浅田次郎 – プリズンホテル【1】夏

たまに読みたくなる浅田さんの本。いままで読んだものもいろんな方向で、まだ浅田さんの感じというのが掴めてないのだけれど、今回目にとまったのは4冊シリーズになっているこの「プリズンホテル」。監獄ホテル?なんだろうとおもって見た裏面の紹介みて、これはおもしろそうだぞと4冊とも入手。その1冊目。

本人はそんな意志がなかったのに極道小説で売れっ子になってしまった、かなり性格に難がある(一応物語全体での主人公というか、狂言回し的立場の)小説家・木戸孝之介。メリヤス衣料の職人だった父の七回忌に現れたたった一人の叔父であり、関東桜会という組織の五人衆のひとり、ヤクザである仲蔵。その叔父が実は温泉リゾートホテルを経営しているという。最初はうさん臭がる孝之介であったが、高齢な叔父のことを考えるとそのままそっくり相続してしまえるな、など浅はかに考えホテルを訪れたことから騒動は始まる。叔父が経営するその「奥湯元あじさいホテル」、実は別名「プリズンホテル」と呼ばれ、その筋の方々(つまり任侠団体)専用のホテルだったのだ(普通の人も来るにはくるのだが)。

ホテルの支配人はホテルマンを絵に描いたような男だが、番頭以下従業員は強面の男ばかりで、仲居は外国人ばかり。先代から居続ける頑固な板前がいるとおもえば、名門ホテルが喉から手が出るほどほしがる腕利きのシェフもいる。

そんなホテルに迷い込むようにやってきた訳ありの子連れの夫婦。定年退職してその足でやってきた老夫婦。謎の旅の男。そして作家・孝之介とその連れ清子。さて、どんな騒動が巻き起こるのか?

とにかくでてくる登場人物(どちらかといえばホテルのひとたち)がどの人も、クセがあるけれどかっこいい。見てくれの姿ということではなくて、その生き方が。きっと普通の世界では苦労してしまうだろうけれど、こういうある意味狭い特殊な世界(あとがきで浅田さんは’マイナーな世界’と表現してる)では真っ当にチカラが発揮されて、不器用だけれどまっすぐな心意気が伝わってくる。暴力団とかヤクザとか書くとどうしても荒っぽいイメージしかできないけれど、任侠はちょっと違うよう。もっと筋が通っていて、男気あって、情が深い感じ。そんなところがちゃんと描かれていて(というかそこがメインなのかもだが)、まるで、子供の頃に近所に一人はいた口うるさかったり、すぐゲンコをくれるような怖いおっちゃんが、実はちゃんと見ていて、どうしようもなくなったら優しく助けてくれる、あんな感じ。

さて訳ありの子供連れ夫婦、老夫婦、かれらがこのホテルでの2泊3日、そして仲蔵という人物によりどうなっていくのか。孝之介と仲蔵はどうなるのか。それは読んでのお楽しみ。わりとこまかく章わけされていて、そこについてるタイトル(本文の中から抜粋してる)も粋でいい。

こんなホテルがあったら行ってみたいかと聞かれれば迷うけど、覗いては、みたいかも。。。

集英社文庫 2001

C.W.ニコル x 南健二 – けふはここ、あすはどこ、あさつては

山頭火のほんとうに自由で素晴らしい俳句と、ニコルさんを撮った南さんの写真および挿入文で綴られた本。

南さんとはずいぶん昔に彼が最近まで開業していた長野の黒姫にあったペンション「ふふはり亭」を通して知り合った。もう20年以上前になるけど。それからこの宿には何度か訪れたことがあったのだけれど(本当に素敵な宿でした。時間がゆっくり流れ、食事がおいしく大切にされていて、そしてみんなで呑むのが楽しかった)、廃業されてからは年賀状のやりとりをするぐらいになってしまっている(もしくは地震や大雪のときに様子伺いの電話をしたりする)。

そんなやりとりの中、昨年の年賀状にこの本の出版のことが書かれていたので、早速買ってそのページを開いてみたのだけれど、その写真と文章とそれについた山頭火の句がすばらしすぎて、一気に読むのがもったいなくて、時たま新しいページを繰ってはひとりじんわりしてまたページを閉じるということをしていたら、読み終えるのに半年以上かかってしまった。一説では生涯に数万句詠んだという山頭火だけれど、この本に収録されているのは57。でもそれほど味わえる本だった、ということなんだろう。

