群ようこ – 働く女

先日読んだ同じく群さんの「でも女」につづくような本なのかな。10人の女の人のそれぞれの面白い、ちょっと哀しい、とほほな短編たち。どれもすごくリアルに存在する感じの女性ばかり。

物語で短編だから多少の脚色はあっていいと思うのだけれど、この本に登場する物語はどれも赤裸々というか飾り気なくそのまんまな感じがして、一喜一憂、どちらかというと「あーあ」と思ってしまうところがあるのだけれど(異性だからそう感じてしまうのかもしれないけれど)、リアルな感じが好感持てる。

個人的には古本屋を手伝うことになる「そして私は番をする」と、ラブホを経営する母子の「いろいろあって、おもしろい?」が好きだなー。

あっさり楽しく読める本だった。

三浦しをん – 風が強く吹いている


たぶんはじめての三浦さん。装丁の絵からもわかるようにランナーのお話。もうちょっとちゃんというと箱根駅伝のお話。才能あったのに怪我であまり走れなくなったさる大学の陸上部の男が才能に恵まれた男と出会い、仲間を集めて箱根駅伝にトライするお話。毎年正月2、3日に開催される箱根駅伝は、関西の人間にとっては遠い場所のことだし、陸上のこともぜんぜん知らないけれど、テレビ放映される姿を毎年見ながら素敵で、いったいどんな世界なのか知りたくもあるし、何よりランナーたちが美しく感動的。だからわくわくしながらページをめくる。

絵に描いたようなボロ下宿とそこに住まう個性豊かな男たち。彼らはみなこの下宿に長く住む灰二が連れてきたものたちなのだが、満室まであと1人。それで10人。ある日銭湯帰りの彼の前を万引きして駆け去る一人の姿。その見事な走りっぷりに見惚れて着いて行った、それが走(かける)との出会いだった・・・。

駅伝といえばシード権を与えられた10校(前年10位以内に入った)と、そして予選で勝ちあがった10校の限られた20校しか出られない激戦であり、その予選もすごく厳しく、選ばれた20チームだけがああやって駅伝を走っているわけであり、そのチームも10人だけ。きっと常連校と呼ばれる大学のチームならばチーム内での競争も熾烈だろう。だからより選ばれた人間だけがあそこを走ってる。そんな中素人同然の人間(でも灰二が見込んだ人間たち)たちの寄せ集めチームが予選を勝ち抜き、本戦で襷をつなぎ続けられるのか?駅伝を毎年楽しみに見てるだけに、その知らない場所からはじまる物語はわくわくして仕方ない。

個人的にはやはり往路の5区が大好き。何よりも厳しい上り坂でこの数年繰り広げられるデッドヒートとゴールの芦ノ湖の美しさ、そこに死力を尽くしてたどり着くランナーたち。ぬくぬくこたつで見てる分にはすごく楽しいけれど、もしかすると彼らはもっと美しい世界を体験しているのかも。走っているものだけが感じられる世界。そんなものを垣間見させてくれるこの物語はとてもいい。

梶尾真治 – 黄泉がえり

初めて読む梶尾さん。タイトルから勝手に想像して怖そうな話なんかなぁと思ったり、先日浅田さんの「椿山課長の7日間」を読んだのもあってまた誰かが黄泉の国から帰ってくる話かなぁ、なんて思いながらページをめくる。ある日亡くなったはずの人が帰ってくる。それが一人や二人ではなく無数に・・・・。

いきなり文頭でSFチックな表現ではじまるので「???」と思ってしまったけれど、これが伏線として要所要所に挟まれて次第に意味が明らかになっていく。そして拡大していく黄泉がえりの現象。一度亡くなった人が復活する(一般にはありえないこと)ということで巻き起こる騒動や悲喜こもごも(やっぱり亡くなった人がある日突然帰ってきても、すんなり受け入れられてしまうものなのか?)があったりしてこのあたりの描写が面白い。そしてこれらの現象を「なぜ?」と考えるところから謎解きがはじまる。

作者の地元だという熊本というローカル地が舞台なのも好感。最近伊坂さんが好きで仙台が舞台っていうことが気に入ってるからかも。なんでも話が東京やら大阪みたいな大都会だとおもしろくないし、あまりなじみのない土地が舞台となってそんな街が紹介されていくのも旅をしているようで楽しいもの(テレビドラマでよくある湯けむりうんぬんみたいに観光地紹介見て喜んでるようなものかもしれないけどー)。

