乙一 – 失はれる物語

すごく久しぶりに乙一さん。今回も短編集だけれどどれもやはり面白い視点というか物語の切り口で面白く読めた。

時空間のずれた相手からかかってくる電話「Calling You」、交通事故で右腕以外の感覚がなくなってしまった男とピアニストである妻の物語「失はれる物語」、他人の傷や痛みを移す能力のある男の子「傷」、魔がさして泥棒しようとした男の顛末「手を握る泥棒の物語」、みえない女性と子猫の物語「しあわせは子猫のかたち」、ほほえましい短編「ボクの賢いパンツくん」、怖い恋「マリアの指」、嘘の彼女「ウソカノ」。

今回の本は怖い話はひとつぐらいで、あとはじんわりくるいいお話ばかり。とくに好きなのは「失はれる物語」と「ボクの賢いパンツくん」かな。ほほえましいし。

このひとのもっと違うタイプの本も読みたいなぁ。

角川文庫 2006

乃南アサ – ドラマチック チルドレン

人の怖い部分をよく描く乃南さんだけれど、これ読み出してから気づいたのだけれどドキュメントものだった。

富山市郊外にある「ピープルハウス・はぐれ雲」に集まる子供たちはいろいろな問題を抱えた子供たちばかり。ひきこもり、登校拒否、非行などなど。彼ら彼女たちが共同生活をおくり、そこの主である川又夫妻の厳しいけれど暖かい、そして無骨で正直な眼差しと手により立ち直ったり、また舞い戻ったりする。そんな子供たちの様子を淡々と描いた作品。物語の中では主人公となる恵という中学3年生の女の子の成長を見ていく。

話の中にときどきでてくる川又さんの言葉、地域にとけこむことの難しさ、生活とはなにか、社会コミュニティとはなにか、子供が見ているものはなにか、乃南さんの目を通して語られる様々なものごと。それらはただの物語ではなく読者の周りにも関係していることだと思える。

「落ちこぼれの落ちこぼれをつくらない」どんな子供だって将来があり、生きていけるべき。どこかで曲がり角を誤ってしまっても、気長にもどってくる方法はあるし、だれもがそれをもっているはず。熱い信念で物事をつらぬく川又さん夫妻と子供たちに気持ちが熱くなる。

新潮文庫 1996

前川麻子 – 晩夏の蝉

初めて読む前川さん。少年犯罪や家族問題、少年たちの心の闇を描いた作品。ずしりと重い感じがするが、そこをスピード感ある筆でうまく読ませると思う。もともとは「明日を抱きしめて」というタイトルで出版され、松本幸四郎や高島礼子出演でテレビドラマになったそうだけれど見てない。ストーリーは描けたとしてもこの内容の暗い部分、えぐい部分ってあんまり描写しにくかったんじゃないかな?

少年犯罪を主に担当する若き女性弁護士 真希が担当するのは16歳の少年。彼は母子を暴行し殺害した。彼の心の中にはなにがあるのか?その闇に近づこうとするが自分の力のなさに悩む。一方彼女は夫の前妻の少年と同居するようになり・・・複雑な家庭環境と年の差のある夫婦がもつ脆い環境・・・。彼女はどうなっていくのか?

切通さんの解説によると、この作品が発表された2000年ごろには少年法の改正があったころで、ちょうど97年の酒鬼薔薇聖斗事件があった流れて少年犯罪が表面化してきたころだった。いまでも犯罪の低年齢化、残虐化が進んでいるといわれているけれど、実際のところどうなのか?たんに明るみにでるようになっただけで数が増えているわけではないのだろうか。でも明るみになる事件はどれも恐ろしい。彼らがなにを考えているのか、考えていることを口にされても、それが実感として理解することができず、ただたんに怖さだけが増していっているように思う。

世の中、どうなっていくのか、人間不信の増す世にならないでほしい。

光文社文庫 2006

小山薫堂 – フィルム

これも古本市で気になって手にとってみた本です。とくにタイトルが気になって。小山さんは映画「おくりびと」の脚本を書かれた方だそうですねぇ。

映像関係とかの仕事を(も)する人の本を読むといつもへーっと思うのが、タイトルの付け方のうまさというか、いい感じの言葉をうまく選ぶなーということ。この本は短編集だけれど「アウトポスト・タヴァーン」「フィルム」「スプーン」「タワシタ」「パイナップル・ラプソディ」「あえか」「青山クロッシング」「鎌倉の午後三時」「セレンディップの奇跡」「ラブ・イズ・・・・・・」と普通なのもあるけれど、知らない言葉や組み合わせの妙みたいなものがあって、また読んでいくとそのタイトルがどう絡むのか、ってところにへーっと感心したり。どれもが余分なところなく明瞭ともいえるし、あやふや感がなくてすっきりしてるけれど、もっと濁っていてもいいとも思えたり。