もともとは山頭火の句を黒姫の山野の写真やニコルさんの写真につけたような写真集のような感じにしようとしていたそうなんだけれど、ある日南さんが山頭火の句にいままで自身が撮りだめてきたニコルさんの写真がぴったり合うということに気づいて、こういう形にし、さらにニコルさん来日50周年(!)ということもあって、彼の業績を称えるためにも文章をそえて、という形で刊行したそう。

なので、その句と写真とのマッチングが、、、ニコルさんと一緒に過ごし、よく見て、よく話して、よく呑んだ、そんな友人以上の視点からしか出せないような見事なマッチぶりで、写真を見るだけでも素敵だなとおもえるのに、それに寄り添う山頭火の句と相まってなんともいえない静かで力強い感動を与えてくれる。そして南さんの文章を通して伝わってくるニコルさんの姿や考え。もう山頭火が句を詠んだのは70年以上ぐらいまえなのに、今にも通じる普遍的な感覚、問題意識、そういうものをこの作品は教えてくれる。

しかし、ほんと全然知らなかったとはいえ(一番有名かもしれない『分け入つても分け入つても青い山』ぐらいは知ってたけど)、どの句もしばられない自由さを保ちながら、最小限のことばでその景色/情景/心情をうつしとって、ほんとに見事としか言いようがない。

ああ、この写真も、ニコルさんや南さんという存在も、山頭火の句も、どれも美しく、素敵で、うらやましい。

 

どれもいいけど、心に留まった句をいくつか

 

うしろすがたのしぐれてゆくか

 

いちにち物いはず波音

 

月へひとりの戸はあけとく

 

しみじみ生かされてゐることがほころび縫ふとき

 

清水弘文堂書房 2012

西加奈子 – さくら

はじめて読む西さん。たしかなんかの席でラッパのコウくんにこの西さんを勧められて適当に手に取ってみた。

ある一家のおはなし。子供の頃から街中の注目を一心にあびて何でも出来て、かっこいい、そんなヒーローだった兄が事故にあい、命はとりとめたもののその後死んでしまって、そこから家庭はおかしくなってしまった。超兄想いだった妹は人と関わらなくなり、父は失踪、母はやたらと太って、主人公のぼくは家をでて東京へゆく。そしてかわらなく家にいるのは、顔にぶちのある犬、さくら。そんな見捨てた家だったのに、ある日失踪していた父から手紙が届く。年末に帰ってくると。そこでぼくも久しぶりに実家に帰ることに。。。

どこか不思議な、意識がちょっとだけゆらゆらしている時間に経験するような、明瞭だけれどぼやけていて、それでも嫌じゃない、あんな感じの感触がある。おもに物語が昔話ばかりだからかもしれない。何か遠い昔のできごとを思い出すとき、目をあけていて何かそこに映っていても、昔の映像がフォーカスしてきてそれに薄く重なってくる感じ。文章にどういう工夫があるのかわからないけれど、そういう感覚をおこさせるものがあるように感じた。なんだろう、うまく書けないけれど、ゆっくり断片的な記憶を掘り起こしていって、それらが繋がって行く時の「ああ」という感じ。久しくそういうことしてなかったから、その懐かしい感じ(懐古する感じ)を味わう。子供のときの記憶って、なぜかぜんぶ白いよね。

ストーリーのことは、なんだかうまくまとめられそうにないので書かないけれど、すごく気に入ったのは、サキコさん、の下り。すごくおもしろいシーンということもあるけれど、実はすごく考えさせられる部分だとおもう。サキコさんはぼくと兄と妹にいう「いつか、いつk、お父さんとお母さんに、嘘をつくときがくる」「嘘をつくときは、あんたらも、愛のある嘘をつきなさい。騙してやろうとか、そんな嘘やなしに、自分も苦しい、愛のある、嘘をつきなさいね」なんていい言葉。他にも好きなシーンあるけれど、ここが今は一番印象に残っている。

そして、ぶちのある犬、さくら。彼女がまたかわいい。一生懸命にしっぽを振ってなにか話しかけてくる。たとえば「あああ、こんなにタワシがいっぱい!」とか「ボール!あの、軽やかな跳ね!」(笑)。うちは猫がいるけれど、ニュアンスは違うけれど、動物の家の中での立ち位置ってこんな感じ。すごく救われる。猫なんていてもいなくても同じように寝てるだけなのに。