よみがえる人は全員ではなくて限られた人。その人たちが何故選ばれてよみがえったのか?彼らが生きている人たちに与えるものとは?そしてところどころに挟まれる謎の描写は?物語がうまく構成されててじわりじわりと進むのがいい感じ。よみがえった人たち語ること、宿る力、遺していくもの、どれもが奇蹟的で美しい。

梶尾さんの他の本も読んでみたいなー。

石田衣良 – ドラゴン・ティアーズ-龍涙(池袋ウエストゲートパーク IX)


もうこのシリーズも9作目。すごいなぁ。相変わらず時事ネタをうまく取り入れて作品に生かしている。今回はリーマンショックなどの経済不況が原因のひとつとなった貧困、社会の底辺のまだ下の世界のお話が4つ。

テレビで流行り華やかなエステの世界の裏の顔を描く「キャッチャー・オン・ザ・目白通り」、街の片隅をねぐらにしている底辺労働者の実態「家なき者のパレード」、借金が生む悲劇「出会い系サンタクロース」、じわりじわりと広がる中国系社会の表と裏「ドラゴン・ティアーズ – 龍涙」、どれも実際にある話(だろうな)で、大きな視野から描かれがちだけれど、石田さんはあくまでマコトの目と耳、そして池袋という街を通して語る。だから目線が低い。なので大きすぎて実感できない社会の波が、実感できる大きさの出来事として入ってくる。

実際コンビニや最近はやりの安売り店、百均ショップなどなどモノやサービスそんなものたちがどんどんどんどん安くなっていっている。表面的にはうれしい話のように思えるが、ちょっと考えたら恐ろしい話じゃないだろうか?たとえば300円を切るような値段でつくられるお弁当。どう考えても自分じゃ作れない。たくさんつくって販売したっていったいどこに利益が?と思ってしまう。食べ物だけじゃない、さまざまなモノが(きっとどこかで誰かが作ったはず)安くなってる。ということは原価が異常に安いということだ。以前は”安かろう悪かろう”といって安さは品質の悪さ、というのが当たり前な考え方だったが、いまは悪くないものでもなんでも安い、安すぎる。サービスや労働についても同じだ。

ということは僕たちが想像する以上に社会には底辺のさらに下に底辺があり、そこでまたうごめく人々がいるということ。そんな人たちの上にぼくたちは暮らしているが、彼らの姿はまったく見えない。実際にいるはずなのに。そしてそこに巣食う魔物たち。それらも含めてぼくたちは立っている。そんなことを無視していたわけでも忘れていたわけでもなく、知らずにいままですごしてきていた。いや、考えたり知ろうとすればわかることだったのかもしれないが、それを怠ってきたのかもしれない。

安ければいい、楽だったらいい、それは魅力的な言葉だけれど、なにか形や得るものがあるのならば、それを生み出したひとがいる、ということを考え、それを通して透けて見える、そばにあるのに知らない世界のことをもっと考えたほうがいいんだろうな。

文集文庫 2011

有川浩 – 空の中

有川さんの自衛隊3部作と呼ばれる作品の1作目。ずいぶん前にこのシリーズの「塩の街」を読んで、そのアイデアというか、本人曰く「自衛隊ラブコメ」という新ジャンル(笑)に非常に興味を覚えて一気に読んでとても面白かったのだけれど、それからずいぶん経ってから、やっと手に取った。

タイトルから想像できるように、今回は航空自衛隊のお話。あるときようやくたどり着いた”純国産ジェット機”の試験飛行中に期待が爆発。そしてそれを調査していた自衛隊機も謎の爆発・・・・。純国産ジェット機の命運は?(これ想像上のお話じゃなくて、結構リアルに今後どうなるのか気になる、というかなんとかなってほしい話題)事故の原因は?と真相究明に乗り出す大手重工メーカーの下っ端設計社員と、男勝りなのにずいぶんかわいい(らしい)女性パイロット – ああ、この時点でもうメロメロ(笑)。

同時並行して、高知の海で謎の生物?を拾う少年。その少年を見守る同級生の少女。このクラゲのような、そして乾かしてみたら円盤のような謎の生物が物語の鍵を握る・・・

で、ネタばれになっていくけれど、この事故の原因が人類創生よりずっと以前からこの星にいた(あった?)すごく巨大な円盤型の生物(といっていいのかわからないような、カテゴライズ不可能なUMA)なのだけれど、物語が社員とパイロットそして少年少女の恋や葛藤などのドラマがメカメカしい物語の合間にさわやかに流れていく中で、なぜかこの不思議な生物にえらく興味が湧いてしまって、読み進むにつれて気付いたらこの謎の生物に感情移入してしまっていたという(笑)普通主人公たちの誰かになりそうなのに、どうしてかなぁ(笑)。物語上でさえなかなか表現困難な未知の生物の描写や設定やそのコンタクトの仕方の工夫なんかを読んでいるうちに実際こんなものがいたらどうなるのかなぁなんてぼんやり考えていたら、夢中になっていた、というような。

