらない。解説で岡田さんも書いているように名台詞(?)のオンパレード。それが何かはここには書かないけれど。それらもすごくぐっと来たけれど、でもやはり有川さんの恋愛小説、いちばんぐっと来たのは父との別れの前の晩にカオルから真也に送られるメールのとこ。いいなぁ。あ、やっぱり有川さん、甘アマやなw

また知らない顔の有川さんに会えたようでうれしい一冊だった。

あと付け足しになるけれど、この本を手に取った最初の理由はタイトル。The Beatlesのジョージの名曲のタイトル。難しい言葉なんかなくて、シンプルに、人生の、生きていることの喜びを、そっと歌った曲。大好き。改めて歌詞を読んで本当にいいなと思った。そんなタイトルをつけた有川さんにありがとう(これはタイトルが先にあったのかな?それとも有川さんがつけたのかな、たぶんそうだと思うけど)。ちなみに、物語にこの曲のことは全く出てこない。そういうところも素敵(気づいてないだけ?)。もしかしたら勝手にビートルズの曲からなんだとぼくが思ってるだけかもだけど。

そういえば伊坂さんとの出会いも本のタイトルからだったな。同じくビートルズの「ゴールデン・スランバー」だった。こっちはポールの曲だけど、好きだなー。

新潮文庫 2012