この10編のなかでは、彼女とけんかして家を飛び出してしまったもののお腹が減って困り果てる「スプーン」、日記風の書き方で妙なことから仕事仲間たちとBarをつくることになる「タワシタ」、タクシー運転手の悲哀「鎌倉の午後三時」、これこそ映像にしたらとても面白いんじゃないかとおもえるある男の悲しくも嬉しい半日を描く「セレンディップの奇跡」かな。ほかもいいけれど。

どれもすっきり読めて、ある程度重さもあっていい感じ。小山さんのもっとどっしり長いのを読んでみたい気がする。

村上由佳 – 僕らの夏

古本屋さんでふと手にした本。前にも村上さんはたしか読んでて(忘れた。そのためにこうやって備忘録のめにブログ書いてるのに・・・)、そのときの印象がよかったので。

読み出してからわかったけれど、これは「おいしいコーヒーのいれ方」と題したシリーズの2作目。でも読み出しちゃったし、甘酸っぱい青春(ほんとに甘酸っぱい!)を思い出してしまったので、そのまま気にせずに一気読み。なんか男の子が通る10代後半のころの、あの、懐かしい感じがよみがえる。

ひょんなことからいとこ同士3人で暮らすことになった勝利。同居人は5歳年上のかれんとその弟である丈。勝利は美しいかれんに恋焦がれる。なんとかキスまではたどりついたものの、そこから先にすすめずもやもや・・・・

読んでいて、ほんとそうよねーと思う。10代後半の男の子って大胆なようでとくに対女性となるとすごく弱気。奥手というわけじゃなくて、どうしたらいいのかわからないのよね、嫌われたくないし。タイトルもそうだけれど、この時期の男の子って初夏のような気分、一年中。なんでも今から、っていうところ。そんな様子をささっと描いた物語、読んでて気持ちいい。

 

愛川晶 – 六月六日生まれの天使

このところ本を読むペースがすごく落ちているのでなかなかレビューも書いてないのだけれど、実は読んだけれどレビューかいてない本もあったりして(宿題ですな)、書き始めるとまあさっさと書けるのだけれど、なかなか手につかないと書けないという状態が続いている。なのでこのところは読んだ本とレビューというのは順番がごちゃごちゃになってます。

さて、これは最近読んだ本。何も考えずに読み出したのだけれど、読んだタイミングが悪かったのか、あまり好きな感じの文章ではなかった。ミステリーとしてはかなりよくできていると思うのだけれど、いかんせんちょっとすーっと読みたいと思って読んでしまうと、肝心な小さなトリックを見落としてしまうので、先まで読んで「あれ?どうなってんだっけ?」と戻ったりすることもしばしば。

ある事故により短期間の記憶蓄積能力がない男とそのそばでまた別のショックによって記憶を失った女が主人公、という設定ではじまるもんだから、ましてやなんの前知識もたい読者は一体どういうシチュエーションなのか理解できるまでに相当時間がかかるので、ここでイラっとする人には読みにくいかも。

解説で大矢博子さんも書いているように、こういう小説でのミステリーの一番の得意技は「書かないことによるトリック」であり、ちょっとずつ描いていくにしたがって様子は明らかになっていくのだけれど、うまく肝心な部分を避けて書くことにより、より一層物語を複雑化(もしくは単純に見せる)することができるので、愛川さんはそれをうまく使って見事に複雑な(でもよく読むとわかる)文章に仕上げている。

僕も最後までどうなってるのかちっともわからなかった。読み終わっても「あれ?」って感じだったので、じっくりある程度時間をかけて一気に読むのがいいのかもしれないなぁ。ちょっと文章は好きになれそうにないけど。

重松清 – ビタミンF


重松さんの作品ふたたび。今回も短編7編からなる本。40前後の若くもなく、父になり、息子や娘や妻がいて・・・という男が主人公の物語たち。家族との(とくに子供たち)間でのぎくしゃく、仕事、生活、何もかもがまだ中途半端な感じの中年男の悲哀がいろいろ描かれる。