有川さんも書いていたけれど、出版や編集者とのすり合わせの中で一応少年少女向けという趣向で物語は少年少女が主人公になるように描かれているけれど、いやいや大人のあまりにもツンデレな恋もなかなか面白く、そこだけ抜き出したら本当にただのラブコメ。でもこれに自衛隊というメカメカしいものや、細かな専門的な描写が割り込んでくるもんだから、このギャップ感がたまならく、「塩の街」やら「クジラの彼」で感じたあのわくわくぞわぞわした感じをまた体感できてとても楽しい。

文庫版には後日談として「仁淀の神様」という短編が描かれている。その後の主人公たちがどうなっていったかを知ることができて、なんか後味がいい。自然、繋がっていく命、のびのびした空気。そんなものがやはりありがたい。SFの世界でも自然は自然なのだ。

角川文庫 2008

伊坂幸太郎 – オーデュポンの祈り


ちょっと時間がかかってしまったけれど読了。これまでに何冊か伊坂さんの作品を読んできて、その作品たちに前の作品の人物なんかが出てくるのを読むにつれ、「やっぱり一冊目から読むべきかな」と思って手にとった一冊目「オーデュポンの祈り」。「ゴールデンスランバー」から読み始めたので、このオーデュポン~の文体がちょっと今とは違う(今のほうがより構造が明確でいろいろはっきりしていると思う)ために、最初だいぶ戸惑ったのだが、我慢して読み進んでいくうちになれて、また違う感じの伊坂ワールドを楽しむことができた。

つい出来心でコンビニ強盗を働き捕まってしまう主人公伊藤。ちょっとしたきっかけで逃走するのだが、気づいてみると見知らぬ土地にいる。そこは誰も知らない島。現在社会から切り離された場所。変わった人間ばかりがいて、さらにはしゃべるカカシまでがいる・・・・。

ぼーっと読んでいると、ただただ主人公がよくわからない島でよくわからない人たちに会い、よくわからない会話を繰り返すだけの、焦点のちょっとだけずれたへんな物語にしか読めないのだけれど、ある事件をきっかけにそれまでのちょっとした会話、人のつながり、そんなものから歯車がかみ合っていって・・・すべてのことに因果があってつながっている、という見事に伊坂さんらしく物語をまとめあげていくところが、おおー、という感じなのだが、そのタイミングがすごく最後のほうなので、いったいどうなるのかわかんないと読みながら不安になる。表から見てる分にはちんぷんかんぷんな紋様が、裏から見たら見事に均整を取れて美しい紋様になっていた、のような。

解説で吉野仁さんが書いているようにこの作品で描かれるありえない世界に引き込まれる感覚=シュール(超現実的)な感覚がこの作品の最初の醍醐味であり、そして次々に謎が出てくるミステリー、最後までわからない「この島に欠けているもの」などなどがこの作品の魅力となっている。名探偵に関する考察もおもしろい。「名探偵は事件を解き明かすために存在する。しかし誰も救わない。名探偵がいるから事件は起こるのではないか」・・・これとカカシ優午がリンクしていく。今の社会への風刺だともとれる。

「この島に欠けているものはなにか」がわかったとき、思わず感嘆の声を上げそうになった。そう!そう、本では描けない(こともないか)けれど、いつもそこにあるはずのもの。そして伊坂さんがすごく大事にしているもの。そう!

この作品を皮切りにして、今まで読んだ物語やそれ以外の物語が生まれていったのか、伊坂さんと同じ時間に同じ空気吸って生きているんだ、まだこの人から生まれていない作品にまた出会うことができるのだと思うと、うれしくなってしまう。

新潮文庫 2003

有川浩 – 海の底

そして有川さんの自衛隊3部作の2作目(でも読むのはこれが3つ目)。塩の巨大物体がおちてきて人類が大変になる話(塩の街)、未知の生命体が空にいた話(空の中)、ときたからにはこの「海の底」は海底に謎の火山が・・・(たぶん底というからには潜水艦がらみだろうと、決して洋上艦ではないだろうと)とかそんな展開かーと思っていたけれど、ああ、こんな怪物たちがわさわさと、という展開は想像だにしてなかった!悔しい。これがいちばん単純で、昔はそれこそB級映画としてパターン化したものだったのに、本でこれを描くかーという驚き(笑)

