乃南アサ – ピリオド

親や家族、恋人や友達、仕事、そして住まい、帰ることの出来る家、など、関わりたくて関わりながら生きていくもの、関わりたくなくても関わらねばならないもの、そんなものたちに囲まれて我々は生きている。それらは自分の人生を照らすものであり、比較するものであり、自分の位置を見定める灯台となるものだ。

別にドラマチックでもなく普通な人生でも、同じように人の上には時間はながれ、小さいながらも人や物事によって自分の人生に波がたつ。でも立ち止まることはなく、それらをひとつひとつ手にとってそして放してゆく。時間の中に標をつけていくことで、自分の進んだ道を記憶し、糧としていけるから、人はそうやって何かどこかにピリオドを打ちながら生きていくのだろう。

子供を持てずに離婚し、恋人はいるけれど愛人で、日々の仕事に流される日々。人と関わるのはわずらわしいけれど、人と離れ続けるのは寂しい。人に優しくするのは人のためか、それとも自分の寂しさを紛らわせるためか。だれしもどこか心当たりのあるような日々。そんな中に起こるさまざまな事柄。兄の病気、恋人の困りごと、家のこと、甥や姪のこと。つぎつぎなにかが起こり、すべては時間とともに流れていってしまうもの。昨日起きた大きな事件も、明日を生きていくときには過去のことになる。

死、帰るべき家がなくなること、取り返しのつかないことに直面しつつも、時間という制限を受け、逆にそれにより解放され、それらにピリオドを打ち生きていく。どれも想像するだに恐ろしいけれど、誰もが必ず通る道。いつかやってきて、そして去っていくだろう。

双葉文庫 2002

加藤実秋 – モップガール

初めてよむ加藤さん。わけあり清掃会社にひょんなことから勤めることになる主人公桃子。この清掃会社はおかしな人たちの巣窟だった。しかし彼女はがんばって仕事に勤める。一方、彼女には以前から原因不明の難聴の持病があったのだが、難聴が起こっているとき清掃現場でフラッシュバックに襲われ、たびたびおかしなことになる。鼻が利かなくなったり、幻聴が聴こえたり・・・。

じじいキャラの社長、体力バカ、カッコいい若者、なんているへんな清掃局っていったら、中津賢也氏のまんが「ふぁいてぃんぐスイーパー」を思い出してしまうのだが(ほんとバカみたいなマンガで好き。中津さん好きなのだが、まったく売れないので悲しい)、それとは違って、これはミステリー。主人公の身に起こる超常現象は清掃現場(大概人が死んだ現場だ)のある一種のダイイングメッセージになっている。その現象から清掃現場の裏にひそんだ謎に挑んでいく仲間の翔と主人公桃子。それぞれの事件が解決しないとこの妙な現象は治らないのだ。

軽快なテンポで読めるので短編といえど少し長いのだが、すっと読めてしまう。こういうおかしなキャラたちがでてくる物語は好きだし、怖くないミステリーも好きだし、やたらと謎が謎を呼ぶようなものでもないので、気持ちいい。

世の中に実際にこういう清掃業者はいる。人が死んだ現場やごみ屋敷の片付け、消臭など誰も引き受けたがらないこんな仕事をやっている人たちの動機は「われわれがいないと世の中がたちゆかない」という使命からだそうだ。現代社会は利便性・快適さの裏にそれを支える人たちが必ずいるのだ、ということをこの物語は暗に語ってくれている。とくに死の現場というのは普通の生活者からは程遠いところに追いやり、意識の外へ置いてしまっている。しかしそれは誰にもやってくるものなのに。

このシリーズ、もっと続けて欲しいなー。

小学館文庫 2009

恩田陸 – ライオンハート

「いつもあなたを見つける度に、ああ、あなたに会えて良かったと思うの。会った瞬間に、世界が金色に弾けるような喜びを覚えるのよ・・・」

時空間を超えて出会う男女の物語。簡単なタイムスリップものではなく、そのときによりその男女は違う年齢、シチュエーションで出会う。いつどういう形で出会うかはわからないけれど、出会った瞬間にその相手だとわかり、その出会う日を待ちこがれる2人。しかし彼らは決して結ばれることはない・・・・