いつのまにか丸くなってしまった握りしめた手、とてもヒーローにはなれないけれど・・・「ゲンコツ」、妻が入院してしまい息子とぎくしゃく「はずれくじ」、万引きした娘と父「パンドラ」、優等生の娘が仲良くしているというクラスメイト「セッちゃん」、若い頃の約束を追いかけて「なぎさホテルにて」、よくできた自慢の息子と娘だと思っていたのに本当のことは見えてなかった「かさぶたまぶた」、ずっと前に離婚していた母から連絡が「母帰る」。どれも好きだけれど「はずれくじ」「母帰る」は好きだなぁ。

やるせない気持ちになるけれど、どこか心がほんわりする物語ばかりだった。いい本だな。直木賞受賞作。

伊坂幸太郎 – 陽気なギャングが地球を回す


久しぶりに伊坂さん。やっぱりいいな。とくにこの物語は語り口が軽くて(でてくる連中もなんだか軽くて陽気でいいな)すいすい読める。でも読みやすいだけじゃなくて、話の進み方、出てくるものごとの無駄のなさ(これにいつもすごく感心する)、最後に話がするりとまとまるあたり、やっぱり伊坂さんいいなぁ、とつくづく思う。

実はこの話は映画のほうを先に見ていたので(といってもずいぶん前だけど)そのイメージに振り回されるかなとかも思ったけれど、読み進めていくともう映画のことなんてでてこなくて、また新たなイメージの世界にどっぷりつかってしまった。まぁ物語りもうろ覚えだったし。いままで読んだ伊坂さんの作品の中ではいちばん理屈っぽくない、というかひねくれてないというか(どっちも言葉悪いなぁ)、物語の中でギャングの一人が限られた時間で行う演説のように、すべてが淀みなく、しかもわりに速いスピードで流れていくので、すっきりした感じがあった。かといって物足りないわけでもなく、このあたりのバランスがすごくいい。

あと、やっぱり年齢が近いせいなのか、同じ時代の空気を吸って生きているからか、セリフに含まれるほんのちょっとした物事や表現、しゃべり口、街の空気感、登場人物の(語られない)背景なんかが理由なく腑に落ちてくる感じがする。そうそう、そうよね、うん、そんな感じ、というように、ただただその”感じ”に共感するというか。

ストーリー自体はとくにびっくりするようなどんでん返しがあったりするわけではくコンパクトだけれど、ギャングたちとその周りの人間たちのキャラがたっているのでそれだけでも面白い。やっぱり響野の語りが面白いなぁ。こんな人一度でいいから一緒にお茶のんでみたいなーと思ってしまうなぁ。それでいて話したこと片っ端から忘れてたりして(笑)。あ、あとこの話が仙台が舞台じゃなかったのも、ちょっと新鮮だった(ま、ふつうなんだけれど)。

そしてもうひとつ、伊坂さんの話には音楽(ジャズ系が多いように思う)のことがいろいろでてくるけれどこの物語にでてきた『僕は誰よりも速くなりたい。寒さよりも、一人よりも、地球、アンドロメダよりも』というところにドキっとした。阿部薫よねぇ。17年前の阪神大震災の1週間後、阿部薫をモデルにした音楽劇をしたことを思い出した。懐かしいが、昨日のことのように新鮮だ。

百田尚樹 – 永遠の0

初めて読む百田さん。プロフィールを読むと2006年にこの本を出版して作家デビューしたそうだが、関西老舗番組「探偵!ナイトスクープ」の放送作家をされてたとかで勝手な好感を抱いたりして。帯をみると、最高に面白い本大賞(文庫・文芸部門)で1位をとったり、児玉清氏が号泣したとか書いたりしてる。たしかにものすごく面白いし、とても感動する物語だけれど、僕には面白さや感動よりももっと哀しさや怒り、憤り、そして敬意、感謝の念を抱く物語だった。

主人公健太郎はライター志望の姉の依頼と興味もあって自身の祖父の過去を調べることになる。祖父は60年前の太平洋戦争で特攻隊にいて、そしてそこで戦死したらしい・・・・。同じ隊にいたひとや戦地にいたひとを訪ね歩く彼ら。彼らの口から語られる祖父は臆病者であったり、天才だと言われたり、さまざまな姿。しかし共通して言われるのは祖父が「死にたくない」「生きて帰りたい」と言っていたこと。なのに彼は特攻にいった。それは何故だったか?