ある平和な、横須賀の自衛隊基地が開放されて見学できる日に、突然海から巨大なザリガニのような生物が大量に上陸してきて、人間たちを貪り食う・・・。突如起こった惨劇になすすべもなく逃げまとう人間たち。ちょうど停泊中だった潜水艦きりしおの問題児2人がその辺にいた子供たちを逃がすが逃げ切れずに結局潜水艦に立てこもることになる・・・。

B級映画そのまんまな巨大化した○○がどーのこーの、国を挙げて対応するが難しく・・・という、映画ならヒーローが出てくるかウル●ラ警備隊がでてくるか、みたいな展開になるところを、まことにまっとうな(つまりリアルな)対応をしていくあたりや(警察なのか自衛隊なのか、とかの葛藤や駆け引きなどや)、実際あるメカがでてくるあたり、一体どうやってこれだけの資料を集めたのかと感心するぐらいリアル。面白い。そして本当に起こったら怖いなと思う。そして同時並行して描かれる15少年漂流記のような閉ざされた空間での話。

よりリアルでより複雑、でもちょっと子供向け(こんかいラブコメ度はちょっと低し)なすごくうまいトーンで書かれていて見事だと思う。最後まで面白いし。怪物たちの殲滅もほんとリアルにその通りになるだろう展開だし。何も言うことなく面白い。

で、この話を読んでようやく「クジラの彼」に繋がった。なんか妙にうれしい。

そして文庫版には「海の底・前夜祭」というタイトルの短編も収録されている。本編の中でちょっと触れられる潜水艦を狙ったテロを試してみる話。これもリアルに面白いなぁ。

角川文庫 2009

浅田次郎 – 椿山課長の7日間

浅田さんってこんなに面白いのかー!と思えた作品。主人公椿山は仕事中に倒れてそのまま死んでしまったのだが、あまりにも現世に残した悔いや心配事があるので、天国にいく手前にある罪を悔い改めるお役所のようなところ(SAC=スピリッツ・アライバル・センター)にて申し立てをして現世に初七日までの7日間だけ戻ってくるというお話。ああ、なんて面白い設定!

少し長編でその厚みとともに読み応えもある作品。その設定もさることながら、死んでから蘇るまでの流れが現代社会(とくにお役所関連)の風刺のようで(免許の更新センターを思い出す人はたくさんいるはずだ)、すこしとぼけた書き方をしているのも愉快。またキーとなる3人の死者たちと彼らが思いを残す生きている人たち、それらがそれぞれ少しずつ重なり合ってやがて見事な大団円へと向かう筋立ても見事。最近伊坂さんのどちらかといえばクールでスマート、スピードのある展開とオチへのもっていきかたばかりに目を奪われていたが、いやいやこの作品のようなゆるやかだけれど確実に安心して進んでいく、言っちゃえばアナログ的な展開、そしてまさに大団円!というような話のもっていきかた、これもやはりとてもいいなぁと思ってしまう。飛行機と船の違い、のような感じかな。

もちろんおもしろいお話でそれだけで十分だけれど、ここに描かれる人情、死んだ人間とその人を喪った人間、両者が感じるお互いへの思い、もう会えないと分かったからこそ明らかになる感情、そんな普通は主観的にしか見られない/感じられないことごと(人と死に別れるというのはごく個人的な出来事とおもう)を、こういう風に描いてもらえば、ああ、自分もあの時はああいう感情もったよな、とか、逆の場合こんな風に思われるのかな、とかとか客観的に振り返ることができる。

もしかして、ちょっと語弊というか誤解が生じるかもしれないけれど、少し前に近しい方を亡くされたりした人が読むとすこし気が安らぐかもしれない。亡くなった人もこんな風に生きている(いや、生きているわけじゃないけれど)と思えたら寂しくないかも。

余談だけれど、この主人公たちが生き返ったときに違う人間として生き返り、本来の自分とのギャップに苦しむってくだりが非常に面白いのだけれど、特に椿山氏のように女性として生まれ変わって、初めて女性の心理や体のことが腑に落ちるシーン、面白いなぁ。よくこんなこと想像したなーと脱帽(笑)。