あとこの舞台がほとんど大阪弁で描かれているのも、なぜかすっと物語にとけ込めた要因かも。そう、なんか物語を読んだ、というより、とけ込んだ、という感じのする本だった。もっと西さん読もう。

小学館文庫 2007

川上弘美 – どこから行っても遠い町


以前読んだ「センセイの鞄」もよかったけれど、この本の方がさらに好きかもしれない。都心から電車で20分ほどの郊外にある小さな町が舞台。そこに住む普通の人たちが主人公。とくに目立った人がいるわけでもなく、予備校の先生だったり、魚屋さんだったり、喫茶店なのか居酒屋なのかわからないお店の店員さんとかとか全員がいわゆる普通の人たち。

でもそんな普通のひとたちでも人生は平凡なわけではない。その人本人が平凡と思っていても他所から見ると平凡ではないし、普通なことは普通ではなかったりする。誰もがすこしずついいところも悪いところもへんてこなところももって、それぞれ生きている。

この本は11の物語で描かれていて、それぞれ違う人が主人公のお話なのだけれど、小さな町が舞台なのでその主人公になるひともそれ以外の人もいろんな話にでてきたり、話題に上ったりする。一人称でかたる視点と、まわりから見える姿、そして人の口にのぼった姿、いろんな姿がちょっとずつ重なって、今の、この町の様子、人々の暮らしができあがっている。

どこかにあるんだけれど、そこにはたどり着くことのできない不思議な町。でも人はちゃんと生きて、そして死んでいく。決して何か大きなことが起るわけでもないけれど、何もないわけではない。ちょっと時間が止まったように感じてしまう世界感。川上さんが生み出すなにか実態のない実は得体の知れない不思議な空間に引き込まれると、もうその世界に自分も所属してしまっている錯覚に陥って、町の住人のひとりとなってあちこちうろつきはじめたりする。

この本の感想はうまくかけない。読んでいるときはしっかりとその世界を感じているのに、本を閉じるとまるでゆめうつつであったかのように、物語とその感触はすっと遠のいてしまう。だからまた本を開いてそこにいる人たちに会いに行ってしまう。どうなってるのかよくわからないけれど、この本は好きだ。

解説で松家仁之さんが上手く書いてくれているので、それを参考に。

新潮文庫 2011

田中啓文 – こなもん屋うま子


この本はほんとにおもしろい!おもしろい!おもしろい!しかも大阪満開だし。大阪のいわゆる”こなもん”文化(こなもん=粉もの=小麦粉などでつくる料理すわなちお好み焼きやらたこ焼きやらうどんやら)とか”大阪のおばはん”という生態を知ってた方がよりおもしろく読める。いちいちうなずけることが多かったのですごく楽しく読めた。

大阪のどこかにある馬子(うまこ)というおばはんがやってる”こなもん全般”のお店、馬子屋。何か悩みをもつ人が偶然行き着くそのお店はこなもん料理ならなんでもあるというお店で、たこ焼きもお好み焼きもうどんも何もかもが絶品という不思議なお店。人間観察が趣味の男、東京から都落ちしてきた元アイドル、うどんが嫌いな上方の噺家、プロジェクトに行き詰まった男などなどいろんな人間がこの馬子屋でこなもんにはまっているうちに騒動に巻き込まれ、物語が急展開し、馬子の手腕でアクロバット的な解決を見る!?

7編の短編から構成されているけれど、どれもほんと面白くて、そして描かれている食べ物がこれまたどれもおいしそうで空腹のときに読むと腹立つぐらい(笑)。食べ物にももちろん詳しい田中さんだけれど、ちょっとした歴史ものとか、ヒーローとか怪獣とか落語とかそういう田中さんが別で手がけているものの片鱗がちょろちょろ出てきたりしてそれがまた物語をより立体的にしているように思う。全体にはすごく軽くて読みやすいのだけれど、実は細かいとこがよく描かれてると思う。