SFと壮大な出会いの物語を巧くマッチさせた作品だと思う。解説によると恩田さんが好きな(影響うけた)結構たくさんの作品のオマージュなどもあるようだが、読んでないのでわからない。物語が時間、空間を超え、主人公2人も違う人間として現れるので、読んでいるこちらもたくさんの物語がどう結びついていくのか、最後までわからない。しかしこの2人の幸せな気持ちはずんずん伝わってくる。

すごくすてきなことに、この物語は5つの章から成り立っているのだけれど、各章のタイトルが実際にある絵画のタイトルと同じものになっており(各章に扉絵として掲載されている)、それぞれがその絵から(ヒントを得たのか、5枚の絵を持ってしてこの物語がうまれたのか、はたまた物語がこれらの絵を呼んだのか)関係する、もしくはその絵に描かれているシチュエーションを用いて、または連想される世界観を織り込んで描かれている。そのイメージがまた素晴らしい。絵から物語や音楽が生まれることはままあるけれど、複数の絵が複数の物語を生んで、それらが繋がっているなんていう状態を、しかもここまで完璧に描き上げた恩田さんはほんとすごいなと思う。

こんな出会いができる人ってうらやましいな。真実はそこにあるのかもしれない。一度読んだだけでは大筋は理解できるけれど、深く物語を読み解いていない気がする。何度か読みたい作品。

タイトルのライオンハートはケイト・ブッシュの曲からとったそう。

新潮文庫 2004

石田衣良 – REVERSE


ネットを介して出会った男女・・・それでは今では珍しくもない話だけれど、彼らはお互いに性を偽っていた、つまり男は女性になりすまし、女は男性を装い・・・・、しかしこの2人はお互いにネットの中で信頼関係を築き、徐々に必要不可欠な相手となっていく。時がたち、2人はついに「会って直接話してみたい」という欲求を我慢できなくなり・・・・

設定だけでもなるほど石田さんうまいとこ突いてくるなぁと感心したのだけれど、描き方も主人公である2人を短いスパンで切り替え続けるというのが、ネットのチャットのようだし、それにより時間の経過を同時進行で無理なく描くということに成功していてすごいなーと思う。ネットが必需品な人間にはよくわかるネットをやってる人が感じる感覚、バーチャルな世界だからこそリアルな気持ちが素直にでる感じ、メールというある意味手紙と話す言葉の両方の特徴と短所を持つ道具、そんなものを説明なくうまく伝わるように描いている。

この本を読んで、なぜネットだとリアルの人間関係とは違う関係が生まれるのか、ネットおかまやネットおなべになりすましたくなる感覚、そんなものがわかったような気がした。石田さんも描きたかったはこういうことじゃないのかな、人間のコミニュケーションというのは一体どうやって成り立っているのか?

ネットだと出会いには姿形はない。つまり視覚による先入観がない。どんな人間でも出会いは均等に平等であり、だからこそ端末の前にいる人間の中身の部分同士が直接ふれあうことができる。性や年齢を変えて自分から遠い存在になればなるほど、リアル世界での自分とは無関係になり、その分その存在に自分が本当に語りたいことを語らせることができるのではないだろうか。

しかしネットでいい関係を築けたとしても、それがそのままリアル世界に延長されるとは限らない。リアル世界には姿形があり、社会システムがあり、人々は均等でも平等でもないからだ。

果たしてネットで出会い、お互いに性を偽る、しかしお互いに必要だと感じている2人はどう出会い、ネットでの関係をリアルの世界に持ち出せるのか?実際今どこかでおこっているかもしれない物語。まあちょっと出てくる人物たちがみんなかっこ良すぎる気もしなくはないがー、主人公の男を除いて(笑)

中公文庫 2010

北森鴻 – 支那そば館の謎

久しぶりに北森さんの本。これはまた別のシリーズ。もともとは怪盗とまで呼ばれた男がひょんなことから貧乏寺の住職に助けられたことからその寺(京都に実在する)の寺男として働くことになるのだが、なぜか彼のもとには京都でおこる怪事件が舞い込んでくる。

主人公の見事な行動力と推理力、住職のとぼけているが的を得たアドバイスにより事件の真相は徐々に明らかになっていく。しかし最後の決めては主人公の昔取った杵柄、怪盗の技術、そして仲間たち。

どこか愛すべきキャラの主人公とその周りの人間たちが軽妙なタッチで生き生きと描かれ、読み飽きない長さの短編、そして京都ならではの風物、食べ物、文化などなど、京都好きな人にもぐっとくる文章がとても楽しい。おいしいもの食べたくなるなぁ。