祖父の姿を紐解いていくのと同時に、太平洋戦争が時系列に語られていく。日中戦からいよいよ対米開戦となり、いかに日本軍(ここでは主に海軍について語られる)が戦っていったのか。戦場はどんなところだったのか。真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル攻防、レイテ海戦、沖縄戦、と言葉だけでは知っている戦争を祖父の同僚であったパイロット(や、整備員、訓練生)たちの視点から語られるとき、この戦争が教科書的なものではなく、人と人とが生身で戦っていたこと、それらがいかに大本営の思惑や作戦によって左右されたかということ、そんなことが肌に感じられるような気がする。理屈としては分かっていてもこんな風に感じたことはなかった。

開戦当初の日本軍パイロットたちは優秀で、戦いの中でもおおらかに生きていたこと。開戦時にあまりにも優秀すぎた零戦ゆえの悲劇。敗戦色が濃くなっていく中で戦うことの意味を模索する彼ら。そして特攻へと向かう彼らの心境・・・・彼らのいろんな姿を通して僕たちの先祖がどんな気持ちでいたのか、想像を絶するけれど、その入り口は見せてくれる。

戦争が終わってだいぶたってから生まれた僕たちは歴史の中のものとしてしかこの戦争をしらない。でもたかだか60数年前のことだ。この本に描いてある世界を想像してみると、いまからは全く考えられない世界だ。でもこれらは事実であり、もっともっと知っておかねばならないこと。なぜなら、この戦争の犠牲の上に僕たちは生きているからだ。この物語で描かれるようなパイロットひとりひとりの屍の上に立っているのだ。それをもっともっと感じないといけないんじゃないかな。戦争の善し悪し/結果とは関係なく。

そして物語のなかで描かれる海軍士官たちのとった行動/作戦の数々が目が点になることばかり。少なくない数の作戦が失敗したそうだが、その要因が見切りのあまさ、弱腰、そして昇進競争のための点数制度などにあったらしい。自分たちは遠い場所で現実をみない作戦をつくり、兵は消耗品と考える、現場でも実際の作戦の成果よりも、点数を稼ぐためだけの指令、そして有利な状態からの撤退等々。読んでいるといまの社会と同じような構図になっているような気がしてならない。利権や派閥、出世欲のための争いばかりで、本当に必要な戦いをなにもできない行政や官僚や富めるものたち、そして彼らの陰で飢える民。戦争が終わって変わったはずなのに何も変わってないように見えるのはなぜだろう。

ほんとに太平洋戦争についてあまりにも知らなさすぎるのに愕然とする。学校教育も古い時代のことはともかくとして19世紀以降の近代史をもっと教えるべきなんじゃないかな(いまってどうなんだろ)。この本を読んでたくさんのことに興味をもった。自分がいまこうやって生きていることを噛み締めるためにも少し前にあったことをもっと知りたいと思う。

重松清 – きみの友だち


交通事故で足が不自由になった恵美ちゃん。それまで明るかった彼女は事故を境に心を閉ざし、クラスのみんなから距離をおいた。そして病気がちであまり学校に来られず「もこもこ雲」を探している由美ちゃん。彼女もクラスになじめずにいた。2人はクラスからいじめられてだれとも付き合わなくなってしまう。クラス内で彼女たちをいじめる子もそれに便乗する子も人気者も優等生もみんな「友だち」とか「みんな」というものに振り回されてそれぞれに悩んでいる。そんな子供たちの姿を通して「友だち」という意味をさがす物語たち。

よく僕たちはいう「みんながそう言ってるから」「みんながしてるから」。その”みんな”ってほんとは誰のことだろうか??自分の立場を守るためによくわからずに不特定多数の味方をつけたくてつかっていないか?”みんな”がいないと自分の立場を見いだせないなんて、それは結局”自分”というものを持ててないからなんじゃないだろうか。他人と違う自分、弱い自分、ダメな部分、いい部分、いろいろ”自分”にはあるだろうけれど、それらを認めてこそ、”他人”がわかる、そんな自分を認めてくれる「友だち」ができるんじゃないだろうか。

恵美ちゃんと由美ちゃんの成長に合わせ、クラスの子どもたち、よくできた弟ブンちゃん、そのライバルのモトくん、いろんな子どもたちがでてくる。ひとつの短編でそのひとりが主人公になって彼らの視点で「友だち」というものについて悩む姿を描く。どの物語にもでてくる恵美ちゃんの発する短い言葉に、生きること、友だちというものに対する深い意味が語られるのが印象的。

物語全体で流れていく年月とともに物語が迎えるエンディングも素敵。