僕はもともと大阪の人間なのでこなもんは大好き。うどん、お好み焼き、焼きそば、たこ焼き、焼うどん(これ出てこなかったなぁ)あたりが好きだけれど、やっぱり一番はうどん。そしてうどんの中でも一番に好きなのは讃岐うどん。本編では大阪のうどんと比較して「四国ではうどんにしょう油かけて食うてる?アホちゃうか。出汁作らんでええねんやったら、うどん屋はすぐに蔵が建つわ」と馬子に一蹴されてしまっているけれど、いやいやこなもんというのなら讃岐うどんのほうがよりこなもんだと思うんだなー。一般に讃岐うどんといったら”しこしこで、のどごしつるつるのエッジの立った麺”とか”いりこを主とした濃い出汁の味わい”というとこがクローズアップされがちだけれど(もちろんどっちも好き)、僕が思う讃岐うどんの魅力であり、よりこなもんぽいと思わしめるのは、讃岐うどんの小麦粉の強烈な匂い、なのだ。あの掘建て小屋のようなうどんやさんに近づいたときに漂ってくるうどんを茹でる匂い、そして食べたときに口腔内に広がる小麦粉の香しい匂いといったら。。。といったら、くぅー、たまらんのー!大阪のうどんも好きだけど、匂ってくるのは出汁の香りだもんなあ。

話がもううどんのほうにしか行かないけど(笑)、「おうどんのリュウ」でも書かれているように『最近増えた「こだわりのうどん専門店」はぼくの性に合わない。ぐずぐずしていると、ゆがきたてを味わってほしいからすぐに食べろ、とか、生しょう油はこうかけろ、とか、出汁はこういう風に飲め、とかうるさいことを言われるし(後略)』ような店がとくに都会で増えてきたのもアホらしくて情けなくなる。好きに食べたらええのになぁ、うどんなんて、庶民のくいもんやん。ちゃんと仕事をしてるお店は必ずこだわりあるはず、口に出さないだけで。口に出すと言うことは逆にそうでもいわんと自信がないんか?と勘ぐってしまう。ラーメン店がその最たるものよね。

で、都会でよくある讃岐うどんを看板にするようなお店だけど、作り立てのうどんを食わすセルフの店と謳ってるのに、やたらレジ遅くて並ばせたり(のびてまうがな)、ネギやショウガを自分で入れられなかったり(セルフちゃうやん)、しょう油うどんのほうがかけうどんより高かったり(本来なら出汁の方が手間かかって高価になるはずなのに。同じ値段にせー、同じに!)、ひどい店になるとショウガおいてない店もある。匂いの強い麺とそれに負けないようにちょっとエグイ出汁(もしかしたら順番は逆なのかもしれないが)でつくるものなのに、そんなん七味で食べれるかいな。ショウガとネギが揃って全体のバランスが取れるのに!

あ、文句ばっかり書いちゃった。。。。

なんせうどんが好きなんです。とくに讃岐うどんが。なんで、解説で日本コナモン協会会長(そんなんあるんや、入りたい‥‥)の熊谷真菜さんがこなもん文化の根底にある出汁についてすごく語ってらっしゃるけれど(それは無論すごく大事)、うどんに関してだけ言うとやっぱりこなもんというとぼくは讃岐うどんのほうに軍配があがるのです。

そういや、昨日も今日も立ち食いうどんたべたな。。。余談でした。。。

いやーほんとに面白かった。田中さんごちそうさまです。

実業之日本社文庫 2013

有川浩 – キケン


有川さんのあぶない小説かとおもって手に取ったけれど、ある意味キケンな(?)お話。ある大学の理系サークルである機械制御研究部、略して「機研(キケン)」のドタバタな日々を描く。2回生で部長であり何事にも突っ走りがちな上野、そして副部長でありもの静かで、存在感だけで威圧的な大神。ひょんなことからこのサークルに入ることになった”お店の子”元山とその友人池谷。2回生2人に率いられたキケンの面々が引き起こす犯罪すれすれな出来事から、体育会系も真っ青な学祭への取り組みなどなど、面白い話いっぱい。

ほんと大学といえばサークル、サークルといえば大学というぐらい大学生活におけるサークルが占める割合は大きい(と、僕は思う、僕はそうだったから)。下手をするとクラスやゼミの仲間よりもこのサークルの仲間や先輩/後輩のほうがその後の人生の友達や影響を与えられ/およぼす人脈であることが多いと思う。そんな多感な時期に面白いサークルに出会えるというのは本当に幸せなことだとおもう。社会に出た責任ある大人でもないけれど、大人と同じくらい行動できて遊べる、そんな大学の時期というのは無駄なことも全力で出来るいい時間。