このシリーズのほかの本も読みたいねぇ。

光文社文庫 2006

湊かなえ – 告白

映画になったのは知っていたけれど、子供がどうのこうのっていうことしか知らず、どんな話か知らずに読み出したのだが・・・、めちゃくちゃ面白い、というか、怖いというか。各章ごとに事件に関わる別々の一人称で語られ、事件の真相が読者に明らかになる。視点を変えていくことにより事件の隠れていた事実が徐々に明らかになっていく。物語も人物の描き方もリアルだし、物語の構成が半端なくすばらしい。

シングルマザーである教師がその子供を学校に連れてきていたところ、その少女が事故で死んでしまう。しかしそれは事故だったのか?その教師と事件の当事者の生徒2人、関係者2人により語られる一つの事件の違う側面。少年は目的を達したのか?教師は復讐は成功したのか?結局誰が納得したのだろうか?

話のネタ自体も結構マッドだなあと思うけれど、単なる謎解きに終わることはなく、事件は尾を引き最後までもつれにもつれて、ラストまで息つかせずに一気に読んでしまいたくなる。すごく面白い本だ。映画はどうなんだろ?

双葉文庫 2010

有川浩 – 阪急電車


今年2011年映画になることでも話題になってる本だそう。阪急電車、関西の人にはなじみの深い、あのえんじ色の車両の、ちょっと”ええとこ”なイメージのある電車。神戸に通うようになったころ、沿線の桜並木を眺めながら揺られたころが懐かしくて、こそばゆい。

で、このお話ではその阪急電車のいくつかある路線の中ではちょっとマイナー?な今津線を話題に物語が描かれる。その今津線はマイナーといえど、関西では”ええとこ”のひとつ宝塚を起点として、終点は西宮北口という少し大きな駅になっている。人の行き来もたくさんだけれど、すこしのんびりした雰囲気を残す、いい路線。こんなのを持ち出してくるあたりが素敵。有川さんはこの沿線に住んでいらしたとか。そんな今津線はたった8駅しかないのだが、路線の各駅をひとつのお話にして往復で16のお話で構成されている。行き帰りになってるあたりがちょっとニクイ。

ひとつひとつのお話はすごく短いのですいすい読めるし、エピソードもちっさなものなので、最初は「?」と思って読み始めたのだけれど、そう、電車は乗りあうもの、袖触れ合うも・・・じゃないけれど、1つのお話でちらっと出てきた別の人間が次のお話の主人公となり、その人もまた次のお話の主人公とすこしすれ違い・・・と、まさに電車という移動する閉ざされた空間だからこそ起こるほんの少しの人との繋がり、そんなものたちが、思わずふふふと微笑んでしまうような柔らかなタッチで書き綴られている。いいなぁ。

また、各駅に拡がる町の描写なんかが「ああいってみたいな」と思えるようなもので、近くに住んでいるけれど、わざわざ体験しにいってしまいたくなる。なにか明るい日差しを感じるよう。

そして復路へと話が進むにつれ、読者の視点は電車に揺られるがごとく時を重ね、いつの間にか往路からは月日が経過して、最初に出てきた人物たちのその後がほほえましいエピソードとなってまた描かれる。いやー、ニクイ構成。素敵。今津線に乗りに行きたくなった。

有川さんのほかの本も読みたいな。

幻冬舎文庫 2010

乃南アサ – 不発弾

「かくし味」「夜明け前の道」「夕立」「福の神」「不発弾」「幽霊」からなる6編の短編集。

今回はどんなお話読ませてくれるのかなーと期待して本を開いたら、最初の「かくし味」からいきなり面白いなぁと思う展開。常連ばかりが集う古い居酒屋の看板料理の煮込み。何年食べても飽きない。なにかの隠し味があるはず。しかしお店の老夫婦は神様仏様のおかげ、という。そして年月が経つにつれ常連が一人一人と亡くなっていく・・・。ラスト、うまいなぁ。

その後も、不気味なのに気持ち温まる「夜明け前の道」、実際に世間のどこかで起こっていそうな「夕立」と不気味な、でもリアルにいそうな人間たちのドラマがつづく。

中でも一番いいなと思ったのは次の「福の神」。途中までいったい誰が福の神になるんだろう?なんて思いながら読みすすんだけれど、こんな意外な(でもないか)展開、というかストレートだけれどうまくちょっとだけ捻った、心温まる展開にほろり。いい話ー。こういう感じはじめてかも。

表題の「不発弾」、気持ちよーく分かる。世間にはこんな不発弾がひしめいているんじゃないか?あまりにも忍びない。けれど逆の立場から見たら、また違う気持ちになるのかも。そして最後の「幽霊」。あー、スカッとする!