朝日文庫 2005

伊坂幸太郎 – フィッシュストーリー


4つの物語からなる短編集。解説によるとこの本に集められてる物語たちは結構期間を置きながら書かれたものだそう。「動物園のエンジン」(2001/3)、「サクリファイス」(2004/8)、「フィッシュストーリー」(2005/10)、「ポテチ」はどうやら2006年末ごろだそう。かといって4つの物語に技量の違いやらなにかの違いを感じるわけではないけれど、ばらばらのものを集めながらも何かどこかしら共通したものを感じてしまう。

タイトルが面白すぎる、くだらない駄洒落(?)と妙な殺人事件から意外なオチへとすすすと進む「動物園のエンジン」、おなじみ?の空き巣のプロ黒澤が登場し探偵さながら事件を解決する「サクリファイス」、表題であり、ひとつのものごとが人と時空を越えて世界を救う(!)「フィッシュストーリー」、ほろりとさせられる「ポテチ」。どれもいいお話。今まで読んだ伊坂さんの作品としては、短編ばかり(しかも作品群としてではなく、単に短編集だ)なので、大きな仕掛けやテーマやら技巧が目立つわけではないぶん、短くまとめられた中にしっかりしたテーマがあって退屈なく読める。

やはり面白いのは「フィッシュストーリー」かな。実際こういうことってないわけじゃーないかなーと思ったりする。ある作家の作品の引用が印象的な売れなかったロックバンドが残したある曲。その曲が人を通して伝わりその作家の言葉が時空を越え、やがて世界を救うことになる。そんなうまい話ないと普通思うけれど、実は見えないだけでこんなことあるんじゃないかな。大きな物事でも元をたどるとすごく小さな出発点だった、みたいに。

今回も「サクリファイス」と「ポテチ」で活躍する黒澤さんがいい感じ。すごく知的で必要十分な技術はもっているけれど控えめで、でも必要な力はちゃんと発揮する、という大人の男。きっと見た目もかっこいいんかなーと想像して楽しい。でも僕が好きなのは、その隣でちょこまかしてる空き巣としてはダメな今村。彼はたぶん天才。だからあんまり俗世間のことには関心がない。ないことはないけれど、自分の興味が勝つことがあればそれまでの一般的な損得勘定はどこかへいってしまう。ピタゴラスの定理を発見してみたり、ニュートンの法則を発見したり(これは別の本)、おとぼけキャラなのに実は世界の真理を示すことを言ったりする。あこがれるなあこういう人。

短編ながらどれも内容が濃くて、読み返し読み返ししてたら結構時間かかってしまった。とっかかりにはいい本かも。

新潮文庫 2009

小川洋子 – 猫を抱いて象と泳ぐ

まずタイトルがすごく素敵。「猫を抱いて」という部分だけでもうっとりしてしまう(猫好きです)のに、さらに「象と泳ぐ」。いったいなんのことか?と思ってしまうほどメルヘンなタイトルだけれど、ちゃんと意味があって(当たり前か)、チェスと少年のお話。

チェスというものの駒の動かし方や遊び方を知っていても、その世界にこれほど深遠な、宇宙的な世界、文化があったとは知らなかった。将棋や碁などももちろんそうなのだろうけれど、これらがもっと自己探求的、禅的なイメージを感じるのに対して、チェスはもっと音楽的な耽美的な退廃的なイメージを感じる。これはヨーロッパのものだからだろうか?物語のなかで対局を描くシーンで詩的な、音楽的な描写が見られるからそういうイメージを抱いてしまったのかもしれないけれど、たしかにそんな風なのではないかとイメージしてしまう。

「美しい棋譜」。ああ、いったいそれはどういうものなのか!考えるだけでわくわくしてしまう。そしてチェスの対局は決して争いではなく、美しい音楽と同じように相手の駒の動き・考えと呼応して生み出すハーモニー、旋律である、と。勝つか負けるかではなく、どのような棋譜を残すのか(過程)が大事である、というところは、書かれた楽譜をいかに演奏するか – 作曲者の意図そのままだけではなく演奏者たちの気配りとそれぞれ少しの自己主張、聴衆と演奏者の期待と主張のバランス、その場限りでしか存在しないものへの挑戦 – に似ていると思う。

この物語のおかげで非常にチェスとその文化、人々に興味をもってしまった。

象というのが少年(物語では大人になっていくけど)にとってのかわいそうな、そしてある哲学(大きくなることは恐ろしいこと)の対象として登場するけれど、この象というのはチェスでいうところのビショップ(僧正)のもともとの姿だとか。そして猫を抱くというのは実在した「盤上の詩人」と呼ばれたアレクサンドル・アリョーヒン(アレヒン)の姿だそう。

アレクサンドル・アリョーヒン
アレクサンドル・アリョーヒン

文集文庫 2011