そしてここでは有川さん得意の理系のお話。なんか理系男子好きなんやろなー、こういう集団をうらやましいーと思って見てたんちゃうかなーとおもわせるくらい、この物語にでてくる男の子たちを可愛がってる。そう、この物語はいままで読んだ有川さんのものとはちょっと違って、ほんと天真爛漫な男の子たちがたんにむちゃくちゃするだけの話(笑)。シリアスなテーマもなければ、メカもでてこない(ちょっとでてくるけど)し、甘アマなロマンスもない(ちょっとでてくるけど)。ホント理系男子たちのアホ話、例えば卒業して10年経って久しぶりに集まって呑みながら思い出して笑う類いの昔のおもしろ話、そんなものを聞いてる感じ。

部室とか懐かしいな。僕の場合大学ははっきりとそういう場所がなかったので、懐かしさを感じるのは高校の部室。学校の中庭にあって、おんぼろなプレハブで、年がら年中そこにいた。授業がなかったときや昼休み、放課後なんかはそこにいくと誰かがいて、練習したり、だらだら遊んだり、夜遅くまで話あったりテープ聴いたりした。いまでもその時の仲間とはずっと繋がっている。やっぱりそんな時間を過ごせた人間たちとはそこで積み重ねた時間の分濃い関係になるのかも。体験の共有というか。

ほんと有川さんはこれらのことを(たとえ作ったお話であっても)すごくうらやましく思ってるんだろうなーと。女子はこういう世界には入りにくい(あとがきでも書いているけれど、こういう理系男子の集団って女の子が一人でも入ると普段の姿ではなくなってしまう)から、それを外から思いっきり応援して、うらやましがる、そんな感じがひしひしと伝わってくる。そういう意味ではまたまた甘アマな感じだなーw

あー、おもしろかった、んで、甘酸っぱかった!

新潮文庫  2013

片岡義男 – 今日は口数がすくない

片岡さんを読むのはもしかすると25年以上ぶりになる。高校生のころすごくすごく好きでよく読んで、たぶん50冊以上読んだんじゃないかな。そのころはこの片岡さんの描く大人の世界(たぶん20前から20代の男女の話が多いとおもうのだけれど)にとても憧れていて、こんなお洒落な(そう、バブルに向かう途中で景気がよかったのよね)世界がまぶしくて自分もいつかこんな感じに、なんて思っていた(いま考えたら無理なのわかるけどw)。

先日お正月に実家に帰ったときに、自分の部屋の本棚にあるのをみつけて(あんなにたくさんあったのにもう数冊しか残ってなかった)どんなだったか読んでみようと一冊持って帰ってきたのがこの本。ほんとによく読んだけれどどの本もぜんぜん中身は憶えてない。四半世紀たったらそんなもんかな。でもページをひらくと内容は憶えてなくてもその文体や雰囲気から当時憧れていた気持ちや懐かしい風景が蘇ってきた。

短編が7つ。朝食を彼女ととる想像をしてしまう「朝食を作るにあたって」、次々と理由なく酔いどれる女性の相手をする表題でもある「今日は口数がすくない」、女性とライフル「標的」、次々と彼女を女友達にとられてしまう「僕と結婚しよう」、ある女性と以前の彼女が住んだ町を歩く「彼女を思い出す彼」、男女4人の恋愛模様「おなじ日の数時間後」、短編のネタをふたりでさがす「火曜日が締め切り」。どれもいいなと思うけれど、それはストーリーがというより、その文章からうける雰囲気みたいなものが、という感じ。

片岡さんの文章はとても視覚的・映像的だと思う。説明みたいなものがあんまりなく、最小限の描写と短い会話、(その時点ではあまり知られてなかったような)お洒落な大人のアイテム、スムーズな時間のながれ。ストーリーよりも文章から薫ってくる雰囲気とか男女の恋愛の甘い感じとか、そういうところがまず伝わってくる。そしてとにかく洒落ている。簡単に言うと生活臭みたいなものがほとんどない。都会的。舞台が田舎であってもうまく風景を切り取って素敵に配置する。写真でもそうだけれど画角に入るものの切り取り方で本来のまわりの印象は消されてしまいターゲットだけが浮き上がる。のように片岡さんもなにもお洒落なものを集めて書いたというのではなく、どこにでもあるものをうまく切り取って、それがくずれないようにうまく配置して並べる、というのがとても巧みにできるんじゃないのかなーと今になって思う。