どの話も人間模様が中心に描かれている。でもこんなに見事にばらばらなお話の感じがするのもすごいなぁ。しかしどろどろしたこわいものも、心温まるものも、なにか共通したものが通っているように思う。そこが単にリアルぽい、ちょっと怖い話、という部分で終わってない理由かも。言葉すくなに的確に人物を表現しつつも、人間の弱さ、ダメさ、怖さ、そんなものを少し許容しているような、そんな部分か。

講談社文庫 2002

辻仁成 – 五女夏音

辻さんの本は好きでいろいろ読んできたけれど、こういうタッチというか描き方のは初めてだな。すごく新鮮だったし、お話も着眼点もすごく面白かった。

夏音は五女。つまり5人姉妹。祖母も母も健在で、その母が姉妹たちの旦那や子供も含めた大家族の長となりその大家族を仕切っている。そこに夏音の夫として大家族の一員となる物書きの主人公 平太造。彼は父母のみの核家族で育てられたため、この旧態依然とした大家族に苦悩し、また作家としての自分の進路を迷う。

だいたいもうこんな大家族ってない。大きな家もないし、兄弟姉妹がたくさんいる家もなくなってきた。それは時代なのかもしれないし、文明のせいなのかもしれないし、政治のせいなのかもしれない。が、事実いまは核家族化が進んでいるし、現在に至ってはそれすら壊れようとしているように見える。

この物語ではまるで学者が第三の視点で研究するかのように、太造の目を通して大家族の生態というものが観察される。まずそこが面白いし、太造の視点というのが、現在大半を占めるであろう核家族で育った男の視点としてすごく平均的なもの(作家という設定がすこし影響をだしてるけれど)なので、すんなり読める。なるほど自分も同じ立場になれば、きっと同じことを思うであろうから、すぐに感情移入してしまった。

そんな大家族の古いしきたりを受け入れられない感覚に居心地の悪さを覚え、末席に据えられてしまうこと、作家という仕事への影響などから大家族への嫌悪感を増すのだが、子供をもうけ、その生死の危うきに接して、家族への考え方を改めていく・・・しかしやはり生まれ育てられた感覚はなかなかぬぐえない。ゆえに深く押し込めてしまうのだが・・・

いや、ほんと自分だったら・・・的感覚で読めるし、章ごとに挿まれる学術的解説もなるほどって感じだし、面白いなぁ。物語も長編だけれどうまくまとまって起伏あって、家族の物語として読めるし、研究論文みたいにもよめる(そういう体裁をとってるだけある)。

核家族で育ったものにとっては大家族というのは、知らないからこそ生じるあこがれと、想像だけで思い込むめんどくささ、の両者の同居した摩訶不思議なものとして目に映る。そんな気持ちをある面から代弁してくれるこの物語は、自分の気持ちや頭のどこかにうまくはまり込んでくれる、そんな気がした。

中公文庫 2001

宮部みゆき – 地下街の雨

7つの短編集。このところ短編集ばっかり読んでるな。やっぱりさすが宮部さんというか、どの話も短い中で「おっ」と思うような展開と「へええ」と思えるような素敵なオチまできっちりまとまっていて、短編とは思えない読み応えがある。

地下には雨は降らない、でもそんなタイトルの矛盾を人間関係のどんでん返しでうまく描いた表題作「地下街の雨」。いかにもありそうな怖いお話「決して見えない」。仲のよかった家族の心中、見ている人は見ている「不文律」。こわーい電話の精「混線」。死んだ姉の誰も知らなかった秘密「勝ち逃げ」。伝染する不意の殺人「ムクロバラ」。謎の宇宙人?「さよなら、キリハラさん」。いやー、どれもおもしろいなぁ。

やはり「地下街の雨」がドキドキするし素敵だし、なんか怖いけれどちょっと笑える「混線」、そしてなんだかほろりとする「さよなら、キリハラさん」が好きかな。こうやってみると7つのお話もうまい順番に起承転結じゃないけれど、山あり谷あり右行って左行ってと飽きないように並んでるなぁと感心。

素直に面白い。

集英社文庫 1998