たとえばこの本の中だったら「標的」という短編があるけれど、ストーリーというのはほとんどなくて、描かれているのは主人公の女性の身体の筋肉の美しさや動き、そしてM16A1というライフルが分解された状態から組み上がるまでの様子。やもするとくどくどとした説明書きになってしまいそうなのに、片岡さんはそれらをまるでカメラマンがうまくフォーカスをずらしていくように、映画監督がカット割りを工夫するように、正確に表現するけれど冗長ではなく、マニアックだけれど退屈でなく、なめらかに連続する映像が読者の視点をうまく引っ張って、かつところどころでポイントとなるようなアイテムを配置して、それらが全体でクールにまとめている。

あんまり憶えてない(また読み出したらいろいろ思い出すかも)けれど、この片岡さんの本からいろいろ大人とかちょっと洒落たアイテムなんかを拾ったなぁ。”洗いざらしのジーンズ”とかw 具体的なブランドとかそういうのは出さないけれど、そういうものを醸し出すものものを片岡さんはよく出してきた。それらがいちいちぐっときてたのよね。

ぼくにとって80年代半ばから後半といえばこの片岡さんの本、わたせせいぞうの漫画、FMステーション(FM放送の番組表雑誌)の表紙(鈴木英人さんというひとが描いていたそう)、そして小林克也だったな。今はどれとも全然関係ない生活してるけれど、でもやっぱりこれらには影響うけていることがはっきりわかる。すごく久々にあのころの甘酸っぱいというよりはもう少し、こう、体の奥のあたりがもやもやする感じ、を思い出した。とても簡単に言ってしまえば、青春だったんだな、と懐かしく思う。もうちょい読み返してみようかな、思い出とともに。

角川文庫 1988

C.W.ニコル – TREE

宮崎さん関連で買って読んだ本。ニコルさんとはもちろん会ったことこそないけれど、ずいぶん昔にアファンの森を散歩させてもらったことがあるし、彼と親しい人が黒姫にいて、そこでよく遊んでいたのでもしかしたら会えるような方なのかもしれないけれど、畏れ多いなー(もちろん会ってみたいけど)。

この本は「月刊アニメージュ」(この雑誌が創刊された頃が懐かしい)に1988から1989にかけて連載されていた「The Tree」というコラムを文庫化したもの。ウェールズ生まれのニコルさんが故郷を出て、カナダでイヌイットと暮らしたり、エクアドルで国立公園の監視官をしたり、黒姫で原生林を保護したり、故郷のウェールズに新たに森をつくったり、屋久島にいったり、太地で捕鯨の調査をしたりなどして、いま(といってももう25年前だが)世界各地とくに日本で起っている環境破壊(それが国の政策としてやっているところに大問題がある)、森林の伐採などの問題を語ってくれる。この国に住んでいる人間が知らない/知ろうともしていないことをこうやって知らされること自体も問題だが、それほど環境破壊は深刻な問題だそう(ということを深刻に感じられてないことも問題だ)。

ニコルさんは言う、「一体どれだけ木の名前を言える?」。その辺に植わっている街路樹ならいくつかは言えるけれど、じゃあ山に入ってその辺に生えている木の名前をいったいいくつ言えるだろう、もしかしたら一つも言えないかも。植林された杉ぐらいかもしれない。恥ずかしい話。そして、ではそれらの木を切り倒したらいったい幾らになる?想像もできない。山には木々がたくさん植わっているし、建材などのために切り倒されたあとには植林されてるからこの国に森林破壊なんてないよ?と思っているかもしれないけれど、植林された森と原生林はまったく違う代物だということさえ知らなかった。

ニコルさんは世界各地や日本を飛び回って調査や活動をし、森の力の減衰、水資源の枯渇、自然災害は密接につながっているし、国際的なクジラ保護の問題や各地の紛争も実は同じ根っこをもつ問題だということを教えてくれる。

そしてラストはニコルさんと宮崎さんの対談。自然保護を通したこの国の将来のありかたについて、そして宮崎作品が訴える自然についてのものごとなど、興味深く読めた。

この本が刊行されて23年。果たして現状はよくなったのか悪化しているのか。。。

アニメージュ文庫 1991

辻仁成 – 愛はプライドより強く


すごくぼくが思っているイメージの辻さんぽい作品だなと感じた。すこし鋭角で、すこし冷たい感じがするけれど、その奥に狂おしい感情を隠している感じ。作品の構成もすごく細かく章にわかれていて(短いところは1行だけってのもあった)、それがまた場面を変えるというかうまい区切りになっていてすごい。

同じ音楽制作会社で働いていたナオトとナナ。二人は恋に落ちて結婚したいと考えるが社内結婚は禁止という掟があって、片方がやめざるを得なくなった。ナナは新進気鋭のプロデューサーであり、辣腕でミリオンヒットをつぎつぎ飛ばすヒットメーカーで会社の稼ぎ頭となっていた。そのためナオトは以前からやりたかったという作家業に転職するのだが。

ヒットのためにはいかにヒットする音楽を作り上げるかということに情熱を燃やすナナとぜんぜん筆が進まないナオト。一緒に暮らすもののすれ違いの生活、お互いの仕事への干渉を薄くするにつれ少なくなる会話。情熱を燃やした結婚というものも一体どうしたらよいのかわからなくなっていく2人。そしてナナの前に現れる大人の男。。。。

歩み寄るためには「愛」あればいいのに、お互い自分の仕事への「プライド」や相手のために思いやっていると思っている「プライド」そんなものが邪魔をして気持ちと行動がちぐはぐになる感じ、誰しも少しは経験あることだろうから、すごくダイレクトに響いてくる。

読み進むにつれて分かってくるのだけれど(まだどっちがどっちか判別できてないけれど)、途中ぐらいからナオトまたはナナの本編のストーリー以外にナオトやナナという名前の主人公(とくにナオトがおおいんだと思うんだけど)でナオトが書く小説が混じってくる。なので(この本の物語上で)どちらがリアルでどちらがフィクションなのかがわからなくなってくるのだが、それでも何か両方に通じるもの/空気感があって、読んでいてどちらがどちらなのか混沌として行く感じがおもしろく感じられた。実際どっちがどっちかわかってないんだけれど。でも最後はすとんと上手く落としている(てのがどっちかも、判別しにくいんだけれど、それはそれでいいのかも)

特に音楽業界の描きかたはさすがその業界にいる辻さんだからできることとほんと感心。そして数字か内容か、なにが大事なのか、問題提起してくる。「売れなくてもいいと思って歌っているのなら、自主制作で十分でしょ?少なくともこの世界ではそういう理想は通用しません」ナナはこういう。(とくにメジャーと呼ばれるような業界では)そのとおりだけれど、そうだけであってほしくないというのが希望だけれど、どんどんそうでなくなっていってるのは何も制作側だけが悪いのではない、と思う。

幻冬社文庫 1998

伊坂幸太郎 – SOSの猿

他人の心情が映像となって見える男、二郎。そしてとにかく物事の原因を調べ上げる男、五十嵐。彼等の前に幻想なのかそうでないのか出現しては謎のヒントを残す孫悟空。絵の修行にイタリアにいったのに悪魔払いのまねごとをするようになった二郎がひきこもりの男を助けたり、ちょっとした入力ミスで会社に三百億という負債を負わせた男のミスの原因を調べ上げる五十嵐。やがてこの2つの話が交錯していく。そしてその間には孫悟空。。。。

なんかこうやって書くとトンデモ話みたいだけれど(いや実際へんてこりんな話というか、ちょっとトリップ感あるよねぇ)謎が謎を呼ぶということでもないのだけれど、いろんなキャラがテンポよく現れてちょっとずつ物語が紐解かれたり、意外な部分がちょっとずつリンクしていったりするあたりがとてもおもしろく(伊坂さんらしい)一気読みしてしまった。ちなみにこの物語はもともと2008から2009にかけて読売新聞に連載されたものだそう。さらにこの物語は五十嵐大介の『SARU』という漫画と対になっているそう(なので入手したw、はやいとこ読もう)。物語の中だけではなくこうやって別作品と関連性をつくっていったりする試みすごいなぁ。

このところ伊坂さんの作品てわりと明確(でもないか)にテーマを提示している感じがする。この本の場合は”本当に悪いのは誰?”というのが一番出てくるテーマか。あと「モダンタイムス」あたりから”本当のことは隠れていてわからない”てのもずっと引っ張っているような気がするな。どんどんわかりやすく読者に現代社会が抱える問題を提示しているような気がするんだけれどどうだろう。

この本のおかげで西遊記を読みたくなってしまった。実際どんなお話か知らないし、孫悟空が山から出たあとの話しか知らないし、その前がどんなかも知りたいもんなー。

中公文庫 2012

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